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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある男が希望を持った話

作者: ふぉるふぉと

 畳が敷かれたアパートの部屋で、ガチガチと歯が当たり続ける音がする。

 誰が鳴らす音か?

 それは今正に首を吊って人生を終えようとしているこの男が鳴らしているのである。

 どの局面でも詰めの甘い人生であったが、自分がこれから死ぬ為の準備だけは、周到なものであった。

 そして、全ての準備を終わらせて椅子に登り、確実性が高くなると言われた輪となったピアノ線に頭を入れる直前、その動きを中断してしまったのだった。今まで何もかも上手くいかず、そしてこれからも明るい未来など来ないと考えたとき、生きることが怖くなってしまった。だからこそ死んで楽になりたかった。その為にいかに楽に死ねるか考え続け、調べ続け、計画を進め続けていった。文字通り死ぬ気で準備したのだ。だからこそ死ねると思ったのだ、なのに計画の達成直前に男は、死ぬことが怖くなってしまったのだ。思い残すことなど何も無いと結論付け、生涯最大の努力によって彩らせた首吊り台を用意しておいて尚も虚無から来たタダ単純な死への恐怖からは抗うことが出来なかったのだった。椅子から降りて呆然と立ち尽くし、不意に涙が出てきた。雫のような涙の粒は次第にその体積を増していき挙句には、四つん這いになり、咽び泣き続けたのだ、これほどまでに時間を掛けたその努力を、一瞬の感情で台無しにしてしまった自分の情け無さに泣いているのだ。

 ある程度落ち着き、しゃっくりの様なものを鳴らしながら、しゃがみ込んとでいると

「下らん実に下らん」

 と無機質な声が投げられた。

 声の方向に首を向けると黒い煙が球体とのような形状で宙を浮いていた。

「ひっ」

 と情けない声を上げてもんどりうつが、無情な黒煙は、話すことを止めない

「生涯最大の努力をもって人生の最後を迎える人間を特等席で観られると心を弾ませていた矢先、泣き喚いて終わりとは興醒めだ。今このシーンだけでお前がどれほど無様な半生を送ってきたかが分かる。」

 勝手な物言いもその非現実的な姿には全てが溶けてしまう。そして、黙り込んで経過を待ち暫くの静寂がその場を支配した。

「そうやって全てを流し続けて今何も変わらず変わろうともしないお前が出来上がってしまったのか」

 よくわからない表現ではあったが、なぜか今の自分に的中した言葉であると直感し頷いてしまった。

「ここまで情けねえ奴を目の当たりにすると同情が湧くもんなんだな、、、。

 まぁいい、結果はどうあれ過程はなかなか楽しめたからプレゼントをやろう、今から家ドアを開けて歩きスマホしてる女がいるからその女の腕を思いっきり引っ張れ、じゃねえとその女は車に轢かれて死んでしまうからな。しかし、お前が見ず知らずの女を引っ掴むことは愚か、助けるための声を上げることもできない程のヘタレ野郎ということはわかっているから、勇気もやろう」

 そう声を発すると黒い煙の塊から十本ほどの髪ほどの黒煙が男の体に纏わりつき、溶けるように消えていった。その現象に怯え、震えていた男はぴたりとその挙動を止め、不思議な使命感に体を起こした。男の頭にあるものは先程黒煙が話したこれから死ぬかもしれない女のことであった。

「さあ行きな、本物の男って奴になれ、ハヤシ ユキオ!」

 無機質な声が僅かに情熱を帯びたもの感じた。なぜ自殺を試みたことを知っているのか、なぜ自身の名前を知っているのか、なぜこんなことをさせるのか、そしてするのか、いくつかの疑問はその男の頭には瞬時に浮かんでは消え、これから起こり得る不幸の回避のためだけに動いた。

 家を飛び出した。扉を開ければ目の前にアパートに面した歩道があった。すぐさま躍り出て黒い煙が話した女を探す、、、居た。

 ヘッドホンを付けてスマホを覗きつつ歩いて来ている。その後ろに明らかに住宅街にはそぐわない速度で走る車も向かってきていた。あれがそうだと確信し、全力で駆けていくスマホをいじくる腕を引っ掴み驚く彼女を歩道側に引っ張り抱き抱え、着地した際には自分自身の体がクッションとなるように、抱き締めた。

 救命を果たし、横たわる”ハヤシ”を背に暴走車は電柱に衝突し、けたたましい音ともにその動きを止めた。荒い吐息”ハヤシ”は女の顔をジッと見つめていた。こんなことを考えるのはあれだが正直好みの顔をしていた。女のケガの有無、暴走運転手に対する救急連絡、優先すべきことは有った筈であったが、口を開き最初の言葉は、

「連絡先教えてもらえますか?」

 だった。

 3年経った

 それからの細かいことを”ハヤシ”は覚えていない。

 空虚だったからではなく、一つ一つを覚えていられない程充実していたからであった。全てが楽しめていたわけでも、苦が無かった訳ではなく、それらすべてが霞ませてくれる存在がこの男にできたからである。

