ブランコ
「魔法使いに? 俺が?」
最上翔流は困惑したように目を丸くした。
「どうして俺なんかを。だって、見てたなら知ってるだろ? 素人だぜ?」
「だからこそ伸びしろがある。それに襲われているのを見て、すぐに行動したでしょ? 見上げるようなデカい魔物を相手に大立ち回り。素質は十分さ」
「あれは……ただ助けられるのに助けなかったら後悔すると思って」
「へぇ、いい心掛けだ。誰から教わったんだい?」
そう聞くと、彼はすこし間を置いて呟いた。
「……猫」
「猫?」
「俺が小さい頃、野良猫がうちに通ってたんだ。ホントはダメなんだけどさ、餌とかやったり、洗ってやったりしてた。でも、飼うことは出来なかったんだ」
「それで?」
「……いつも飯をねだりにくる時間に、そいつが来なかったんだ。だから、妙だなって思って捜しに行ったら……」
「その猫を見つけたんだね?」
「あぁ……ちょうど、この公園だった。高校生くらいの不良たちにサッカーボールにされてたよ」
顔をしかめ、怒りを滲ませ、拳を握り締める。
思い出すだけでもこれだ、当時の感情は察するにあまりあるだろう。
「そいつら全員叩きのめしてすぐに病院に運んだんだけどさ。間に合わなくて、だから思ったんだ。俺がこいつを飼っていたら、助けていたら、こうはならなかったんだって。名前だって、つけてやれたのにさ」
怒りの感情は悲しみとなって表情に表れている。
「じゃあ、女の子とその野良猫を重ねた訳だ」
「あぁ……って、あっ! そういやあの女の子人形だったんだけど!?」
「そうだよ。僕が用意した奴」
「あんたの仕込みかよ!」
怒ったり、悲しんだりしたかと思えば、今度は驚いている。
随分と表情がころころと変わってわかりやすいな。
「悪いけどちょっと試させてもらったんだ。魔法使いに向いているかどうかね」
「じゃあ……あの魔物も?」
「いや、あれはマジで普通に湧いてきた奴」
「俺、殺され掛けたんですけど!?」
「でも、助けたじゃん。刀、投げて」
「はぁああぁああぁああ!?」
いいね。
事あるごとに良い感じのリアクションが返ってくるのは非常にいい。
「キミの行動原理は理解できた。やっぱり魔法使いに向いてるよ」
「向いてるって言われてもな。魔法使いになる気はないよ、俺。毎回こんな風に怪我する訳だろ? 死ぬこともざらだって聞くし、嫌だよそんな危険なの」
「でも、目の前で助けられそうな命があるなら助けるんでしょ?」
「……助けられるのは、この手が届く範囲だけだ。俺の手はそんなに大きくないし、長くもない」
「魔法使いになればもっと大きく長くなるとしても?」
「べつに慈善事業がしたい訳じゃないんだ。届かないところへ手を伸ばす気はないよ」
それが彼なりの信念、正義か。
彼にとって人助けとは、助けられなかった野良猫への贖罪。
いや、代償行為かな。
人助けを通して思い出の中の野良猫を救おうとしている。
それが決して叶わない欲求であると知りながら止められないんだ。
簡単に自分の命だって懸けてしまえるほど、その思いは強い。
今は目の届く範囲だけで満足できているようだけど、そのうち足りなくなる。
だからこそ、最上翔流は優秀で危うい。
「キミ、早死にするよ」
「は? なに、急に」
「例えばの話、今回のようなことがまた起こったらキミはどうする? 本物の女の子が魔物に襲われている場面に出くわした時だ」
「そりゃあ……」
「同じことをする? でも、忘れてない? キミがその程度の怪我で済んでいるのは半ば僕が裏で糸を引いていたからだってこと」
顔つきが険しくなった。
「わかるでしょ? 次に同じことをしたらどうなるかって。その時がいつ訪れるかはわからないけど、きっとくるよ。それは魔物かも知れないし、トラックかも知れない。いずれにせよ、キミは誰かを助けようとして誰も助けられずに死ぬ」
「……魔法使いになればそれが解決すんのかよ」
「さぁね、断言は出来ない。魔法使いになったせいでもっと早く死ぬことになるかも知れないし。でも」
「でも?」
「ただでは死なないようになれるよ」
黙り込み、思案する。
