死悲
血桜狗狼が暇を取って療養している間、死悲がカミーラの傍にいた。
「不快だ」
「いやすんませんね、師匠。俺も警護なんて真似は苦手なんですが」
カミーラが死悲のことを嫌いな理由は数多くあるが、最たるものはカミーラより強いくせに自分を師匠と呼び慕っていることだろう。
強い奴が媚び諂うかの姿は、嘲られているようで耐え難い。だが彼はどうにも本気で慕っているらしく、それがますますばつが悪い。
死悲は嘘や演技をする理由がないが、普段から飄々としているため信を置くのも難しい。
「……死悲、お前は何故私に執着する? 綺麗だからか?」
「え? いや外見はそんなに。まあ美人ですよね、吸血鬼って」
むしろ死悲は若干引き気味で自意識過剰な女だと思った。ただカミーラは奇人に好かれる理由がそれ以外思いつかないからそう言っただけである。
死悲も、そんなカミーラの疑念を払拭した方がいいと思い、素直な気持ちを口にする。
「帝座との戦いが凄く痺れたんですよ。俺ってほら、チマチマした戦い方でしょう? なんで、帝座の鎧ってのが絶対に壊せなくて。師匠の胸をぶち抜かれても腕をぶっちぎる魔法見てすっげー感動したんですよ!」
そう、死悲がキラキラと目を輝かせて言うのだからますますカミーラはばつが悪くなる。
死悲涙海、師範代では狗狼の次に年若い、実に若者という男であった。
まだ二十代の前半であり、体は全体的に細く、女の春比良よりも少し細い。単純な力比べでも勝てる師範代はいないという。
ファッションとしてたまにサングラスをかけていることが多いが、一番目立つ白髪は自前のものであった。これを染めようと考えたこともあるというが、彼は結局それをしない。
今、カミーラは死悲と山を登っていた。
日の光に焼かれぬようにと常に全身を黒布で包んだ姿であって、雑木林の影と深緑の湿度が心地よいほどの冷気を出している。
「この先ですよ、黄泉山道場」
死悲もカミーラも軽々と山道を歩く。獣道であるが、なんとか道としてある場所を通りながら、その場所のことをカミーラは考えていた。
三つあるという侍心流の道場が一つ。
師範代・黄泉山兵喰の療養している黄泉山道場。
黄泉山は病で伏せっており、空気の綺麗な山奥で休む傍ら三人の弟子に剣術を教えているという。
カミーラと死悲がそこに向かっているのは、黄泉山と同じ場所で療養している狗狼の見舞いのためであった。
「狗狼はあの怪我でここを登ったのか」
「狗狼は頑丈だからなぁ。でも師匠だって初めてですいすい登っているじゃないですか」
カミーラとて伊達に長生きしているわけではない。険しい道程度、桜我のような化物に比べればお茶の子さいさいである。
と道中、山頂から数人の集団が降りてきた。
全員が若い男で、刀や杖など多様な武器を持っている。
「どうも」
「……お前らも侍心流か!?」
山ですれ違えば挨拶、とカミーラが頭を下げるのと、その男たちが武器を構えるのは同時だった。
苦流刕と死悲が短刀を両手に持つのと同時、カミーラが死悲の背を蹴飛ばした。
「少しスッとした」
カミーラはそのまま自らの爪で手首を切ると、流れる血を操って簡単に男たちの手を切りつけて武器を落とさせた。
戦々恐々、男たちは武器を拾うこともなく叫びながら山を下っていく。死悲が起き上がった時には、既に終わっていたほどだ。
「……いや流石っすね師匠」
「感激が少ないな。出し抜かれるのは嫌か?」
「なんで邪魔したんですか?」
「お前あいつらを殺す気だったろう」
「そりゃあ。生かして帰す理由がありますか?」
平然と答える死悲の考えは、狗狼とは異なっているようだった。狗狼は門下を殺されても生きることを相手に伝えようとしていたが、死悲はもっと独りよがりな考えをしているようだ。
「……苦手だ、お前が」
「そうですか? 心外だなぁ」
頓々と短刀で肩を叩いてから彼は懐にしまう。
カミーラが死悲を苦手なのは、そういう不可解な態度のせいなのかもしれない、とも思った。
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死悲涙海、本名スィーピィルィム・クワナコフはアイゼンティール郊外をたむろする盗賊団の一員であった。
アイゼンティールは王国であるが、統治者の権力はそれほど強くなく、専ら商人の活動によって市井が賑わう自由都市の形態に近い。そのため、現在でも侍心流のような派閥が大手を振って街道を歩いているわけである。
