無責任大勢
「フェルナン隊長より連絡は?」
「……ありません。本隊との距離が遠く、秘術が届かないのかも」
レリアが申し訳なさそうにアルベールに言う。アルベールは無言のまま彼女の頭を撫で、歩き出した。
敵の兵力は最初の見積もりとかなりずれていた。それも悪い方にだ。
敵の数は此方の五倍なんて生やさしいものではなく、少なくとも十倍以上はいるようだった。そしてその中心部である本隊には、周りより一段と派手な戦車が居座っていた。
(これだけの大部隊がいて、派手な重戦車とくれば、いるのは間違いなくアウレール将軍だな)
ベルンハルトであれば、戦車などというまどろっこしいものは使わないだろう。彼なら最低限の移動手段さえあれば、生身一つでやってくる。もっとも今、彼は南で交戦しているのだからここに来ることはない。
そして勇猛将軍マルクスが来る可能性も低い。マルクスは多くの兵を指揮しているが、それはあくまで管轄が雑多に広がっているからだ。その多くは都市の治安を守る警察に近い部隊であり、人数こそ多いが戦争に回せる実働部隊はそれほど多くはない。
(何より、戦場に撃ってくださいと言わんばかりの派手な戦車にのってくるのは、パフォーマンス重視のアウレール将軍に他ならない)
戦略的に見れば、大して価値のないこの城塞に兵を集めるなど愚策だ。ましてや一度奪われた城塞を奪おうとすれば、途方もない被害が出る。
しかしアウレール将軍にとってはそれでいいのだ。彼にとって必要なのは政治的パフォーマンス、つまりは帝国評議会を黙らせる成果と民衆の支持だ。そして、第七騎士団はそれにもってこいであった。
アルベールは城壁の上から城塞内部を見る。そこには今更になって慌てて、大砲を整備している王国兵達がいた。
「王国軍の後続部隊は?」
アルベールは静かに脇に控えている副官に尋ねる。東和人の副官はただ静かに首を振った。
「おそらく、敵の大部隊を見て来るのを辞めた模様」
「見捨てると言うことか?城塞を利用すればすくなくとも五分以上に戦えるはずだが」
「………」
アルベールは「意地の悪い質問だった」と小さく笑いながら彼に謝る。副官は黙ってアルベールを見ていた。
「アルベール!」
クローディーヌがアルベールを見つけ、急いで駆け寄ってくる。
「早く防御を固め、攻撃の準備をしましょう。先制攻撃をすれば、後ろの部隊も城塞に入ってきてくれるはず……」
「捨てましょう」
「え?」
アルベールがクローディーヌの言葉を遮るように言う。
「捨てましょう。こんな砦」
「捨てるって……もうあれだけの大部隊が囲んでいるのよ?」
「後方はまだ囲めていません。今から全速力で逃げれば、敵の追撃も間に合わないでしょう」
「でも、それはあくまで騎馬隊の話。第七騎士団は逃げられても、他の王国兵は……」
クローディーヌはそこでアルベールの意図を理解する。アルベールはかつてないほど冷めた目をしていた。
こんな目を見たのは、ボルダーでの戦い以来であった。クローディーヌの汗が引いていた。
「逃げ遅れる王国兵が丁度良い足止めになります。それに王国軍の大部隊も助けようとしなかったのですから、不問にはなるでしょう」
アルベールはまっすぐその冷たい視線をクローディーヌに向け、そう言った。
「何故です!今から向かえば十分に間に合います。城塞の防御力を生かしながら戦えば、敵の兵力が多少此方に勝ろうと……」
「控えたまえ、フェルナン隊長。これは上からの命令なのだ」
取り付く島もない様子にフェルナンは苛立ちを覚える。
「上?上とは誰のことです?」
フェルナンが尋ねる。司令官はにやりと笑って答えた。
「モリエール卿だ。軍部のナンバー2、次期将軍とも呼び声高いお方。お主も知っておろう」
「モリエール卿……だって?」
