#3 「水」の使い魔
問題が一つある。
それは、今が朝か夜かわからないことだ。
昨日はその後、女性士官に連れられて風呂場に連れていかれ、またあの気味の悪い腕だけのカラクリに体を洗ってもらったりした。が、お湯に浸かるのは実に心地いい。身体も綺麗になり、その心地よさでそのままベッドで寝てしまった。
で、目が覚めたら、今が一体昼なのかどうかわからないことに気づく。ふとテレビで外の風景を見られることを思い出し、リモコンでテレビをつける。すると、気がついたらすでに太陽が高く上がっていた。
いや、太陽どころか、自分自身も高い場所に上がっていることもわかった。よく見ると、下に雲が広がっている。私は雲よりもはるかに高いところにいることが分かった。
そういえば毎朝、日が昇ると叩き起こされていたが、ここではそんなこともない。ブーンという鈍い音が鳴り響いているが、落ち着いた場所だ。つい、気が緩んでしまう。
と、その時、ポーンという音がなった。そして、扉の向こうから声がする。
「あの、シェリルさん、もう起きてますか?」
セシリオ殿の声がする。私は鍵を開けて、扉を開く。
「すまない……どうやら寝過ごしてしまったようじゃ」
ところが私の姿を見たセシリオ殿は、顔を真っ赤にして私に言った。
「あ、あの、シェリルさん?そ、その格好を、どうにかできませんか!?」
妙にあわてているな。どうしたというのだ、セシリオ殿は?私はふと、自分の身体を見る。ああ、そういえば私は今、シャツというものしか着ていない。ぶかぶかなので、胸の辺りは隙間から見え放題となっていた。
「そうか?別に私は気にならないが」
「い、いや、ちょっとまずいですよ、その格好。ちゃんと服を着ていただけますか?」
というので、一体部屋に戻って服を着替える。
が、そこでひとつ困ったことに遭遇する。外で待っているセシリオ殿を呼ぶ。
「セシリオ殿!ちょっと来てはもらえぬか!?」
私の呼びかけに、セシリオ殿は入ってくる。
「はいはい、どうしたんですか……って!まだそんな格好だったんですかぁ!?」
上半身裸の私を見て叫ぶセシリオ殿。
「昨日、女性士官と申す者からもらった、このブラジャーというものがどうしてもつけられないんじゃよ。はめてもらえぬか?」
「い、いや、そういうことは女性に頼んだ方が……」
「では、このまま主計科の事務所というところに行って……」
「いや、呼んできますよ!女性士官を!」
「待っているのが億劫だ。ここまできたら、そなたがさっさとつけてくれればよかろう」
ということで、結局セシリオ殿につけてもらった。
「はあ~っ、えらい目にあった……」
私の身体を見て、えらい目にあったとは何事か。男というのは、女子の身体を見て喜ぶものではないのか?
