スパイ
8 スパイ
「陽光・・・」初紀の事も思い出す。何となく口の中が苦くなる。
タタタタタッタタァッタァッタァッタァッ・・・音楽だ。狐底の携帯がズボン、前、右のポケットで鳴った。携帯のディスプレイを見て溜息をついた。知らない番号だった。出ようか、出まいか、サンザン考えた後に、仕方なく電話に出ることにした。
「ハイもしもし、こちら九会会、会長の渡田!だ!」
「ここのえ会?」
「ああ君か、忠国君だったね」
「声だけで解るんですか・・・。すごいなあ」
「まあな、九会会の会長、渡田だからな」
「誰ですか?黒住狐底さんですよね?」
「そのなれなれしい口調は、我が両親をも震撼させた、空戸十一君だろ」狐底は、明治の軍人のような口調で言った。
「そうです。空戸です」
「で何のようだ」豚の焼き肉屋で、ジュウジュウ焼かれた肉に咬まれた清楚な女子大生の反応を見るような憐れみの口調で言う。
「狐底さんのご両親から、そちらの様子を見てきて欲しいとの要請がありましてね。伺ってもよろしいでしょうか?」
空戸は素直だ。ココまで開けっぴろげに訪問の目的を、私に告げているとは・・・ヨモヤ、両親も想像していないだろう。スパイの意味がない。007が、「私は女王陛下の密命できたものだが、便宜を図ってくれないか?」と、敵国の上級兵士に頼み込むようなものだ。
「今日か?」
「そう今日です。私の休みは今日しかないのです」
「・・・人生で一度きりの休みか・・・有意義に使うんだぞ」
「あの・・・そうではなくて・・・」
「解った。良いぞ忠国君」
「だから忠国っていう、あだ名止めてくれませんか」
「わかった。左寄右寄君」
「だから、やめてください」カチッと音が鳴った。十一の前歯が送話口に当たったのだろう。
「カチッと音がしたぞ。また牙でもむいてその辺の、お猿でも脅かしているんだろう」
「変なこと言わないでくださいよ。猿なんかいませんよ、いたら脅かす前に通報します・・・。キバでもありそうなくらい不気味な風貌をしているのは、そっちのくせに・・・色白だし、目は細くて、眼球の色はブルーだし、服はいつも黒く、好物はトマトジュース。どうしようもなく怖いですよ」
「お前に恐れられている感じは全然しない」
「慣れたんです・・・否、まだみたいです。声が震えているのがわかりませんか。まだまだ回数が必要です」
「俺は褒めていないよ。どうでも良いが何時に来るんだ?」
「二時か、三時でどうです」
「どっちだ」
「じゃあ二時でお願いします」
「あー、二時は都合が悪い」
「じゃ三時で」
「あっ三時からは弟の、おはようブックを探さないと・・・」
「もー、二時で良いですね」
「うん・・・しぶしぶ」
「二時に行きますからね。そうそう、今日は奥さんの行方について、少しばかりネタを持って行けるかもしれないです。でもただではお聞かせできません。空戸の人生はギブ・アンド・テイクで、そちらのキチンとした様子を教えてくださいね」
「どうせ、ネタの出所は、我々の両親だろ、缶さんではないな。あの人はそういう、探偵みたいな事には、無能だ。それに、一度でもこの家の住人だったことが、ある人間のことをお前みたいな訳のわからんやつに教えるはずがない。なあ、空戸、お前馬鹿だろ。両親の情報をギブ・アンド・テイクで手に入れる奴がいるとでも思うのか?」
「いると思いますよ。そこには・・・」空戸のいやらしい笑い声が聞こえてくる。