第十六話 今日からこの部屋は自由に使っていい。何か用事が無い限り俺も極力は訪ねないようにする
家に着いたがまだやらなけりゃいけない事はいくつかある。
家の部屋は掃除をしてあるので今日からでも使えるが、ベッドなんかの家具は最低限しかない。冒険者が使っていたものを手直ししたのが残っているので、アリスにはしばらくそれを使って貰うか。
「今日からこの部屋は自由に使っていい。何か用事が無い限り俺も極力は訪ねないようにする」
「ずいぶんいい家具が揃ってるけどいいの? 私の実家の頃よりいい家具なんだけど」
「そこまでのものじゃないさ、寝心地の悪いベッドに頑丈なだけのテーブルセットだ。タンスはマジックバッグがあるからいいだろうが、殺風景な部屋で済まない」
俺は家なんて拠点として使えればいい程度の感覚だからな。
部屋も住むのに不都合が無けりゃそこまで小奇麗でなくていい。
しかし、アリスの様な年頃の少女が住むにはこの状態は流石にない。いくら俺にだってその位は理解できるぜ。
「十分すぎる位よ。それで、魔導具工房の話なんだけど」
「その話は明日まとめてしないか? 俺の方にもいろいろと説明しなきゃいけない事もあるんだ」
紙漉きの話やその道具に関する話も含めてな。
それに、もうそろそろ日も落ちる。碌な明かりの無いこの世界じゃ飯を食うにも苦労するぜ。
「田舎の村は日が落ちると大変だものね。魔導灯とかないの?」
「こんな片田舎にあんな設置に金の掛かるものがあると思うか? トリーニじゃ普通に使われてる魔導具とは言え、買うと結構するだろう?」
「そうよね……。魔導灯だったら材料があれば作れるわよ」
「……今日買った小型の魔導ライトが二つある。これを一つ渡すから明日にでも制作に取り掛かって貰えるか? 必要な材料があればなんとかする」
魔導具職人凄いな。魔導灯は魔導具だから魔石が必要だが、頭犬獣人から入手した魔石が結構ある。
魔導灯があれば夜も苦労せずに済むぜ。
「こんな魔導具貰っていいの?」
「無いと困るだろ。この辺りは日が落ちれば真っ暗だぞ」
「何か困る事があるの?」
「いろいろだ。対策はしちゃいるから、この家で何かを見かける事は無いしな」
虫やネズミとかの獣類。ネズミを放置すると今度は蛇とかも来る。
夏場は除虫菊っぽい花を見かけたからそれを使って虫対策はしていた。今も家の周りで炊きまくってるし。
そんな事より飯だ。
「今日は俺が飯を作るけどアリスは料理……」
「ほとんどできないわ」
「そうか。それじゃあ飯は俺が作ろう。新しい家ができるまでに覚えた方がいいぞ」
マジックバッグ内に焼いたパンはあるし、食材は揃ってる。
時間経過が遅いとはいえ、マジックバッグ内に作った料理を入れておくのは抵抗があるんであまりやってはいない。燻製にした魚とかは入れてはいるが、アレはどっちかと言えば食材だ。
小さくても時間経過の無いマジックバッグが手に入ったら、非常食として料理を入れるのはありかもしれないな。
「簡単な物で悪いが」
「……気を使わないでもいいのよ? ここまでして貰うと、正直驚くんだけど」
「いや、本気でそのままの意味なんだ。そこまで手間のかかった料理はない」
今日の晩飯の献立。小麦のパン、山鶏のモモ肉の香草焼き、クレソンのお浸し、蔓芋と野草のスープ。スープのダシは山鶏の胸肉をネギっぽい草と一緒に少々煮出しただけだ。解した山鶏の胸肉はそのまま具にもなっている。
「この村って、こんな食生活なの?」
「山鶏のモモ肉の香草焼きくらいだったら、どの家でも頻繁に出て来るぞ。モモ肉が胸肉になったりすることもあるが」
「そっちも凄いんだけど、これの方よ」
「ああ、パンは俺が焼き方を教えたが、今は村で焼いているな。トリーニで食うパンよりはマシだろ?」
小麦粉を使ってるし、砂糖とか塩を混ぜてしっかり発酵させてるからな。
料理に詳しいやつがこのやり方を知れば、もう少しうまいパンが食えるかもしれないが……。
「あの街でこんなパンを毎日食べてるのは、たぶん貴族だけだと思うわ」
「流石にこのパンを食い始めたのは半月前位からだぞ。その前の飯は山鶏とか魚がメインだ。以前だと、パンの代わりにたまに蔓芋を食ったりな」
俺が来る前の話を聞いたが、主食が備蓄の穀物類か野草で、たまに食べる御馳走の肉も茶豚鼠だったって話だ。道理でガリガリに痩せてたわけだぜ。
山鶏や角豚が食卓に上がり、さらに魚や蟹なんも食うようになってからはみな体格は良くなったからな。
