函館恋☆奇譚(脚本)
登場人物表
吉葉俊二(32)
稲本美由(26) 幽霊
藤堂浩輔(54) 漁師
藤堂さつき(20) 藤堂の娘
北見ヤエ(34)
戸田(55) タクシー運転手
山科晃一(28) 映画監督
今市真子(28) カメラマン
井野村多恵(70)
井野村省吾(88) 幽霊
糞(0)(18) 幽霊
アイヌ人達 幽霊
警備員
その他
あらすじ
恋人の美由(26)を亡くした吉葉(32)は、函館に別荘を宿泊所として経営している元浮気相手・北見ヤエ(34)に誘われ函館にやってくる。吉葉は、函館に降り立ってすぐ、ヤエに紹介された漁師兼霊能者のさつき(20)に会いに漁港へと向かう。しかし、半信半疑の吉葉はさつきに対して『可愛い』という感情すら抱き適当にあしらって、ヤエの別荘へと向かう。そこでヤエに一緒に暮らそうと言われる吉葉。美由の霊は吉葉についてきており、二人が結ばれることを見届けて成仏する予定であったが、良い雰囲気になってきた二人を見ていられず、放蕩する。一方、霊能者の仕事に疲弊するさつきは父・藤堂(54)にその思いを打ち明ける。
次の日、函館公園へとドライブに向かう吉葉とヤエ。後をついていく美由。函館公園の観覧車でヤエは吉葉のポケットから指輪ケースを取り出し、「これ私に?」と迫る。逡巡する吉葉は、美由に捧げるものだと言い、ヤエは指輪ケースを投げ捨ててしまう。吉葉は無免許のままヤエの車を走らせ、魚市場で作業途中のさつきの元に駆けつける。さつきに会った吉葉は美由に言葉を届けて欲しいと言うが、再びさつきの事を『可愛い』と思う。それを見抜いて呆れたさつきは、霊能者の仕事への疲弊も相まって、吉葉にキスをし「私はインチキだ」と言い放ってしまう。インチキと知って後ろめたい事など何も無いように振る舞う吉葉はヤエとの関係を深めていく。一方、事は終わったと漁に励むさつきの元に再び訪れた美由は、さつきが吉葉にとって三番目の女になってしまっていることを告げる。
次の日、帰りの飛行機へと向かう吉葉とそれを見送りについてきたヤエの元に、さつきと美由が現れる。もめる内に吉葉は飛行機を逃してしまう。
その後ヤエの別荘に戻り、吉葉の美由への思いを再確認し、仮の婚約式を執り行うが―(761字)
〇 漁船(夜)
漁火に集まる漁影。
漁網の引き上げ作業をしている藤堂浩輔(54)。
藤堂、船内の隅に膝を抱えて座っている水色のワンピース姿の稲本美由(26)の姿に気が付く。
藤堂、作業を中断し美由の元に近付く。
藤堂「幽霊だったら知らないけど、生きてんだったら困るよこんなとこいちゃ」
美由「……(ゆっくり顔をあげる)」
その表情、普通の若い女性。
藤堂「どっち?」
美由「……」
T―『すいません。幽霊です』
以降、美由の台詞は全てテロップ。
藤堂「あっそ」
藤堂、作業に戻る。
藤堂、振り返る。
美由、立って港の方を眺めている。
風に靡く髪が柔らかいヒレのよう。
〇 函館空港・タクシー乗り場(朝)
黒いキャリーケースを手にタクシーを待つ吉葉俊二(31)。
〇 タクシー・車内(朝)
窓からは雄大な津軽海峡が望める。
後部座席に座っている吉葉。
運転席には戸田(55)。
戸田「タクシーを待ってる時、あなた何考えてました?」
吉葉「覚えてませんが」
戸田「そこに立っていればタクシーが来るとでも?」
吉葉「タクシー乗り場ですから」
戸田「私があなたを選んだんです」
吉葉「ありがとうございます」
戸田「いいえ」
吉葉「窓開けて良いですか?」
戸田「いいえ」
吉葉「磯の香が好きです」
戸田「そうですか。でも駄目です」
吉葉「そうですか」
ウィーンと後部座席の窓が開く。
吉葉「ありがとうございます」
戸田「いいえ」
入ってきた風を食べる吉葉。
吉葉「塩辛い……」
戸田「誰か死んだんですか?」
吉葉「はい。恋人が死にました」
戸田「最近そういうお客さん増えてますね。それとも死人が増えているのか」
〇 魚市場・表(朝)
籠に詰められた魚介類が積み上がっている。数人の合羽姿の従業員が仕分け作業をしている。
傍に止まるタクシー。
降りて来る吉葉。
去っていくタクシー。
吉田、中へ入っていく。
合羽を着て仕分け作業をしている藤堂さつき(20)、吉葉の姿に気が付く。
〇 魚市場・内(朝)
辺りを見渡している吉葉。
さつきの声「お客さん?」
さつき、籠を積んだ台車を押してやってくる。
吉葉「はい、客です……」
と、さつきに見惚れる様子。
さつき「待っててください。これだけ」
さつき、台車を押していく。
籠の中のイカ、ブリンブリンと揺れる。
〇 同・事務所
7畳ぐらいの小さなスペース。魚拓や漁業許可証、錆びた予定ボードが所狭しと置かれている。
丸椅子に座っている吉葉。
ジャージ姿のさつき、折りたたみの丸机を広げている。
さつき「遠くからすいませんね。私なんかに会いに、じゃないか」
吉葉「お忙しい時にすいません。金は払いますから」
さつき「(吉葉の方をチラッと見て)イカ大丈夫ですか?」
吉葉「イカダイジョウブ? 医科大学上層部? 胃下垂勝負?」
さつき「イカ、たべられますか?」
吉葉「はい。それです」
さつき、丸机を組み立て終わる。
× × ×
丸机の上に細切れのスルメイカの一夜干しが並ぶ。
マジマジト眺める吉葉。
さつき「本物の一夜干しですから」
吉葉「食べて良いですか?」
さつき「どうぞ」
吉葉「食べます!」
と、吉葉、一切れつまんで口に入れる。
さつき、嬉しそうな表情で感想を待っている。
吉葉「感想待ってますか?」
さつき、二度素早く頷く。
吉葉「うまいです」
さつき「でしょー」
吉葉「あ、食べますか」
さつき「私は食べ飽きてるから」
吉葉「(もう一切れ口に入れて)うまくないってことですか」
さつき「ちょっと違う。ビール欲しい?」
吉葉「ビールも欲しいです」
さつき、立ち上がる。
吉葉「あ、あ、でも!」
さつき「なあに?」
吉葉「……」
さつき「サービスだから。安心して」
さつき、出て行こうとする。
