規律
侍心流とは、強きこと、生きることを信条とした剣術の一派である。
しかしながら流派と名乗りながらその人材は多種多様、また加入しては離脱し、と流動の激しい組織でもある。
流派と呼ばれるものは、徒党を組んでいるゆえ、集団として上納金や任務など様々な制約が伴うのが常である。
が、それすらない。
言っていることはただ二つ。
・強くあれ。
・生きていけ。
その信条のままに。
現在門下は106名、うち半数以上は加入に三ヶ月も満たぬ新参者である。
流派形成より15年、頂点に立ち続けるは師範、頭首、血桜桜我。
日に焼け焦げた茶色の髪は短くまとめ、血に汚れたこともなさそうな群青の和装に身を包み、鋭き眼光、険しくも雄大に育った大樹のようなごつごつした肌、分厚い筋肉からなる人間兵器。
その下に存在する七人の師範代が、流動激しいこの流派にとっての屈指の実力者であり組織としての強き支柱である。
深夜。
道場にて血桜桜我が鎮座する前に六人の師範代が座っていた。
「師範代・血桜狗狼、吸血鬼カミーラの加入を歓迎する」
言うは桜我の対面に座る実子の狗狼。互いに正座でありながら、狗狼の態度は幾分かへりくだっており、恭しく頭を下げた。
息子の態度にも行動にもまるで興味がなさそうな桜我であるが、侍心流に対しての規律にだけは機敏であった。
規律のあってないようなこの組織にあって、師範代七人のみが決定権を持つということは絶対順守していた。
そのルールに、師範である桜我の意見はない。彼は規律そのものであり、自らの意思を介入させることはない。
話し合いは、師範代のみによって行われる。
「何故師範代会議が開かれたか、分かるね、狗狼。彼女が吸血鬼だからだ。魔族の加入は前代未聞」
言うは、最年長の師範代産砂。禿頭で目の細い、腰の曲がった老人である。
「だが、儂は許す。侍心流は来る者拒まず去る者を追わず。面白いじゃろ」
仰々しい態度から一変、老人は好々爺と言った態度で軽く笑った。よっこいせ、と呟きながら正座を崩し足を延ばして座り直す。その姿には誰も言及せず。
「俺も構わねえかな。別に吸血鬼だからなんだって話だし」
道場の入口でカミーラに声をかけた白髪頭がそう言った。彼もまた師範代であり、名を死悲という。態度は同様に軽薄そうだ。
その言葉に呼応するように、顔に大きな傷のついた、片腕の中年男が滔々と呟く。
「元より侍心流に律はあらず。生まれや出自で加入を認めぬものでもない。死悲はよく心得ている」
「いや、俺はそんなややこしいこと考えてねえけど」
「然るに侍心流とはそういうものなのだ。深く考えずともただ生き、強くあることを……」
「いい、分かった。理言は加入に問題なしってことだな。お前らはどうなんだー、春比良、帝座」
死悲に呼ばれた二人の師範代、うち呼ばれた春比良が答える。
師範代唯一の女性の春比良は、妙齢で師範代の中では落ち着いた態度だ。だが今は厳しい面持ちを死悲に向ける。
「君は少しは考えるべきだ、死悲。ただでさえ悪名轟く侍心流が、魔族など引き入れればますます……、また自警団に目をつけられる」
「あぁ? そりゃ弱いからだろ」
「然り。しかし余計な手間を増やすものでもない。処世術もまた強くあり、生きるための技だ」
説得されて死悲はそういうものか、と納得し頷く。とにかく力自慢が多い侍心流に数少ない知恵者でもあった。
「だが、私も加入に反対はしない。……むしろ、斬り合ってみたいとすら思うよ」
「ま、そうだよな。で、帝座は?」
して、帝座。
白い髪と髭を蓄えた師範代最強と名高い達人の老人は。
「気持ち悪いから殺すとするか」
飛び出た物騒な言葉に誰もが目を開く。狗狼の視線を受けてなお、帝座はククと笑うだけである。
ただ泰然としているのは帝座と、桜我のみ。
「加入に関しては五対一の多数決で認めるものとする。その後は各自、好きにするとよい」
「いいのかよ。まあ身内の殺し合いもご法度ってわけじゃねえけどさぁ」
言いながら、死悲はカミーラの加入に積極的であった狗狼の方を見た。心配、という柄でもないが気にかかりはする。
狗狼は、帝座を射抜くように睨んでいた。
「……先にやるか? 若造」
「……老いぼれめ!」
だんっ!
