入場
吸血鬼とは、不老不死、眉目秀麗が特徴の魔族である。
人からは捕食される恐怖と同じほど、きらびやかで高潔なところ崇敬も畏敬も抱かせる。
魔法を使うものや剣を使うものと多岐にわたり、性格も人が如く様々。なれど共通の弱点というものがある。
日の光、銀、その二つが大きなところである。
また、人を吸血鬼に変えることも可能であるというが、王都でその例はあまり確認されていない。
吸血鬼カミーラは、王都の街中を黒づくめのローブを纏って歩いていた。
人賑やかな街並みの中で尋常ならざる姿は耳目を集めるが、カミーラはそうしてまで日の下を歩かねばならぬ理由があった。
彼女が辿り着いたのは、侍心流と看板の立つ道場であった。
一屋敷ほどに広く大きい木建の道場では、中から男たちの叫び声に竹刀を打ち付ける激しい音が聞こえてくる。それも、少し離れれば街の闊達な商人の声にかき消されるが。
あの男の気迫、カミーラはそれを忘れていない。
ぎい。
時代錯誤甚だしい、建物ごと異世界からやってきたような道場の扉を開けた。
途端、カミーラは熱気と叫声に身を焼かれる。異形の闖入者を前にしてなお、その集団は脇目も降らずに戦い続けていた。
男たちは50はいるだろう、広い道場で、昨日の男と同じような和装に身を包んでいる。
ただ違うのは、その全員が白の和装を纏っているのに対し、昨日の男はーー今、道場の奥、床の間の掛け軸を背に座っている男は、群青の和装を着ている。
「……お前」
男は物静かに正座をしていた。カミーラが見えているのかいないのか、ただ泰然とした態度でいる。
やがて、男より先に近くの若い男がカミーラの存在に気付く。白い髪がまるで葦のように逆立った奇抜な髪型の男が剣を止め、
大きな声を出す。
「あれ、血桜様ぁ、お客さんですよぉ!」
「……誰が客か。私はあの男を殺しに来た」
カミーラの物騒な言葉に、誰も反応はしなかった。そのことにカミーラが一番驚くのだが、すぐに察する。
慣れているのだ、こういう輩に。
「……もしかして吸血鬼?」
白い髪の男が問うと、周りのものもようやく興味を持ち始めた。比較的若い男が多いようだが、年寄りや子供もいれば、女もいるらしい。
耳目を集めることにカミーラは慣れていないでもないが、あの男を前にして張り詰めていた緊張感が解けることに戸惑いを覚える。
「見ればわかるだろう」
「血桜様も意地が悪い。強力な異形などいなかったと一蹴したのに」
「……なに?」
どこからか出た声に、またカミーラは心を凍て付かせた。
「……私が弱いと、そう言いたいんだな。立派なことだ。昨日の一撃は不意打ち同然だったと、そうは思わないのか」
「不意打ちであるから。斬り殺されてからあの世でそう言い訳するといい」
しん。
活気に満ちていた道場に、カミーラが現れたことで喜色も芽生えた空間で、男、血桜桜我が声を出すことで静まり返った。
それは、挑発と受け止め激昂するカミーラでさえ、あまりの物言いに押し黙るほどだった。
「……きっ、貴様ぁっ!」
とたんっ、と軽やかな音が道場に響き渡る。
カミーラに道を開けるようにして一直線、血桜桜我まで最短の距離。駆け抜けるには体重を感じさせない音が徐々に強く、重くなっていく。
対する桜我は未だ座ったまま、ただ右腕を左腰、袴へと埋もれさせる。
奇妙な姿勢に暗器の警戒をしつつ、カミーラは自分の爪を赤く染め、鋭く伸ばした。
血液操作魔法、それがカミーラの武器であった。
「術式・血染爪!」
赤く染まった爪が、桜我の首元に向かう。
その直前、爪がぐぐぐと伸びた。血液を自ら噴出し、鋭利な刃物に変えることで間合いを崩し敵を切り刻むカミーラの得意技である。
強き者ほどこの小手先の騙しに引っかかる。しかも、それは短くはない。
頭ひとつ分も伸びた血の爪が、桜我の首にかかるーー
すばんっ!
カミーラの伸ばした左腕は、折れてひん曲がっていた。
「あ……あ……なに……?」
「出た。血桜様の無刀術」
誰かが言うと同時、カミーラは腕を打たれた瞬間どころか、桜我が立っていることにも気付いていなかった。
その威容、ただ立ってそこにいるだけというのに存在感は、この空間全てを彼が掌握していることを示していた。
巨体にすら見える。自分と同じほどの背丈でありながら、全体的にゆったりした和装ながら着物のしたの肉体の逞しさをありありと感じることができる。
その体さえも強力な武器なのだ。
「貴様っ……!」
平気な右腕を伸ばすも、桜我はその二の腕を掴む。
焦って放った乱雑な攻撃など通用しない。握り潰すほどの勢いにカミーラは苦悶に喘ぐが、すぐに解放された。
バァン!と道場の床に叩きつけられる。背中を強く打ち呼吸が一瞬止まる。だがそれ以上に左腕だ。折れ曲がった体を庇うようにしながら、カミーラはそれでも桜我を睨みつけた。
「……師範代、誰が相手をしてやれ」
「…………」
逃げるのか、そう言いたい。
だがカミーラはガチガチと震え、鳴らす歯を抑えるのが精一杯であった。
恐怖。久しく感じた事のない感情。
死の恐怖。
カミーラが真に感じたそれは、彼女の高潔さや誇りなど、何もかもどうでもよくなるほどの大きさであった。
桜我は、先程と同じ位置に、同じように座った。虚空を見つめているようで、その目はカミーラの心の奥底まで見ているかのように深く、昏かった。
「……わ、私は……」
「あ~、とりあえず入会しとく? 君みたいな美人は大歓迎だよ、吸血鬼ちゃん」
突然、若い男が声をかける。
いや、それは見れば女の姿であった。花の油を塗ったであろう艶やかで色香る長い黒髪に、うっとりするような眼差し、微笑ましさを感じる笑窪。
ただ、声は低く、他のものと同じ和装でありながら白い肌に筋肉のついていることは確かだが。
「……狗狼様、ま~たそんなこと言って」
「いやいいじゃん。その方が俺らも戦いやすいでしょ。ねえお父様?」
「好きにしろ」
狗狼様。
そう言われた男はにわかに信じがたいことに、あの桜我をお父様と呼んだ。
「……おとう……?」
「やや、どーもどーも、お父様がご迷惑をおかけしました。息子の血桜狗狼です」
へらへらと笑う態度は年相応の男に見えるが、少し黙れば花魁でもしていそうな美女である。
情報に飲まれ腕の痛みさえ忘れーーいや、治癒しかけている状態で、更に狗狼は畳み掛ける。
「で、侍心流に入るよね、吸血鬼さん」
「……何を、言っている?」
「強くなりたい、と思わない?」
軽い態度の狗狼から出た言葉。
だがその質問には奇妙な重さがあった。軽々しい人間が極稀に出す重みは、一瞬だけ、彼の父と相対した時のそれに似ている。
狗狼は言外にこう言っている。
ここにいるものは皆、あの桜我の境地を目指し鍛錬しているのだと。
「……いいだろう」
「いやった! 話がわかる人でよかった~! あ、吸血鬼か。ま、どっちでもいいか」
場が一層ざわめく。唐突な異形の仲間の出現に沸き立つ場を、桜我は変わらぬ様子で見つめていた。