吉葉「あ、あ、でも!」
さつき「なに?」
吉葉「鑑定終わってから……」
さつき「そうする?」
吉葉「そうしましょう。口寄せとか、酔っ払ったら、多分あれですし」
さつき「別に大丈夫だけどね。むしろその方が楽だし」
さつき、吉葉と向き合って座る。
さつき「もう来ちゃってんだよね」
吉葉「そう、ですか」
さつき「隣に」
吉葉の隣に立っている美由。
吉葉、ゆっくりと隣を見る。
吉葉には何も見えない。
さつき「だから三人でパーッとしようかなって」
吉葉「パーッと。ピーッと。それは違う」
さつき「ま、じゃあとりあえず始めますか」
さつき、机の上に布を広げ、その上に透明な水晶を置き、タイマーを取り出して操作する。
さつき「じゃあ始めます」
さつき、タイマーを机に置く。
タイマー、60分から59分59秒、58秒とカウントされていく。
さつき「では。お悩みは?」
吉葉「今から、言いますか」
さつき「はい」
吉葉「さつきさんはおいくつですか?」
さつき「あなた、私の事、気になりますか? ……気になってますね」
吉葉「あ、疲れましたので。私、飛行機苦手で」
さつき「疲れと私の事気になるは別物です」
吉葉「別物」
美由、呆れたように出ていく。
さつき「怒らせちゃった」
吉葉「えーっ」
さつき「だって、ほらあなた私の事ちょっと好きになっちゃったから」
吉葉「えーっ。駄目です」
さつき「いけませんね。若い女だからって」
〇 防波堤
防波堤の先端で膝を抱えて座っている美由。
その背中を見つめるように立っているさつき、隣に吉葉。
さつき「埋め合わせをしようとしてる。きっと」
吉葉「……そうですか」
さつき「いやあなたが」
吉葉「僕が」
さつき「恋人を亡くしたら誰だって、寂しい。それを別の女で埋め合わせようとしてしまうのはあなたの心理として正常といえば正常」
吉葉「さつきさんが別の女……」
さつき「ちゃんと謝ってきて」
吉葉「すいません」
さつき「彼女に。一番向こうで海見て座ってるから。それからじゃないと鑑定が始まらない」
吉葉「僕には海が見えます」
さつき「良いから」
吉葉、美由の方まで歩いていく。
吉葉、座っている美由の身体と重なる。
美由、横にずれる。
吉葉、後ろを振り返る。
さつき、手で『振り返るな』というジェスチャーをする。
吉葉、辺りを見回す。
吉葉「海だ……」
美由「……」
吉葉「いるのかな。海の隣に。美由」
美由「……」
吉葉「あ、違うんだ。少し……思ったより可愛かったんだ。ほら、美由と一緒に街歩いててさ、俺、可愛い子いたら振り返って良く美由にこの辺(自分の脇腹を指して)つねられてたでしょ。そういう感じ」
美由「……」
吉葉「……本当にいるの?」
美由、吉葉の方を見るが全く目線が合わない。
吉葉「インチキだったらどうしよう」
美由、不安そうな表情。
飛び交う海猫。
吉葉、ポケットから指輪ケースを取り出す。
吉葉、ケースを開く。
赤いダイヤモンドの指輪。
美由「……!」
吉葉「プロポーズしとけば良かった。僕、美由が死ぬと思わなかった……ベロベロベロベロベロッ……まさかインチキじゃないことないよね?」
吉葉の肩に触れるさつきの手。
吉葉「!」
さつき「そろそろ鑑定しましょ。彼女も言いたい事あるみたいですし」
吉葉「……お腹が、空きました……」
〇 海辺のカフェテリア
海が望めてロマンチックな雰囲気。
カップルのように向き合って座るピロシキを齧る吉葉、それをコーヒーを飲みながら眺めているさつき。
そこから二個分席を離れて不満そうに二人の様子を見ている美由。
吉葉「(恍惚な表情で)美味しい」
さつき「食べたらおろすよ。彼女の言葉」
吉葉「はい」
さつき、美由の方を見て、
さつき「……」
T―『ごめんね。もうちょっと待って』
以降、さつきから美由への言葉は全てテロップ。
美由「(はい)」
吉葉「壁、綺麗ですね」
さつき「ウチのイカより食いつきが良いですね」
吉葉「……ああ」
さつき「時間ないですよ」
吉葉「はい(ピロシキに齧りつく)」
美由、ポケットからタイマーを取り出す。
美由、吉葉にタイマーを見せる。
タイマー、10分を切る。
吉葉「えっ。止めてない?」
美由「あのねえ。2時から次のクライアントの予約が入ってて、3時からは網の点検しなくちゃいけないのー」
吉葉「忙しい。あっでも―」
美由「このタイマーが動いていないとしたら、私とあなたの関係は何かなあ? 霊能者とクライアントという関係を失って、誰と誰ですかねえ?」
吉葉「でも。先ほど、イカとかビールとか―」
さつき「なんかあなた見てると腹立ってきちゃって」
吉葉、さつきの腹を見る。
さつき、腹を押えてコーヒーを飲む。
吉葉「僕、何かしましたか」
さつき「見たっていうのは、過去とか、前世とかね」
吉葉「ああ、はい。本当に?」
さつき「今日ここに来たのは、彼女さんと話をする為ですよねー?」
吉葉「はい」
さつき「私に会いにわざわざ東京から函館まで出てきたわけじゃないですよねー?」
吉葉「食べました!」
皿、空になっている。
さつき「(美由さんお待たせ)」
美由、トボトボと歩いて来てさつきの隣に腰掛ける。
吉葉「さっきの丸いやつは良いですか?」
さつき「水晶の事? あればなおさら声は聞きやすいけど、彼女さんはあなたが来る前からここに来るほど伝えたい事はハッキリしてるから」
吉葉「よし」
美由「(あなたの事呪いにきた)」
さつき「あなたの事呪いにきた」
吉葉「おあっ」
美由「(私の事はもう諦めて)」
さつき「私の事はもう諦めて」
吉葉、サッと立ち上がる。
さつき「あなたずっと私の事インチキだと思ってるでしょ」
吉葉「美由が……いますか? ……どこに?」
タイマー、0となって鳴る。
さつき、ため息をつく。
美由、虚ろな表情で吉葉を見つめている。
〇 漁港・船着場(夕)
係留されている小型漁船。
一部が破れた漁網を紐で縛って修理しているさつき。
その後ろに立っている美由。
さつき「(ヒモ男)」
美由「(殺してやってください)」
