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十年前に助けた子どもが嫁にしろと迫ってくるのはまあ置いといて旅をしています

作者: 猫の玉三郎

 ヤスは大きくため息をついた。家のどまん前に横たわっているそれは、どうも子どものようだった。


「……はあ、どうしろっつーんだよ。兄貴もいねえのに」


 呼吸はしているようで小さな肩が上下している。ぼろい布を身にまとい、頭からつま先まで泥で汚れているその子どもは、よく見れば獣人特有の三角耳が頭部にくっ付いていた。行き倒れか。そう結論づけ、ボリボリと頭をかきながらヤスは何度めかになるため息を吐き出した。


 この時、ヤス・ネスビット20歳。まさか助けた小汚い子どもが実は女の子で、のちに嫁にしろと迫るなどつゆとも思っていない。



 ◇



「あらいい男。うちによってかない?」


 そう声をかけたのは酒場に身を置く艶のある女だった。夜の繁華街を歩いていたヤスを見つけ、大輪のバラのように妖艶な色香をはなち、誘う。この辺りは夜だというのに空気に熱がはらんでおり浮かんだ汗がじわりと肌をまとう。女がその美しい指先でヤスの肩をつーっとなぞれば、男はとたんに鼻の下を伸ばした。


「よるよる! お姉さんのお店よっちゃう!」

「うふ、ありがと。あたしエマよ」


 栗色の長い髪を背にたらし、エマと名乗った女はうれしそうに笑った。こうやって客を引くのが得意なのである。ヤスは彼女の腰にしれっと腕をまわし、上機嫌に店の方に体を向けた。


「この辺じゃ見ない顔ね。旅のお方?」

「ご名答〜」


 すり、と腰をなでるとエマはくすぐったそうに身をよじった。ヤスは耳元に顔を近づけると、内緒話でもするように低くかすれた声でささやく。


「……なあエマちゃん。俺、知りたいことがあるんだけど」


 男らしいその声音にクラクラしてしまうのは仕方がないのかもしれない。ヤスは今年で30になろうとしていて、充実した内面とほどよく引き締まった身体のいわゆる男盛りだった。そして憎らしいことにそこそこ顔がいい。耳に感じる熱い息に、エマが思わず吐息をこぼしたその時だった。


「やっと見つけた! ヤスッ!」


 甲高い声が辺りにひびく。

 うげ、と漏らしつつエマの腰に置いていた手を素早くのけると、ヤスは声のした方を確認した。


 雑多な繁華街の明かりに照らされ浮かぶは一人の少女。つんととがった獣耳にゆれる尻尾、そして不機嫌そうにゆがんだ端正な顔立ち。十年前のあの日から様変わりした少女は、両手を腰に当ててふんぞり返った。


「妻をほったらかして他の女とただれた夜を過ごすなんて、許さないんだから!!」


 あちゃー、と言わんばかりに額に手をあてるヤス。エマは突然現れたケモ耳少女に一瞥(いちべつ)をくれた。商売用の色っぽい笑顔は引っ込めて、いぶかしげに相手を見る。


「……あんた、だれ」


 その言葉を受け、少女はにいっと口角をあげた。合間からのぞく小さな牙がきらりと光る。


「わたしはレナ・ネスビット」


 勘弁してくれよと情けなく漏らすヤスはその両手で顔をおおった。ばちばちとした火花が女性陣の間で刺激的にはぜる。


「その人の妻よ。嫁よ。女房よ。覚えておきなさい泥棒ネコさん。さあ二人の愛の巣に帰りましょう、ヤス。お酒ならわたしが注いであげる」


 まだまだ若いつぼみのような少女はむんと胸を張った。その様子をやじうまが酒ビン片手におもしろそうにながめている。どっちの花に軍配があがるか男二人で賭けているようだ。


 ヤスはエマの耳元に顔をよせ、小さくささやく。すると心得たとばかりに彼女は小さくうなずいた。上機嫌にヤスから離れると笑顔で手をふりながら店の中へと戻って行く。それを見届けてからヤスは腕を組んで少女をにらみつけた。


