第十二話 一泊でお前の月給分位するからな。だが、この街で安全に寝泊まりするにゃ、このクラスの宿を選ぶしかない
今日の宿は中央通りにある白銀亭。この宿は交易が盛んだった頃には他の貴族領の商人や貴族が泊まっていたという話だ。
今はほとんど利用する人間もいないが、それでも設備は奇麗な状態で維持されてるみたいだな。
こんな状況のトリーニでも、他の貴族領から誰も訪ねてこないわけじゃない。
各子爵家にも王都周辺に住む親戚筋は存在するし、品質があまりよくないが樽に入ったワインなんかも売りに来たりもする。この辺りでも酒くらい作っているが、熟成年月が短く質の悪いウイスキーくらいしか売ってないからな。質のいい酒は大体王都周辺から運ばれてきたものだ。
そういった行商人は流石にこのクラスの宿にしか泊まらない。防犯面やサービスの質から考えれば当然なんだがな……。
「すごい宿ね……。ホントにここに泊まるの?」
「一泊でお前の月給分位するからな。だが、この街で安全に寝泊まりするにゃ、このクラスの宿を選ぶしかない」
「……私のひと月分の給料って」
「なに、アリスが頑張ってくれりゃ、給料なんてすぐに何倍にも上がるさ。ただ、このクラスの宿でも飯は期待できねえがな」
この辺りの食事と言えば上等な物でも山鶏や角豚の香草焼きか、川魚の塩焼きだ。
ここよりかなり安い宿だったら、確実にマトン料理が出て来るんだが流石にそれはねえだろう……。ほとんどタダ同然の食材だしな。
「泊まりに来たんだが、別々で二部屋。食事は持ってきてもらえるかな?」
「いらっしゃいませ。はい、料理をお部屋まで運ぶことは可能です。宿泊料金ですが、食事込みですと全部で五千スタシェルになります」
「金貨での支払いだがいいかな?」
「はい!! 確かにお預かりしました。料理は鳥と魚が選べますが」
「アリスはどっちがいい?」
「私は鳥かな」
「二人とも鳥でお願いします」
流石に肉もありますよとは言ってこなかったな。角豚の肉は割と貴族に買われてるから、こんな宿に卸されてる訳がない。
そう考えると、あの寒村はかなりいい飯を食ってるんだよな……。
「かしこまりました。食事はすぐにお持ちしますか?」
「二時間くらい後でもいいか?」
「私は構わないわ」
「では、その位でお願いします」
「かしこまりました。お部屋は二階の二十二号室と二十三号室になります」
流石に離れた部屋にはしねえよな。
飯を運ぶのに面倒ってのもあるんだろうが……。
◇◇◇
アリスには俺に部屋に来てもらった。こっちが部屋に行ってもいいんだが、一応俺が雇い主だからな。
それにアリスが女性ってのもある。借りた宿の部屋とはいえ、知り合ったばかりの男にずかずかと部屋の中に入ってほしくないだろう。
「さて、飯の前に明日の詳しい仕事内容を教えておこうと思ってな。それと、アリスがどんな事を出来るのかも、もう少し知りたいんだが……」
「明日の仕事? 先に聞きたいんだけど何をさせる気?」
「別に怪しい真似はさせねえよ。ちょいと魔道具屋でマジックバッグの目利きをしてほしいだけさ。それとアリス用のマジックバッグの購入もだが……」
マジックバッグと言ってもピンからキリまである。
容量無限で時間経過無しのマジックバッグだと、それこそ十億スタシェル。日本円にして百億円くらいする事も珍しくはない。
購入するのは間違いなく王族で、使用目的は戦争の物資の移動目的だ。
この世界には数十トンもの収納能力のある特殊な馬車もあるが、その場合戦争が始まった段階で真っ先に狙われる。だから特殊な馬車は軍事目的では使用されず、大規模な穀物の輸送なんかの為に国内で運用されてるって話だな。
元の世界で一般的なレンタル物置程度の部屋の収納能力で時間経過も同じであれば、本気で千スタシェル以下で売られているし、少し小金を持つ者だったら大抵のものは持っているのが現実だ。
極稀にだが、収納能力は低いが時間経過の無いお宝マジックバッグが千スタシェル程度で売られているが、よほど鑑定能力の無い店主でもない限りありえない。だが、極稀にそういった事もある。
「なに? 捨て値で売られてるお宝マジックバッグでも探させる気? そんなことができるんだったら、それで食ってるわよ」
「元手は必要だろう? 捨て値と言っても普通に買えば五百スタシェルから千スタシェル。購入資金に馬鹿みたいに虎牙蔓をかき集めてくる気か?」
「……言っとくけど、そんなことは既に別の商会がやってるわよ。一時期ダンジョンから馬鹿みたいにマジックバッグがドロップしたでしょ? あの時期に全部きっちり調べられて、今は全部適正価格で売られてるわ」
普通はそうだよな。
じゃあ、その前提条件を覆したらどうなる?