さつき「(どうしてあんな男と付き合ってたの)」
美由「(彼にとって私は二番目の女です。私にとって彼は一番目の男です。そういう関係、どうしてか辞められませんでした)」
さつき「(あなたもあなた)」
美由「……」
さつき「(でも結婚する予定だったんでしょ?)」
美由「(二番目だから)」
さつき「(それで一番目の女はここにいるわけ)」
美由「(あの指輪は私に渡す予定のものじゃないんです)」
さつき「(ちゃんと殺さなきゃねえ)」
そこへ、貯水タンクを持ってやってくる藤堂。
藤堂「(美由の姿を見て)その子、まだいたのか」
藤堂、漁船に乗り込み、デッキブラシで清掃を始める。
藤堂「光に集まってきちまったんだなあ。あんまり相手すんなよ。ここが居場所だと思っちまう」
さつき「仕事だから」
藤堂「漁は嫌か」
さつき「別に」
藤堂、北島三郎『函館の女』を口ずさむ。
さつき「お父さん、お母さんと最近会っ てるの」
藤堂「会ってない」
さつき「会えなくなったの?」
藤堂「いやあ、もう成仏してるしな、わざわざ降りてくんのも面倒なもんだから。もう俺にも執着なんてこれっぽちもないらしい」
ガハハと笑う藤堂。
藤堂、ふと美由の姿がなくなっていることに気が付く。
藤堂「ありゃま」
さつき、振り返る。
〇 函館市電・車内
座って揺られている吉葉。
その真正面に座って吉葉の姿を眺めている美由。
〇 北見家・別荘兼宿泊所・外観
柱が象徴的な洋風の木造建築。
窓には白いカーテンがかかっている。
〇 同・玄関
キャリーケースを引いてくる吉葉。
吉葉、チャイムを鳴らす。
誰もいない様子。
吉葉、振り返る。
立っている美由。
吉葉、小さく手を挙げる。
美由、ビクッとする。
美由の後方から買い物袋を持った北見ヤエ(32)が歩いてきている。
〇 同・内・居間
豪奢なシャンデリアが吊るされている。
ステンドグラスが外光に煌めき、収納棚の上には観葉植物とイコン画が飾られている。
テーブルを挟んでソファに座って向き合う吉葉とヤエ、チーズオムレットを食べている。
美由、イコン画を眺めている。
吉葉、胸元から封筒を取り出し、
吉葉「宿泊費」
ヤエ「うん」
吉葉「(置く)」
ヤエ「痩せた? 食べてる?」
吉葉「痩せた。食べてる」
ヤエ「行ってきたの?」
吉葉「……(頷く)」
ヤエ「どうだった? 会えた?」
吉葉「うーん」
ヤエ「函館でも最近、有名な霊能者だからね。本業は漁師だけど、依頼が多くって、親切でこたえてるうちにそうなっちゃったんだって。まだ年も二十歳そこそことかだったかな。お父さん方の家系が霊能者多くて、たしかひいお婆ちゃんが青森の方でイタコさんやってたらしいの」
吉葉「うーん」
ヤエ「結構、可愛かったでしょ? 俊君の好みかなって思って紹介してあげたのよ」
吉葉「いや……」
ヤエ「バーカ。で、話せた?」
吉葉「……少し」
ヤエ「なんて?」
吉葉「ベロベロベロって」
ヤエ「殴るよ」
吉葉「うーん」
ヤエ「美由さんが亡くなる前、私に病院から連絡があったのよ。俊君の事お願いしますって」
吉葉「……」
ヤエ「ちゃんとお別れは言ったの?」
吉葉「……あの人は本当に本物なの? 俺には海と壁しか見えなかった。それは俺が海と壁しか見えない家系だからか」
ヤエ「俊君しか知らない事、言われなかった?」
吉葉「……忘れました」
ヤエ「バーカ。あーほ」
ヤエ、机の上の封筒を手にして吉葉に差し出す。
ヤエ「いらない」
吉葉、逡巡して、
吉葉「?」
ヤエ「ずっと私とここで暮らそうよ」
吉葉「え……」
ヤエ「どうせ、仕事ないんでしょ。東京戻っても。別に何もしてくれなくて良いからいてよ。一緒に」
吉葉「でも……」
ヤエ「何よ。まだ東京に女でもいるの?」
吉葉「いや、二人ぐらいしか―」
ヤエ「とにかくこれは返す。どこの女が稼いだか知らないお金なんて受け取れないから」
吉葉、逡巡しつつ受け取る。
ヤエ、空になった皿を合わせてキッチンの方へと去っていく。
テーブルに頬杖をついて、吉葉に冷たい目線を送っている美由。
〇 同・客室A(夕)
白いベッドに座っている吉葉。
その隣に座っている美由。
吉葉「(小声で)みーゆいるかー」
美由「(いないよ)」
吉葉「みーゆーいるかー」
美由「……」
吉葉、床に倒れ込んで。
吉葉「みゆみゆみゆみゆ……どうして、ヤエにあんなこと言ったんだー? 僕の事お願いしますだなんて……僕はガキか。生ガキか」
美由「(俊ちゃんがヤエさんと一緒になったら私はちゃんと成仏します)」
吉葉、絨毯を掻き毟る。
吉葉「何か言ってくれよう」
ノックの音。
扉が開いて、顔を出すヤエ。
吉葉「君はヤエ」
ヤエ「ベッドは上」
吉葉「うーん」
ヤエ「夜景見にいこっか」
吉葉「夜景、見に、いこっか?」
ヤエ、笑みをつくる。
〇 街中(夜)
はしる赤い車。
農地が広がる道へとはいっていく。
〇 車内(夜)
運転席にはヤエ、助手席に吉葉。
後部座席に美由。
ヤエ「東京で一緒にいた時も、こうやってよくドライブしたよね。覚えてる?」
吉葉「覚えて―」
ヤエ「あん時、意地張った俊君がレンタカー借りてきてさ、結局、民家の壁にこすって、あと二点で免停だから私がやったことにしてくれって」
吉葉「そうだった―」
ヤエ「おかげで私の免許証は青色よ」
吉葉「ブルーな気持ち」
ヤエ、吉葉の肩を小突く。
ヤエ「今日、事故ったら俊君のせいね」
吉葉「はい。あ、駄目」
ヤエ「アクセルとブレーキ踏み間違えるお年寄りが最近多いんだよ」
吉葉「ヤエは若いよ」
吉葉、外の景色を眺める。
農地が広がって灯が少なく、街が遠ざかっていく。
吉葉「どんどん暗い方にに向かっている。僕達」
ヤエ「怖い?」
吉葉「暗い」
ヤエ「暗いの怖かったよね。俊君、昔からお化け屋敷とか全然駄目だったもんね」
吉葉「幽霊はいない」
ヤエ「やめとく?」
吉葉「幽霊に会うの?」
ヤエ「夜景だよ」
吉葉「暗い。景色ない」
ヤエ「戻る?」
吉葉「夜景でしょ?」
ヤエ「夜景だけど」
