6 タコスの想い
ステロールの城の中は外とは違い静かであった。
謁見の間で豪華な椅子に座るダゴン。その前に立つタコス。
ダゴンは静かに口を開いた。
「タコス」
名前を呼ばれたタコスはダゴンに注目する。お互いに鋭い視線が絡み合う。目つきが悪い視線ともいう。
集中するタコスに、ダゴンは穏やかに尋ねた。
「今までの道のりは、楽しかったか?」
その問いかけはタコスにとって意外であった。
タコスのことをろくに覚えていなさそうなダゴンであり、実際ほとんど覚えていないダゴンではあった。しかし、その質問はタコスに興味があるからこその質問であったのだ。
タコスにとっても望むところであった。胸を張って自信満々にダゴンに告げた。
「ああ、この上なく楽しかった」
そう言い切るタコスは、さて何から話してやろうと考える。考えた結果、何から話せばいいかまとまらなかったので順を追って話すことにした。
「アーラウトに赴任した俺様は着実に部下を増やしていた。それが目障りになったんだろう。スイカの部下が俺様を封印した。俺様は……………」
「ほう」
ダゴンに合間に相槌を打たれながら、タコスはアーラウト海域の話をする。
タコスはスイカに封印されていたのだ。世界征服を目標として頑張っていたタコスはその時大きく絶望した。
長い間の封印生活であったが、それもテルが来るまでであった。
テルが来てからはなったばかりの魚人たちに色々と教えたりして苦労もした。
スイカの1番魚人であるダイアへの奇襲攻撃もテルが勝手に飛び出したり、サメが迷い込んでいたりと慌てる場面も多かったがアーラウトの支配はなんとか取り返せたこと。
野宿をしたこともいい経験になった。腰が痛くなったりやけに肌寒い時もあるが、いまや野宿ごときでタコスは文句も言わない。
「アーラウトを支配したはいいが、あの書類仕事の多さは勘弁して欲しいところだな。未だに書類に関しては頭を悩ませているがあの時は人手も足りずに……………」
「そういうものだ」
タコスの話は続く。
ダゴンも同調して苦笑したり、時折意見を口にしてくれた。
タコスは戦ってばかりいればいいと思っていたがそうもいかなかった。
戦うためには食料が必要であり、武器も必要だった。それを確保するためにはお金が必要であり、お金を確保するためには時間と苦労が必要であったからだ。
戦争は時折休むことができるが書類仕事はついに終わることはなかった。これからもきっとそうであろうとタコスは確信している。
「カララトは暑かったな。大叔父貴が遮光香を使ったのもわかる。あれは慣れるまで我慢ができない。慣れてしまえばどうとでもなるんだが……………」
「カララトか。懐かしいな」
タコスの言葉にダゴンも楽しそうに話す。
タコスはカララトでの初めての敗戦や、大悪魔の口のことも話した。大悪魔の口はハルカズムのように暗い場所であったこと。
そしてそこでは涼しく過ごせて、カララトの攻略に役立ったことも言った。
「わしの時も知っていれば楽だっただろうに」
「そうそう。海竜の封印の場所にも行ったぞ」
「勝てそうにないだろう?」
「あれは、魚人には勝てない。神っていうのはすごいんだな」
ダゴンの言葉にタコスは頷いた。
サイガンドを攻める時、海竜が封印されている洞窟に行ったのだ。封印されて眠っている竜に度肝を抜かれたタコスは、この竜には勝てないと悟ったものだった。
竜が本当にいる以上、それを封印したという神も信じざるを得ないだろう。
そんな神話上の世界をタコスは垣間見たのだ。
「タロスは何もないところだった。でも本当はでっかい魚が生きられる空間があって、そいつらが自由に泳ぎ回っていたよ。そういったことに気付けないビセンは苦労してたと思う。俺様は他所から岩を……………」
「ビゼン? タロスの前支配者か」
タロスの食糧事情はひどいものがあった。魚たちも住む場所がなかなかなく、魚人の確保も難しい世界であったからだ。それを改善したタコスはタロスが盛んになるのも時間の問題だと思っている。
砂漠には時折海流が強く流れる。
その海流が作る砂の模様は魚人が簡単に作れるものではない。まさに自然の芸術と言える壮大な模様だった。
「ナラエゴニヤは冷たすぎるな。氷の寒さで何度死ぬと思ったことか。だが、本当に死んでしまった奴もいるし贅沢かもしれないが」
「大規模な攻撃をしたと聞いている」
「ああ、テルが『死のつらら』っていうのを起こしたんだ。世界が凍るかと思えるほどで辺り一面が……………」
ナラエゴニヤは寒い地域であった。
そこにはダゴンも一度タコスと訪れているのだが、ダゴンは覚えていないようであった。
タコスはナラエゴニヤのうまい料理などを挙げて、また行ってみたいと言った。
それ以外もタコスはいろいろなことを話した。
挟み撃ちをされた時のどうしようもない状況だったこと。
色とりどりの綺麗なサンゴや、それを加工する人々の姿。
戦場で見た夕焼けの寂しさや、その中にある美しさなど。
