黒いゴミ袋の中身を覗いたら
これは、アパート暮らしをしている、ある若い女の話。
その若い女は、アパートで一人暮らし。
生真面目で几帳面な性格をしていて、いつも早寝早起き。
今朝もいつもと同じように早起きをすると、
ゴミ袋を手にして出かけていった。
今日は、その若い女が住んでいる地域のゴミ回収の日。
その若い女が近所のゴミ捨て場へ行くと、
先客である中年の女達が数人、立ち話をしているところだった。
その内の一人と目が合って、若い女は挨拶を交わす。
「おはようございます。」
「おはよう、今朝も早起きね。」
すると、何やら深刻な表情で、
中年の女達がその若い女に話を振ってきた。
「ちょっと、これを見て。」
「またゴミ出しのルールを守っていない人がいるのよ。」
中年の女の一人が、手にしたゴミ袋を掲げて振ってみせた。
乳白色のゴミ袋の中身を詳しく窺い知ることは出来ないが、
振られたゴミ袋からカラカラと缶の音が聞こえていた。
ゴミ袋を振っていた中年の女が、不機嫌そうな表情になって言う。
「缶の音がするでしょう?
今日は燃えるゴミの日なのに、缶を混ぜて捨てた人がいるのよ。」
「それは不届きな話ですね。」
「でしょう?
ご近所にゴミ出しのルールを守らない人がいるみたいでね。
あたし達も困ってるのよ。」
「この間なんて、指定された以外のゴミ袋で出した人がいたわよね。
他にも、異常に生臭いゴミが出されていた時もあったわ。」
「こんなことが続いたら、
ゴミの回収を断られてしまうかも知れないわ。」
「それでね、あなたにお願いがあるのよ。
お宅のアパートの住民がゴミ出しのルールを守っているか、
あなたからも調べて欲しいのよ。」
アパートの住民のゴミ出しの確認など、本来なら大家や管理会社に頼むのが筋。
しかし、生真面目なその若い女は、
筋違いの要求にも二つ返事で応えてしまう。
「分かりました。
ゴミ出しは一人だけの問題では無いですし、私も調べてみます。
アパートの大家さんとは顔見知りなので、
大家さんにも連絡しておきます。」
その若い女からの色好い返事に、中年の女達の表情が華やぐ。
「あら、本当?
じゃあ、お願いしていいかしら。」
「お若い方が協力してくださると助かるわ。」
それから、中年の女達は口元に手を添えて、
周囲を気にするようにして、ひそひそと話し始めた。
「ところであなた、最近この辺りで、
刃物を持った男が目撃されているのをご存知?」
「いえ、知りませんけど。」
「それがね、最近この辺りで、
鞄に刃物を詰めた男が彷徨いているって噂なの。
若い女の子が何人も行方不明になってるって話もあるのよ。」
「ルール違反を一つ放っておくと、全部が駄目になるって言うものねぇ。
きっと、ゴミ出しのルールも守れないから、
そんな不審者が現れるようになるのよ。」
中年の女達の話題は尽きず、立ち話の話題は、
ゴミ出しからもう次の話題へ移ってしまったようだ。
その若い女はこっそり独り言を溢す。
「・・・これ以上は話が長くなりそう。
御暇したほうが良いわね。」
そうしてその若い女は、
ゴミ捨て場に集まった中年の女達に会釈をすると、
そっとその場を後にしたのだった。
日が暮れて夜になって。
その若い女はアパートへと帰ってきた。
「朝、ご近所の人達に約束してしまったし、
ゴミ出しの事について、大家さんに相談した方が良いわよね。
大家さんの部屋へ行ってみよう。」
帰宅したその足で、大家が住んでいる部屋へ向かう。
その若い女が住んでいるアパートの大家は、同じアパートの一室に住んでいる。
大家のところへ行くのは簡単なことだった。
階段を下って廊下を進み、大家の部屋の前に辿り着く。
早速、呼び鈴を鳴らしてみる。
しばらくの間があって、玄関の扉が開けられ、
中から温厚そうな老婆がゆっくりと顔を覗かせた。
その若い女の顔を確認すると、穏やかな笑顔で応じた。
「あら、あなたは上の部屋の。
こんばんは、何か御用かしら。」
その若い女と大家は、顔を合わせれば挨拶する程度には面識がある。