吉葉「……だって、函館山は向こうだから……こっちは逆で……」
ヤエ「じゃあ戻ろっか」
ヤエ、突然アクセルを踏み込む。
グッと座席に背中を引き寄せられる吉葉と美由。
ヤエ「あ、間違えちゃった」
吉葉「死ぬのかーっ」
〇 赤川地区・畑沿いの車道
止まっている赤い車。
その傍で座って函館山の方を眺める吉葉とヤエ。
控えめな市街地の光が美しく輝いている。
ヤエ「こっちからの眺めの方が私は好きなの」
吉葉「光がぼんやり」
ヤエ「ここに来た頃のこと思い出すから」
ヤエ、吉葉に身を寄せる。
吉葉、ヤエを見つめる。
ヤエ「おばあちゃんが倒れたから函館に帰るって言った時、俊君はなんて言った?」
吉葉「……」
ヤエ「親に見て貰ったら良いって」
吉葉「……」
ヤエ「知ってた? 私、小さい頃に両親亡くしてたの」
吉葉「……」
ヤエ「良いのよ。俊君は何にも知らなくて。そうやって黙って私の事を見てくれていたらそれで良いの」
吉葉「……息が」
ヤエ「息?」
吉葉「白い」
ヤエ「夏なのにね」
二人、見つめ合う。
車の傍でその様子を見ている美由。
美由「(指輪渡して)」
吉葉、ヤエを押し倒す。
ヤエ「その気になった?」
吉葉、ヤエにキスしようとする。
ヤエ、手で吉葉の額を押える。
ヤエ「こんなきれいなところでキスはしないよ。歌を歌うの」
ヤエ、起き上がる。
呆然としている吉葉。
ヤエ、車のトランクルームからギターケースを取り出す。
ヤエ、吉葉の隣に座ってギターを弾いて小さく歌い始める。
曲、北島三郎『函館の女』。
吉葉、うな垂れたように俯いている。
美由、二人の背中を寂し気に見て一人畦道を歩き始める。
ヤエの歌が遠ざかり、虫の鳴き声が際立つ。
〇 畦道(夜)
一人、俯いて歩いている美由。
美由の周りに、アゲハ蝶が飛び交い始め、クチナシの花が咲き始める。
蝦夷下に埋もれたアイヌ民族の音楽が小さく聴こえ始める。
美由、立ち止まる。
道の先に煌々と輝く光。
美由、暗闇の方へ折り返す。
その足元で刺繍の入ったアイヌ民族の衣装を着せられ、布に包まれた赤子・糞(0)が眠っている。
美由、糞を見つめる。
糞「……」
T―『私の名前は糞です。神様に連れていかれないようにつけられた醜い名です。あなたは私に新しい名を与えられますか?』
〇 漁船(夜)
網にかかる大量のイカを力強く引き上げる藤堂。
網上げを必死に手伝うさつき。
× × ×
甲板に腰掛けてタバコを吸う藤堂と、ペットボトルの水を飲むさつき。
藤堂「足腰できてきたな」
さつき「悪口?」
藤堂「漁師は腕より足腰だ」
さつき「イカの声聞いたことある?」
藤堂「あークソほど」
さつき「そう」
藤堂「聞かないようしていたら、聞こえなくなった。お前もあんまり無駄な能力開くなよ」
さつき「私は慣れた。あの断末魔みたいな悲鳴に慣れた。光を求めて、死んでいく残酷な世界をつくっているのは私だって思ったら、悪人になりきるしかなくなった」
藤堂「はーっ、漁師は悪人か」
さつき「命を奪うには―」
藤堂「真面目だねえ」
さつき「真を知るってのはつらいこと」
藤堂「死ぬも生きるもそう変わらん」
さつき「……辞めようかな」
藤堂「あ? 悪人が嫌か」
さつき「霊能者の方だよ」
藤堂「お前何歳?」
さつき「この前、成人祭一緒に行ったじゃん」
藤堂「そうだったっけ」
さつき「何で聞いたのよ」
藤堂「気にならなすぎて気になった」
さつき「はあー?」
藤堂、立ち上がって暗い海の向こうを眺める。
藤堂「お前が何歳だろうが、別に俺はどうでも良い。だが、世間様はお前が何者であるかを確かめたがる。だから、霊能者は片手間にやるもんじゃない。いちいち、嘘か本当かのふるい網にかけられて、もがくお前を見たくない。俺は漁師だ。そういうことに俺はした」
さつき「私もお母さんの顔ぐらい見てみたい」
藤堂「見えることは重要でない」
さつき「不成仏霊の相手は疲れる」
藤堂「人間も変わらない」
さつき「何か、ウザッ」
藤堂「(船内の隅に向かって)おい! これは俺の船だ。君たちはもう働くな」
アイヌ人二人組、巻き上げ機に手を掛けていた手を止めてこちらを驚いた表情で見つめる。
アイヌ人二人組、笠を被り、蓑を身につけ草履をはいている。
アイヌ人二人組、消えていく。
〇 北見家・別荘兼宿泊所・客室A(朝)
ベッドで眠っている吉葉。
吉葉、窓から差し込む光に目を覚ます。
外から来客と話すヤエの声がする。
〇 同・玄関(朝)
玄関先に立っているハット帽を被った山科晃一(28)、一眼レフカメラを抱えた今市真子(28)。
山科「(辺りを見渡しながら)ええ雰囲気やなあ。ここ使わせてもらう?」
真子「せやな。でもライトが足りるか―」
ヤエ「ごめんなさい。うちは撮影ご遠慮させていただいてるんです」
山科「あ、そうですか。はい、じゃあ、はい。泊まるだけで。お世話になります」
真子「お世話になります」
ヤエ「どうぞ、おあがりください」
〇 同・居間
椅子に座って、布に包まれた糞を抱えて座っている美由の姿。
そこへ入って来る山科と真子。
山科「へー、なんか魂が安らぐ気するわ」
真子「魂とか言わんといて」
後ろからやってくるヤエ。
ヤエ「ここは共有スペースになりますので、いつでもお使い下さい。コーヒーも用意しておりますので」
山科「ありがとうございます」
真子「ありがとうございます」
そこへ、やってくる寝癖をつけた吉葉。
ヤエ「あら、おはよう」
吉葉、山科と真子の様子を窺いつつキッチンの方へ向かう。
山科「旦那さんですかー?」
ヤエ「いえお客さんです……まだ」
山科「まだ?」
吉葉、冷蔵庫から牛乳を取り出してゴクゴクと飲んでいる。
美由の姿、いつの間にか消えている。
〇 魚市場・事務所
井野村多恵(70)と丸机を挟んで 向き合うさつき。
机の上には水晶とタイマー、イカの一夜干し。