「……レナ。宿屋にいろって言ったはずだぞ」


 しかしケモ耳少女は全く意に介さない。むしろスネたように口をとがらせ反論した。


「妻を(ないがし)ろにするのはよくないと思う」

(めと)ったつもりはないと何回言えばわかる」

「ヤスのお嫁さんになるのはわたしだもん。それならもう名乗ってもいいじゃない」

「おまえなあ……」


 がっくりと肩を落とす目の前の男に、レナは捕獲のために腕を伸ばした。しかし——


「俺は、いま、自由時間なのっ!」


 そう言うや否や脱兎のごとく走り出したヤス。慌ててつかもうとするレナの細い指先をかわし、夜の繁華街を風のように駆け抜けていく。この男、運動神経もよいのだ。


「あ、ちょっと!」


 負けじとレナも追いかける。16歳の若々しい体には力がみなぎっており、なにより獣人の運動能力は総じて高い。追いつきはせずとも決して離されることなくレナは後を追った。


「ちびっ子は家に帰って寝てろっ」

「もうちびっ子じゃないもん!」

「おまえもいい加減ほかの男見つけろっつーの」


 それを聞いたレナの表情が一気に険しくなった。


「……なんで、」


 尻尾が一気に膨らむ。


「なんでそんなこと言うのっ!!」


 感情の高ぶりによりレナの体が光った。パリパリとなぞの音をまとい、その手にはいつの間にか光る弓矢があった。レナは立ち止まると地面に膝をつき、すばやく弓を構える。矢尻の形はハート。狙いを定め一気に放てば、まるで雷を具現化したようなそれはヤスめがけて飛んでいった。行き交う人を縫うように蛇行する矢はヤスだけを執拗に追い詰める。ぐんぐんと距離をつめ、愛の矢がついにその背中を捕らえる。


「ぎゃーっ!!」


 バリバリッという音と共に男は地面に崩れ落ちた。うっすらと表面が焦げ、ピクピクと小刻みに指先が震えている。


「もう、やっと捕まえた」


 仕留めた獲物に小走りでかけ寄るレナ。満面の笑みを浮かべてヤスの腕をむんずとつかんだ。そして70キロはあろうかという体を軽々とかつぎ上げ、るんるんで帰路につく。もう一度言うが、獣人は総じて運動能力が高い。……が、レナはその中でも特に異質であった。



 ◇



 十年前のあの日、レナはこの男に助けられた。ヤスの暮らしていた土地では、獣人という種族は少しばかり珍しく、偏見の目を持つものも多かった。というのも、非合法の人身売買でよく売り買いされていたからだ。資産を持った上流階級の人々は労働用だ愛玩用だと獣人をもののように扱う。特にたくましい者や見目のよい者は高額で取引された。


 ヤスはその人身売買のところから逃げ出してきたのがレナだろうとあたりを付けていた。見た目もかわいければ、あの身体能力。加えてあの雷の矢だ。レナの癇癪(かんしゃく)が爆発してなんど射られたことか……


「機嫌なおしてよーヤスぅ」

「ふんっ」


 あれから気づけば朝になっており、ヤスの隣にはレナが寝ていた。すよすよと呑気そうな寝顔だったので「さっさと起きてベッドから出てけ!」と無慈悲に叩き起こす。ヤスは決して昨夜のことを根に持っているわけじゃない。決してだ。


 木戸を開ければ朝の空気が窓から入ってきた。夜にはわからなかった景色は太陽の下で改めて見ると圧巻だった。雑多に店が並びそこに行き来する人々がいる。見たこともない食べ物が軒先に並び、よい匂いが風にのってただよい、笑い声がどこからか聞こえた。野良の犬と猫があちこちで愛嬌を振りまき、少し離れたところで派手な衣を着た神職者が人々に説法をしていた。そこから視線を上にやると、頂きをまっ白に染めた山がそびえ立つ。雲を裂かんばかりのその巨大さに、思わず感嘆の息が漏れた。


