侍心
侍心流の本家道場にも休憩所はある。
道場とは別室、簡素な畳敷きに汗臭いタオルケットがまばらに落ちているだけで、瀕死の男がたびたび寝転がらされる。
今、そこにカミーラも寝転がされた。鼻につく饐えた臭いにますます敗北を噛み締める。戦いの臨場感は好きだが、四肢を切り落とされこんな空間に捨てられたとすればたまらない。
痛みで疼くが体は動く。なんとか座り直し壁に背をつけてぼうっとする。
からん。
思わずカミーラは目を見張るる。目の前に、あの男が、血桜桜我が立っている。
「お前、何を……」
「己が茶をしばくのは可笑しいか?」
桜我は両手に湯飲みを持っている。その片方を、カミーラに伸ばした。
「……毒とか」
「殺すのに毒は必要ない。毒とは信頼のおける相手に有効な手段だ。今のお前をただ殺すには回りくどい」
桜我が言うと全くその通りに聞こえる。何より、彼がその気になれば何度でもカミーラは死んでいるだろう。
「侍心流への加入を歓迎する」
「……意外だ。私はお前を殺すぞ」
「構わん。侍心流の戦士以外に負けなければ」
「……変なやつだ」
桜我という男がどれだけこの流派にこだわりを持っているのかを垣間見た。
人、というよりも規律や規則が服を着て歩いているような印象がある。あるいは武力そのもの。
「侍心流に守るべきものはただ二つ。強きこと、生きること。それさえ覚えておけば何をしても構わん」
「……どんな組織だ。聞いたこともない」
「そういうものだ」
茶をしばく、と言った以上桜我は湯飲みに口をつけた。カミーラは、この男も飲食をするのだと、そんな奇妙な感動を覚えた。
これは、対話ができる人であった、という点でも。
「何故、強さを求める。それほどの……人を捨てたほどの強さを……」
「それが侍というものだ」
「……侍?」
「昔話をしよう」
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血桜桜我はヒノモトという国に生を受けた武家の次男坊であった。
家督を継ぐのは長男、故に次男以下のものはよくて代理、ひどい場合は売られたり捨てられることがある。
桜我の兄は名を武桜と言った。
人柄よく、剣術も優れたこの男は周りからの期待を一身に受けて育つ。そんな兄のことを桜我は誇らしく思う反面、醜い嫉妬もしていた。
桜我自身、家族から愛されて育ち、使用人らも次男だからと排除するような真似はなかった。
しかしある日、桜我は気付いた。
自分の強さに。
彼は生まれて12の年で三つ年上の兄はおろか、戦場に慣れた父まで竹刀で打つことができた。幾度となく繰り返すうちにやがて戦って一瞬のうちに失神に至らしめるほどになった。
類稀な剣術の天才、として褒めそやされれば良かったろう。桜我も内心ではそれを期待した。
しかし、彼は追放を命じられた。
礼節を欠いた邪道の剣技、不意打ちや怪しげな術を使う者。
周りの全てが掌を返したように桜我を口汚く罵り、彼は警護の者を数十倒した後に力尽きたところを流された。
そうして流されたのが、このアイゼンティール王国であったという。
最初は這う虫を、やがては魚や鳥を食い、満身創痍になりながらも彼は生き延びた。
言葉も通じず、生きるための金も食事もない中で、彼ができることは剣を振るうだけであった。
最初は盗人のような真似をしていた。
だがその剣の実力を買うものが出た。
その相手にもやがて騙されるが、その相手は切り刻んだためによしとした。
桜我にとって、強きことが生きることである。生きるために強くあらねばならなかった。
その埒外の強さに憧れる者は名を彼に見習ってヒノモト風にし、また同郷の者が集まるようにもなった。
そうして桜我は自らの流派を生み出す。
軟弱な兄や父と違う、真に侍の心を示す最強の流派を。
故に、侍心流。
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「苦労したんだな」
「ああ」
カミーラは長生きしていたが、壮絶な出来事のない穏やかな人生を送ってきた。桜我の話をどこか物語のように受け止めながらつれない言葉しか言えなかった。
桜我の表情は変わらず淡々としたものであった。兄や父の話をする時さえそうなのだから、もはや家のことさえどうでも良いのだろう。
この男は何が楽しくて生きているのか。
「死にたいのか?」
「それは侍心流に反する考えだ」
ぎぃ。
初めて桜我は睨むようにカミーラを見た。桜我の感情めいたものに触れて、不思議な感覚に落ちる。
あるいは、彼は最も死にたくないのかも知れない。故に強さを追い求め続けた。
ただ、その在り方は恐ろしくも、美しい、と感じた。
「……だが、いつか私が殺す」
「ならば、精進することだ」
言って桜我は立ち上がった。話はとっくに終わっていたのだろう。
カミーラも茶を飲み干し、体が治癒していることを確認して、立ち上がる。
カミーラの戦いはまだ始まったばかりなのだ。