さつき「元は漁業の担い手はアイヌ人でした。でも、藩士からアイヌ人との交易権を託された商人が漁獲物の需要拡大に応じて漁具の改良や新技術の開発によって、彼らを奴隷のような労働力として酷使するようになったんです。その後、漁猟権をめぐる争いが各地で起こって、制圧されてしまったアイヌ人が沢山いました」
多恵「……(一夜干しをゆっくり齧っている)」
さつき「きっとあなたがうなされている夢は、そういった時代背景を映しているんだと思います」
多恵「思いますじゃあ、困るんですけど。私は毎晩迷惑してるんです」
さつき「歴史に関して私は蔵書を元に話しています。歴史の真実を知るためにこの能力を費やして、歴史が語ってくれるほど歴史は容易いものではありません。私もこの地に産まれた一人として、ただ感じることしかできない。彼らの苦しみは彼らの苦しみであって、私に解消できるものではありません」
多恵「感じる。あなたにも?」
さつき「私には技術があるので」
多恵「何ですか」
さつき「そういう夢を見ないようにする技術です」
多恵「私はどうしたら良いの? 毎晩毎晩、たった一人船の狭い部屋に閉じ込められて、海の水がしみ込んできて溺れて目が覚める。私が何したって言うのかしら。アイヌだとか、だいたいもっと北の方の話でしょ?」
さつき「外国船の寄港が認められたのは函館からでした。そこから幕府の直接統治が始まって―」
多恵「そんな話もうどうでも良い」
さつき「分かって欲しいんです。彼らは」
多恵「分かってあげれば夢は見なくなるの?」
さつき「いいえ。あなたや私なんかではどうしようもない。どうしようもない事を伝えるのです」
多恵「伝える」
さつき「言葉でも、気持ちでも」
多恵、ため息。
さつき「心配してますよ。旦那さん」
多恵の隣に立っている井野村省吾(88)の亡霊。
〇 海沿いの道
はしる赤い車。
運転席にヤエ、助手席に吉葉。
後部座席に眠る糞を抱えている美由。
ラジオ『今朝未明、赤川町の笹流ダ ム前庭広場付近で体長約一メートルのヒグマの目撃情報が入りました。市農林整備課は箱縄を設置し、付近の住民に警戒を呼び掛けています―』
ヤエ「今日寒いね」
吉葉「うん」
ヤエ「一晩考えてどう?」
吉葉「函館発の飛行機は明日の十三 時」
ヤエ「逃げるんだ」
吉葉「うん」
ヤエ「いくじなし」
吉葉「……歌良かったよ」
ヤエ「でしょう? そう言ってくれるのは昔から俊君だけだね」
ヤエ、急ブレーキ。
吉葉「痛い」
ヤエ「ごめん、道間違えた」
吉葉「また」
ヤエ「今度は本当に」
吉葉「……ちょっとおしっこ」
〇 ガソリンスタンド
ガソリンを入れているヤエ。
〇 同・傍の道
道路の方で糞を抱えて立っている美由、向こう側の歩道を見ている。
向こう側の歩道には、こちらを見つめる省吾の姿。
以降、美由と省吾の会話はテロップ。
省吾「(赤ん坊?)」
美由「(そうです。拾いました)」
省吾「(こちらに見せて)」
美由「(車が危ないですから)」
省吾、構わず車道を歩いてこちらに向かってくる。
省吾に向かってくる車。
省吾、車に轢かれて吹っ飛ぶ。
美由、倒れた省吾の元に駆けつける。
省吾、ゆっくり起き上がる。
省吾、美由の抱える糞を見て、
省吾「(アイヌの子か)」
〇 ガソリンスタンド
ガソリンを入れているヤエの元に戻ってくる吉葉。
吉葉「僕、もう一回鑑定いこうかと思う」
ヤエ「あら、その気になった?」
吉葉「うん。ションベンしてたら」
ヤエ「でも、予約とれないかもよ」
吉葉「うん。でもやってみる」
ヤエ「そ」
吉葉、助手席に乗り込んでスマフォを操作する。
ヤエ、助手席を覗いて、
ヤエ「今度は俊君が運転してよ」
吉葉「免停中」
ヤエ「へー」
〇 北見家・別荘兼宿泊所・居間
カメラを回している真子。
その後ろでモニターを確認する山科。
真子「これ使えへんで」
山科「ええんやって。どうせ自主映画なんやし」
真子「焦らんくてええやん」
山科「焦るわ。そりゃあ」
真子「映画は時間がかかる」
山科「俺、余命少ない気するねん」
真子「またそんなんゆう」
山科「俺は死んだら名前が残るやつになりたいんや」
真子「はいはい」
山科「テレビとか新聞とかに」
真子「だから映画撮るん?」
山科「そう。そうに決まってるやろ」
真子「死んだら関係あらへん」
山科「死にたくない」
真子「死なへん死なへん」
山科「あれも撮っとこ。何でも撮っとこ。今のうちだ」
真子、渋々イコン画にカメラを向ける。
〇 魚市場・キッチンのある部屋
イカを捌いていくさつき、疲れた表情。
少し離れたところでパイプ椅子に座り、タバコ片手に新聞を読んでいる藤堂。
さつき、捌いている途中のイカと眼が合う。
さつき、ハッとして指を軽く切ってしまう。
さつき「イタッ」
藤堂、さつきの方を見る。
さつき、切れて血が滲んだ人差し指をパクッと咥える。
〇 函館公園・観覧車
ゴンドラに乗っている吉葉とヤエ。
それと一台分空けたゴンドラに乗っている省吾と糞を抱える美由。
省吾、糞に変顔をしている。
糞の笑い声。
ヤエ「予約はとれたの」
吉葉「駄目だ。とれても六日以降だ」
ヤエ「いれば良いじゃん。それまで」
吉葉「飛行機―」
ヤエ「美由さんのことも私の事もまた中途半端にするのね」
観覧車、最上部に達する。
吉葉、ヤエにしがみつく。
吉葉「飛行機は苦手だ」
ヤエ「ここはたった十二メートルよ」
吉葉、下を見て息を呑む。
ヤエ「高いところは怖い、幽霊は怖い、働きたくない、可愛い子は好き」
吉葉「……」
ヤエ、吉葉のポケットから指輪のケースを取り出す。
ヤエ、中身を開いて指輪を取り出す。
ヤエ「これ私に?」
吉葉「……(呆然)」
吉葉、取り返そうと手を伸ばすが美由に払いのけられる。
ヤエ「この街の女は私だけよ」
観覧車、降車地点に近付く。
吉葉、降りようと立ち上がる。
降車地点に呆けて立っている中年のスタッフ。
二人の乗った観覧車は再び上がっていく。
ヤエ「二周あるの」
吉葉「……」
吉葉、ゆっくり座る。
吉葉、逡巡した後、ヤエに指輪を返すようにと手を差し出す。
ヤエ、吉葉を見つめる。
吉葉「美由……」
ヤエ「……」
吉葉「俺は美由と結婚する」