と言ってやったら、セシリオ殿は応えた。
「そういうのは、大事な人のためにとっておくものですよ」
そういうものなのか。私はあの魔導士の建物で身体を洗うときには、男の人の前で服をはがされたものだ。
あれは正直、気分のいいものではなかったが、ここはお風呂ですら男女を分けているし、食事でも部屋でも私を人間的に扱ってくれる。特に、このセシリア殿は。だが、いささか気を遣いすぎてる感もあるな。
「そうだ、朝食が終わったら、ちょっといいですか?」
「何をするんだ?」
「昨日言ってた、お仕事ですよ」
ああ、ここのことを教えてくれという、あれか。私はうなずいた。
「じゃあ、今日は何を食べましょうか?」
「うーん、昨日のホットドッグでもいいぞ。手軽に食べられて、美味かった」
「あればっかりじゃ飽きちゃうし、あんまり身体にはよくないでしょう……そうですね、シェリルさん、何か好きなものはありますか?」
「肉だ」
「肉ですか……と言っても、いろいろあるからなあ。どんな肉です?」
「時々食べていたのは、豚肉だ。あとはたまに羊肉。牛肉を食べさせてもらったことは一度あったが、あまり美味くなかった」
「そうですか。じゃあ、敢えてその牛肉、いってみます?」
私が食べた牛肉は、脂身が多くて臭みが強かった。だから、あまりいい印象がない。だが、ここはイモですらあの味付けである。きっと、美味いに違いない。私はセシリオ殿に任せることにした。
食堂に着き、またあの動く絵を操作して料理を選んでいる。トレイを持って並ぶ。
で、私の前には「ハンバーグ」というものが出てきた。セシリオ殿には「ザウアーブラーテン」という料理が出る。
ハンバーグというのは一度肉を挽き、それを固めた料理。一方でザウアーブラーテンとは一枚肉の料理だ。
「朝から随分とくどい料理ですけど、せっかくだから食べてみて下さい」
「あ、ああ……」
ナイフで切ると、その柔らかさに驚く。ひと口食べてみたが……なんということか、まったく臭みを感じない。周りのソースとかいうものが、その臭みと油のくどさを消し去ってくれるようだ。そして何よりも、美味い。かつて味わったことのない味。牛肉とは、これほどまでに美味いものなのか。
そうなると、セシリオ殿の料理も気になる。挽肉ですら、この味だ。ならば一枚肉のあれは、さぞかし……などとじーっと見ていたら、こやつ、私にひと口分を切ってくれた。
こちらも、とても一枚肉とは思えぬほど柔らかい。私には、ハンバーグよりもこちらの方が好みだったかもしれない。いずれにせよ、料理が選べるということがこれほど幸せだとは、思わなかった。
「なんだか嬉しそうですね。頬を抑えながら、にやにやしてますよ」
「そ、そうか……?」
思わず、顔に出てしまったようだ。だが、嬉しくなるのは当然だ。食べることが楽しみであることが少ない毎日だったから、この2日間がまるで夢のようだ。
そんな楽しい食事の後、私は再び会議室へと向かい、そこでセシリオ殿ともう一人の人物から尋問を受ける。
「ヴィレンツェ王国と言うんですね、シェリルさんのいたところは」
「そうだ。私がいたのは、王都ラマグレットの平民街の端にある、塀で囲われた施設だった。そこには、私を入れて全部で10人の魔導士がいた」
「他にも9人いるんですか、魔導士というのは?」
「そうじゃ。元々、私はフラスゴール王国という国にいたんだが、ヴィレンツェ王国に滅ぼされてしまった。そのとき、魔導士であった私は連れ去られ、その施設に入れられた」
「そうだったんですか?じゃあ、それまでは自由に生活していたんですか?」
「いや、フラスゴール王国でも、手足を拘束されていた。魔導士というものは、どこも同じような扱いだ」
「あらら、じゃあ、管理者が変わっただけなのですか」
「ヴィレンツェ王国の方が、少し待遇が良かったな。もっとも、この船の待遇には敵わない。あれほど美味い料理に、テレビという面白いものを見せてもらった。しかも、手足が自由だ」
「魔導士というのは、他の国にもたくさんいるんですか?」