挨拶も手短に、早速要点を伝えることにする。
「実は今朝、ゴミ捨て場で近所の人達と話をしたんですけど、
どうもこの近辺で、ゴミ出しのルールを守らない人がいるそうなんです。
燃えるゴミと燃えないゴミを混ぜて捨ててしまったり、
指定されたゴミ袋以外を使っていたり、
匂いが酷いゴミを捨てていたり。」
話を聞いた大家は、眉尻を下げて困った顔になった。
頬に手を当てて応える。
「まあ、そうなの。
うちのアパートでも気をつけるようにするわね。」
「それだけではなくて、実際にゴミ出しのルールが守られているか、
確認する必要があると思うんです。」
「実際に確認、というと?」
首を傾げる大家に、その若い女は毅然として応える。
「これからしばらくの間、
このアパートの住民が捨てるゴミを、チェックしようと思うんです。
必要があれば、ゴミ袋を開けて中を調べるつもりです。」
その若い女の話に、しかし大家は困った顔になる。
「それはありがたいのだけれど、
でも、出されたゴミ袋を開けて調べるのはどうかと思うわ。
同じ住民同士、そこまでする必要があるかしら。
返ってトラブルの元になるかも知れないわよ。
ゴミ出しのルールは複雑になる一方で、時には間違えることもあると思うの。
だから、そんなに目くじらを立てないであげて。
もう少し様子を見ましょう。
そもそも、ゴミ出しのルール違反をしているのが、
うちのアパートの住民とは限らないでしょう?」
やんわりと止める大家の言葉に、
しかしその若い女はやはり毅然として応える。
「でも、ルールはルールです。
ゴミ出しのルールが守られないと、
ゴミの回収をして貰えなくなるかも知れません。
それを防ぐにはやはり、
出されたゴミ袋を実際に調べるしかないと思うんです。」
確かにやりすぎかもしれない。
その若い女もそう思うのだが、しかし。
朝、ゴミ捨て場で中年の女達と話をして、
アパートのゴミ出しを自分が調べると約束してしまった手前もある。
勢いで口から出たような言葉だが、引っ込めるわけにはいかなかった。
すると、丁度その時。
その若い女と大家が立ち話をしているアパートの廊下の横を、
気弱そうな若い男が通り掛かるところだった。
若い男の手には、ゴミ袋のようなものが握られていた。
その姿を目にして、その若い女の頭に血が上っていく。
口から飛沫と共に言葉を撒き散らす。
「ちょっと、あなた!
ゴミ出しは回収日の当日の朝だけってルールでしょう!」
突然、その若い女からびしっと指を指されて怒鳴りつけられて、
若い男はまごまごと立ち止まった。
「えっ?
ご、ごめんなさい!
ゴミがいっぱいになって、どうしても部屋の中に置いておけなくて。」
若い男の言い訳じみた話を聞いて、その若い女はカンカン。
腕組みをして、見ず知らずの相手にガミガミとお説教をしてしまう。
一頻りお説教をして、肩で息をしながら言う。
「全く、言わんこっちゃないわ。
大家さん、やっぱり私の言った通りでしょう。
私、ゴミ袋の中を調べることにしますから。
若い男と大家に向かってそう言い放つと、
その若い女は肩を怒らせてつかつかと去っていってしまった。
アパートの廊下には、
ぽかんとした表情の若い男と大家が残されたのだった。
それから数日後、ゴミの回収日。
その若い女は、ゴミ出しのルール違反を取り締まるべく、
いつもよりも早起きをしてゴミ捨て場へ向かっていた。
ゴミ捨て場へ到着するとそこには、
既にいくつかのゴミ袋が捨てられていたのだった。
乳白色の袋や茶色い紙袋が、やや乱雑に積まれている。
崩れかかったゴミ袋の山を直しながら、その若い女が愚痴を溢す。
「今朝は早くに来たのに、もうこんなにゴミが出してあるわ。
しかも、紙袋で捨ててあるだなんて。
これは明確にルール違反よ。
やっぱり私がチェックをしに来て正解だったわね。」
散らかっているゴミ袋を直していると、
ふと、ゴミ袋の山の中に、異質な物が紛れているのに気が付く。
それは、今時珍しい、真っ黒なゴミ袋だった。
その若い女は腰に手を当てて文句を言う。
「今度は黒いゴミ袋?