ヤエ「……」
美由、唖然としている。
ヤエ「で?」
吉葉、再び立ち上がって両手をゴンドラにかける。
ヤエ「死ぬには低いけど」
ヤエ、指輪をケースに閉まって吉葉に差し出す。
吉葉、指輪ケースを受け取ろうとする。
ヤエ、指輪ケースをあさっての方向に投げる。
指輪ケース、公園の木々の中へ消えていく。
吉葉「あー。あー」
ヤエ「いくら?」
吉葉「二十七万!」
ヤエ「誰のお金?」
吉葉「あー……」
美由、呆れた表情。
〇 タクシー・車内
後部座席に山科と真子。
運転席は戸田。
山科「ロシア国家歌ってもええ?」
真子「なんで? タクシー中やん」
山科「ええ? ええって言わな歌わへんで」
真子「あかんって。タクシーん中やもん」
山科、大きく息を吸って真子の方を見る。
山科、そのまま息を吐き出す。
真子、シナリオを取り出してパラパラ捲る。
真子「ウチな、ほんまは監督やりたいねん」
山科「そうなん?」
真子「うん」
山科「カメラずっと持ってるからカメラマンやと思とったわ」
真子「なんかな、これ、ダム建設反対のシーンとか見とったらな、なんかな、ダム作ったのは、ダム作った人達やんかあ。ほんでな、富山の黒部ダムって知ってる? いっぱい死んだ人おるやろ、建設の人ら。まだ安全技術とかもそこまで発展してへん時代やったから。ほんでな、でも関西電力が電力足らへんから建設会社に作ろういうて、言ってんな。って、ネットの情報やけど、その建設? の人らの名前どこにも出てけーへんねん。関西電力のしゃっちょさんの名前だけやで。さっきな、君、名前残す言うとったやろ? それがどういうことか考えたことあるん?」
山科「……意味分からへん」
真子「ええよ。どうせ、ウチはカメラマンやもん」
山科「撮影今市真子ってクレジットされるんやで?」
真子「せやな」
山科「黒部ダムの話やないで?」
真子「せやな」
真子、うなだれて座席に後頭部をなすりつける。
山科「なんやあ。やりたくないんか?」
真子「……」
山科「おえっ」
山科、口をおさえる。
真子「大丈夫?」
山科「なんか山道酔ってきた」
真子「(戸田に)窓開けてもらって良いですか?」
戸田「あかんよ」
助手席の窓、ウィーンと空く。
真子「ありがとうございます」
山科「あっす……」
〇 海岸沿いの道(夕)
はしる赤い車。
濃い夕焼けの空。
〇 車内(夕)
運転席に吉葉。
助手席に窓の外を眺めているヤエ。
後部座席に糞を抱いた美由。
その隣に座っている省吾。
ヤエ「きれーい。みてみて」
吉葉「前を向く」
ヤエ「無免許ヒモ男海港をゆく」
吉葉「飛ばすよ」
ヤエ「宣言しなくて良いから」
速度メーター、三十キロから四十キロへと上がっていく。
省吾、美由の肩をツンツンして両手を広げる。
美由、省吾に糞をあずける。
糞の寝顔、夕焼けに赤く染まる。
〇 魚市場・内(夕)
デッキブラシでコンクリートを擦っているさつき。
そこへ、ドタバタとやってくる吉葉。
さつき「(作業をしたまま)来る気がしたー」
吉葉「美由は今どこにいますか」
さつき「ずっとあなたといるよ」
吉葉「あーそう?」
吉葉、振り返って見渡す。
吉葉のすぐ傍に立っている美由。
さつき「(車の方を見て)あれが一番目の女」
やや離れたところに駐車している赤い車。
助手席には海の方を眺めるヤエの姿。
吉葉「一番? 二番?」
さつき「死んでから大事に思っても遅いよ」
吉葉「……伝えてください!」
さつき「伝わってるよ」
吉葉「何が」
さつき、吉葉に向き合って、
さつき「何を伝えたいの?」
吉葉「美由の事が一番……」
吉葉、さつきの手を握る。
さつき「いたっだから伝わってるって」
さつきの人差し指に巻かれた包帯。
吉葉「すいません……」
さつき、吉葉をじっと見る。
吉葉「見てますか」
さつき「またちょっと私の事、可愛いって思ってるんでしょ」
吉葉「いや違う」
さつき、近づいて、
さつき「思ってるんでしょ」
吉葉「いやあ」
さつき「残念」
さつき、吉葉にキスをする。
美由、唖然とする。
吉葉、うろたえてよろけて尻もちをつく。
さつき「あなたには、そういう姿がお似合いよ」
吉葉「?」
さつき「私、インチキだから。全部嘘なの。お金返すよ」
吉葉「へえ?」
美由、走って立ち去る。
ケースを積み上げながら陰でその様子を窺っている藤堂。
〇 堤防(夕)
カーネーションの束を抱えて立っている多恵。
その隣に立つ糞を抱えた省吾。
多恵「ごめんねえ。私にはちょっと分からなくって。じいさんみたいに詳しくなかいからねえ」
多恵、海に花束を落とす。
花束、波に揺られていく。
多恵「これで良いのかしら」
省吾、多恵の方に糞を差し出している。
多恵、省吾と見つめ合う。
省吾「(この子の名前を決めましょう)」
多恵「(糞を見て)やあねえ。私達に子供はおりませんよ……」
多恵、ハッとするが目の前には誰もいない。
〇 笹流ダム・貯水池付近(夕)
貯水池の方にカメラを向けている真子。
その隣でモニターを覗く山科。
真子、泣いている。
山科「泣いてるん?」
真子「泣いてへんよ」
山科「ここ黒部ダムちゃうで」
真子「知ってるわ」
山科「撮らん方がええんかな」
真子「撮れるだけ撮っとこーや。どうせインサートにしか使わへんのやし。やろ?」
後ろの草むらからカサカサと音がする。
山科「やば。職員の人きたかも」
真子「(涙を拭いて)マジ?」
突然、山科の服が獣の手に引っ張られて草むらに引きずりこまれる。
真子「監督?」
山科「何や、すいません、そないつよく引っ張らんでも」
草むらから鞭打つような山科の胴体が出ている。
山科「あれ、いたっ、何すんねん」
駆けつける真子。
山科「何やこれ」
真子、山科の腕を引っ張る。
真子「監督? 監督!」
山科「監督呼ばんといてえや」
真子「違う! あかん! 急になんでそんなんになるん!」
山科「ああ……(朦朧として)あかんわ」
山科、グッタリする。
真子「ああ! ああ!」
揺れる草むらを眺める真子の後ろに立つ山科の亡霊。
