英雄たる所以
『仕組まれた血の宿命』
男の手からは血が流れている。自らを切り、そして流した血だ。その流血の刃は英雄を穿つ一撃となり、今初めてその男に血を流させている。それは王国の兵士達を動揺させるには十分な成果だった。
血を流す覚悟のないものには何事も為し得はしない。それは血を流すほどに努力したからではない。血を流すほどに努力する人間にだけ、仲間が現れるからだ。
人はただ一人では何も為し得ない。もし為し得たと思うのならば、それはきっと矮小なことに気付いていないだけだ。
「うおおおおおおおおお!!」
兵士達の雄叫びが上がる。未だかつてない興奮が、帝国軍の兵士達を包んでいた。
それも無理はない。今まで誰一人傷つけることのできなかったかのセザール・ランベールに対し、確かに傷を負わせたのだから。
「……見事」
フレドリックとベルンハルトは双方でその英雄を挟み込むように剣を構える。一撃を加えたといえど、彼等二人には兵士達のように喜ぶ余裕などありはしなかった。
(何が見事だ。さっきよりも一段と集中している。これじゃとても次の一撃なんて考えられないな)
(やはり強い。この男)
フレドリックが腰に隠していたピストルを抜き、セザールへ撃つ。しかしそれを簡単によけると、セザールは一瞬にしてフレドリックの懐に飛び込んできていた。
「しまっ」
剣が振り下ろされる。しかしそれをベルンハルトが受け止めることで間一髪助かっていた。
「そんな豆鉄砲は捨てろ。役に立たん」
「文明の利器を馬鹿にするな……と言いたいところだが、今回ばかりはその通りだ。素直に従おう。命は惜しい」
フレドリックはピストルを捨て、再びレイピアを構える。ベルンハルトが庇ったことで、二人は同一方向に固まってしまった。
「参る!」
セザールが大振りに剣を振るう。それは普通の兵がやれば隙の生まれる一撃だが、その男がやれば周囲を衝撃で巻き込む不可避の一撃であった。
「くっ!」
ベルンハルトはよけるのが間に合わないと踏んでガードする。しかしその重い一撃によろめくのは必至だった。
それを好機と攻めるセザール。しかし今度はフレドリックの突きがセザールの踏み込みを防いでいた。
「認めたくはないが、二人でようやく一人前ってところか。フレドリック?」
「まああとどれくらいもつか分からないがな」
正直あと何回敵の攻撃を防げるか分からない。フレドリックはそうとまで感じていた。敵の英雄はその名に違わぬ強者であり、此方が二人がかりだろうとまるで相手になりそうではなかった。
(よく見るとさっき刺した所の出血もかなりおさまっている。……まったく、本当にたまたま一撃入っただけって感じだな)
フレドリックは自嘲気味に笑う。成り行きで攻撃を仕掛けてしまったが、ここから先はノープランであった。もとよりベルンハルトの強襲や、フレドリック自身の奇襲をもってしても討ち取れていないのだ。どう考えても潮時である。
(だが逃げさせてはくれないだろうな……)
既に周りを見る余裕すらない。今セザールから目を離せば、一瞬のうちにこの世界に別れを告げることになる。そう本能が告げていた。
『兵は神速を尊ぶ……』
そんな時ベルンハルトが魔術を用い、更に速度を上げる。そして音さえも置き去りにする一撃をセザールに打ち込んだ。
「甘い!」
鈍い金属音が何度となく響いていく。お互いの剣戟は既に人間の目では追うことさえできない。フレドリックにもほとんど追えてはいなかった。
(ベルンハルトのこの動き……わずかに英雄を押しているが……)
フレドリックには大してその動きは追えていない。おそらく半分の攻撃も認識できていないだろう。それほどまでに二人の戦いは高度化していた。
しかし理解はしていた。ベルンハルトの意図も、そしてセザールの意図も。そしてその先の結果さえも。
フレドリックはすぐさま地面を強く蹴る。
「英雄よ」
ベルンハルトが呟く。
「俺をこの程度の速さだと思ったか?」
「何?」
ベルンハルトは残しておいた余力を用いて更に一段階加速する。その動きはセザールの目をもってして捉えることはできなかった。
『必殺の証明』
右手にその魔力を込め、敵にゼロ距離で撃ち込む。ありとあらゆる防御を突破する最強の一撃であった。
「もらった!」
ベルンハルトはそう叫び、右手を伸ばす。最後の瞬間、英雄はどんな顔をするのか。ベルンハルトはじっとその顔を見つめた。
彼は笑っていた。
「……何だと?」
「勝ったと思った時こそが一番の隙。先程君のお仲間が言ったことだろう」
研ぎ澄まされた一振りが下方から切り上げる形で襲ってくる。見て反応した動きではない。完全に読んでいたのだ。
ベルンハルトの足は既に止まらない。静かな一撃の下に沈むのは確定していた。
「…………………」
ボタボタ。流れゆく血が地面さえも赤黒く染め上げる。
ベルンハルトは残った方の目でまっすぐその敵を睨み付けていた。
「成る程、寸前で仲間が彼の突進を止めたか。だが片目はいただいたぞ」
ベルンハルトは吹き出る血さえもそのままに、ただじっとセザールを睨み続ける。しかしフレドリックはもう次の動きに入っていた。
「三十六計逃げるに如かず……東方の言葉だ」
フレドリックは自らの手を切りつけ、手首から血を噴出させる。それはやがて血霧となり、一時的に敵の視界を奪った。
「撤退だ!なりふり構わず逃げ延びろ!」
フレドリックはそう叫ぶと、ベルンハルトに「もう動けるだろ、走れ」とだけ言って走り出す。ベルンハルトもすぐさま彼を追い走り出した。
そんな彼等の動きとは別に、異なる動き出しをした部隊がいた。
「今こそ、好機だ!アウレール隊前進!」
不意に北側より雄叫びが聞こえる。しかし冷静になった二人……、いや三人にとってその攻撃はもはや興ざめに近いものであった。
セザールの剣が光り始める。既に準備は整っていた。
『王国に咲く青き花』
その英雄の一撃は、無慈悲にも兵士達を吹き飛ばしていく。
アウレールは生きているだろうか。二人はそんなことを考える余裕さえなく、ただひたすらに走り続けた。
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