「まだしばらくここにいる?」

「ああ。もうしばらく」


 だいぶ遠くまで来た。目を閉じると今までの冒険とも言えるような旅の情景がちらりと頭に浮かぶ。場所が変わると空気や匂いも違うものだ。そこで暮らす人々も土地それぞれの歴史と文化がある。ヤスはそこで小さく息を吐いた。


「ヤスのお兄さん、早く見つかるといいね」

「……そうだな」


 コケーッとけたたましい鳴き声が聞こえてきた。目をやると、棒を持った涙目の少年が数羽のニワトリに追いかけられていた。その頭には獣耳がちょんと乗っている。


 行き交うのは人間だけじゃない。皮膚に鱗を持つ爬虫類系の亜人や、旧時代の遺産とも呼ばれる機械人。海辺に行けば魚人の姿も見つけることができるだろう。そしてレナと同じ獣耳としっぽを持った獣人がこの辺りにはたくさんいた。


 人の波をぼーっとながめていると、黒髪を背に垂らしたエキゾチックな美女と目があう。背中には立派な羽があるので鳥人の類いなのだろう。その人はヤスに悪戯っぽくウインクをした。とたんに目尻がだらっと垂れる。


「これまた素敵なレディ! よかったら一緒に朝ごはんどう——いででででっ」


 窓から身を乗り出し、両手で投げキッスを送るヤス。その尻を思いっきりひねったのは鬼の形相をしたレナだった。


「もう、ヤスのばか! わたしというものがありながら!」


 毎度毎度の風景だ。ヤスとレナは人探しという目的を持って三年前から旅をしている。海に浮かぶ神秘的な都も行ったし、森の大樹に住居をかまえる幻想的な街にも行った。そこで出会う様々な暮らしや文化、そして人々。場所が違えばこうも変わるのか、とそれぞれの美しい景色に圧倒された。その中でヤスは探す。自分の兄を探しているのだと口では言うが、本当のところは少し違う。


 小汚い子どもを助けた十年前のあの日、頼りにしていた兄がいっこうに帰ってこず、必死に看病していたレナは一時かなり危ない状態だった。家の前で倒れたとは言え、見ず知らずの小汚い子どもにそこまで手厚く看病するなど、他人が聞いたら失笑するだろう。しかし、幼い頃に母を病気で亡くしたヤスは、レナに母と自分の面影を重ねてしまったのだ。高熱にあえぐ姿は大好きだった母を。うわ言で「おかあさん」と苦しそうにつぶやくその様子に母を恋しがる自分を。見捨てることはできなかった。


 レナが回復し少しずつ元気な姿を見せ始めるが、それでもたまに遠くをながめては悲しそうな顔をしていた。夕陽がてらす小さな後ろ姿に、幼い日の自分が心を寄せる。


 いつか家族に会わせてやりたいとヤスの中で気持ちが積み上がっていく。それが無理なら、せめて故郷を見せてやりたい。旅するなかでレナが心惹かれる土地や人があったならそこで別れてもいい。


「……他にいいやつ見つけろよ。俺よりいい男ってのはなかなか難しいが、いないこともないぞ」

「わたしはヤスがいいの。だから早くもらってよ」

「やなこった」


 否定の言葉を吐くものの、その表情はいたってやわらかい。自分を慕うこの娘のことは嫌いではないのだ。むしろ日に日に大人になっていくレナは、ヤスにとってまぶしすぎるほどだった。いつものくせでレナの頭をくしゃくしゃとなでれば、不服とばかりに頬をふくらませた。まだ残る幼い部分もかわいく思う。できればこの子には幸せになってほしい。兄を探しているのは本当だ。だけどそれだけじゃなかった。

 

「ねえ、お腹すいた。朝ごはん食べにいこうよ」

「そうだな」


 二人の旅はまだしばらくは続きそうである。

 ちなみにレナはこの旅の中で既成事実のひとつやふたつを作っておきたいと思っているが、それは内緒である。

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