彼の願望は旧世界なら、それほど問題はなかっただろう。
魔物も魔法もない世界なら、ただ救済願望の強い少年でいられた。
でも、今は違う。
時代が違う。
今や地球は異世界化し、世界には魔法と魔物が存在している。
そんな時代に、彼の願望は命取りだ。
まぁ、どうするかは結局のところ彼次第だけど。
§
真っ暗な夜道を歩いていると、気がついたら孤児院の前にいた。
足下には半分に折れたあじさい孤児院の看板が転がっている。
「は?」
急いで顔を上げると、玄関が破壊されていた。
散らばる瓦礫に紛れて赤い液体がそこら中にある。
手や足や体のどこかが、散乱していた。
「嘘だろ! おい!」
すぐに玄関を駆け抜けて中に入る。
壁に水を撒き散らしたみたいに血の跡がついていた。
天井から滴り落ちる生暖かいそれが頬を伝い、急いで拭って廊下の奥の扉を開く。
勢いよくリビングに飛び込むと、目の前にあの狼の魔物がいた。
そいつが俺によく懐いてくれていた育人の目の前で牙を剥き出しにしている。
それを見てすぐ、足は血だらけのフローリングを蹴っていた。
拳を握り締めて一息に接近して、一撃を見舞おうと振りかぶる。
「がァ!?」
けど、真横から二体目の魔物に食らい付かれ、全身に牙が突き刺さった。
痛い、苦しい、熱い。
それでも、手の平を貫かれても、力任せに大口をこじ開ける。
「いく、とォ!」
右手を抜き出して手を伸ばす。
でも、育人には届かない。
「たす……けて」
その言葉を最後に、育人は魔物に噛み砕かれた。
大量の血飛沫が舞い、目の前で平らげられる。
「うそ……だろ……」
全身の力が抜けて、牙が再び体に食い込んだ。
そして為す術もなく食い千切られる。
自分が流す血の飛沫を見ながら地面にごとりと落下した。
「――夢、か」
目が覚めて、まだ見慣れない天井が視界に広がる。
張り裂けそうなほど心臓がばくばくと鼓動していた。
起き上がって周囲を見渡すと、アパートに借りた自分の部屋が目に映る。
「そうだよ。一人暮らししてんじゃん、俺」
あの凄惨な光景と体験がすべて夢だったとようやく確信が持てた。
「はぁ……」
頭を抱えて長い長い溜息を吐く。
「昨日、あんなことがあったせいだ……」
女の子を助けて、魔物と戦って、女の子かと思ったら人形で、魔法使いが降りてきて、なんか色々話して、スカウトされて。
とにかく一度に色んなことが起こりすぎて、夢に出た。
最悪の悪夢だ。
「……なんにも出来なかった」
夢なんていつも直ぐに内容を忘れてしまうのに、今回に限っては違う。
脳裏にべったりと貼り付いて離れない。
どうしてもそのことを考えてしまう。
「どうしろってんだよ……」
その答えはたぶん、もう決まっていた。
§
昼下がりになって、最上翔流が公園にやってきた。
「なにしてんの」
「見てわからない? ブランコ」
「ブランコって一回転して遊ぶもんだっけ」
「遊び方として想定はされていないだろうね」
途中で飛び降りて着地を決める。
鎖がじゃらじゃらと音を鳴らして、ブランコも通常の軌道に戻った。
「今朝、嫌な夢を見たんだ。生まれ育った孤児院が魔物に襲われて、自分も死ぬ夢」
「へぇ、おっかない」
「あんたのせい?」
「出来る出来ないは別として、やってない」
マジで。
「そっか」
彼はようやく落ち着きを取り戻したブランコに腰掛ける。
「ここに来る途中、孤児院に顔出したんだ。いつもと変わらない感じで出迎えてくれてさ。滅茶苦茶ほっとした」
鎖がこすれて、小さく鳴る。
「……あのさ、ただでは死ななくなれるってホント?」
「本当だよ。一矢報いて死ねるようになる。それが仲間や助けるべき人々の命を繋ぎ止めることもある」
「……わかった」
ブランコから立ち上がった彼の目は、とても真っ直ぐだった。
「受けるよ、スカウト。魔法使いになる」
「その台詞が聞きたかったんだ。僕に任せて、立派な魔法使いにしてあげよう」
こうして、ここに一人魔法使いが誕生する。
今後の活躍と成長に期待しよう。
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