父親
『星が綺麗だ』などという洒落た感情を、俺は持ち合わせてはいない。
それは遙か昔、まだ人間が狩猟しながら生きていた頃、男達が夜にたき火を眺めていたのと同様だろう。頭の中を整理し、明日に備える。昔からの習慣だ。
俺はそんな無駄なことを考えながら、星空を眺めていた。
「今日はありがとう」
潮風に髪を揺らされながら、ルイーゼが俺の元にやってくる。俺は座ったまま、肩越しに彼女の方を見た。
少し低めの身長に、癖があるが綺麗に手入れされている亜麻色の髪。この風の中、その長い髪では前も向けないだろう。彼女もそう思ったのか、おもむろに後ろで髪を束ねた。
それは海の近くだからだろうか。海から吹く風は夜であっても思いのほか暖かい。内陸である王国の風は寒暖差が激しく、熱波か寒波が出ることが多かった。このように心地のいい風はあまり記憶にない。
(ただまあ、女性からしたらこの潮風はあまり好ましくはないのかもしれんがな)
潮風のこの独特の感触を、彼女は嫌うかもしれない。少し話したい様子だったので、「中に入るか?」と指さすと、彼女は笑って答えた。
「いいよ、別に。気にしないで」
ルイーゼはそう言って俺の横に腰を下ろす。
「案外気が利くのね」
「そいつはどうも。初めて言われたよ」
俺が気怠そうにそう言うと、ルイーゼは再び笑った。まあ事実だからどうしようもない。
だがこうした気遣いは王国の連中に学んだことかもしれない。そう言う意味ではフェルナンを始めとする王国紳士には感謝しないといけない。俺はそんなことを考えた。
「……何してたの?」
「……星を見ていた」
「星?」
「ああ」
「へえ、意外」
「何か?」
「あ、ごめん。否定するつもりはないんだ。ただちょっと想像と違って……。それに、そんなに珍しいかな?それに、この辺じゃ雲がかかって見えにくいし」
「まあ俺の故郷よりかは見えにくいが、それでも見えるならいい」
俺がそう言うと、しばらくの沈黙が訪れる。彼女も何を話して良いかわからない様子だ。それならば来なければいいのにというのは野暮だろう。彼女は彼女なりに、複雑な思いがあるのだ。
(しかし面倒だ)
俺はそう思い、此方から核心を突くことにする。彼女が俺との間に抱えるであろう、一番の問題だ。
「カサンドラ将軍は」
「え?」
「俺が殺した」
「………」
「謝罪はできないが、事実は事実だ」
ルイーゼが黙る。お互いの間で避けられないことはある程度予期はしていただろう。だがこんなに直接的に話をぶつけてくるとは予想しない。それで面を食らったのだ。
とはいえ、俺はいつまでも遠回しに話す心の余裕が存在しなかった。
(彼女が将軍をどう思っていたのかは知らんが、少なくともずっと付いていたぐらいだし、後継にも選ばれている。信任に厚かったし、慕っていた部分もあっただろう)
だとすれば彼女は俺に少なからず思うところがあるはずだ。そうであるなら、そうした懸念は早くに払拭した方がいい。
誰だって背中から切りつけられたくはないのだから。
「違うよ」
「は?」
「貴方が殺したんじゃない。そう言っているの」
ルイーゼははっきりとした口調で言う。まあ確かに直接手を下したのはクローディーヌだが、ただ彼女が言っているのはそういう話ではないだろう。
「私、あのとき将軍に助けられたの。魔術で眠らされて、後方に送られた。起きたら自分が将軍になってた」
「…………」
「彼等のような崇高な魔術師を殺したのは、私でもある。私が強ければ、将軍や先輩の方々は、死ぬことはなかったから」
「それは否定しないな」
「それは否定してくれてもいいんだけど……。まあでも慰められるよりはいいか」
ルイーゼはそう言って、星空へと目を向ける。俺はそれを見てから、同様に空を見上げた。今にしても、何故空を見上げるのか、とりわけ夜空を見てしまうのかは分からない。
「ねえ」
「なんだ?」
「貴方も聞きにくいこと一つ聞いたのだから、私からも聞いていい?」
俺はただ黙って星を見続ける。彼女はそれを肯定と受け取り、俺に尋ねた。
「貴方は、フレドリック将軍のこと……。お父様のことをどう思っているの?」
俺はその言葉に、一瞬だけ思考が止まる。そしてゆっくりと彼女の方を見て、答える。
「何故、それを?」
「え?ああ。調べて……」
「そうじゃない」
俺が続ける。
「それを聞いて何になる。そう聞いているのだ」
俺の言葉に、ルイーゼは少し考える。そして考えてから、言葉を選びながら話しはじめた。
「きっと……、私にとってカサンドラ将軍が、父に近い存在だったからかな」
「父?五十近く離れているぞ?」
「歳の話じゃないよ。私は、十歳の頃からあの人のもとで魔術を学んでいるんだ。……両親が、戦争で亡くなっているから」
「…………」
帝国は大陸戦争の前から支配地域拡大のための戦争を続けてきている。それ故にこうした戦争孤児も珍しくはない。現に俺の親父やベルンハルト将軍が若くして出世できているのも、大戦以前にこうした戦場で勲功をあげることができたためである。
俺はルイーゼのその質問に答える義務はなかった。ただ黙って星空を見ていれば、煙に巻けただろう。現に俺がしばらく黙っていたことで、ルイーゼもそれ以上追及することはなかった。
だが俺は答えていた。
「……馬鹿だよ」
「え?」
「あの男……フレドリック・グライナーは馬鹿だったんだよ。どうしようもなく、それ以上に救いがたいほどに」
「ちょっ、どういう」と問いただそうとするルイーゼを後ろに、俺は兵営へと足を向ける。一応護衛が来ているのだろう。ルイーゼの部下が俺に敬礼してくる。
俺はそれを無視して歩き続けた。
軍の公式の記録では、『フレドリック将軍は勇敢にも敵の英雄に決闘を申し込み、重症を負わせるものの戦死』となっている。だが当時まだ小さい頃の俺でも、それが嘘だということぐらいわかった。
親父はそんな無意味なことはしない。彼は自分の強みが多人数を動かすことにあることを十分に理解している。自分個人でのスタンドプレーなど行うはずがない。俺は当時からそう思っていた。
将軍としての責任感か、周囲からの期待からか。いずれにせよ、その理由で自分の父親の死が納得できるほど、当時の俺は大人ではなかった。いや、今もそうかもしれない。
帝国に戻ってきたからだろうか。懐かしい夢を見た。
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