山科「……」
T―『せや! ええ演出思いついたわ』
〇 北見家・別荘兼宿泊所・客室A(夜)
裸で抱き合うヤエと吉葉。
吉葉、貪るようにヤエにキスをする。
ヤエ「(吉葉の頭を押さえて笑いながら)ちょっと……私の事好き?」
吉葉、手を払いのけて首筋に吸い付く。
○漁船(夜)
漁火に集まる魚影。
その様子をじっと眺めている藤堂。
さつき、漁火の消灯スイッチをオフにする。
真っ暗になり、ただ静かに揺れる船。
座って俯くさつき。
藤堂、タバコを取り出して火をつける。
さつき「お父さんさっき見てたでしょ」
藤堂「夜の海は暗い」
さつき「最悪……」
打ち上げ花火が街の方であがる。
藤堂「あの男に惚れたのか」
さつき「なわけないでしょ。あんな男は駄目だって普通の父親ならそう言うのに」
藤堂「雑魚でも寄って来たなら、一度は捕って食すべし。お前もそろそろ男一人ぐらい作ったらどうだ」
さつき「大きなお世話」
悲し気な表情の美由がじんわりと姿を現す。
藤堂「インチキまで言わないで良かったのになあ」
さつき「あの男の目見てると感覚が歪んでくるっていうか。でもこれでやっとあの女と一緒になる。美由さんも―」
藤堂「余計、成仏できんよ」
さつき「どうして?」
藤堂、フッと笑う。
美由、さつきを見つめている。
美由「(3番目の女)」
さつき、小刻みに首を横に振る。
さつき「そんなはず―」
○笹流ダム付近の道(夜)
カメラを抱えて全力疾走をする真子。
その隣を走ってついていく山科。
山科「(そんな走れるんや。ここはワンカットやな)」
タクシーを見つけて必死に手を挙げる。
○タクシー車内(深夜)
運転席にはやはり戸田。
後部座席に真子と山科。
真子「ぐわあってなって、それで、ぶわ わわああってなって。だから助けてください」
戸田、笑って誤魔化しながら頷いている。
真子「なんでわろとんの?」
戸田「あー……すいません」
戸田、バックミラーで後部座席を確認する。
後部座席、誰もいない。
戸田、絶叫。
○北見家・別荘兼宿泊所・居間(朝)
吉葉、浴衣姿でレイモンドッグにかぶりつきながらテレビを観ている。
テレビ『残された荷物から行方不明になったのは兵庫県神戸市から旅行に来ていたとみられる山科晃一さん28歳と今市真子さん28歳と見られます』
テレビ画面、山科と真子の顔写真が出る。
吉葉、唖然とし、手に持っていたレイモンドッグが傾き、ソーセージがポトッと落ちる。
吉葉、立ち上がって、
吉葉「ヤエ! ヤエ!」
吉葉、玄関の方に向かう。
○同・玄関(朝)
向き合うヤエと捜査員A、メモをとっているB。
捜査員A「昨日の午前9時頃からは会っていないと」
ヤエ「はい」
捜査員A「その間はどちらへ?」
やってくる吉葉。
捜査員A「お客さん?」
ヤエ「いえ……連れの者で……」
吉葉、状況が掴めず小さく会釈。
○魚市場・キッチンのある部屋
パイプ椅子に座って新聞を読んでいる藤堂。
新聞の見出し、『神戸の映画監督、熊に襲われたか?』というタイトルと共に山科のか顔写真と名前が載っている。
キッチンの方で歯を磨いているスッピンのさつき。
さつき「お父さん」
藤堂「ん?」
さつき「今日ちょっとでかけて良い?」
藤堂「会いに行くのか」
さつき「霊能者として最後の仕事」
藤堂「今日は大しけだ。船は出せん」
さつき、口を濯いで、
さつき「(独り言)あいつとキスしたとかありえない」
○函館公園・観覧車付近
木の下に落ちている指輪のケース。
それを拾う美由。
振り返る美由。
カメラをこちらに向けている真子とその後ろには山科。
山科「(そしたら、そのまま恋人の所まで走りましょうか。ワンカットでいきます)」
美由「……」
○函館市電・待合室
キャリーケースを手に座っている吉葉とヤエ。
『はこだて讃歌』が流れる。
到着する電車。
ヤエ「どうして行っちゃうの」
吉葉「飛行機が来るから」
立ち上がる吉葉。
吉葉の腕を掴むヤエ。
ヤエ「(吉葉の顔を見つめて)空港まで」
○山沿いの道
指輪ケースを手に走る美由。
その後ろをカメラで撮影しながら走る真子と山科。
美由の元に近付くタクシー。
運転席から戸田が顔を出す。
戸田「今なら市内限定出血即死大サービス実施中! 幽霊様ならなんと無料! さあ、さあ、乗るか、乗らぬは、天国地獄! 己の魂にしこたま問うてみい!」
○海沿いの道
自転車をカッ飛ばすさつき。
さつき、『函館の女』を熱唱。
さつき「はーるばる来たぜはっこだってー!」
○函館空港・ロータリー
キャリーケースを引いてくる吉葉。
その後ろをついていくヤエ。
吉葉「(振り返って)じゃあありがとう。楽しかった」
ヤエ「……うん」
吉葉「またくる」
吉葉、背を向ける。
ヤエ「またっていつ!」
振り返る吉葉。
ヤエ「またっていつ。俊君のまたはもう 来ないってことじゃないの」
吉葉「そんなことないよ。必ず」
自転車の急ブレーキ音。
さつきだ。
吉葉「!」
さつき「放っておけないね」
吉葉「インチキ霊能者」
さつき、自転車を倒して、吉葉のキ ャリーケースをグッと掴む。
ヤエ「ちょっとあなた」
そこへたどり着くタクシー。
タクシーの扉が開く。
しかし誰もいない。
吉葉「乗りません!」
運転席窓から顔を出す戸田。
戸田「降車です」
吉葉「あっ」
戸田「あっよくお会いしますね」
タクシー去っていく。
さつきの横に立っている美由。
さつき、美由と見つめ合って、
さつき「(どうぞ)」
さつき、目を閉じる。
美由、さつきの身体に入っていく。
少し離れたところからカメラを構える真子と山科。
山科「憑依っちゅうやつや」
真子「ウチらもできるんやろか」
山科「あほ、俺らはスタッフやねん。役 者はあの人ら」
真子「あほいわんといて」
さつき、カッと目をあけて吉葉を見る。
吉葉「顔」
さつき「(淡々と)『美由美由悪かった。俺が悪かった。俺は美由の事が一番だ。お前がいなくなったら―』」
さつきの声が吉葉の声へと変わっていき、
○回想・病室