夢中になって話すタコスにそれを聞いているダゴンも、頷きながら聞き入っていた。
「そうか、そうか…」
眩しそうに目を細めるダゴン。
ダゴンの目の前にはタコスの話す景色がはっきりと見えていた。それは、一部とはいえ自分の思い出の中にある景色だからである。
ダゴンはかつて世界統一のために7つの海を駆け巡って戦った。
その時に、ダゴンは7つの海全てを見て回ったのだった。タコスの言う美しさも、スリルも、感動も、全てダゴンの思い出の中にあるものだった。
それらはきらめいて、未だダゴンの中で輝いている。
ダゴンの様子を見て、タコスはダゴンに強く訴えた。
「大叔父貴。命はこんなにも綺麗なんだ。わかるだろう?」
「わかるとも、命は綺麗で美しい」
頷くダゴンに、タコスは嬉しくなった。ダゴンは心の底から楽しそうな顔をしていたのだから。
だが続く言葉が、タコスを現実に引き戻す。
「命は失う時に最も美しく光り輝く」
「な」
先ほどまでつらつらと言葉が出てきていたタコスの言葉が出てこなくなる。
ダゴンはさらに続けた。
「だからこそ戦うのだ。その命をもっと強く輝かせるために」
ダゴンがほとんど笑っていないようなつり上がった目、口の端を持ち上げたような悪そうな顔で笑う。それはあまりにも恐ろしい笑みであった。
タコスはただ伝えたかっただけなのだ。
命はこんなにも素晴らしいのだと。世界はこんなに光に満ち溢れているのだと。
タコスは思い出す。
あれは子供の頃のナラエゴニヤ。
小さいながらにダゴンと一緒に何人もの支配者とお供で行ったパーティーだった。
そこでマカレトロとハルカズムまでしか知らなかったタコスは衝撃を受けたのだ。
空に浮かぶ氷で曇りながらも色づく太陽。
黒ではなく、青い世界。
色とりどりの海藻に魚たちに美しいと純粋に思った。感動に体が震えた。
こんな世界を手に入れた男は今何を考えているのかとダゴンの顔を見た。
だが、ダゴンはつまらなさそうにしていたのだ。
だからこそ教えたかった。
世界は美しいのだと、素晴らしいのだと。
タコスはついに叫んでいた。
「この素晴らしい世界をもっと見ていて欲しかった!!」
タコスの体が全力で声を振り絞っていた。それはどうか届いて欲しいと言う懇願が含まれていたのだ。
タコスは泣き叫ぶように声を張り上げ続ける。
「一緒に、この世界を見ていたかったのに!!!」
「………………知っていたのか」
ダゴンの静かな言葉がタコスの叫びを止める。
それはわずかであるが驚きが含まれた言葉だった。タコスは何度も頷く。
「……大叔父貴、あんたはもうすぐ死ぬんだろ」
「はっは。見抜かれていたか」
話の内容の割に、ダゴンの声に喜びの声が混じる。
ダゴンは死に瀕している。そんな内容のはずなのにダゴンは嬉しかったのだ。
「確かに、わしは死にかかっている。世界に飽きてしまったわしは物事に感動する心を失ってしまった」
ダゴンは短期的にわずかに心を動かされることはあるものの、大きく心を動かすようなことはなかったのだ。
「そんな調子で100年も過ごしていくと、生きるための活力が減っているのがわかった。神から不老長寿の祝福を受けているわしですら、ほれこのとおり」
ダゴンが手を差し出す。
その手はひどくシワができており、年輪のように深く刻まれていた。どう考えても若者の手ではない。
年を老いるはずのないものが、心がすり減っていることで年を刻み始めたのであれば、それはどれくらい心がすり減ってしまっているのだろうか。
タコスは俯いた顔を上げる。
「だから俺様は、もっと生きていて欲しいと世界を見てきたんだ。一緒に生きていく希望となる、感動するものを教えるために…」
「そのことに気づけただけで十分。わしの周りのものたちなど、ついに誰もわしが死にかかっていることに気づけなかったのだからな」
ダゴンは嬉しそうに言う。
その感情もすぐに真顔に戻ってしまう。心がすり減ってしまい、感動が薄くなってしまっているのだ。
死にゆくものがもっとも命の輝きを増す。
その言葉にタコスは従う。
「ありがたく思え。神から託された大叔父貴の遺志は、俺様が引き継いでやる」
タコスはダゴンがもっとも望んでいるものを渡してやることにした。
槍を構え、ダゴンに向き合う。
その姿を、ダゴンは嬉しそうに見ていた。
「はっはっはっは。そう、命の輝きだ。自分の命を賭けている時、わしは自分が生きていると実感できる」
ダゴンは自分の心が満たされていくのがわかった。
戦いに余計な感情は必要ない。命をかけているときは退屈などと言ってはいられない。
自分の存在をかけてただ全力で戦うのみ。
ダゴンは剣を手に取ると椅子から立ち上がる。
久しぶりの戦いであり、激しい運動になることだろう。もしかしたら死んでしまうかもしれない。だが、それでいい。
踊るダゴンの心に退屈などと言う言葉は消えていた。
あるのはいかに相手を上回るかの命の駆け引きだけであった。