報告:あまりに儚く、そして空しい
「見事だ……見事の一言に尽きる」
ダドルジはもう何度目か分からない戦闘を見ながら小さく呟く。向こうに疲労があるのは間違いない。此方の被害は攻撃の度に少なくなり、明らかに向こうが撃つ秘術の威力は下がっていた。
しかしそれでも戦線は決して崩壊しなかった。防壁の一部が壊れれば瞬く間に修繕し、戦線に綻びが生まれれば、すぐさま部隊を投入する。アルベール・グラニエの采配とクローディーヌ・ランベールの武力、その両輪によって戦線は維持されていた。
(だがそれは火の車だ。持ちはしない)
おそらくは相手も分かっているだろう。ならば必ずどこかで仕掛けてくる。問題はいつ、何を仕掛けてくるかだ。ダドルジは手遊びをしながら考える。
(……待てよ?)
ダドルジの手が止まる。
(相手に先手をとらせるようなリスクを背負う前にこちらから仕掛ければ、あるいは……)
ダドルジは自らのテントに戻り、再び地図を広げる。
方針は決まった。
(敵が優秀であればこそ、こちらはさらにリスクを取る必要がある)
このままいけばこちらに有利に動く可能性は高い。あえて新しい行動を取る必要があるのかという考えはあった。普通の指揮官ならば、優勢な状況でわざわざ行動を変えたりはしない。
しかしその思考の停滞こそ落とし穴でもある。同じ事を続けるということは、即ち相手に行動を読まれるということでもある。それをあの男が見逃すはずはない。
戦場は刻一刻と変化する。常に次を考えていなければ、相手に飲み込まれてしまうだろう。
(戦場で甘えは許されない。思考の停滞は、仲間達の死だ)
ダドルジに迷いはなかった。
夜も更け、敵の攻撃が止んだ頃。王国軍第七騎士団は西門より出発していた。
西側より大きく回り、南方向に陣を構える敵を攻撃する作戦である。したがって現在は都市の防衛隊だけで守っていることになる。
(早く……勝負をつけないと……)
クローディーヌは不安にかられながら馬を進めてく。都市の防衛隊といえど基本的に仕事は治安維持や盗賊への一時的な対処だ。少し武装しているだけで、都市の市民であることに変わりはない。秘術が扱える者もほとんどいない。
本来であれば彼等も守るべき対象なのだ。しかしこのままではいけないこともクローディーヌには分かっていた。だからこそアルベールの提案を受けいれ、奇襲攻撃に賛成したのだ。リスクを取ってでも、これ以上の犠牲を減らすために。
(早く……次の攻撃が始まる前に、敵を攻撃しなければ……)
クローディーヌは自分自身で徐々に焦りが生まれていくのを感じた。このままではいけないと大きく深呼吸をする。そして息をはいた後に、ふと横を見た。
自分の心情とは対照的に、異常な程落ち着いている副官の姿がそこにあった。
(でも、単純な作戦の割には作戦会議の後も忙しくしていたような……)
クローディーヌは少し前のことを思い出す。彼は作戦を説明した後、防衛隊の隊長達に何か話をしていた。不安にならないように、フォローしていたのだろうか。
「そういえばレリアは?」
「見ていないわね」
団員達の言葉が聞こえる。クローディーヌが振り返るとドロテが説明していた。
「レリアなら、副長に頼まれた仕事で都市に残ってる。多分治療要員で残されたんだと思う」
クローディーヌは成る程と思いながらその話を聞く。レリアはあの歳で騎士団に入るだけあって、秘術の実力はドロテに匹敵するものがあった。おそらく治療の秘術も使えるのだろう。
(いけない。とにかく今は集中しないと)
クローディーヌはハンカチを取り出し、汗を拭う。泥と汗と返り血で、あっという間に汚れてしまった。
「全軍、ここで一時停止を」
アルベールが唐突に言葉を発する。その指示に合わせて、クローディーヌは馬を止めた。
(何をしているのかしら)
クローディーヌは不思議そうにアルベールを見る。アルベールはただじっと東の空を見上げていた。
じっと。ただじっと。
