先達を偲ぶシリーズ。 先に旅立った偉大な人たちを、忘れないでください
尾崎豊という人
作中では敬称を省いています。
ファンとして、親しみを込めて当時からの呼び方の
「尾崎」と表記しています。
ご了承ください。
尾崎 豊 1992年 4月25日没 享年26歳
「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」
埼玉県狭山湖畔霊園にある尾崎の墓碑には、そう刻まれている。
東京都足立区の尾崎が倒れていた民家の主は、
尾崎の没後、家の一室をファンのために開放してくれていた。
優しい老夫婦だった。
渋谷の東邦生命ビル、現クロスタワーには尾崎のレリーフがある。
10代の尾崎が夕陽を眺めていたという場所に。
10代の頃、尾崎は俺の味方だった。
「自分とは」それがわからず探していた頃、
自分には何ができるのか、自分の可能性って……
将来に対しては都合のいい希望ばかり。どうにでも出来ると思っていた。
現在については不明瞭。何をするべきかなんて分からない。
学校での勉強が将来役に立つなんて思えない。
考える事に根拠なんかなく、ただ、そう信じたいだけ。
ふとした瞬間に感じる、漠然とした正体の分からない不安。
感情の昂ぶり、恋心、友との関係。
今なら、それは持て余す程の感情と、エネルギーだと言える。
当時はそれさえもわからなかった。
計算はなく、純粋に思いだけで動いていた。
時に良い方向に、時に悪い方向に……
そういった物が尾崎の曲に詰まっていた。
自分の思いを歌ってくれている。
自分の歌だ。そう思えた。
そう思えたことが嬉しかった。
窓ガラスは壊さなかったし、バイクも盗まなかったが、
そうしたくなる気持ちはよく分かった。
幸いなのか、程度の低い学校だったので、校則は厳しくなかった。
管理されていると、押し付けられてると感じることはなかった。
尾崎の通っていた高校は、厳格な学校らしく、
髪型や服装のチェックも厳しかったそうで、
時代ということもあったのだろうが、
髪を染めて登校してきた友人が、学校内で
教師によって丸刈りにされたこともあったらしい。
大人の論理に従わない子供は押さえ付ける。
それがまかり通る学校だったようだ。
尾崎の目にはそう映った。
学校や、私生活で個性を主張することに関して、
制限を掛けられている。
個性を主張するよりも前に、
量産品としての最低限の性能を持たせようとしている。
学校では理想的な人物を育てるために徹底的に管理をされる。
放課後、尾崎や友人達は、渋谷の街で過ごしていたそうだ。
学校の云う理想とは、全く逆の欲望や感情の渦巻く街。
綺麗事と現実。
それを肌で感じる。恰好良いことをいう大人であろうと、
一皮剥けば、中身は汚い部分を持っている。
そういう日常を過ごしていれば、
大人や社会に対する反抗心が生まれるのは当然かもしれない。
規則という力を、子供の気持ちを考えずに振り回す。
そういう大人に従いたくないし、そういう大人になりたくない。
そんな思いが、尾崎を反抗的な生徒にさせていく。
押さえ付けようとする力への反発として、
更に自己主張をしていく。
その思いから、学校の高価なステンドグラスをぶち壊した。
当然、大問題になり、確か無期限の停学になった。
時間を持て余した尾崎は、自分の思いを詩にしてノートに書き溜め、
兄のギターで、その詩を歌いだす。
CBSソニーにデモテープを送り、オーディションに参加。
歌手としての尾崎豊が誕生する。
デビューアルバムの制作が始まる。
「十七歳の地図」
1983年12月1日発売。
そして学校を退学する。
初ライブの企画が持ち上がった時、
開催日は尾崎本人の希望で決まった。
友人たちが支配を脱する日、1984年3月15日。
通っていた学校の卒業式の日。
ライブのタイトルは「卒業」
学校の正門近くにポスターを貼り、自らの手で一言書き足す。
「お前ら よくがんばった 卒業おめでとう」
10代のうちに尾崎の曲と出会えたことは幸せなことだった。
20代になってから、そう思えた。
力をもらえた。味方がいる。ひとりじゃないと思えた。
自分の思っている事を、恰好つけずに歌にした尾崎に共感していた。
自分よりも激しく世の中に抗っている存在。
そういう人物が自分と同じように感じている。
そのことが励みになっていたように思う。
自分の感じ方は間違っていないと、自分を認められた。
歌詞を引用して書ければ解説もできるが、
それは避けよう。私はもう尾崎より年上の大人なのだから。
もしも今、自分とは、と悩んでいる10代の若者から、
アドバイスを求められたら、
「尾崎豊を聴け」と言うだろう。
少なくとも、自分を強く持つ。という事に関しては、
力になってくれると思う。
自分の感じたことを、自分で認めてあげること。
自分の思いを主張することは間違いじゃない。
人に迷惑を掛けるやりかたは、よろしくはないけれど。
若者は音楽と共に育つべき。だと思う。
時に、CDに録音されているライブでのMCは
歌詞と判断されるのだろうか。
歌詞カードには記載されていない部分なのだが……
ここに書きたい尾崎の言葉がある。
要約して書けば、人生は自分のための物なのだから、
少しでも時間や余力があるのなら、心の財産を増やしておこう。
尾崎はそう語っている。
あとから思えば、自身には時間がないと言っていたかの様な発言だ。
その半年後にはいなくなってしまったのだから。
有名になりたかったわけではないのだろう。
自分の心の中にあるものを、誰かに伝えたかった。
そう思いながら歌っていたのだろう。
俺の中の尾崎豊とはそんな人物だ。