完全変態
振り下ろされる糸剣を捌き、返しの一撃を振るう。
交わされる打ち合いは長く続き、その最中にも周囲に見えない糸が張られ続ける。
それをひらひらと舞う蝶の羽根が断ち切ってはまた張り直されるの繰り返し。
戦局は拮抗していた。
「ははははははっ!」
笑いながら振るわれる一撃は乱暴な軌道を描いている。
剣術もなにもない。
鉄の棒でも振るっているような太刀筋をしている。
でも、だからか、一打一打が重い。
「どうした、どうした! そんなもんか、あぁ!?」
更に強く打ち込まれ、一歩後ろへと後退る。
瞬間、背中に鋭い痛みが走った。
「ははぁッ! 背中に食い込んだな!」
いつの間にか張られていた糸に触れて背中が切れた。
その上から剣撃を浴びせられ、じわじわと糸が背中に食い込んでいく。
すぐさま蝶を羽ばたかせ、背中の糸を切る。
けれど、切断した拍子に糸が跳ねて、それがまた新たな傷を造っていった。
「いってぇな!」
斬り合いの最中に隙を見出し、左手を突き出して魔力を発露させる。
腕から無数の蝶が舞い、翅の刃が虚空を切って飛翔した。
「おおっと」
随分と余裕そうに白髪は背後へと跳躍した。
自分が張った糸だから、自らを切ることもない。
奴はハンモックにでも腰掛けたように空中に留まった。
「危ねぇ危ねぇ、顔面がズタズタになるところだった」
そう言えば蜘蛛の巣は二種類の糸で出来ているんだっけ。
捕獲用と移動用で使い分けているって、生物の先生が言っていたのを妙に憶えてる。
なんて、どうでもいいことを考えている余裕はないか。
背中、というか全身が痛いし。
「お前もいい加減諦めたらどうだ? 言ったろ。蝶が蜘蛛に勝てる道理はねぇって。もう血塗れじゃねぇか」
「心配には及ばねーよ。全部、掠り傷だから」
腕も、足も、背中も、糸で切れている。
糸剣の攻撃は捌けているのに、見えない糸に削られるのが現状だ。
とにもかくにも、この厄介な糸をどうにかしないと消耗するばかりになる。
「はっ、そうかい。じゃあ、深手を追わせてやるよ。それでちったぁ身の程って奴がわかんだろ」
糸をしならせて跳び、真上から糸剣を振り下ろす。
地上で構えた刀でそれを弾き、続く猛攻に対処した。
繰り出される熾烈な連撃に、更に傷は増えていく。
「くっ――」
戦いながら考えろ。
なにか打開策があるはず。
望月に助けを求めるか? いや、あっちもあっちで余裕はないはず。
剣を弾きながら思い出せ。
なにかないか?
焦りが募り、剣に力が入り、溢れ出た魔力が刀身へと流れ込む。
それは輝く鱗粉を散らす一刀となって糸剣と打ち合い、拡散する。
「あ?」
「あっ」
思い出した。
鱗粉が使える。
「チッ、毒か」
鱗粉を毒と誤解したのか、白髪が自ら飛び退いた。
好都合だ。
飛び交う蝶たちに追加で魔力を流し、その美しい模様の翅から鱗粉を撒いてもらう。
それは周囲にあっという間に広がり、輝く鱗粉が見えない糸を照らし出す。
雨上がりの蜘蛛の巣を見るように、はっきりと目に移った。
「蜘蛛が死んでねぇってことは毒じゃねぇのか」
胴体から糸を垂らして、自らの側まで降りてきた蜘蛛を見て白髪は呟く。
「で、こいつが目的か」
「あぁ、そうだよ」
周囲にある糸を蝶が次々に断ち切っていく。
これで気兼ねなく戦えるようになった。
「あんたの剣にも慣れてきた」
「言ってくれんじゃねぇか、地球人がッ」
駆け抜けて肉薄し、糸剣が振るわれる。
力任せの一撃をいなし、畳み掛けられる攻撃を下がりながら捌く。
繰り出される剣撃はすべて力任せで単調なもの。
もう幾度目かになる打ち合いを経て、自分の中で対処法が確立する。
引いていた足が止まり、前へと進む。
受けの形が攻めへと転じ、白髪の剣撃を押し返した。
「こいつッ」
更に剣圧が強まるが対処法に変わりはない。
