報告:『ボルダー』防衛作戦
「~~♪~♪」
鼻歌が聞こえる。メイドのリュシーはいつも通り朝食の準備ができたことを伝えに来たのだが、思わぬ場面に遭遇していた。
(クローディーヌ様が……、歌っていらっしゃる?)
おそらくシャワーを浴びているのだろう。その歌はシャワー室から聞こえており、わずかに水が流れる音も聞こえている。
「クローディーヌ様」
「~~♪」
「クローディーヌ様!」
「あっ、ごめんなさい!」
クローディーヌがシャワーを止め、扉越しに何かと聞いてくる。
「いえ、特段急ぐようなことではありませんが……。朝食の支度ができたのでお伝えしに来ました」
「そう。ありがとう。リュシー」
クローディーヌがそう言うと、再びシャワーの音が聞こえ始める。少し恥ずかしかったのか歌う声も少しばかり小さくなっていた。
リュシーはそんな主人の様子がどこかおかしく感じ、ついクスッと笑う。彼女がこんなにも楽しそうにしているのは、もう随分と見ていなかった。
(ここ数年は任務や責任に押しつぶされそうになって、いつも険しい表情をしていましたからね)
リュシーは彼女の様子を思い浮かべる。クローディーヌが幼き頃より仕えてきた身ではあるが、あのように楽しそうにしているのは彼女の父親であるセザールが生きていた頃以来かもしれない。
(ひょっとすると、何か良い出会いがあったのかもしれませんね)
リュシーは一度だけ見た、少しばかり頼りなさそうな新任の副長の顔を思い出す。そして小さく笑みを浮かべると、軽い足取りで主人の部屋を後にした。
「次の任務が決まったわ」
第七騎士団の兵営所、その会議場とは名ばかりのだだっ広い大広間に俺たちは集まっていた。300人程度という少ない人数はこういうときに便利だ。団長自らの説明が、直接全員に行き渡る。
「次の任務地はここより東南方向へ二日ほど移動した場所にある主要都市、『ボルダー』の防衛よ」
クローディーヌが続けて説明する。
「都市には一応都市自体の軍隊がいるわ。でも彼等の主な任務は治安維持だから、国家同士の戦争を予定していない。よって王国の軍が到着するまで、私たちが先行して町を防衛、付近の東和人部隊を撃破することが目的よ。何か質問はあるかしら」
クローディーヌの説明が終わると、俺は手を上げる。
「どうぞ副長。発言を許可します」
「はっ。ボルダーは既に攻撃を受けているのでしょうか。それと敵の戦力についての情報をお教えください」
俺の質問にクローディーヌが答える。
「今のところ攻撃を受けているという報告はないわ。しかし東和軍の千人隊が一部隊向かっているという情報が届いているの。今回私たちが派遣される主たる理由は、この情報によるものね」
(千人か。となると殲滅というのは難しそうだな)
俺は「承知しました」と言って着席する。敵の数はこちらの三倍近くになるが、今回に限ってはそれほど悲観する必要はない。それにはいくつか理由がある。
第一にマルセイユ王国の主要都市は基本的に高い壁で周囲を囲んである。クローディーヌほどの馬鹿でかい秘術や、帝国が数門だけ所持している超戦術兵器の巨大砲でも撃ち込まない限り穴は空かない。それに空いたところでそこを人が防衛すれば実質意味がない。
第二に戦闘において防衛する側は圧倒的に有利だと言うことだ。向こうはわざわざ見晴らしの良い平原を通って攻撃しなければいけないのに対して、こちらは壁の上からでも身を隠しながら遠距離攻撃を加えることができる。勝つことは別としても、負けないことは比較的簡単だ。
俺は団員達の様子をうかがう。団員達もそうした状況は十分に分かっているようで特段悲観的な様子はない。任務としては程よい難度のものであった。
(だがいくつか懸念事項があるな)
俺は事前に渡されていた資料に目を通しながら疑念をピックアップしていく。
(作戦の目的が曖昧すぎる。それに理由も弱い。何故まだ実際に敵が来てもいないのに、ましてや都市の防衛隊もいるのに、俺たちが先行する必要がある)
作戦に対する疑念は尽きることはない。作戦自体の難易度があまり高くないからこそ気にとめない者が多数だろうが、だからこそ残る得体の知れない嫌な予感があった。
俺は先日の報告において見た上層部のお偉いさん方の顔を思い出す。第七騎士団の敵は何も東和人だけではない。むしろ内部にこそ、敵が潜んでいる可能性があるのだ。
「どうかしましたか?グラニエ副長」
俺が考え込んでいたせいだろうか。クローディーヌが俺に尋ねてくる。
「あっ、いえ。失礼しました。何でもありません」
「そう。何か気になることがあれば遠慮なく言ってください」
クローディーヌはそう言うとこれからの日程、行軍ルートなどの細かい予定を説明していく。
俺はその説明を聞きつつ、考えられるリスクとその対策について考えていく。備えあれば憂いなしだ。事前の準備は入念にするに越したことはない。
そんなときふと脇を見ると、ダヴァガル隊長と目が合った。ダヴァガルもこちらに気付いたようで、俺と目が合うと笑みを浮かべた。
「任せた」。さもそう言っているかのようであった。
(あのおっさん、丸投げかよ……)
彼も不遇な扱いを受けてきた人間だけに今回の作戦に何か感じるところはあるらしい。しかしその対策はこちらに投げているようだ。以前は寡黙で真面目な男な印象であったが、案外風貌に似合わずしたたかなものである。
もっともそうした丸投げは。一定の信頼の証でもあった。
(いずれにせよやるしかない。生き残らなけりゃ、何の意味もないからな)
俺はそう考え、とりあえず腹をくくることにした。
「ダドルジ隊長、攻撃準備整いました」
部下が報告に来る。私は「すぐに行く」とだけ伝えた。
十分な物資と十分な戦力が揃っている。負ける要素はないだろう。しかし念には念を入れておかなければならない。自分の判断に、多くの仲間の命がかかっているのだ。
(王国都市『ボルダー』。この都市を落とせば王都への侵攻も見えてくる)
今は亡き弟妹達を思い起こす。勝たなければならない。犠牲になった家族、そして仲間達のために、王国に鉄槌を下さなければならないのだから。
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