鉄人
侍心流の道場は現在三つしかない。
うち一つは、師範代会議に出席しなかった不治の病の師範代黄泉山が療養している彼の実家で、門下も三人しかいない。
もう一つは七人の師範代が持ち回りで受け持っている。出てくる師範代を選り好みして特訓を受ける門下も多い。
そして、血桜桜我が常駐する道場こそが本家である。
そこに、カミーラは再び訪れた。
結局彼女は狗狼を置いてきたが、果たしてどのような歓待を受けるのかとわずかばかりの緊張をしていた。
あの暴力の化身のような男が、微笑みながら茶をしばくわけもあるまい。腕の一本、どころか死を覚悟するくらいでなくてはダメだ。
と、思っていた矢先。
胴ッ!
道場の戸に手をかけた瞬間、戸を粉砕した拳がそのままカミーラの胴を貫いた。
なにが起きたかも分からぬまま、カミーラは血を吐き、自分の胸を貫く腕と、壊された戸の向こうにいる男の顔を見た。
ニタァと笑う白髪の老人は、返り血で髭を赤く染めていた。
「がっ……あ……帝座……居宣……」
「いかにも。噴っ」
帝座が扉越しに不意打ちの正拳突き。その一撃は見事、吸血鬼の腹を貫き背中から拳が飛び出ている。
帝座の計算違いは、カミーラが両の手で、その腕を押さえつけたことにあった。
「術式・血回刃」
ずざざざざざざんっ!
カミーラの空いた胴の中で、凄まじい勢いで血液が回転する。鋭い刃物にもなる彼女の血液が、粉砕機のように捕えた帝座の腕を巻き込み、ちぎり取った。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!」
けたたましい叫び声と共に道場の中に倒れ込む帝座の右腕は、もはやない。肘から先を失った体で、這うように道場内を逃げ回る。
だが、カミーラも余裕はない。血液が減って平気なわけではないのだ。手痛い一撃に見事一矢報いることができたが、あれに追撃できるかどうか。
「狗狼はどうした」
しん。
と、間が開く。
桜我の存在感はこの事態を経てなお圧倒的であった。それは、彼がこの事態にも平然としているからであろう。
「あれは、共に歩きたくないから放ってきた」
「そうか。ともあれ、ここに来た以上は侍心流に加入するということでよいな?」
「それどころかっ! 今もこうして師範代とやらと……」
げぶり、吐血しながらカミーラはのたうちまわっていた帝座を指差す。
彼は既に立ち上がっていた。老体でありながら着物の下の筋肉は、特にカミーラを貫くほどの豪腕は、若き者に劣らないどころか一流の戦士のものである。
だがその特筆すべきは腕。失われたはずの右腕が、真黒になって生えている。
「……あ?」
「鉄装魔法……武人・鉄材」
腕だけではない、帝座の体が黒い鉄に囲まれていき、最後には鉄巨人と呼ぶべきものが立っていた。
これにはカミーラも呆然とするばかり。
「……剣士ですらないのか。魔法使いで格闘家とは……」
『強くあること、その手段は問わんのだよ。ぶち殺してやる吸血鬼! 我が腕は軽くないぞ!」
帝座が激昂し、一歩踏み締めた途端に道場の床が抜ける。踏み外した足でよろけるところをカミーラは見逃さない。
彼女の掌の上でで赤い渦が巻き起こる。その血は空いた胴体から次々に流れて集約し、最後にはピンと伸びて刀のような形になった。
「術式・血刀」
「斬れるものなら斬って見せよ! 吸血鬼ッ!」
足取りを軽やかにした帝座は見事に道場を走りカミーラへと肉薄する。
その拳、鉄の塊の攻撃を受ければどんなものであれ粉々に粉砕されるだろう。
ひゅん、と血刀が振るわれた。
途端、刀身は、ぱしゃ、と水に形を変えて鉄を濡らす。
いや、包む。
カミーラが真後ろに飛んですんでのところで攻撃を躱すと、その間にも帝座の黒鉄をカミーラの真紅が侵食していく。
「鉄拳・豪通壊、当たれ死ねぇっ!」
べぎゃん!と道場の床を踏み抜き、さらに下の土まで割れるほどの踏み込み、帝座の向こう見ずな技の発動は、彼がその赤にいまだ気付いていないからである。
「あぁ、見えていないのか……」
盲目ながら敵の位置を感じ取る帝座は見事なものだが、見えていない、攻撃に気づけないというだけでカミーラにとっては蔑視の対象であった。
カミーラは、血刀を手放してはいない。彼女が握ったままのそれは、鞭のように垂れ下がりながら、その先端は帝座の鉄鎧に触れて、もう帝座の全身を包んでいた。
まるで犬の散歩をするような、帝座の首輪をカミーラが握っているような光景だった。
「全身鎧など穴があるものだ。見るための穴はなかったが……」
帝座の腰部、ならびに脊椎部、数カ所に小さな穴が開いており、そこが「呼吸穴」となっている。
武人・鉄材の、弱点とも言えぬような弱点を、このカミーラは完璧なまでに突いた。
だが穴を塞ぐだけではない。
愚策ッ
背中から血で貫かれ、帝座は技の途中に意識を失った。
「命まではとらない。仲間……? だからな……?」
自分で言いながら疑問を浮かべつつ、カミーラは血を自分の体に戻していく。と同時、帝座の体から鉄が剥がれ落ち、大木のような老人が残った。
「……胴に穴空けやがって」
そう言いながらも、カミーラのその穴は徐々に塞ぎ始めている。不死の魔物故の再生力が凄まじい勢いで彼女を五体満足に戻している。
一方の帝座の腕はもう戻らないであろう。チェンソーのように激しい回転刃に巻き込まれてズタボロの腕は、どれだけ腕利きの医者や魔法使いでも、治癒はできない。
この戦いの勝者が確定した時、わっと叫んだのは死悲であった。
「お、吸血鬼すっげえな! 帝座のおっさんを倒すたぁ、もう師範代じゃねえの!? すっげー!」
「なんだお前」
「俺は死悲涙海、一応師範代だ! いやこれからは師匠って呼ばせてくれよ!」
「…………」
また面倒臭い奴が来た、とカミーラは呆れるほかないのであった。