そして少しした頃、突然東の空が輝いた。おそらく秘術の類いだろう。一時的な明かりが都市の東側で瞬いていた。
アルベールがにやりと笑う。それはどこか狂気じみた笑いであった。
「全軍、抜刀!これより敵本陣を奇襲する!」
アルベールが少し抑えた声で全員に伝える。奇襲のため返事はなしだ。
「あとは予定通り、ドロテ隊は火薬に火を、他の二部隊は俺に続いて敵の側部を突き東側へと抜ける。……続け!」
アルベールが珍しく先頭を駆ける。
戦いは終盤へと差しかかっていた。
(流石にあの男も、これは読めまい)
ダドルジは部隊の半数以上を連れて、都市東部に陣取っていた。敵は南部に戦力を集中しているからこそ戦線を維持できている。だからこそ不意をつき東門を突破できれば、その時点で勝利は確定だ。
(門を破壊するために大砲を運ぶタイミングをはかっていたが……どうやらうまくいったようだな)
大砲はこの攻略戦の要であり、移動にはリスクがともなった。大砲の移動には人手がいる。もし相手に気付かれれば、一方的に攻撃を受けることになる。しかしその賭けにダドルジは勝利していた。
大砲は既に東門を射程に捉えており、一挙集中で砲撃を加えれば門は十分に破壊できる。そしてそこから騎馬隊が突撃すれば、相手はなすすべなく敗走する。
「ダドルジ隊長、準備整いました」
部下が報告に来る。『もらった』、そう確信した。
「大砲用意……」
「た、隊長!あれを!」
部下が指す方向に目をやる。空が光り輝いており、こちらの位置を照らしていた。そして同時に、こちらへと近づく敵の部隊も。
(敵襲か?!)
ダドルジは黙って相手を観察する。しかし敵が来ていることに慌てた部下が既に動き出していた。
「敵がいるぞ!全砲台を敵に向けて撃て!」
轟音が鳴り響く。敵は見つかったと悟り雄叫びをあげこちらへと向かってくる。そして同時に、砲撃により吹き飛ばされ阿鼻叫喚の地獄絵図を生み出している。
「ええい!暗くてよく見えんが、とにかく撃ちまくれ!」
部下の砲兵隊が一心不乱に撃ち込んでいく
ダドルジは急な事態に焦りを覚えながらも、努めて冷静を維持する。
(大丈夫だ。こちらが完全に不意を突かれた形だが、幸い少しばかり距離があった。大砲を撃ち込んだ後に戦闘部隊で攻撃すれば、問題はない)
既に光はなくなっており、まったく状況は把握できない。こう視界の悪い状況では騎馬は機能しない。
だが王国側も無傷ではない。一瞬位置を特定されたことで砲撃を食らっている。相手の位置への理解が大まかでも、こちらの砲撃は十分損害を与えることができる。
(ここまで読んでいるとは、本当に見事だ)
剣の音が聞こえ始める。前線で戦い始めたのだろう。暗くてよく見えないが、ここまで兵が来ない以上敵は相当砲撃を食らったようである。
(あと一歩足りなかったようだな。アルベー……)
そう考えたときだった。
暗い中でかすかに敵の姿が見えた。東の大地に育った人間の視力は良い。幸か不幸か、それで全てを察してしまった。
「騎士団じゃ……ない」
それは安い防具をまとった都市の防衛隊であった。
それでダドルジは全てを理解した。
自らが負けたのだと。
「そうか、そうか」
ダドルジは声を震わせながら呟く。
「少しは、認めていたというのに……」
悔しさからではない。ましてや負けたことに対する失望でもない。
「アルベール・グラニエ……」
それは怒りだった。
「貴様ァ!味方を餌にしたか!」
ダドルジは急いで馬に乗る。すぐ近くに敵の騎馬隊の足音が近づいてくるのが聞こえた。
『東より来たる風』
風が陣営を切り裂いた。
南方面の東和人部隊はまさか奇襲を受けるとは思っていなかったのだろう。それとも攻撃の後は休憩をいれるのが癖になってしまっていたのか。いずれにせよ第七騎士団の突撃により敗走した。
「そのまま東へと突っ切れ!」
俺はドロテ隊が陣営に火を付けたのを確認すると、ダヴァガルとフェルナンに指示を出す。彼等は勢いに乗って、そのまま馬を走らせた。
