甘え
「……正直やることがあまりないな」
俺は慌ただしく兵士達が働いている兵営の端で、ぼーっと物資箱の上に座っていた。
「じきに第二陣の砲撃があるわ。それまでに亡者兵の回収を急いで。この港は一時的に向こうに渡し、まず海にいる部隊を陸へと引きつけます」
「「了解!」」
ルイーゼがテキパキと指示を出していく。彼女の素早い指示のお陰で、兵士達の動きに迷いがない。こうした戦闘以外での運用能力は、回り回って戦闘の成果も変えていく。
普通将軍は前線には来ないのだが、カサンドラ同様、ルイーゼもかなり前線まで足を運んでいるといえた。きっと彼に学んでいる影響が出ているのだ。
カサンドラを始めとする古参の将官達は比較的戦場に赴くのを好んでいた。それはまだ当時通信技術が発達していないのもあったが、個人としての戦闘能力が皆高かったことにも由来しているだろう。
その逆に比較的若い将官は戦場近くには行きたがらない。そりゃ誰だって死にたくはない。普通と言えば普通だが、戦場に来ない指揮官の求心力が知れたものであることも忘れてはならない。勇猛将軍であるマルクス将軍がイマイチ力を持ちきらないのも、こういった所に由来する。
(まあどっちが正解とかはないからな。前線に出なければ分からないこと、後方から見なければ分からないこと、どっちもあるからな)
俺はそんなことを思いながら、あたりを眺める。すると物陰に、こそこそと動く影が見えた。
別に敵でも密偵でもない。ただの少年だった。
(いたずら好きの子供か?まあいずれにせよ、変なところで物資を盗まれても洒落にならないからな。一発の弾丸が不足して、命を失うこともある)
俺は重い腰を上げ、ゆっくりと少年の方へと歩いて行った。
「あれと、それと……」
「軍事物資の盗みは重罪になるぞ」
俺の言葉に、その少年は「ビクッ」と身体を震わせる。そして慌ててこちらに振り向き、身構えた。
「ぐ、軍人!?」
「別に不思議じゃないだろ。ここは兵営、軍隊が集まるところだ」
俺は頭をかきながら少年へと近づいてく。少年は震えながら、じっと此方を睨み付けていた。
「さあ、観念しろ。まだ未遂だし、子供だ。別に銃殺刑にはならないだろ」
「くそっ!放せ!」
少年は勢いよく俺の顔に拳を振りかざす。その拳が思いのほかいいところに入り、俺は少年を放した。
「痛たた……」
「元はと言えば、お前達が悪いんだろ!」
俺は頬をさすりながら、少年の言葉に耳を傾ける。少年は恐怖と怒りとが混ぜ合わさったように俺にまくし立てた。
「お前達がこの町を守らないから!父さんも母さんも死んだ!」
「………」
目を真っ赤にしてそう言う少年を、俺はよく知っている。いや、それだとやや正確ではない。そう言う少年の心の内を、よく知っている。
それは戦争が終わったとき、俺がベルンハルト将軍をまくし立てたときそっくりだった。
「この港ももう燃えて、家もなくなった。身体の弱い妹は、寒さをしのぐ場所もない!」
このノルマンドとの戦いは、別に今に始まったものではない。断続的ではあるが、幾度となく戦っている。その過程で、この少年の両親は巻き込まれたのだろう。
『貴方のせいで、父さんは死んだんだ!』
俺はかつての記憶が蘇り、目頭を押さえる。自分が甘ったれであったときの記憶であり、何も知らず、何もできない頃の記憶だ。恥ずかしくて、死にたくなる。
あのとき、ベルンハルト将軍がどうしたか。俺は鮮明に覚えている。
「お前ら軍人のせいで、俺達は……」
それ以上言葉が続きはしなかった。ガラガラと崩れていく物資箱の音が、兵営の隅で響いた。
何事かと数人の兵士が様子を見に来る。俺は彼等に「なんでもないよ」と言って、再び少年の方へと歩み寄った。少年は殴り飛ばされながらも、何が起きたのか分からない様子であった。
「まず君は勘違いをしている。君の両親が亡くなったのは、避難指示に従わなかったからだろう?」
「ひ、避難指示なんて……」
「出ていない?じゃあ尚更俺は知らんな。出さなかった奴のミスだ。怠慢かもしれんが」
まあ、多分出てはいたのだろう。ただ断続的な戦闘で、皆が慣れてしまっていたのだ。「次も大丈夫だろう」と。
避難指示を出しても、しばらく戦闘が起きていないと住民達も動かなかったりする。戦闘が起きてからでは遅いのに、今いる土地の快適さに、離れようとしない者はいるのだ。
まあ実態はどうでもいい。本題はここからだ。
「それに、君の両親が亡くなったのは、ノルマンド人の砲撃や襲撃によるものだ。別に帝国軍人も、死なせたくて死なせたわけじゃない」
「でも……」
「君はどうしてノルマンド人から物資を奪わないんだ?そっちの方が筋だろう?」
俺は少年を追い詰める。かつてベルンハルト将軍が、俺に言ったように。俺にやったように。
「簡単だ。ノルマンド人に見つかれば、殺されるかもしれない。だから帝国軍から奪うんだ」
「違う!」
「これまでも何度か見つかっても、帝国軍には大目に見てもらえたんだろ?『お前達が悪い』って言って、罪悪感を煽って。……悪いな。俺は自分が悪いなんて少しも思ってないんだ」
「っ!?」
「それにな。もう一つ君は忘れている」
俺はとどめを刺すように少年に語りかける。
「君の両親が死んだのは、君の両親と、そして君が弱いからだ。弱いから自分の身も守れない。軍人に甘えることでしか生きられない。身体の弱い妹も、そうやって死んでいくのかな」
「うあああああああああ!」
少年がポケットにもっていたナイフを取り出し、俺に突進してくる。俺は何も言わずに、少年の刃を受けた。
「へっ?」
ボタボタと血が流れる。俺は微笑みながら少年のナイフを取り上げる。
「ほらな。人一人殺せない」
「あっ……」
「それと、俺を刺したって事は、刺し返されても文句は言えないよな」
俺はナイフを振り上げる。すると後ろから銃声が聞こえた。
「ナイフを下ろしなさい。守るべき帝国臣民を殺す気ですか?」
振り返るとルイーゼがこちらにピストルを向けている。一発は空に撃ったのだろう。俺は少年を放し、両手をあげた。
「あの少年をお願い」
「はっ」
兵士の一人が、少年を連れて行く。少年は呆然とした様子で、真っ赤に染まる自分の手をみつめていた。
「…………」
「…………」
ルイーゼと目があう。そのまっすぐな瞳は、誰かと似ている印象さえ受けた。
「貴方、何を考えているの?本当に刺すつもりだったの?」
「……さあな」
俺がそうとだけ答えると、ルイーゼは部下に指示を出し、その場を離れる。いや、ただしくは、離れようとした瞬間に何を思ったか俺の方に来て、思い切り俺の頬を叩いてから立ち去った。
(平手なだけ、マシというべきかね)
俺はそんなことを思いながらルイーゼの部下について行く。何はともあれ治療は必要だ。彼女はそう判断したのだろう。
俺は手を腹部に当てた。その真っ赤な血を、俺は止める気にはならなかった。
次第に朱く染まる軍服を見ながら、俺はこれから来る痛い処置を想像し、ため息をついた。
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