報告:帰るべき場所は
「え?また出征するの?」
王都第三広場、共にベンチで座りながらマリーが俺に聞いてくる。
「ああ」
「だって第七騎士団ってこの前遭遇戦をしたばかりで、敵の師団長級の司令官を討ち取ったって……」
「事実だな」
「それなのに大して休みもしないでまた戦いに?正気なの?」
「…………」
そんなに言わないでくれ。俺は内心でマリーにそう懇願しながら、ただただ大きくため息をつく。
いつだって事実が一番人を傷つけるし、現実が人を苦しめるのだ。あるがままを述べるだけで、俺の心はすり減っていく。
「アルベール……大丈夫?」
「お、珍しく心配か?なんか優しくて不気味だな……って、痛っ!」
マリーにいつも通り脛を蹴られ悶絶する。しかし今はこんな日常がたまらなく恋しかった。戦場にいると、なんでもいいから帰りたくはなる。
だが決まったことはしかたない。俺は顎に手を当てながら少しばかり考える。マリーの言うとおり、ここ最近すこしおかしな動きが多くなっているのも事実だった。
(まずあのグスタフの件だ。あれがまずおかしい)
逃げたことではない。そもそも入っていることがおかしいのだ。帝国がこの国にスパイを入れている。その程度のことであればありえるだろう。というよりこれは確実だ。王国の管理なんてザルも良いところである。
だがどの将軍の息がかかったスパイがどの程度入ってきているかは別である。少なくとも自分の階級以上の士官として王国軍に潜入していれば、この騎士団及び自分の命は一気に危なくなる。
何故ならそのスパイが自分たちを死地へ送り込めばいいだけなのだから。
(まあでもそれならそもそももっと早く負けているだろうし、王国は貴族しか出世できない部分も大きいからな。それはないだろ)
しかしそれ以上に不気味なのは強硬手段に出たことだ。あんな少人数で王国軍の将軍を狙ったところで、かなりの確率で失敗することぐらいわかるものだ。それに成否に関係なく戦争ははじまる。戦争を終えたばかりなのは帝国も同じはずであり、今戦うことに不安を抱えるのはむしろ帝国の方なのだ。
(何か勝てる算段が?確かに勝てるのなら将軍を狙う意味もあるだろうが……。それとも失敗することを前提でことが動いている?……やめよう。これ以上は陰謀論の域を出ない)
俺は一旦頭を切り替える。広場では子供達の楽しそうな声が聞こえていた。
「ねえアルベール」
「ん?なんだ?」
「そんなに大事なの?」
マリーが聞いてくる。
「わかるか?」
「うん。なんとなくだけど。アルベール、ちょっとおかしいもん」
「そうか?普段と変わらない気がするが」
「ううん。やっぱりいつもと違う」
俺は視線を広場の方へ向けながら、軽く頬をかく。やはりマリーは鋭い。それは情報屋たる所以か、それとも女の勘というものか。どちらにせよ説明のつかないほどに彼女はよく気付く。
(マリーはグスタフの件も、帝国との遭遇戦の経緯も知ってはいないのに……。まったく、恐くなるほどに鋭いな)
俺は別に隠すことでもないと、マリーに話す。
「ヤバいってのは当たりだ。戦争に謀略はつきものだが、今回の戦いは特にきな臭い」
「やっぱり」
「やっぱりって……。よく分かったな。特に説明もしてないのに」
「……わかるよ」
マリーが言う。
「アルベールを見れば、そんなことぐらいすぐに分かる」
マリーはそうとだけ言うと、「じゃあそろそろ行くね」と歩いて行ってしまった。俺はマリーの背中を見送りながら、ベンチにさらに深く腰掛けた。
「やれやれ。見れば分かるときたか」
俺はただただぼんやりと、広場で人々が楽しそうに笑う姿を眺めていた。
「アウレール将軍。第七騎士団の再びの出陣がきまったそうです」
「ふむ。場所は?」
「帝国領北部より進軍予定とのこと」
「わかった。もう下がっていいぞ」
「はっ」
アウレールがそう言うと、報告に来た部下が下がる。そして部下が出て行き、扉が閉まるのを確認して、アウレールは静かに笑い出した。
「くっくっく……ははははは」
アウレールは手で顔を覆い、笑い声を抑える。思うままに笑ってしまえば、帝国中に笑い声が届いてしまうのではないかとすら思えていた。
「帝国評議会も馬鹿の集まりだが、王国は更に上を行くな」
アウレールは以前返ってきた書状を手に取りながら、小さな声で笑っていく。しかしその声も徐々に大きくなり、次第に部屋に響き渡る程に笑っていた。
「はっはっはっはっは!滑稽だ。愚かだ。馬鹿ばかりだ!どうして世の中はこうも無能で溢れているのだろうか。全くもって馬鹿馬鹿しい」
アウレールはもう笑い声を抑えることもしない。どうせ世には馬鹿しかいないのだ。自分が笑っていようが、何か理解できるやつもいない。
しかしそう考えるのも不思議ではない。何せ王国の司令部、それも総本山が自らの味方の命を差し出そうとしているのだから。
「自らの名誉か、権力か、金か。いずれにせよそんなもののために、救国の英雄をこちらに差し出そうというのだからな」
王国側には、英雄を討ち取った後で王国軍が押し返す形で帝国領へ進出し、一部領地分割という形で手を打つと約束している。王国側からすれば、クローディーヌも排除できて自分たちの勝利も得られて満足という判断なのだ。
「まったくもって馬鹿しかいない。英雄のいない王国軍など、相手にするわけがないであろうに」
約束というものは弱者しか守らない枷である。強者に約束やルールなど必要ない。堂々と破り、踏みにじればいいのだ。しかし彼等はそんなことすらも理解せず、ただ自分の利益のことだけ考えて生きている。
「これで王国の方は終わりだ。あとはあの忌々しい戦争狂をどうにかするだけだな」
アウレールはベルンハルトについての調査レポートを取り出し、ファイルを開いていく。
(日和見主義なマルクスは問題ないが、ベルンハルトは不気味だ。奴は奴自身はおろか、側近すらもわからないからな。副官はつけていないと聞いてはいるが、彼の男は何をしでかしてくるかも分からん。準備に準備を重ねなければ。……本来であればフレドリックと共にあの世に送ってやるはずだったのだが)
アウレールはファイルを閉じ、再び棚にしまう。しかしいくらベルンハルトといえど、此方が王国の兵力を吸収すれば太刀打ちはできないはずだ。
(まずは王国、そしてあいつだ。そうすれば評議会など相手にもならない。そして全てが達成されたあかつきには、私は……)
歴史上最も広大な領地を治めた男になる。アウレールは笑いを押し殺して、その高級な椅子に腰掛けた。
名誉、権力、金。そして圧倒的な力さえも手に入れる未来を描きながら、アウレールはただ一人笑っていた。
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