スィーピィールィムは仲間内からはシーピと呼ばれていた。
当時はまだ少年であるが、すばしこさには定評があり、スリから通り魔強盗、仲間と共に商人を何度も襲ったし、侍心流師範代の中でも殺した人の数はトップクラスである。
シーピとて、アイゼンティール周辺で生まれた人間ではなかった。
故郷は海の向こうで漂流していたところを盗賊団に拾われたのだ。
盗賊団、夜盗というのも名ばかりで、アイゼンティール周辺にはそういった風に呼ばれる傭兵団もいれば、そうした力自慢が近くの貴族に召し抱えられることもあった。
シーピを拾った者たちも、そんなあわよくばを願っていたし、所帯が増えてきたことで可能性が十分であるというのも、当時のその地では一般的な考えであった。
そろそろ拠点を設けるか、はたまた大きなヤマを狙うか、自分たちから売り込みに行くか。
組織としての絶頂期を迎えた頃であった。
勝胆、と人が来たと同時、誤論と首が転がった。
侍。そんな言葉をふと思い出した。幻のような、異世界の存在のようでありながら、シーピの目の前にいた男はまさしくそんな男であった。
シーピを含めて二十一名の盗賊団は、絶命した一命とシーピを除き全員が武器を取った。
最初に殺されたのは、お調子者のニコラフだ。いつも笑顔を絶やさない青年であるが、今は驚愕の表情の首が転がっていた。
クレフが短刀片手に果敢に飛び掛かるが、男の返す刃で腕ごと胴を撥ねられる。
呪文を詠唱していたアルバは、クレフの首をぶん投げられて鼻が曲がり悶絶した。
不幸にもクレフの持っていた短刀が吹き飛んだ腕ごとぶつかったアーロンは、ふらふらになりながら男に向かうも即座に首を刎ねられる。
男はとにかく速かった。立て続けに襲い掛かったコーラル、メイ、ファーレンの三人が続けざまに首を刈られる。
そのまま、シーピの傍にいた団長のゴルドも胴を袈裟斬りにされて死んだ。
「元服前か」
シーピは自分が何を言われたかもわからず、ただ怖気づいて震えるだけであった。
ゴルドの死によって敗走を始める盗賊団七名、うちクリャーリとカウラは、男がゴルドの持っていたナイフを投げられて倒れた。アッスルとフライアは男の投げた刀で二人揃って串刺しにされた。
武器がない、と勝機を見出したラルフは男の手刀で首を折られ、そのサーベルを奪われたことで背後から襲おうとしていたルークの首が刎ねられた。
ルークの持っていた刀が敗走していたリーヴァが心臓を貫かれる。
男の傍にまで迫っていたガードンが縦に、グラーフが横に真っ二つにされる。
そしてグラーフとガードンの持っていた斧を、逃げていたグレンツェとキエルに見事必中。
敗走者は全員殺した。
残り、怪我をしたアルバを介抱していた魔法使いリエールが雷を打とうとした瞬間、男のサーベルで頭を貫かれる。
そのまま接近し、アルバの首を掴んでへし折り、フロイエの顔面を殴り潰した。
血みどろになった男は、血桜桜我は、シーピの方を見た。
「お前のような子供は殺さん。……任務は失敗、か」
血桜桜我は、当時は力自慢の用心棒のようなものであった。後に、この武勲を認められて道場を開くようになったというが、今は別の話。
シーピの目には、仲間が死ぬ光景が目に焼き付いていた。
足が速く、動体視力の良いシーピにはその光景がゆっくりと見えた。自分が死ぬかもしれないという恐怖がますます感覚を鋭敏にし、仲間たちの絶命の表情を脳裏に焼き付けた。
眠ることもできなかった。漂流してすぐの、孤独で何もない自分に即座に戻ってしまうことになる。
仲間の死の顔が、その恐怖が。
血桜桜我が、死悲の髪から色を奪ったのであった。
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「お前は侍心流で大丈夫なのか? なんというか……」
「へぇ? 全然やれてますよ? みんなと同じで、強くなーる、生きていく、んで、血桜桜我に復讐するってね」
「みんなそうなのか……」
「師匠もそうでしたよね? 理言とか産砂は知らないけど、狗狼だって黄泉山だって本心じゃ殺したいほど憎んでるって聞いたし」
へらへらと言うのだから、カミーラはそれを信用しづらいのだが。
まあ、嘘を言うような器用な人間に見えないのも事実であった。