フェルナンは固まる。まさかその名前を聞くとは思わなかった。あの舞踏会で出会った可憐な少女、ローズの実の父親であった。
「いくら貴殿が強かろうと、下級貴族風情ではモリエール卿には刃向かえまい」
「貴様……っ!」
「刃向かう気か?貴様の家も再び没落するぞ?」
王国軍の指揮官はしたり顔で言う。
「多少腕が立ったところで、下級貴族など誰も相手にせんわ。お前だって分かっているだろう?貴族社会の身の振り方が」
「っ………」
フェルナンは目一杯拳を握りしめる。なんなら今すぐこの男を殴り殺し、指揮権をうばってやろうか。そうすればきっと第七騎士団も助けられるだろう。それにこの状況を見ている兵士達も、フェルナンが呼びかければきっと動くだろう。誰がどう見たって、この指揮官に正義などないのだ。
フェルナンが拳を引き上げ始めたときだった。
『フェルナン様……』
「はっ」
フェルナンの拳が振るわれることはなかった。そしてその一時の判断の遅れは、救出の機会を逸するに十分だった。
「デュッセ・ドルフ城塞、完全に包囲されました」
「ふん。下がるぞ。これは尊い犠牲だ。我らを救うために、英雄は残ったのだ」
指揮官が笑いながら下がっていく。フェルナンは静かに膝をつき、そこに項垂れた。
「俺は……、俺は……」
一瞬、一瞬だがあの貴族社会の絢爛な光景が目に浮かんだ。そして、そこにいるローズの顔も。
隠し通すことのできない憧れと、もうすぐ届きそうな世界への欲望が、自分の判断を鈍らせた。
『戦場に異なる目的を見出せば死ぬ』。しかし死ぬのは必ずしも当人とは限らないのだ。
「うあああぁあああああああ!!!!」
フェルナンはそんな自分に嫌気が差し、自分の側頭部を殴りつける。
何度も、何度も。
「皆さん、聞いてください」
クローディーヌが城塞内にいる兵士達に話しかける。
「これより籠城戦に移行します。こちらが善戦すれば、味方王国軍も援護に来ることができます。ここは懸命に耐えましょう。いくらか破損したとはいえ、此方には城塞の防御力と使用可能な火砲があります」
クローディーヌが懸命に生き残るための算段を説明している。しかし王国軍兵士の多くはこの状況にパニックになり、彼女の言葉など耳に入っていない。
「もうおしまいだ」
「くそ、こんなことなら英雄なんかについてくるんじゃなかった」
兵士達は好き勝手言っている。きちんと話を聞いているのは、第七騎士団の二百余名ほどか。アルベールはただ静かにクローディーヌの横に立っていた。
(負けたな。ここにいる連中は全滅する。……俺を除いて)
アルベールは横で懸命に語りかけている英雄の姿を見る。彼女の言葉は、もうほとんど誰にも届いてはいなかった。
(元はといえば自分がまいた種だろうに)
アルベールは軽蔑したように慌てふためく王国軍兵士達を見る。無責任が服を来て歩いているかのような連中は、自らだけでなく他人すら地獄に引きずりこむ。
兵士達の多くは暑いからと武装を解除していた。兵器の整備も怠っていた。中には祝杯と称して酒を入れていた奴もいる。そんな状態だから初動が遅れ、逃げることさえできずこの城塞に閉じ込められるのだ。
だがそんな連中をクローディーヌは守ると言った。それが信念だと。ボルダー時とは違い、今回はアルベールを殴ることはなかったが。
「どいつもこいつも馬鹿ばかりだ……」
アルベールは吐き捨てるように呟く。しかしまだ一つ、目論見を残していた。
「だが、彼女を、かの英雄を、アウレール将軍にぶつければ共倒れぐらいにはできそうだ」
目的はそれで達成される。その意味で、丁度よい幕引きなのかもしれない。アルベールは目を閉じて大きく息をはく。そして再び目を開けた。
その目は確かに、終着点を見据えていた。
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