墜ちた騎士道
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俺は昔から、英雄に憧れていた。皆が憧れ、皆に尊敬される、そんな英雄に。
今思えば自分は誰かに認めてもらいたかったんだと思う。貴族の三男坊としてまるで期待もされていないことが、どこか腹立たしかった。そしてその思いは歳を重ねるほどに、強く大きくなっていった。
だから上二人の兄貴達を蔑んだ。たいしたことない連中だと、見下していた。決して彼等も、悪いばかりの連中ではなかったのに。自らの歪んだ欲望がそれを無視させていた。
他の貴族達も、心では馬鹿にしていた。媚びへつらい、力をもたぬ連中を、心から軽蔑していた。別に全員が全員、そういった人間であるとは限らないのに。
だがそれでも、それでもだ。そんな彼等にでも、認めてもらいたいという欲望が拭いきれなかった。
そして気付かされる。自分も所詮、同じ穴のムジナであるということに。
「クソッ」
フェルナンは一気にグラスに入った酒を呷り、そのまま空にする。そしてマスターに空のグラスを差し出し、次の一杯を要求した。
「フェルナン様、流石に飲み過ぎです。お体に障ります」
「いいから出せ。庶民風情が」
「しかし……」
「俺の言うことが聞こえなかったのか?」
「……わかりました。少々お待ちを」
マスターはそう言って裏の方に酒を取りに行く。フェルナンは舌打ちをして、グラスを置いた。
あの戦いの後、自分が何をしていたのかは良く覚えていない。全てを時の流れに任せ、ただ呆然としていた。そうしていたらいつの間にか昇進が決まり、再編された第九騎士団の団長として任命された。
(20代で騎士団の団長とは、あのクローディーヌ・ランベールにつぐ偉業だな)
フェルナンは笑みを浮かべると、マスターが酒瓶をもってきてフェルナンのグラスに注ぐ。フェルナンはそれを確認すると、再び酒を流し込んだ。
「マスター、なんかこの酒弱いんじゃないか?安物か?」
「いえいえ、そんなことはないです。ただ少しばかり飲みやすいように作られた新作なのです。是非フェルナン様にお試しいただきたく思い、お持ちした次第です」
「……そうか。まあそういうことならもらっておく」
フェルナンはその酒を少しずつ飲んでいく。正直、味などとうに分からなくなっていた。
するとその時、不意に店のドアが開いた。
「すいません。もうすぐ閉店で……、これはこれは。モリエール家のお嬢様。よくもまあこんな酒場へ」
「…………」
マスターが挨拶する一方で、フェルナンはただその酒を呷り続ける。別に見なくても分かる。今最も会いたくない相手の一人がこの場所に来ただけだ。
「フェルナン様」
「………」
「帰りましょう。深酒は身体に毒です。いたわってください」
「………」
フェルナンは黙って酒を飲み続ける。そして空になったグラスをマスターの前に置く。
「マスター、もう一杯」
「フェルナン様、しかし……」
「俺の言うことが聞こえないのか?もういっ……」
「フェルナン様!!」
ローズの言葉が、フェルナンの言葉を遮っていく。
「何をやっているのですか!戦場から帰ってきてからというもの、毎日のように酒を飲み続けて」
「…………」
「フェルナン様。どうなさったのですか!一体戦場で何があったのですか?私にできることがあれば、何でも……」
「…………」
ああ、五月蠅い。目障りで、耳障りな女だ。どこまでも自分の神経を逆撫でる。
フェルナンはゆっくりと立ち上がり、ローズの元へと近づいていく。そして強い力で、ローズの首元を掴んだ。
「っ……!?」
「貴様、何をする!?」
それを見て後ろに控えていた従者二人が突っ込んでくる。遅く、鈍く、弱い。フェルナンはいとも簡単に彼等の攻撃を躱し、それぞれの顔に一発ずつ打ち込んだ。
「ひいっ!?」
「弱すぎる。内地でぬくぬくと生き、贅沢を貪るゴミ共め」
フェルナンは再び、ローズの方へ視線を戻す。怯えて竦む従者とは異なり、ローズはまっすぐ此方に視線を向けていた。
「放してください。フェルナン様」
「…………」
フェルナンは手を放す。ローズはそのまま一切逸らすことなく、こちらをじっと見つめている。
そんなまっすぐな瞳に映る自分は、一体どれほど醜かっただろうか。最早考えるまでもなかった。
「フェルナン様、何があったのですか?私にも教えてください」
「………」
言えるわけがない。彼女の父親の命令で、自分は味方を捨て、裏切ったなどと。本来共に戦うはずだったあの場所で、俺はただ傍観していたなどと。
言ってしまえば、何もかも吐露してしまえばどれだけ楽だったろうか。しかしフェルナンにはそれができなかった。言えば彼女が責任を感じることぐらい、容易に想像がつくからだ。それはどうしてもできなかった。
「……お前には関係の無い話だ」
「っ!?それでも!貴方を放っておくことはできません」
彼女は食い下がる。初めて会ったときとは随分と異なる印象だ。普段は物静かで可愛らしい彼女だが、今日に至ってはそうではない。従者二人が怯えている自分に対して、何一つひるむことなく向かってくる。
そんな彼女のまっすぐな想いは、より一層フェルナンを苦しめる。彼女がまっすぐであればあるほどに、自らの醜さを直視する羽目になるのだから。
フェルナンは拳を握りしめる。
「女風情が……、口出しするなっ!」
「フェルナン様!」
マスターが止めに入ろうとするも、カウンター越しでは間に合いもしない。フェルナンは高々と拳をあげ、振り下ろす。
しかしその拳が彼女の顔に触れることはなかった。
「…………」
「…………」
拳はすんでのところで止まった。ローズは少しばかり震えながら、こちらを見つめている。
怖いはずだろう。恐ろしいはずだろう。しかし、彼女は決して自分から目を背けない。
彼女はそれでも自分を信じているのだ。期待しているのだ。いっそのこと諦めてもらった方が、見捨ててもらった方がどれほど楽だろう。しかし彼女はそうはしなかった。
フェルナンは止めた拳をそのままゆっくりと下ろしていく。そしてポケットに入った金を掴んでカウンターに置いた。
「……マスター、お金は置いていく」
「フェルナン様!」
ローズの言葉を無視して、フェルナンは酒場を後にする。
最悪の気分であった。酒の飲み過ぎか、それとも彼女を見ることでえた自分へのさらなる自己嫌悪か。いや、そのどちらでもないだろう。
ローズに拳を振り上げたとき、彼の男の顔が浮かんだからだ。自分がかつて拳を振り上げたときに、不意に現れて止めた彼の男の顔が。
アルベール・グラニエはもういない。
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