どの角度からどう踏み込みどう刀を振るうのか。
今の俺には手に取るように理解できた。
「そこ」
そして、剣撃の隙間を縫って鋒を飛ばす。
真っ直ぐに飛んだ突きは躱されてしまったが、その頬を浅く斬り裂いた。
「くッ」
後方へと大きく跳び、追い打ちを防ぐために糸が壁のように張り巡らされる。
それは以前のような見えないものではなく、この目ではっきりと白く映るほど束ねられたもの。
まさに蜘蛛の巣の如く、俺の行く手を阻んだ。
「お前は……危険だ。犠牲は最小限って話だったが」
蜘蛛の巣の向こう側で、白髪が剣を構える。
糸剣を水平に引く様は、まるで矢を射るかのようだった。
「やむを得ねぇか、くそったれが」
勢いよく突き放たれる糸剣。
その剣先から高速で何かが伸びた。
「――」
そう認識した時にはすでに、それは俺の心臓を貫いていた。
糸剣から伸びる白い糸。
それが俺の胸を貫いて赤く赤く染まっていく。
体が弛緩して膝を付き、瞼が酷く重くなる。
意識も遠退き、泥沼に沈んでいくかのように消えていく。
薄れゆく意識の中、微睡んだような感覚に陥いる。
その最中、ふと脳裏に過ぎったのは訓練のことだった。
§
「いいかい? 今から教えるのは胡蝶刃の奥義だ」
「初っぱなにいきなり奥義?」
「そう。そして出来れば一生使わないでほしい」
「はい?」
最上は意味がわからないって顔をしている。
まぁ、それもそうだ。
「この魔法は蝶の魔物に魅入られた魔法使いが開発したって、前に言ったでしょ?」
「あぁ、うん」
「その魔法使い、この奥義を編み出したせいで死んだんだ」
「死んだ?」
「正確には行方不明になった」
今でもまだ見つかっていない。
見つかっても、彼女とはわからないだろう。
「だからね、この奥義には使用条件を設けることにした」
「それは?」
「キミが致命傷を負った時、命を落とすと確定した時のみ許可する。それ以外の使用は一切認めない。同意してくれるかい?」
「……まぁ、大和先生がそこまで言うなら」
「なら、その名称を教えよう。その奥義の名は――」
§
「――羽化」
唱えた奥義によって貫かれた心臓を中心にして穴が開く。
それは急速に広がって肉体のすべてを呑み込んだ。
そして、俺は無数の蝶と化した。
「あぁ?」
吹き抜ける風のように、うねる波のように、無数の蝶が蜘蛛の巣へと向かう。
押し寄せ、すり抜け、白髪を取り囲むように舞う。
「なんだ、これは!?」
無数の蝶に囲まれ、無闇矢鱈と糸剣が振るわれた。
「仕留めたはずだ! 心臓を! 貫いたはずだろ!」
その通り。
俺は心臓を貫かれた。
でも、死の寸前に唱えたんだ。
胡蝶刃の奥義を。
それはこの魔法を開発した魔法使いの願いであり、最終到達地点。
自分自身が蝶となること。
大和先生が死んだと言ったのも、行方不明になったというのも本当だ。
人間として死にいたり、蝶として羽ばたいた。
魔法使いは人に戻れなかったんじゃない、戻らなかったんだ。
でも、俺は違う。
「なぜだ……」
無数の蝶が一箇所に集い、最上翔流を再構築する。
「なぜ、まだ生きている」
足の先から頭の天辺まで、寸分の狂いなく。
「救いたい命を救うためだよ」
胡蝶の刀を振るい、一刀を叩き込む。
刃を潰した峰打ちを見舞い、半ば放心状態の白髪を吹き飛ばす。
間違いなく骨を砕いた一撃だった。
地面を激しく転がって、自らが張った蜘蛛の巣に激突する。
しばらくは立ち上がれもしないはずだ。
「ちゃんと生きてる」
左手を握ったり開いたりして肉体の実感を得る。
蝶化から無事に人間に戻ることができた。
「どうにかなるもんだ」
心臓の致命傷も、体中の傷も、斬り裂かれた学生服も元に戻っていた。
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