「俺が探しているのは容量が小型から中型、時間経過が二十倍以上のマジックバッグだ。あの辺りは売値もタダ同然の筈だが」
「……ごみ処理にでも使う気? 一時期は流行ったけど、結局その使い方も定着しなかったでしょ」
「腐敗は進むが、内部で発生したガスが一定量を超えると外部に容赦なく溢れだす。その時の匂いが酷すぎて持ち歩く事さえ困難。結局生ゴミなんかは、そのままそのあたりに埋めた方がマシだからな」
「よく知ってるんじゃない。で、そんな無価値なマジックバッグを集めてどうするの?」
何事も使い方次第って事さ。
この使い方に気付かれて、誰かに根こそぎさらわれる前に手を打たなきゃいけないんだ。
「その先はまだ教えられねえな。で、出来るか?」
「出来るわ。そんなもの私じゃなくても店で聞けば……」
「正直に話すと思うか? あいつらが……」
「無いわね。貴族相手でもなければ、平気でだます奴らだわ」
そう、魔道具店の店員なんて、客を騙してなんぼの商売だ。
何か魔導具を探してる姿を見せれば、百スタシェルの商品を五百スタシェルと吹っ掛ける事なんてざらで、今回の様なゴミマジックバッグであっても下手すりゃ十倍以上の値を吹っ掛けてきやがる。
流石に貴族や大商会に所属する人間は魔導具職人や錬金術師と呼ばれる魔導具や魔道具を作ったり鑑定できたりする人間を連れて来るので騙すのは難しいし、流石に貴族は騙した後が怖いので正直に魔道具を売り渡す。
逆に物の価値の分からない人間からはボりたい放題って事だな。
「向こうも商売だ、多少騙すなんて当然さ。今回アリスがいなきゃマジックバッグの購入に関しちゃ後回しにするつもりだったしな」
「ずいぶん信頼してくれるのね」
「信頼しなけりゃ雇いはしないさ。ただ、俺に雇われたからにはある程度こっちの流儀に従って貰うぞ。身内を危険に晒さない。利益の出ない仕事は引き受けない。限度を超えた要求はしない。不要に人は殺さない。好んで他人の縄張りを侵さない。食べ物に毒を混ぜない……、だいたいこんな所だ。あと最後に一つだけ、裏切ったら必ず殺す」
「人を殺すのはダメなの? 裏切り者は殺すのに?」
「ダメとは言わない。必要とあらば殺さねえといけない事もあるだろう。だが、極力殺しは無しだ。裏切り者を放置すると他の身内にまで危害が及ぶ可能性がある。キッチリけじめをつけさせる為にも、裏切りに関してはその命で償わせるさ」
これは別に俺が甘くて言っている訳じゃない。
人には使いどころがある。完全に使い物にならない奴でも、最悪魔物を引き付ける囮位には使えるからな。
懐にいれると毒に化ける奴らもいる。毒は毒なりに使い道はあるが、俺の仲間に何かしたときは絶対に容赦しない。裏切り者もな……。
「あなたも両親を殺されたんでしょ? 敵を討ちたくないの?」
「もう何年も前の事だ。今更探してどうにかなると思うか? 大体野盗をしてる奴らもこの数年で魔物に殺されているか、他の野盗に殺されてるありさまだぞ。奴らが生きてる保証すらねえ」
「悔しくはないの? 私は絶対にお父さんとお母さんを殺した奴を見つけて、この手で……」
「殺すか? で、お前の両親は何時、何処で、誰に殺されたんだ?」
そこまで言うにゃ、最低でもこのくらいは調べておかなきゃ駄目さ。
俺の両親の仇は少し南にある港町クキツと、城塞都市トリーニを繋ぐ街道を根城にしている野盗だってことくらいは調べてあるぜ。流石に数が多すぎて今は手出しできないが、そのうちあの辺りの野盗は一掃してやる。
「殺されたのは一年前……、犯人はロドウィック子爵領にある魔導具ギルドの誰かよ」
「こっちに来るにゃそこまで警戒されないから、レナード子爵領の管理地に逃げて来たのか。いい判断だと思うぜ」
ロドウィック子爵領は大穀倉地帯を持つため、他の貴族領よりはまだましな状況だ。
ただ必要以上に領民が増えても困るので、領内へ入る場合はかなり厳しい関所を抜けなければならない。外に出て城門から入ろうとしても同じ事で、何か証明書でも無い限り入り込むのは無理と聞く。人口自体はあそこも減ってる筈なんだがな……。