最初期にこの村の周りに生る、蔓芋と呼ばれる奇妙な芋も発見した。細い蔓に生るいびつな形の芋なんだが、吹かしたりして食べると何となくジャガイモに似てる気はする。
あの蔓芋元の世界でも似たような話を聞いた事があるので、おそらく下には山芋が埋まっているんだろうが、それを掘り出して食べたら蔓芋が獲れなくなるからまずい。もう少し蔓芋を見つけたら少しくらいは間引いてもいいだろう……。
「リュークって食べ物に詳しいのね。私とほとんど同じくらいの歳の筈なのに」
「知識って物はな、どれだけ詰め込んでもそこまで意味はない。実践の仕方が重要なのさ」
「実はどこかの王族の烙印とか言い出さないでしょうね? お家騒動に巻き込んだりしない?」
「なかなか洒落た冗談だが、王族名乗るほど命知らずじゃねえよ。知ってると思うが、俺の両親はただの個人商会の頭だ。さあ、温かいうちに食おうぜ」
個人商会なんだから頭も何もないが、貴族でも何でもないただの平民だったのは間違いない。
その子供の中身の俺がちょっと訳ありだっただけだ。
「……そういう事にしておくわ。美味しい!! パンもこんなに柔らかいなんて信じられない!!」
「色々あればもっとうまくできるだが、流石に料理にばかり時間なんて掛けられない。そのうち暇を見てもっといろいろ広めるさ」
「その知識がおかしいのよ!! トリーニにこんなパンの作り方知ってる人いないでしょ?」
「探せばそれなりにいると思うぜ。大商会とか貴族向けの店だったら近いものを食ってる可能性もある。それ以外のパンは食えたもんじゃねえが」
居てもロドウィック子爵家が飼ってるだろう。
他の子爵家の状況じゃ、食生活を豊かにどころかどこまで切り詰めるかって考えてるだろうしな。
流石に羊肉に手を出しちゃいないと思いたいが、貴族としてのプライドと天秤にかけてまで捨て値同然の食材を食卓にあげるかどうかの葛藤をしてる可能性はあるか。羊肉だって調理次第で美味しく頂けるんだが。
元の世界の記憶でも羊肉を使った有名な料理があった。記憶が曖昧なので確証はないが料理名はジンギスカンだったか? 特殊な形の鍋とか鉄製のバケツが必要だった気はする。
「貴族はそうかもしれないわね。うちはまだ余裕があったから普通の食事だったけど、それでも今日と同じレベルの料理はご馳走だった。城壁に近い地域の人は、パンなんてめったに食べられないんじゃないかしら? 羊肉があるから何とか生きてるけど、あれが無かったら危ないわ」
「魔導具職人の家が貧乏って事は無いだろうしな。地獄から抜け出したけりゃ、どうにかして現状をぶっ壊すしかねえのさ。一か八かで海を目指すのもありだと思うぜ」
「どうしてそう思うの?」
「どっちへの質問だ? 魔導具は作れるだけでも稼げる商売だろ? 海に逃げる方は、あっちは食うに困らないとは聞いている」
港町であるザワシリとクキツは職に困らない場所だ。漁師に弟子入りすりゃ食っていく手段は幾らでもあるし、食料の入手もトリーニよりは簡単だという。魚の干物や加工品も多く、俺の両親なんかはその加工品や巻貝なんかの貝殻をトリーニで売っていたらしい。
両親の話はともかく、港町周辺は漁師が強くて野盗も街中までは手出ししてこないという話だし、街の中から出なけりゃトリーニで暮らすよりは生存率は高いだろう。
「何処も港町はたくましいのね。魔物も出る海に船を出すからなのかしら?」
「それもデカいだろうな。今日は疲れただろうし、晩飯を食ったらゆっくりしてくれ」
「食事の後片付けとかは?」
「俺がやるさ。アリスは俺が雇ったが、それはあくまで仕事の時間の話だからな。何もないがゆっくりしてくれ」
本当にこの世界は日没後にやることが無い。状況次第じゃ子作りが唯一の娯楽になりかねない位だ。
この村の場合、菜種に近い品種から採った油があるのでそれで明かりをともせるが、油の量も無限じゃないので用がない時はさっさと寝るに限る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
いつもやってる事に皿が数枚混ざるだけだ、大した手間じゃない。
後は寝ればいいアリスと違って俺はその後もそこそこ仕事が残っているが、それは全部俺の都合だ。そんな事で他人に負担を掛けちゃ商会の頭として失格だぜ。
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