報告:期待しないという優しさ
「次の戦い、生きて帰られるかどうか」
「心配するな。俺達には英雄がついているんだ。ここまで無敗の第七騎士団がいれば、負けはしないさ」
拠点内を移動しているとき、ふとそんな声が聞こえた。おそらくは第七騎士団ではない王国軍の兵士だろう。ぱっと見た感じでは、戦場での経験も浅そうであった。
第七騎士団を含む王国軍は、明日には再び出撃し敵拠点を攻略する。もしその攻略が相成れば、次の戦いで一大決戦を挑むという噂だ。
その声が聞こえたのだろう。俺の隣を歩いているクローディーヌはどこか困ったように「負けられないわね」と笑ってみせる。こうした期待が、かつて彼女を苦しめていたのだというのに。
しかしこうした彼女への期待も全てが全て重荷になっているわけではない。彼女のその表情の裏に、少なからずうれしい気持ちがあるのは確かなのだ。それは彼女の表情からも見て取ることはできる。
(期待は願望であり呪いだ。だがそれは本人にとって喜びとなりもする。ある意味では呪いよりも質が悪い)
クローディーヌはかつて期待が重圧となり自らを縛り付けていた。いや期待というよりかは寧ろ自分自身で課していた理想像のようなものかもしれない。
もっともそれはあくまで昔の話だ。今ではそれをはね除け、力にさえ変えている。結果として本人の成果と喜びにつながるのであれば、その期待は一概に悪いものとは言えないのかもしれない。
だがその麻薬のような喜びは時に判断さえも狂わせてしまうだろう。そうして命を落とす兵士も決して少ないわけではない。周囲の期待、そしてそれに応えることで得られる自らの喜び。そしてその喜びは次第にその行為自体が目的となり、時には誇りとか言う名目で命を落とす。
(……馬鹿馬鹿しい)
俺は再び歩き出し、少しばかりクローディーヌの前を行く。彼女も少し不思議そうにした後、すぐ追いついた。
「レリア、何を読んでいるんだ?」
俺は一人で手紙のようなものを読んでいるレリアに声をかける。
「秘密です」
「そうか。邪魔したな」
「……もうちょっと粘ってくださいよ」
レリアがわざとらしく不機嫌な顔をする。
無茶を言うな。生まれてこの方、女性の言葉の裏にある気持ちを理解した事なんてない。理解できたならここまで苦労していないのだ。
「王都にあるとある孤児院からの手紙です」
「ほう」
「私、そこの出身なんですよ」
俺は「そうだったのか」と知らない振りをする。もっとも赴任する時に第七騎士団の隊長クラスの生い立ちはある程度調べがついている。レリアについても、最年少ということもあっていくらか情報を仕入れていた。
人によっては思わぬ所にデリケートなポイントがあるとも限らない。作戦行動に一定の信頼は必要だし、そのためにはコミュニケーションが重要だ。そしてそのために相手を知る必要があった。
「それで、何だって?」
俺はレリアに尋ねる。
「色々です。近況のこと、子供達のこと。独り立ちした子のこと。みんな私の家族みたいなものですから」
「へえ~。それはいいな」
俺の言葉にレリアはうれしそうに「はい」と答える。そして少しだけトーンを落として話を続けた。
「それとこんなにもお金をもらえないってことも、書いてありました」
「お金?」
「ええ。私が仕送りしているんです。軍の給金って意外に多くて、私一人だと使い切れませんから」
レリアの言葉に俺はただただ感心する。新しいもの好きに見えて、案外お金の管理はきちんとしているらしい。というより、無駄な物は買っていないのか。物も大事に使っているようだし、軍の備品の扱い方一つ見てもそれは納得だった。
(ん?待てよ。じゃあなんで俺は金がないんだ?)
俺は一瞬考えちゃいけないことが頭をよぎったので、すぐに脳内から放り出す。マリーに払う食事代以外では、そんなに使っていないはずなのにどうしてお金がないのだろうか。
「副長、多分副長の金欠は特別手当の申請を出していないからだと思いますよ」
「へ?」
「軍人は他の国民に比べ、様々な手当や減税措置が厚いですから。もしかして知らなかったんですか?申請しないと受け取れませんよ?」
「まじか……知らなかった」
一回り年下の少女に、完全にお金の扱い方で負けている。どうやら王国の出身で軍人であればどんな人間にも支給されるらしい。とりわけ減税措置の方は効果が大きく、収入以外の資産の部分でもかなり優遇されるらしい。多くの貴族が軍人になるのも納得である。
(まあ軍人に貴族が多いからこういう制度になったのか、はたまたこういう制度だから貴族が多いのかは分からないがな)
因果関係の推論は難しい。いつだって鶏と卵はどちらが先かは検証しなければならない。しかし人間というものはそれを忘れ、単純化する傾向にある。『英雄がいるから大丈夫だ』なんてのはその典型だ。
「副長も申請すればどうですか?やり方教えますよ。一割程この孤児院に寄付していただければ」
「案外……というかやはり抜け目ないな」
俺がそう言うとレリアが笑う。しかし欲しい金はあれど必要な金は足りている。無理に申請する必要はなかった。
(それに申請できないだろうしな)
俺は後方勤務時代から決めていることがある。一に上司には逆らわないこと、二に書類仕事にはできるだけ近づかないことだ。報告書は最低限としても、それ以上の仕事をする気にはならなかった。
「他には、何て?」
俺はレリアに聞いてみる。するとレリアは一瞬黙り、すこししてからぽつりと答えた。
「軍を……辞めて欲しいって」
「…………」
「まあ辞めるつもりはないんですけどね。どうせどこにいたって、危ないときは来ますから」
レリアはそう言って笑ってみせる。俺もそれを見て、合わせるように口角を上げた。
「さて、そろそろ私も準備がありますので」
レリアはそう言って立ち上がる。小さい彼女の身体だが、そこには確かな意志があった。俺は立ち去る背中を見て、彼女を呼び止める。
「なんです。副長?」
レリアが不思議そうな顔をしている。俺は率直に思ったことを伝えた。
「良い家族だな」
俺の言葉を聞いて、レリアが目を丸くする。何か変なことでも言っただろうか。しかしレリアはどこかうれしそうに笑っている。
「副長もほとんどは的外れなのに、大事なところだけは当てますね」
「?」
「お姉ちゃんが気にかけるのも分かります」
「お姉ちゃん?誰か俺に気がある女性がいるのか?」
「知りません」
レリアはうれしそうにそう言うと、足早に立ち去っていく。
俺はよく分からないモヤモヤを残しながら、ぽりぽりと頭をかいた。
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