ゴミ袋は中身が見える物って、ゴミ出しルールで決まっているのに。
誰が捨てたのかしら。」
黒いゴミ袋を引きずり出して、手に取ってみる。
大きめの買い物袋くらいの大きさのそれは、
何が入っているのか、手に持つとずっしりと重量感があった。
その若い女は手にした黒いゴミ袋を見て首を傾げる。
「このゴミ袋、やけに重たいわね。
燃えるゴミがこんなに重たいなんて、紙束でも入ってるのかしら。
もしかして、
ゴミ出しルールに違反しているのは、
ゴミ袋だけじゃなくて中身もかもしれないわね。
仕方がない、中身を確認してみよう。」
ゴミ出しルールに違反しているゴミ袋は、
見つけ次第、口を開けて中身も確認する。
それは、ゴミ捨て場で話した中年の女達と約束したことで、
大家にもそうすると宣言してしまっている。
今更、ここで見て見ぬ振りをするわけにもいかない。
その若い女は、重くて黒いゴミ袋の中身を確認することにした。
義務感に押されて、黒いゴミ袋の結び目に指先を差し込む。
纏わり付くほんのちょっとの罪悪感を振り払う。
黒いゴミ袋の結び目は固く締められていて、中々解くことができない。
指先が震えるほどに力を込めて、やっと解くことが出来た。
開いた黒いゴミ袋の中を見て、その若い女は体を強張らせた。
たっぷり間を挟んで、開いた口から言葉を漏らす。
「・・・何よ、これ。」
その若い女は勘違いをしていた。
手に持っていたのは、黒いゴミ袋では無かった。
そのゴミ袋の中に入っていたのは、真っ黒な長い髪の毛。
真っ黒な長い髪の毛がゴミ袋の中にぎっしりと詰め込まれていた。
その髪の毛が透けて、黒いゴミ袋のように見えていたのだった。
ゴミ袋から溢れ出た大量の髪の毛が、その若い女の手に絡みつく。
その若い女は悲鳴をぐっと飲み込んだ。
「こんなに大量の髪の毛が、どうしてゴミ袋の中に?
・・・いえ、違うわ。
このゴミ袋の中に入っているのは髪の毛だけじゃない。
髪の毛の根本に、何かが繋がってる。
それが、このゴミ袋の重さの原因よ。」
髪の毛が繋がっている元とは何か、考えたくもない。
今すぐ捨てて逃げ出したい。
しかし、足が動かない。
このゴミ袋の中に何が入っているのか、確かめずにはいられない。
足は動かないのに、腕は勝手に動いてしまう。
手に絡みついた髪の毛を鷲掴みにして、そっと引き上げる。
髪の毛の根本に繋がった何かの重さに耐えかねて、
ぶちぶちと髪の毛が千切れて引き抜ける感触が伝わってくる。
そうして、
髪の毛に埋もれたゴミ袋の中から引き上げられたのは、
無表情な人間の顔。
黒くて長い髪の、若い女の生首が顔を覗かせたのだった。
もう耐えられない。
その若い女は小さな悲鳴を上げて、生首ごとゴミ袋を放り出した。
逃げようとするが、足が縺れて地面に尻餅をついてしまった。
膝が笑って言うことを聞かない。
震える唇で声を漏らすのが精々だった。
「あっ、あっ、頭!人間の・・・!」
声にならない悲鳴を上げようとしていて、その若い女は気が付かなかった。
背後の物陰から、人影がそっと姿を現したことに。
人影は静かに、腰を抜かしてへたり込むその若い女の背中に近付いて行く。
背後の頭上から影に覆われて、その若い女はやっと背後を振り返る。
そこにいる人影には見覚えがあった。
それは、アパートで大家と話をしている時に通りがかった若い男だった。
立ち尽くす若い男に、あの時の気弱そうだった面影は無く、
無表情な冷たい目でその若い女を見下ろしていた。
若い男が黙ったまま、手に持っていた黒い鞄をゆっくりと広げて見せる。
そこには、大量の刃物がぎっしりと詰め込まれていたのだった。
それからしばらく後。
喫茶店で数人の若い女達が集まって、ぺちゃくちゃとお喋りをしていた。
「それで、その後はどうなったの?」
「今度は自分が生首にされてしまったんでしょう!」
「連続殺人よ、怖い!」
そう囃し立てる若い女達。
その輪の中心にいたのは、その若い女だった。
その若い女は呆れた様子で、鼻を軽く鳴らして応えた。
「まさか、そんなわけが無いでしょう。
自分まで生首にされてしまったのなら、
私は今どうしてここにいるの。」
冷静な指摘に、若い女達は首を縮こませて言う。
「それは・・・幽霊になって化けて出た、とか。」
「そんなわけがないでしょ!
