報告:日は昇り、影は迫る
今日も良い天気だ。いつもと変わらない日常、俺が求める安寧といってもいいだろう。
東和人達との戦争は終わり、今日で一ヶ月が経つ。時というものは不思議なもので、ある程度時間が経つと人はみないつものようにもどっていく。戦争という非日常も、時が過ぎれば忘れられるのだ。
だからこそ戦争が絶えない。どれだけ当時の人間が平和を望もうとも、時がそれを忘れさせるのだから。
「アルベール!遅れてるわよ!」
俺をすいすいと追い越しながらクローディーヌが言う。
今日は団全員でトレーニングの日だ。兵営場をひたすら走り続けていく。そんな中俺は周回遅れで息を切らしながら走っていた。
「秘術込みってのは、ずるくないですかね」
「秘術を長く使えるようにする意味でもありますから」
独り言に反応があり、ふと脇を見る。見るとレリアに涼しい顔で俺の横を走っていた。
「レリア、何周目だ?」
「12周目です。副長は?」
「………11だ」
「……10周目ですよね」
「…………」
「…………」
レリアはにこっと笑うと、そのまま走っていく。ヤメロ。その態度は俺に効く。
(しっかし、無理なもんは無理だからな)
俺は淡々とリズムを刻みながら足を動かす。一人残って走るのは軍の訓練時代から慣れている。
多くの人間が秘術で底上げしながら走るんだ。そりゃ俺の成績はしたから数えた方が早い。
「副長、遅れてますよ」
「今度はドロテか」
「そういえば秘術、使えるらしいですね。敵の総大将を倒したのは副長だって聞きましたけど」
「俺が?まさか。団長がほとんどやったようなもんだよ。それに秘術は使えない」
「どうして頑なに否定するんです?」
ドロテが聞いてくる。別に否定したくてしているのではない。だが事実だからしょうがないのだ。
(使ったってほんの短い間しか使えないし、使ったら血が足りなくなるし、それにそもそも厳密には秘術じゃ……)
俺が酸欠で回らなくなり始めた頭を使っていると、ドロテが俺の方をのぞき込んでいた。
ひょっとしてアレか。俺にも春が来たか?
「……やっぱり、全然似てはないけどな」
「ん?誰とだ?」
「副長はやっぱり冴えないし、体格も良いわけじゃないし」
「ちょっと待て、しれっと悪口を言うんじゃない。お前の所の隊は必ず一言俺を貶めなければならない決まりでもあるのか?……おい、待て、ドロテ隊長!」
ドロテはさっそうと飛ばして前へと走っていく。俺はまた取り残されながら、地道に足を進めるしかなかった。
そういえばドロテに関してはこの前見た男について聞き出していない。何かムカつくから、後で問いただしてやろう。
そんな下らないことを考えながら俺は空を見上げる。とても良く晴れた気持ちの良い空だ。こんな日は地獄のランニングなんかやめて、呑気に日なたで昼寝でもしたい。
いっそこんな平々凡々な毎日が続けば良いのに。俺はそんなことばかり考えていた。
「以上、報告を終える」
「了解した。証拠隠滅のため、この通信機は即座に破壊されたし」
「了解」
男は決められた手順で通信機を分解し、一部パーツをポケットに入れる。後に別の場所で処分しておかなければならない。
もっともこの王国に潜入してから分かったことではあるが、王国の住民はほとんどと言って良いほど機械に対する理解はない。正直なところ、そのまま置いておいても誰も気にすらしないだろう。
(返事は……今日も無しか)
以前の祭日、とある王国の女性とデートに行った。上手くできたのかは、正直よく分からない。次の誘いもしたが、しばらくたっても返事はない。おそらく失敗したのだろう。
それも無理もない。帝国の男性は基本的に実直で真面目。特に恋愛に関しては良い意味で古風、悪い意味で奥手だ。王国の男性のように、口説くのが上手いわけではない。
(一応マニュアルも用意されてはいたが、流石にあれは役に立たないからな)
恋愛にマニュアルなんてものがあれば、誰も苦労はしない。男はその程度の分別はついていた。
一体どこの馬鹿が作ったのか分からないその教本を、実際にためした馬鹿もいたらしい。そいつはすぐに潜入がバレて帰ってきたらしいが。
(ただ確かに言えることは、少なくともそんなものでどうにかなると思っている時点で、そのマニュアルの製作者がモテないのは確実ということだな)
男はただ乾いた笑いをもらす。
通信機の処分を終えると、脇にある長い筒状の箱を開けた。そして中から《《それ》》を取りだし整備を始めた。
(帝国軍最新型騎兵銃『カラビナー』。相棒の整備を怠るわけにはいかないな)
キットを取り出し、整備を始める。狙撃用に作られたそれは視界の悪い場所でも相手を見ることのできる魔術が付与されている。雨が降ろうと、暗闇であろうと、獲物を逃すことはない。
男が銃の手入れをしていると、不意に玄関のドアが開き鈴の音が聞こえてきた。
お客だろうか。今日は店じまいにしたはずであったが。
「あのー、すいません」
「ちょ、ちょっと副長!」
男の声が聞こえる。女性の声もだ。そして女性の声は聞き慣れた声でもあった。
男は急いで銃をしまい、店頭へと出て行く。
「すいません。もう、お店は閉めちゃってて……ドロテさん?」
「ああ、すいません。何か、うちの団の隊長が返事もせずそのままでいるって聞いて」
「だからって、訓練の後に来る必要ないでしょ!」
待ち人来るといったところだろうか。男を連れてきていた手前、少し警戒したが、ただのお節介な上司だったらしい。よく見るとこの前見た男性であった。
どうやら今日は軍の訓練日であったらしい。よくよく考えてみれば、彼女は軍人だ。忙しい場合もあるだろう。それで店が開いている時に来れなかったのかもしれない。
(まったく、早とちりもいいところだな)
男はどこか安心したように微笑む。それはなんの安心だろうか。男としてのプライドなのか、はたまた彼女に情が移ったか。いずれにせよ持つべきでないことは自覚していた。
「まあ、後はお二人でごゆっくり」
一緒についてきた男性が男の肩を叩く。すこし強かったせいかよろけてしまった。
しかし彼は彼女をわざわざここまで連れてきてくれた恩人のようなものだ。感謝こそすれ、文句はない。
男が出て行くのを見送る。そして二人は少しばかり気恥ずかしそうに笑った。
ドアを閉め、男はポケットに手を入れる。そして少しだけ真面目な表情をすると、また歩き出していった。