「リュークには仇を探す手伝いをして貰いたいの。もし両親の仇を探してくれれば、私は生涯あなたに尽くすわ」
「……仇を探したけりゃ勝手に探すがいいさ、俺は直接は手を貸せない。だが、アリスが自分で探しても時間の無駄だろうぜ」
「な……、どうしてよ?」
「お前にそんな技術があるのか? 俺にだって探偵の真似事なんて無理だ。その上、ロドウィック子爵領内で敵討ちとなりゃな……」
まず、ロドウィック子爵領内に潜入し、向こうの魔導具ギルドの情報を掴むだけで一苦労だ。トリーニは三人の子爵に管理されている街だが、他の貴族領からロドウィック子爵領内へ行く場合にだけかなり厳重な関所を抜けなければならない。他の子爵領が貧乏過ぎてロドウィック子爵領内へ逃げ込まれるのを防ぐためなんだが、逆にロドウィック子爵領から出る場合はそこまで警戒されないというのが現状だ。
で、その厳重な関所を抜けてロドウィック子爵領内に潜りこみ、そこからアリスの両親を殺した奴らの情報を引き出し、そいつらを殺しやすいように誘い出すか、殺しやすそうな場所で待ち構える? その技術を得るだけで、いったいどれだけ時間が無駄になるか考えただけでぞっとする。
「協力できないっていうの?」
「直接は……、な。アリスは盗賊ギルドって存在を知っているか?」
「盗賊にもギルドがあるの?」
「あるさ。必要悪ではあるが、この街の中である程度治安が保たれてるのは奴らの存在も大きい。奴らは金次第で情報収集も殺しも請け負う」
「そこに依頼しろって言うの? そんなところに頼んだって、両親の仇を討てたって証拠が無いじゃない!!」
「奴ら、そこに嘘はつかねえさ。奴らが依頼を受けた上で殺したって言うんだったら確実に殺している。その手で敵討ちをしたけりゃ殺しはやめて、仇の情報だけ集めりゃいい。相手の事がわかりゃ、こっちも色々と取る手がある。どこの誰かもわからねえ状況じゃ、それすらも無理なのさ」
情報は力だ。
ただ、このレナード子爵領にある盗賊ギルドにロドウィック子爵領内の情報を集めさせるにゃ、それなりの額が必要だな。
今のアリスの給料じゃどうにもならないだろうぜ。
「いくらよ? 安くは無いんでしょ?」
「さっきの条件の依頼料だと、相手の特定だけでも前金で最低十万スタシェル。事と次第によっちゃ、後払いの報酬を含めて大体五十万スタシェルって所か」
「ごっ!!」
「言っただろ。そんな額を要求するような奴らなんだ。仕事に手なんて抜かないさ」
信頼だけで成り立ってる商売だからな、仕事に手を抜いたら身内が制裁に来るぜ。
よほどの事が無けりゃ依頼主はばらさない。あいつらが依頼主の事を話すとすりゃ、こっちが出した提案が依頼主の利益になる場合と双方で話が付いた時くらいさ。
「それでだ、ここでアリスが俺と袂を分かって自力でその金を集めるとする。この辺りの虎牙蔓を根こそぎ集めても、個人じゃ精々年二千スタシェルくらいだろう。他で稼ぐにしてもアリスだって暮らしていかなきゃいけない。そうなると、依頼料を稼ぐのに約二百五十年か、相手が生きてるといいな」
「このままあなたに雇われてもそこまで変わらないでしょ? 私の給料は月二千シェルよ? あなた、五十万スタシェルも……」
「俺の元に居りゃどんなに遅くても、来年のこの位の時期には五十万スタシェル程度稼がせてやる」
「それ、本気で言ってるの?」
「本気も本気、アリスのがんばり次第じゃ手付の十万スタシェルくらい今年中にでも稼げるぜ」
アリスの技術で和紙の製造速度が上がれば、五十万スタシェルなんて数日だ。
ただ、五十万スタシェル渡せる状態になっても、すぐに渡す訳にゃいかないが……。こっちにもいろいろ都合があるんでな。
読んでいただきましてありがとうございます。
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