桜我が立ち、一歩踏み出した。瞬間、だらけていた死悲や産砂が、臨戦態勢であった帝座と狗狼がすぐに居直る。
「これにて会議は終了。各自、自由に」
ただその場から去る。それだけの動作でありながら、見送るまで師範代は微動だにできなかった。
「……あの化物め」
帝座のその言葉に誰も言い返さないのは、その言葉に同意しかけているからである。
吸血鬼、そんなおとぎ話のような魔物以上に恐るべき存在がそこにいる。それを身に染みて知っているからこそであった。
夜は更ける。
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街の中、オシャレなオープンテラス、白いテーブルとチェアに優雅に腰をかけアールグレイを嗜むは、全身黒づくめの吸血鬼カミーラ。
手袋のまま取手を掴み紅茶を啜る。怪しい姿ながら汗一つかいていないところは流石は魔物と言ったところだが、姿が優雅でないため奇異の目が集まっていた。
が、狗狼が近づいてくると、その視線は即座に散らばった。
「本当に外で飲んでるんだ。日光とか怖くない?」
「日の光など、好き嫌いはあれど怖がるものではない。……お前の親父と違ってな」
「確かに。あれより怖いものはない」
愉快に笑いながら狗狼が向かいの席に座ると、ウェイトレスが恐る恐るといった様子で近づいてくる。注文を聞く声も震えており、明らかに緊張している。
「同じのを。アイスがいいな。冷たいの」
「は、はい……」
カミーラが見た時は手慣れていたプロが、初めて仕事をして足と腕が一緒に出るような仕事をしていた。
これにはカミーラもターバンのように全身巻いたローブから、疎ましげに目を細めて見せた。
「お前、この店で何かやったのか?」
「いや、侍心流としてちょっと有名人でね。侍心流はちょっとした無法地帯で、まあ荒くれ者の集団なわけだよ」
「なら自警団や王都警備が……」
「さえ、手が出せない。だから無法地帯。まあ、散々注意はされているけど」
王国には法があり、それを取り締まる武力も存在する。それでいて無法と呼ばれるのは何故か。
「強すぎるんだよ、俺たち」
「……ふ、む」
カミーラは笑い飛ばすこともできたが、嘘でないと悟り緩やかに頷いた。
知らなければ一笑に付していたかもしれない。だが彼女は桜我の強さを知っている。
「誰も手が出せぬ集団か」
「そ、カミーラさんもその仲間入りだ。やるじゃん」
「虎の威を借るつもりはない。虎を狩るのだ、私は……」
「うん、その言葉が聞きたかった。侍心流の威光を浴びようとして今までどれだけの人間が死んだか。長続きするのは、強くなり、生きることをモットーにしてる人だけだから」
その割には命知らずな行動をしている、とカミーラは自覚していた。
なにせ狩るべき虎はあの血桜桜我。武の頂点にして、人の、いや恐らく魔族を含めても最強と呼んで差し支えのない存在。
カミーラは吸血鬼として長く生きているが、同族にも人にもあれほどの傑物は存在しなかった、と断言できる。
「これから前来てくれた道場に案内するけど、一つ注意してほしいことがある」
「虎穴に入るのに注意があるのか?」
「帝座居宣、という盲目の老人がいる。あいつは俺より強くて君を殺そうとしている」
「私は吸血鬼だ。そういう輩も少なくはない」
「あいつが俺より強くなけりゃこんな注意はしないけどね。あ、俺はこれでも結構強いからね!?」
とまで言われても、わずかに見えるカミーラの目には疑念が宿っていた。知らない男と出会って間もない男の強さの話など真に受けるだけ時間の無駄だ。
それこそ笑っても良かったが、あくまで友好的な狗狼を嘲るような真似は遠慮した。
「無様な姿は見せたが、私はお前たちに劣っているとは思えない。……お前たちがあの男、血桜桜我に匹敵するというのなら考えを改めるが」
「他の奴なんて眼中にない、ってことだね。いいねぇ、ずっとそういう気持ちでいてくれるといい」
これが加入の試験なのか、と思うほど狗狼は口がよく回る。だが、それは彼の本来の性格、ただのお喋りである。
「いやね、俺も最初はお父様を超えてやろうと思ったけど、どいつもこいつも強くてさ、やんなっちゃうよ。気付けば、お父様以外の人間まで、勝てなくて、耐えられなくなる」
初めて笑みが消えた表情は、消え入りそうなほど弱々しい、乙女のような顔だった。そのギャップにますますカミーラは困惑するが、そのせいで彼が、女に見えるほどであった。
「君が俺より弱ければそれでいい。お父様より強くても痛快だろう。……けれど、俺より強くてお父様より弱いのは嫌だよ」
「身勝手なことを言う。……あの男より強く、なってみせるが」
「いいね。もっと冷めてる人かと思った。いや吸血鬼か?」
「それはどうでもいい」
紅茶を煽ってカミーラは立ち上がる。そのまま、狗狼を置いて歩き始める。
「ちょっ、俺まだ紅茶が……」
「案内される必要はない。先に行って待つ」
「え~……帝座に殺されても知らないぞ?」
「返り討ちにしてもいいのだろう?」
そっと首を向けるカミーラの流し目を見て、狗狼は彼女が行くのを見過ごした。
その冷たくも情熱的な視線は、桜我と対面した時の挑戦者の表情ではなかった。
悠久の時を生きる吸血鬼が、無力な人間を嘲るような表情。
人ならざるものの可能性を、狗狼は援護することなく確認したいと思った。
(案外熱しやすい奴だ。……それが妙に頼もしい)
狗狼はカミーラの中にある熱を感じ取り、おとなしく紅茶を待つことにした。
ただ、彼は知らない。
ウェイトレスもカミーラも、筋肉隆々でありながら肩出しでスカートの女装姿の狗狼に結構引いて離れたがっていたことを。
彼の私服は、つまるところ女装であった。




