日々
カミーラが侍心流に加入して三日。
道場では竹刀で戦い剣術を磨くというルールがあるらしく、片腕のない帝座でさえ、同様に竹刀を握り鍛錬していた。
そしてカミーラは同じように竹刀を持って戦い、全ての師範代はおろか門下にも負け続けていた。
「竹刀とかいう玩具で戦う意味があるのか?」
「特にないよ。ただまあ、侍の心を知るには剣が一番ってことでお父様がこだわってんのさ」
本気で戦う時は死悲も帝座も別の武器を使うが、ここで鍛錬する時は郷に入って竹刀を使う。それは桜我が慕われているからでもあるが、間合いや動きなど戦いの基本を学ぶためでもあるという。
今、カミーラはその竹の棒きれを手で弄びながら道場の隅で狗狼と戯れていた。
最初は、帝座を倒したことでそれぞれの師範代から熱烈に戦いを申し込まれたカミーラであったが、彼女が剣を使えないことを知るや集まらなくなった。
それなりに尊敬はされているらしいが、カミーラにいまだに執着しているのは三人だけだ。
腕を取られた帝座。
師匠と呼び慕う死悲。
そして加入を求めた狗狼。
「お前は何故私を求めた、狗狼」
「綺麗だから」
「なんだそれ」
「俺って綺麗なものには目がないんだ。ほら、俺自身可愛いだろ?」
狗狼の姿は、ゆったりとした和装ならば大和撫子と言える。凛としながら、はにかむ顔の可愛らしい女性のようであるが、少し肌を見せれば分厚い筋肉とのギャップで驚かれることが多い。
「お前は女になりたいのか?」
「そうだね。どっちかというとそう」
「ならば強くなるのは……」
「俺はこれがいいんだ。強くて可愛い」
その両立ができていない、とカミーラは思ったが、あまりに狗狼が自信満々に言うので言及をやめた。もはや他人が水を差すことではない。
「竹刀で強くならねば、桜我と戦えないのか?」
話を変えて、本来の目的へと立ち返る。
桜我を、談笑もした相手を、狗狼の父を殺すということに対しても、二人は変わらぬ調子で会話を続ける。
「挑みたいならいつでも挑めるよ。お父様のあれはね、いつでもかかってこいって姿勢だから」
狗狼とカミーラが桜我の方を見た。彼は変わらぬ位置で、変わらぬ姿勢で道場全体を見守っているようだった。
戦う姿勢には見えないが、たしかにカミーラはあの状態の桜我に負けた。それに、油断という言葉からかけ離れたところにあるのが桜我という男である。
「建物ごと爆破したり埋めたりはしないのか?」
「そこまでして殺したいならいいかもね。俺は直接斬ってやりたいから」
それに、爆破しても埋めても生きてそうだ、と言って狗狼は笑った。
会話の中、簡単に父への殺意を漏らす狗狼にカミーラは驚いたが、その表情も話の流れも嘘をつく様子ではない。
それに確かに、いかに危険な人間が集まっている侍心流の本家道場と言えど、街中で働く狼藉もたかが知れているだろうし、大きな手間をかけてまでの抹殺対象でもないのかもしれない。
きょとん、とするカミーラを見て、慌てて狗狼は注釈をした。
「みんながみんな父を慕ってここにいるわけじゃないよ。侍心流の名を借りて悪事を働きたい奴、純粋に強くなれると思ってる奴、で隙を見て父を殺そうとする奴、色々さ。師範代はだいたい復讐者だけどね」
「そんな組織があるのか?」
「現にある、としか言えない。でもみんな、お父様を殺したい反面、その強さには尊敬している。だからまとまっているのかもね」
そう言う狗狼も、桜我を見る目は複雑そうであった。あの男を父に持つことがどれほどの苦難であるかは想像に難くない。
「……倒せるだろうか」
「今は無理だ。少なくとも死悲に勝てるようにはなった方がいい」
道場の中にいる白髪頭の死悲、そのリベンジからまず始まるといったところか。
「竹刀で戦うのはきっといい経験になる。死悲も近接刃物の使い手だから、間合いの取り方や隙の見方を学べるだろう」
「……乗せられてやるか」
カミーラはしばらく、師範代ですらないものに負け続けることとなった。