弾薬は心強い物資だが、同時に危険をともなう。ドロテ隊の秘術によって陣営は爆発し燃え上がった。慣れない武器を使うからだ。
予想通り、敵は東側へと移動していた。前を見ると丁度大砲を撃つ際の明かりが見える。着弾と同時に弾が爆発し、人が吹き飛ぶのもだ。
「目標、敵大砲およびその陣営。一人も残すな!食い尽くせ!」
「「了解!」」
俺はそれだけ言うと、二隊長に前を譲る。そしてゆっくりと隊列を離れ、横へとそれていった。
俺は馬を下り、しばらく戦場を眺めている。すると少しして、背後から人が来るのが分かった。
俺はゆっくりと振り返る。暗くてよく見えないが、それでも見上げた彼女は美しかった。
「………」
「………」
俺も彼女も何も言わない。彼女はゆっくりと馬を下り、俺の方へと近づいてきた。
パシンッ
乾いた音が鳴る。続けて鈍い音が俺の頭で鳴った。
「平手の次は、グーですか。勘弁してくださいよ」
「……けないで」
「…………」
「ふざけないで!」
クローディーヌはもう一度俺を殴りつける。俺の歯に当たったのだろうか。彼女の拳からも血が流れている。
少し時間が経っただろうか。兵士達の雄叫びも聞こえなくなってきた。
「貴方は……貴方は!」
「そこまでです。団長」
不意に後ろからクローディーヌを止める男がいた。
「放しなさい!ダヴァガル隊長!」
「副長殿、敵は逃走していきました。大砲は全壊。相手への被害も甚大です」
「わかった。都市へ戻ろう」
俺はそう言って二人の横を通り過ぎ、馬にまたがる。彼女は依然として俺にくってかかろうとしており、ダヴァガルが力強くそれを抑えている。
俺はその時、ふと彼女の質問を思い出した。
「そういえば団長。俺に聞きましたよね?何故軍に入ったのかと」
クローディーヌは少し驚いた様子で俺の方を見ている。俺はただ淡々と続けた。
「生きるためですよ」
「……っ?!」
「生きるために、俺は戦っている」
「……生きるためならば、他者を犠牲にしたって良いっていうの!」
彼女が激昂する。やれやれ。俺は頭をかいた。
「では死にますか?」
「っ?!」
「皆仲良く。死にますか?」
彼女は答えない。答えられるわけがない。防衛隊は壊滅だが、都市を守ったのは事実なのだ。
そして彼女に妙案があるわけでもなかったことも。彼女はただ己の無力を、その憤りを、他人の所為にしているにすぎない。
「でも……だからって……」
クローディーヌは力なくへたり込む。戦場に感傷はいらない。最後に立っている者が勝者なのだ。
俺はゆっくりとその場所を後にした。
王国の本隊がボルダーにやって来たのはそれから一週間以上過ぎてからであった。
俺たちは防衛の任を引き継ぎ、ボルダーを後にする。別に明確に囮にしたわけではないので、その責を問われることもなかった。勿論報告も工夫したが。
むしろ守っただけ奇跡みたいなものなのだから文句を言われる筋合いもない。
クローディーヌはずっと暗い顔をしていた。俺はゆっくり寝られたお陰で、随分と体調が良くなった。
馬にまたがり王都へと帰還する際、都市の住民が見送りに来た。彼等は何も知らない。呑気に手を振っている。
こつん、と石がクローディーヌに当たる。見ると小さな少年がクローディーヌに向けて石を投げていた。
「人殺し!」
「こら、やめなさい」
「ママを返せ!この人殺し!」
少年はわんわん泣きながら大人達に連れられていく。見送りにきた住民達も、それにはどこか悲しげな目をしていた。
彼女は責を感じているのだろうか。馬鹿らしい。そもそも大砲をバカスカ都市に撃ち込んできた相手が悪いのだ。俺たちにそれ以上を求められても困る。
自分の命は自分で面倒見なくてはならない。誇りも信念も期待も責任も、何一つ命を救ってなどくれないのだから。
ボルダーが陥落したという情報が入ってきたのは、それから一週間後の事であった。
あまりに儚く、空しい勝利であった。
読んでいただきありがとうございます。