「いや、今知られているのは15人。全員が女。で、そのうち10人がヴィレンツェ王国にいる。他はせいぜい1人いるかどうかだ」
「ここにはそんなにたくさんの国があるんですか?」
「そうじゃな、この島には30もの王国があると言われている。つい20年前までは60あったが、その大半をヴィレンツェ王国が占領してしまった。残りの30の国も、ヴィレンツェ王国が手にするのは時間の問題と言われておる」
「そうですか……まさに群雄割拠の情勢。そのヴィレンツェ王国が突出しているんですね」
「うむ。その通りじゃ」
「ところでシェリルさん。魔導士というのは皆、あの光の球のような爆破系のものだけなんです?」
「いや、魔導にもいろいろな属性がある。私の魔導は『火』。他に『水』、『地』、『風』、『光』、『闇』、『雷』、『氷』、『木』、『鋼』、『毒』がある」
「ええ~っ!?そんなにあるんですか!?」
「このうち、水属性は3人、木属性と風属性が2人いる。それで15人。なお、ヴィレンツェ王国には『毒』属性以外の魔導士が一人づついるんじゃ」
「そうなんですか。ところで、それぞれの属性とは一体どういうものなんですか?」
「『水』はその名の通り、水を扱う。多量の水を操り、敵を翻弄する。だが、『氷』もそうじゃが、水がたくさんある場所でないと使えない」
「じゃあ、氷属性というのは、水を凍らせるんですか」
「そうじゃ。尖った氷を敵に突き刺す。容赦のない魔導だ」
「いや、あなたの魔導だって、容赦ないでしょう……」
「まあ、そうじゃな。で、『地』は地面の土や岩を飛ばすことができる。土や岩がないと使えないが、できれば岩場のある場所の方が有効だ。土をぶつけても、人はなかなか死なぬからな」
「まあ、そうですけど……光と闇というのは?」
「まったく別物のようで、この両者よく似ておる。『光』はその名の通り、強烈な光を出す。一方、『闇』はある範囲にいる人達の視界を奪う。どちらも、目眩しに使われる」
「光はともかく、闇は厄介ですね。それって、味方も視界を奪われちゃうんじゃないですか?」
「いや、その魔導を発する時に、目を覆えば効かない。だから、魔導を放つときは味方は目を覆う。なお、ある程度経つとその術は解けてしまうから、ずっと見えなくなるわけではない」
「そうなんだ……なんだか微妙な魔導ですね」
そして、「雷」は電撃を放ち周囲の人々に電撃を与えて死に至らしめる。「木」は周囲の植物を、「鋼」は金属製のものを操れる魔導だと話す。
「じゃあ、鋼が最強じゃないですか?みんな鎧着てるんでしょう?軍勢すべての鎧や剣を操ってしまえば……」
「ところが『鋼』の使い手は、せいぜい10人程度の鎧までが限界なんじゃよ。しかも鋼の使い手は鎖で繋ぐと、その鎖自体を武器にしてしまう。だからそいつには、太い麻で作られた綱でつないでいる。扱いが厄介なわりに使い物にならないから、魔導士団の中では嫌われている」
「なんて理不尽な……で、最後の『毒』はどうなんですか?」
「我らの国にはおらぬゆえ、よく分からないのだが、まるで硫黄のようなものを発し、多くの兵を窒息させる技だという。どこでもできる技なのか、それとも場所を選ぶのかすら分からぬ」
「そうですか……分かりました。ありがとうございます」
「そんな情報、どうするのだ?」
「ああ、特にどうするというのはありませんが、とにかく役に立つか立たないかはおいておき、今は様々な情報集めをしてるんです。ところで」
「なんじゃ?」
「せっかくですから、少し外に出てみます?」
と言われて、そのあと私は哨戒機というものに乗せてもらうことになった。
「ここにずっといたら、退屈でしょう。ちょっと我々の任務に付き合うのもいいですよ」
確かに、狭い船の中にじっといても仕方がない。そこで私は、その哨戒機と申すものに乗せてもらうことになった。
セシリオ殿もつきそう。地上調査の護衛というのがセシリオ殿の役目のようだが、どうせたいしたことは起こらないだろうと言って連れて行ってもらうことになった。
しかし、地上に降りてどうするのか?こやつらによれば、これも情報集めの一環だという。とにかく、こやつらはいろいろなことが知りたいらしい。