ーーーーーーーーーーーー
そんな訓練の日々、道場に珍妙な集団が訪れる。
鎧を来たり鎖帷子を着たり、統一性はないが皆闘う格好をしているらしい。
その先頭、一際体格の良い男がモーニングスター――鉄球を鎖でつないだ棍棒――片手に怒鳴り込んできた。
「侍心流! 今日こそこの街から出て行け!」
声と同時に男たちはどたどたと土足で入ってきて荒らし回り、門下に攻撃を始める。
突如として目の前で始まった合戦に、流石のカミーラも目を丸くして傍にいる狗狼に問うた。
「何事だ?」
「アイゼンティールの自警団だよ。たまにこうして武力排除してくる」
「にしてはお前は平然としているな」
「師範代が出るとすぐ帰るから。これは門下のいい特訓だよ」
見れば、なるほど見事竹刀で敵を打ちのめす者がいる。実戦経験を積める貴重な機会なのだろう。
反面、敵は竹刀ではなく刃物や鈍器など殺すための武器を用いている。斬られた門下や血を流し動かなくなった者もいる。
死んでいるのだろう。
「……死んだのではないか?」
「弱かったんだろうね」
「……理解できんな、その考えは」
「尊いのは自分の命だけだ。だが、他の人間が強くなることも悪いことじゃない。……斬られた門下には悪いが、自警団の人間もこうして強さと生きることに執着してくれればいい」
狗狼がしみじみ語りながら見ているのは、人を殺し必死な形相をしている自警団の人間であった。
まるで侍心流を宗教のように思っており、その教えを流派の内外問わず伝道しているようだった。
ならば、こうして国の脅威としてならず者集団をしているのは、国民全てに生きていることを実感させるためなのかもしれない。
桜我の考えらしいと言えばらしいかもしれない。
「ぎゃぶっ」
自警団の先頭に立っていた大男の顔面がひしゃげる。
攻撃したのは帝座だ。彼の片腕のパンチが顔の下半分を砕いたように見えるが、頑丈な大男は自分の足で走り出した。
「てっひゅー! てっひゅー!」
言葉もろくに喋れない有様ながら、死ぬとも到底思えず怪我の程度も軽そうだ。片腕の帝座に手も足も出なかったので頑丈だけが取り柄の男らしい。
そんな男が号令をかけて逃げ出すと、皆が武器を捨てて道場から出でいった。
ただ、一目散に駆け出す男たちの中で、一人ぽつねんと赤い髪の少女が残った。
奇妙な武器を持っているようだが、殿を勤めているという態度でもなさそうだ。ぼんやりした顔で、カミーラをじっと見つめている。
「なんだ貴様は。侍心流に入りたいのか?」
「おじさん誰?」
近くにいた帝座が声をかけるも、少女は表情ひとつ変えずに問い返した。
自分たちのリーダーの顔面を叩き潰した相手にあまりに無防備な態度、だが帝座はそれに暴力をすぐ振るう野蛮人でもない。
「お前の仲間はみんな逃げ去ったぞ」
「そう。あの人は?」
「あれはカミーラ。我が腕を落とした女吸血鬼よ」
「ふーん」
興味深げに少女が武器を持ったまま、カミーラに近づく。
いやそれは武器と言っていいのか――
鉄製の帽子かけであった。
「お姉さん、デートに行こう」
「……人間とはこれほど不可解なものだったか?」
「いや、これと俺らを一緒にしないでよ。こんな頓珍漢は俺も初めて見る。いや理言やお父様も似たようなものか……」
少女はカミーラの手を掴もうと手を伸ばすが、ひょいとカミーラは後ろに跳んで避けた。
今度は少女がぴょいと跳んで追いかける。二人のステップは徐々に小刻みになり、目で追うのも難しい速度にまでなるが。
あえなく、カミーラは捕まった。
「うぬっ」
「やった。私の勝ち」
足も腕も少女の方が早く動かせる。がっしりと掴まれた腕はその証拠である。
狗狼などは、自警団にこれほどの逸材がいたのかと舌を巻くほどだ。
「じゃあ、行こう」
「あ、待て、太陽が……っ!」
少女の素早い動きにカミーラは簡単に引っ張られてしまう。
道場の外、燦燦と輝く太陽に、カミーラは全身を焼かれた。