呼吸器をつけてベッドで横になっている坊主頭の美由。
美由の手を握る吉葉。
ベッドサイドモニターに映し出される脈拍のリズムが乱れている。
吉葉「僕はどうしたら良いんだ」
吉葉、紙袋から包装された水色のワンピースを取り出す。
吉葉「これ、誕生日プレゼント。僕、ちょっとだけ仕事して買ったんだ。工場の短期の仕事だけど」
美由「……」
吉葉「病気治ったら今年の夏は北海道とか行こう。……な、美由……美由―」
吉葉、美由の身体に顔を埋める。
○函館空港・ロータリー
さつきを呆然と見つめる吉葉。
吉葉「美由……なのか……?」
吉葉、さつきをそっと抱きしめる。
その光景から目を反らすヤエ。
以降、一時的にさつきの姿が美由に変わる。
美由「俊ちゃん」
吉葉「あったかい」
美由「あなたさ」
吉葉「何だい」
突然、吉葉の股間に膝蹴りを入れる美由。
吉葉、訳が分からないまま倒れてもがく。
吉葉「なんで……」
さつきの身体から出てくる美由。
美由「(あーすっきりした)」
さつき「すっきりしたって。あなた、美由さんと付き合ってたとき何人と浮気してたわけ?」
吉葉「……二人……や、三人……」
ヤエ「(さつきに)ちょっとひどいじゃない!」
さつき「あなたは良くし過ぎなのよ」
ヤエ「私は分かってて付き合ってる。私が一番になるの。だから、俊君にあんたを紹介して、ちゃんとお別れを言ってもらおうと思ってたのに。今度はあんたがキスまでしちゃってさ」
さつき「違う! あれはこいつに知らしめてやりたかったから。単純なこいつが腹立たしかったんだよ!」
美由「(やめて)」
ヤエ「嘘付け。惚れたんでしょ。このアバズレインチキ霊能者が!」
さつき「なんだと」
さつきとヤエ取っ組み合いになる。
警備員、「ちょっとやめなさい」と駆けつけて来る。
もがいている吉葉の元にやってくる美由。
美由「(ごめん。憑依は初めてだったから。【着ているワンピースを見せて】これ、ありがとね)」
吉葉「美由……?」
美由、硬直する。
吉葉「愛してる。ベロベロベロベロッ……」
美由「(俊ちゃん……)」
吉葉、ハッとしたように腕時計を見て起き上がる。
吉葉「(見上げて)あーっ」
取っ組み合いになっているさつきとヤエ、空を見上げる。
上空を飛行機が飛んでいく。
山科「はいカット」
ポツリポツリと振り始める雨。
○多恵の夢・暗く狭い部屋
揺れる部屋、頭を抱える多恵。
多恵の手元からしみ込んでくる海水。
外でアイヌ人達の声が飛び交う。
と、扉が開かれる。
そこには糞(18)の逞しい姿。
糞「(アイヌ語で)僕の名前はアへヌヤシ。母さん助けに来たよ」
○多恵の部屋
ハッと目を覚ます多恵。
多恵の目から涙がツーッと落ちている。
多恵「(庭の方を見て)雨かいな」
多恵、開いている窓を閉め、仏壇の前に座って線香をあげる。
穏やかな表情の省吾の遺影。
○ 北見家・別荘兼宿泊所・居間(夕)
テーブルを挟んで向き合う吉葉とさつき。
吉葉の隣にヤエ、さつきの隣に美由。
吉葉「はい。僕は美由を一番愛しています」
美由、テーブルに指輪ケースを投げる。
吉葉「!」
吉葉、見上げる。
さつき「だからここにいるって」
二人には空いた席しか見えない。
吉葉、おそるおそる指輪ケースを手に取って開く。
変わりなく輝く赤いダイヤモンド。
吉葉「これは美由の為に僕の稼いだお金で買った。二十七万円の指輪です」
さつき、吉葉から指輪ケースを奪い取る。
さつき「ちゃっちゃとやるよ」
さつき、立ち上がり、イコン画の前に立つ。
吉葉、立ち上がりさつきの右側に立つ。
さつき、指輪の箱を空けて吉葉に差し出す。
吉葉、指輪を受け取って美由の手を探すように左手を差し出す。
吉葉の左手が美由の左手を掴む。
吉葉「美由……」
ヤエ、『彼方の光』を謳い始める。
吉葉、美由の左手薬指に指輪をはめる。
カメラを向けている真子。
山科、真子のカメラを構える腕を降ろさせる。
さつき「吉葉俊二さん。あなたは今稲本美由さんを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
吉葉「はい。誓います」
美由、苦笑い。
さつき「美由さんは誓いますか?」
美由「(はい―)」
ヤエ、悲鳴をあげる。
部屋の中に体長一メートルほどの熊が現れる。
山科「(雌か)」
熊、一目散に吉葉の首元に齧りつく。
○魚市場・キッチンのある部屋(夜)
煮物をしている藤堂、ふと窓の外を見る。
船着場に止まっていた藤堂の船、漁火がついて出港する。
藤堂、慌ててガスを切って外に出る。
○漁船(夜)
アイヌ人たちが輪になってリムセを踊っている。
その中央で手を取り合う吉葉と美由の姿。二人に接近しながらカメラを回す真子と山科。
美由、見様見真似で舞う。
吉葉、同じく舞い始める。
吉葉、ふと美由の後方で踊っているはだけた格好で舞っているアイヌの女性に視線が移る。
美由、吉葉の頭を両手掴んで自分の方に向ける。
吉葉「(カメラ目線になって)……」
T―「誓います」
○船着場(夜)
海の向こうへと小さくなっていく漁火が点灯している船。
それを呆然と見ている藤堂。
そこへ後ろにヤエを乗せて自転車で駆けつけるさつき。
さつき「熊! 熊が!」
藤堂「良かった。お前は生きていたか。(放心状態のヤエの姿に気が付いて)君は?」
ヤエ「(力無く)こんばんは……」
さつき、小さくなっていく船に気が付いて、
さつき「お父さん」
藤堂「あー」
さつき「……」
藤堂「貸出十万」
さつき「……もう浮気すんなよ」
藤堂「俺はしてない」
さつき「帰ってくんなよー!」
藤堂「それは困る。保障に入ってねえ」
さつき「嫁さん大事にしろよー!」
ヤエ、自転車から落ちて失神。
さつき「ちょっと!」
さつき、ヤエを抱える。
藤堂「今晩はギンダラの煮つけだ」
藤堂、ヤエをおぶる。
さつきと藤堂、市場の方へ帰っていく。
その後ろ姿を道路脇に止まったタクシーの中から見ている戸田。
戸田「犬は爪を隠せない。はっはー」
タクシー、発進する。
(了)