恐怖に克ちて礼に復る
「こんな所にいたのね」
俺は座ったまま、振り返ることなく港町をぼんやりと眺め続ける。高所から見下ろす港町は、少しずつではあるが活気を取り戻し始めていた。
「よいしょ」
ルイーゼが俺の横に座る。ノルマンドの部隊は完全に撤退し、敵の船も全てノルマンドへと帰っていることが確認されている。しかし次なる襲来に備えて、港に防衛拠点を用意する必要もあった。
「仕事は良いんですか、将軍?」
「いいのよ。優秀な部下達が働いてくれているし、何よりこれまで働きづめだもの」
ルイーゼはそう言って大きく伸びをする。
今回の戦い、ノルマンドが本格的に侵攻したわけではなかったことは幸いであった。あくまで港の占拠と橋頭堡の確保が目的だったのだろう。それ以上の戦力は無く、トラブルはあったものの撃退にまで追い込めた。
「ねえ」
ルイーゼが尋ねてくる。
「なんだ?」
「どうして逃がしちゃったの?敵の部隊」
「不満か?」
「不満って訳じゃないけど、一軍の責任者としては見過ごせないわね。…………いいえ、そうじゃないわ。今のは建前。私は、貴方が何故そうしたのか知りたいの。それに、貴方たちが何を話していたのかも」
彼女はまっすぐ此方を見ながらそう告げる。俺は適当に誤魔化すことも考えたが、考えるのも面倒だったのでそのまま話すことにした。
「俺にも分からん」
「へっ?」
「ただ、いくつか理由はあるんだ」
俺は彼女に説明していく。
第一に勲功の問題だ。俺がここで敵の大将首を取れば、俺が勲功第一位として帝国評議会で表彰されてしまう。これに不満をもつ連中もいるだろう。あくまで二番目、三番目以降で良いのだ。
第二に余力の問題だ。一応此方が有利な位置取りができてはいたが、急いで先回りしたため補給が十分ではなかった。少ない弾薬と疲労した部隊、勝てたとしても被害は大きくなっていただろう。相手が補給をして再度向かってくるということがないのであれば、殲滅する必要まではなかった。逃げる相手を追いかけて、決死の反撃を食らってもつまらない。
(しかし、これは本当のところではないだろうな)
俺はそんな風に思いながら、町に視線を戻す。そしてそのまま、まとまっていない考えを彼女に吐露していく。
「なんとなく違和感を覚えたからかな」
「違和感?」
「ああ」
「ふーん。貴方にしては、ちょっと意外な回答ね」
「そうか?」
「ええ。合理性に欠けるわ」
それはお互い様だろう。というか、彼女にだけは言われたくない。俺はそう思ったが、口には出さなかった。女性の扱い方は上手くはならなかったが、女性の怒りを買わないようにすることは上手くなった気がする。それは王国での収穫だろう。
(とはいえ、まあ、マリーには脛を蹴られるし、クローディーヌにはグーで殴られるし…………。いや、待てよ。この女にも平手打ちを食らったような……)
その実何も学べていない気はしないでもないが、俺は目をつぶることにした。
失敗があるからといってそれが即ち学習の失敗とも言えない。本来なら10回叩かれているところを、8回に減らせているのかもしれないのだから。
「それで?」
「え?」
「何を話していたのか、それは聞いていないわ」
意外と細かい女だ。俺はそんな風に思いながらも、悪い気はしなかった。
俺は彼女に話していたことを説明した。
「ふーん、そんなやりとりだったんだ。でも意外ね。貴方がノルマンド語を話せるなんて」
「……訓練の賜だ」
「でも、逃がして良かったのかしら。また侵攻してきたら、この町は……」
「そんな風に思ってあいつらも攻めてきたんだろうな」
「っ!?」
俺は海の方に目を向けながら、そう呟く。
敵が怖い。攻撃されるのが怖い。敵が強くなるのが怖い。
そうした恐怖に耐えかねた結果、『やられる前にやれ』と攻撃するのだ。軍備の増強が恐怖をあおり、周辺国の軍拡を誘発する。そしてその周辺国に負けじと此方も軍備を増強する。果てしない恐怖の連鎖が、泥沼のレースを生んでいく。
(そうか。違和感の正体はこれだったか)
俺は少しだけ自分の中で整理がつき、小さく笑う。するとそれを見たルイーゼが、納得がいかないように「何自分だけ納得しているのよ」と文句を垂れる。
「まあ、いいじゃないですか。それより将軍、此方もそろそろ帰還の準備をしましょう。もうそろそろ引き継ぎの部隊がやってくるはずです」
「ちょっと、はぐらかさないでよ」
俺はそう言いながら立ち上がり、回れ右して歩き始める。すると不意に誰かの視線を感じた。
「ねえ、聞いてるの……」
「将軍、すいません」
「え?」
「ちょっと用事ができたので先に行ってください」
「え、ちょっと……。分かったわ」
ルイーゼはそう言って歩き出す。そして俺は物陰に隠れている手のかかるそいつを呼んだ。
「よう。無事だったか」
「……………」
少年は少し俯きながら、此方の方に歩いてくる。「ちゃんとあの将官にお礼言ったか?」と聞くと、視線が合わないながらも彼は頷いた。
「妹は無事か?」。俺がそう聞くと、彼は再び頷く。そして顔を上げ、俺の方を見るも、また頭を下げてしまった。
「えっ?」
「少し髪を切った方が良い。見た目は大事だ。言葉に説得力をもたらすし、信頼を得られやすい」
俺は少年の頭をワシワシと掴みながら言う。そして一通り動かし髪を整えた後、手を放した。
「次はもう盗みなんてしなくてもいいようにしろ。変な傲りは捨てて、頭を低く生きろ。案外悪くないもんだ」
俺はそう言って再度回れ右をする。もう彼とは会うこともないだろう。そんな風に思いながら少し歩いたところで、少年の言葉に振り返った。
少年がまっすぐ此方をみつめていた。
「ちゃんと礼、言えたじゃないか」
俺はそう言って笑うと、半泣きの少年に手を振って歩き出す。涙で顔をぐしゃぐしゃにした少年など、見れたものではない。またいつぞやの自分を思い出してしまう。
「……馬鹿な男達」
隠れているつもりだろうか。少し前の建物の裏に、魔術師特有のローブと亜麻色の髪が見え隠れしていた。
戦いは近づき、俺は決断を迫られる。
王国が進軍を再開した。
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