ほら、こうして足だってちゃんとあるわよ。」
その若い女が屈んで、テーブルの下でロングスカートの裾を摘んで見せる。
そこには白く伸びる足が確かにあった。
スカートの裾を直して、その若い女は話を続ける。
「ゴミ捨て場で私が見つけたのはマネキンヘッド。
つまり、作り物の人形の生首だったのよ。
若い男の鞄の中に入っていた刃物は、美容師用の鋏。
同じアパートの彼は、美容師見習いでね。
自分の部屋でマネキンヘッドを使って練習していたんですって。
それで、古くなったマネキンヘッドをゴミ袋に入れて、
あのゴミ捨て場に捨てたの。
ゴミ袋は半透明だったから、黒い髪の毛が透けて見えて、
それを見た私は黒いゴミ袋だと勘違いして、
中身を確認してマネキンヘッドと対面してしまったってわけ。
全く、人騒がせな話よね。
マネキンヘッドを燃えるゴミとして捨てるなんて、ゴミ出しのルール違反よ。」
腕組みをして仏頂面をしている、その若い女。
しかし、その周囲を囲む若い女達は、
にやにやといやらしい笑顔で持て囃した。
「そんなこと言っちゃって。
そのおかげで、あなたは彼と知り合うことができたんでしょう?
まるで恋のキューピッドじゃない。」
「そうそう。
お硬いあなたに彼氏ができるなんて、マネキンヘッドに感謝しなくちゃ。」
からかう言葉に、腕組みをしているその若い女の顔が赤く染まる。
若い女達の言う通り、
あのゴミ捨て場での一件が切っ掛けとなって、
その若い女と美容師見習いの若い男は親睦を深め、
今では恋人同士の関係になっていたのだった。
こそばゆいところを突かれて、今度はその若い女が縮こまる。
「それは・・・そうだけど。」
俯き加減の反論が弱々しい。
俯いた拍子に腕時計の針が見えて、その若い女ははっと立ち上がった。
「いっけない。
今日はこれから予定があるんだった。」
「あら、また彼氏の部屋に行くの?
お熱いことねぇ。」
「そんなに足繁く通っていたら、まるで奥さんみたいね。」
何を言っても下世話な意味で取られてしまう。
その若い女は、反論することも赤くなった顔を隠すことも諦めて応える。
「そ、そんなんじゃないわよ。
彼が美容師になるための練習に、私も協力しているだけよ。
じゃあ、悪いけれど私はこれで。」
「ええ、行ってらっしゃい。」
「彼氏さんと仲良くね。」
そうしてその若い女は、
おめかしして履いていた靴の踵を小気味よく鳴らして、
喫茶店を後にしたのだった。
喫茶店での出来事から、小一時間ほど後。
その若い女は、美容師見習いの若い男の部屋に来ていた。
もう何度目のことか、練習の相手をするための訪問だった。
同じアパートなだけあって、間取りは自分の部屋とほぼ同じ。
しかしその内装は随分と違う。
部屋の中央には、美容院で使うような椅子が設えられていて、
さすがは美容師見習いといった印象。
周囲の壁際にはガラス棚が置かれていて、
そこにマネキンヘッドがびっしりと並べられていた。
中央の椅子に座らされたその若い女が、それを眺めて軽く溜息を漏らす。
「それにしても、あなたの部屋って何度見ても不気味ね。
部屋中に生首が並べられているんですもの。」
少し離れた場所で準備をしている若い男が、苦笑いで応える。
「それはひどいなぁ。
美容師を志す者だったら、
自分の部屋にマネキンヘッドくらいあるものだよ。」
「分かってるわ、冗談よ。
マネキンヘッドは美容師の練習相手。
あなたの部屋にマネキンヘッドがたくさん並んでいるということは、
それだけたくさん練習をしているという証拠だものね。
あなたの夢が早く叶えられるように、私も喜んで協力するわ。」
その若い女の言葉に、若い男も真剣な声色になって応える。
「ああ、ありがとう。
君にそう言って貰えて、とても嬉しい。
実は、是非協力して貰いたいことがあるんだ。
これからもずっとずっと、君に練習相手になって貰えるようにね。」
準備が終わったのか、若い男がその若い女の背後に姿を現した。
しかし、その若い女はマネキンヘッドを見るのに夢中で、
背後から近寄ってくる若い男の姿には気が付いていない。
すぐ後ろ、手が届くほどにまで近付いた若い男の手の中では、
大きな大きな刃物が鈍い輝きを放っていたのだった。
終わり。
今は地域によっては少なくなった黒いゴミ袋をテーマに、この話を書きました。
作中で若い女は、ゴミに関する複数の苦情について調べていました。
その多くは解決することができたのですが、
唯一、異常に生臭いゴミの正体とは何だったのか、
それを調べることを失念していたのでした。
お読み頂きありがとうございました。