 それこそが、”ハヤシ”と見つめ合い眩しい笑顔を浮かべる彼女いや、妻である。

 あの日謎の黒い煙の予言によって助け出すことが出来たあの彼女から、連絡先を聞き出すことに成功し、なんと今は結婚まで辿り着いたのである。

 彼は今生において最高の幸せの中に居る。

 そして、幸せを噛み締める要素はもう一つある、それこそが妻の中にある新たな生命である。そんな子も胎内で十分に育ち、彼女の腹を膨らませており、いつ誕生してもおかしくない状態にある。あの日自分の人生に絶望し、全てを投げ出してしおうとしていた自分は存在しない、妻と我が子を幸福の道へ歩ませる為に、毎日を懸命に生きている。

 ゴムまりの様に膨れた腹に耳を当て生命の存在を感じ、互いに腹に手を添え合い、今までとこれからの話をする。二人の想定する将来の話には一片の陰りが無い、その時、唐突に彼女が苦悶の表情を浮かべた。うめき声を出す自身の妻を見て急いで救急連絡をする。

 すでに陣痛を終え分娩台に上がり苦しみ悶えながら、我が子を懸命に胎内から外界にへと出そうとしている。”ハヤシ”はそんな妻の手を握り続けることしかできない。ただただ祈ることしかできない、神仏の名前を言うことは出来なかったが、その祈りは真剣そのもであった。

 その祈りは産声によって中断された。

 泣き続ける我が子は一切の疑念がない健康体であった。助産師がへその緒を切り、その子を”ハヤシ”に手渡す柔らかく抱き寄せて高い体温を感じる。それまで話し合った未来のことは頭には無い、この瞬間をただ感じ入っている。そして涙を浮かべながら妻に感謝の言葉を述べる。妻も気恥ずかしそうな表情を浮かべて目に涙を浮かべていた。

「本当にありがとう・・・」

 幾度目かの感謝と共に妻の名を呼ぼうとしたその刹那、テレビのチャンネルをザッピングするかのように過去の光景に変転していき最後に独身時代最も長い時間を過ごしたアパートでの自室にいた。そう、あの日自身の首を吊ろうとしたあの場所だ。まるで今までが幻であったかのように服装もそのまま、もんどりうった姿勢のままであった自身の目前には球体状の黒い煙が宙を浮いていた。

「お前の感覚を基準とするなら久しぶりでいいか?」

 関心を感じさせない声色で、尋ねてきた。

 しかし、あまりのことで呆然としていた。

「先程まで見ていたものはこれから起こり得るお前の人生だ。細かいことは気にするな、俺の視点からはビデオの様に飛ばしながら見て、お前の視点からはドラマや映画の演者の様、いや演者が演じるキャラクターの様にシーンごとに、あぁぁめんどくせー、夢見せてたんだよ、説明は終わりだ。俺はそんな不思議なことが出来る妖精みたいなもんだ。俺に対する解説も終わりだ。」

 それを聞いた瞬間一種の安心感が湧いた煙は夢と言っていたが、”起こり得る”とも言っていた、つまり正夢になり得るということであった。そして、今ここで悠長にしていることは許されないということも理解した。”ハヤシ”は床に伏せていた足に力を入れて目前の煙には気にも留めず透り抜けた。

 もぬけの殻となったアパートの部屋黒い煙はただただ無言で黙っていた。

 家を飛び出した。扉を開ければ目の前にアパートに面した歩道があった。すぐさま躍り出てあの人を探す、、、居た。

 ヘッドホンを付けてスマホを覗きつつ歩いて来ている。その後ろに明らかに住宅街にはそぐわない速度で走る車も向かってきていた。

 あの時のように全力で駆け寄り、手を伸ばし彼女の腕を掴む。

 しかし、間に合わなかった。

 引き寄せようとした彼女だけを暴走車がかっさらうように衝突し、その力に耐えきれず掴んでいた彼女の腕を放してしまった。

 暴走車は彼女を挟み込むように電柱にぶつかった。

 呆然と立ち尽くす”ハヤシ”の体に暴走車と彼女のかけらがぶちまけられた。車の破片によって流した血と彼女の血が混ざり合ってアスファルトに、滴り落ちる。

 今まで見ていた夢の光景がフラッシュバックする。そして最後に思い起こすものは我が子を抱いて彼女に感謝を述べていたあの分娩室での光景であった。

 気付いた時には、血まみれで自室に戻っていた。

「どうした?結構な格好をしているが」

 疑問を述べる黒煙を気にすることも無く一直線で

 ピアノ線の真下に進み、自ら倒した椅子を戻し、その上に立つ。輪を作ったピアノ線を掴み躊躇なくその輪に頭をくぐらせる。かかとで椅子を後ろに蹴り飛ばす。その途端全体重が首とピアノ線に掛かる。ピアノ線が瞬時に首に食い込み、頭部全ての血が圧迫させる感覚を覚える。あらゆる穴から、認識できないものがせり上がり体外に放出される。その感覚と共に”ハヤシ”の意識も失われた。

 吊り下げられている”ハヤシ”は血や糞尿で自室を汚し、悪臭を撒き散らしている。黒い煙は未だにその部屋で漂っている。何を想っているかは窺うことはこの物体に対しては不可能である。ただ一言「少し物足りんかったな」と言い残して、無色の空気に溶けるように消えていく。もうこの部屋で声を出す者はいない


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