あの重機と呼ばれるカラクリが置かれたところとは違う格納庫へと向かう。そこには、白くて四角い、不思議なものがあった。上下に開く扉がついていて、そこから乗り込む。
「1番機より2810号艦!発艦準備よし、発艦許可を願います!」
『2810号艦より1番機、発艦許可、了承。ハッチ開く』
天井が開く。すると、腕の化け物がこの哨戒機という乗り物を掴む。そして、その開いた天井から外に突き出した。
ここは高い、とても高い場所。王都から見えるグランテホルン山があんなに低く見える。前に座る人物が叫ぶ。
「1番機発艦します!」
ガコンという音とともに、哨戒機が切り離される。空に放り投げられるが、そのままスーッと進み始める哨戒機と申す乗り物。
空を飛ぶあの灰色の船はあっという間に離れていった。あとは、何もない空の上。下を見ると、地面に徐々に近づいている。
「なあ、セシリオ殿。どこに向かうのじゃ?」
「そうですね、あの川の辺りに、この機器類を設置していきます」
そういって、なにやら奇妙な塊を手にとって見せてくれた。なんでもこれは、温度や湿度、風量などの気候データというものをとるカラクリだそうだ。
そんなものをどうするのか、よく分からない。が、彼らにとっては重要なことらしい。セシリオ殿が指した方に向かって、ゆっくりと降りていく哨戒機。
空から見ると、昨日軍勢が対峙した谷間の向こうにある、隣の王国であるカターリア王国の都市と思われるところが見える。そして、ヴィレンツェ王国の王都ラマグレットも見える。なんとこの世界は狭いのか?空から見た私達の世界は、とても狭く感じる。
徐々に高度が下がる。人の気配のない場所。そんな河原のそばに、我々は降り立った。
そういえば、私が外に出るときは、いつも戦場だった。今日は戦さなどない場所。兵士の姿はなく、実に新鮮な風景だ。
哨戒機を降りる。セシリオ殿と2人の士官が降りる。パイロットは残って待機している。私はセシリオ殿について、外に出た。
静かだ。鳥のさえずりが聞こえる。鎧の軋む音、指揮官の怒鳴り声、そういうものは全く聞こえない。安らかな場所だ。
ただ、セシリオ殿は警戒している。というのも、野生動物が襲いかかってくる場合があるとのこと。狼や熊が現れた場合、先ほどの機器を設置する2人の士官を守らなければならない。それが、セシリオ殿の役割だ。
森の奥に入る。鬱蒼と茂った木々の中に、あの機器を設置していく。それが終わると、再び河原に降り立った哨戒機に向かう。
すると、その哨戒機からセシリオ殿に連絡があった。
『こちら1番機!なにやら、川の向こう側から軍勢らしき集団を視認!直ちに戻られたし!送れ!』
「こちらセシリオ少尉!了解、直ちに撤収する!万一、気づかれた場合は離陸せよ!別の場所で合流する!」
『了解!』
急に緊迫したやりとりが始まる。どうやら、この静かな場所に軍勢が現れたという。
私たちは急いで哨戒機に戻る。セシリオ殿が、私の手を引いてくれるが、ここは森の中、実に歩きづらい。
と、そのとき、セシリオ殿が私を背負う。
「ちょっとだけ、我慢してくださいね」
私のひ弱な身体ではなかなか進まないが、セシリオ殿はかなり鍛えているようだ。私を抱えたまま、ひょいひょいと険しい道を歩いていく。
ああ、この人はなんと力強くて、優しいのだろう……私はそのとき、ふと他の魔導士達のことを考えた。
彼らは、こんな世界があることを知らない。今もあの塀の中で手を繋がれて暮らしているのだろう。そう思うと、私はなんと幸せか。美味しいものを食べて、静かな森をながめ、セシリオ殿という頼りになる人物に背負ってもらっている……
河原にたどり着いた。目の前に哨戒機がある。その哨戒機の向こう側には、確かに軍勢がいた。
その軍勢を見て、私はハッとした。
それは、紛れもなくヴィレンツェ軍だ。掲げられた軍旗、そして、見覚えのある指揮官がそこにいる。
そして、その指揮官の前には、もう1人見慣れた人物が見える。
それは水の使い魔、ミレーユの姿だった。