3 進軍前夜
1日の猶予を置き、タコス軍は現時点での戦力を持って、最終目的地であるマカレトロ海域、その首都ステロースを目指すこととなった。
軍団は武器、食料の点検に入り、兵の数や配置の確認を行っている。
各兵士達は戦争に向かう緊張と、興奮に包まれていた。
だが、やはり一部の兵士達は支配者の王とまで言われているダゴンに槍を向けることを恐れているもの達も少なからずいた。
後には引けない。
その思いで奔走する兵士たちをまとめ、最後の夜がタコス達に訪れたのであった。
その夜、史郎は夜の遅い時間に帰ってきた。
プランクトンランプのおかげで夜でも活動できるため、夜でも仕事をさせられるのだった。だが、確認不足で戦争に負けるよりかはよっぽどいい。
「ただいま」
窓の明かりで妻である奈美が起きている事はわかっていた。
それでもきっと息子のテイルは眠っているだろうから、出来るだけ静かに扉を開けた史郎だった。
「おかえりなさい」
同じように少し小さく言葉を返してくれる妻に安心した史郎は、しかし、机の上に広げられているものに驚いた。
史郎は奈美に驚きながら尋ねた。
「これは、何をするつもりなんだ」
「みてわからない?」
奈美はその1つを持ち上げて腕にはめる。
そして皮に手を通して手首の紐を引っ張る。ぎゅっと音がなって手にしっかりと固定される。
それは革製ではあったが戦いの時に手を保護する籠手であった。
ぎゅっぎゅっと手を開いたり閉じたりして感触を確かめると大きく頷く。
「うん、良さそうね」
手に馴染む籠手を外すと再び机の上に置いた。机の上には籠手だけではなく簡単に着れる保護スーツと足を保護する硬めの靴が用意されていた。
まるで戦争をするような装備である。
「まさか、お前ついてくる気か」
「当たり前じゃない」
本当に当たり前そうに言う奈美に史郎は強めに肩を掴む。
その力強さに奈美は少し顔をしかめたが、史郎は構わず言った。
「今まで戦争だからってついてこなかっただろう。なぜ今になって。お前にもしものことがあったらテイルはどうするつもりだ」
それは愛する妻を思うよりも愛する息子を思う言葉であった。奈美は軽く笑うと肩を掴んでいる史郎の手に自分の手を重ねた。
「大丈夫。私は死ぬつもりはないから」
「そんな保証はどこにもない。今度の戦争はダゴンと戦うんだぞ」
史郎は必死になって説得する。だが、そんな言葉に奈美は耳を傾けない。
「あなたは戦争に向かうじゃない」
「俺は死んでもお前がテイルの面倒を見てくれると信じている。そのお前が戦争に来たら安心して戦えない」
「そんなのちっとも安心じゃないわ」
奈美の言葉が史郎の動きを止める。奈美は真剣に史郎を見つめた。
「あなたはそれで満足かもしれないけど、残された私たちはどうなるの? 負ければ反逆者の子供ということできっとテイルは辛い人生を歩むことになる。私だって今回の戦争で負ければどうなるかわからない事はどこにいても同じなの」
史郎はうなだれる。自分たちが死んだらその後のことは全く考えていなかったのだ。きっと奈美がテイルをどうにかしてくれるというのは現実を見ていない甘い考えなのかもしれない。
そんな史郎に奈美はとんとん、と史郎の手を叩く。
「ちょっと、これ。痛いわ」
「ああ、すまない」
史郎はようやく、自分が奈美の肩に手をおいていたのを思い出したように手を引っ込めた。その引っ込めた手を奈美がすかさず捕まえる。
「おい」
「私もついていくわ。テイルはハルカズムの家政婦を見つけて、もうお願いしているの。ティガさんも私がついて行くことを許可してくれているわ」
「そんな…」
ティガは素手部隊の隊長を務めている魚人だ。扱いはテルと同じくタコスのサポートであるのだが、どちらかというとサポートはテルよりも軍事に傾いているように思う。
テルなどは気づいていないが、タコスの訓練相手をこっそりとしているようだ。
その戦闘能力はタコス軍で最強戦力と言われている。
身体中に戦争による傷が付いておりいかつい顔も相まって怖い印象が強いが、話せば以外と分かり合える男である。
そんなティガが許可を出したということは奈美は戦力として期待できるということだ。
前線から離れてブランクの長い奈美を引き止める最大の理由だっただけに、史郎としては思わず苦い顔をしてしまう。
戦場を離れて長いものが最前線に立つな、と言えないのだ。
奈美は史郎の手を掴んだまま自分の胸に手を当てる。
奈美の手ごしに史郎の手から心音が伝わる。
とくんとくん、と。
それがどこか安心できる鼓動に感じて、史郎はこちらを見つめている奈美を見つめ返した。
「私が兄さんもタコス様も、史郎も守ってみせる」
史郎は言葉もない。なんと言っていいのかわからないが迫力だけは伝わる奈美に、史郎はうまく言葉が返せなかったのだ。
そんな史郎を見てにこっと笑った後、奈美は言葉で伝えた。
「母は強いんだから」
「わかったわかった。もう止めはしないよ。その代わり、生きのびてくれよ」
「うん」
プランクトンランプに映る影が重なる。その影はしばらく離れなかった。
まるで初めから1つの影であったかのようにくっついているのであった。
テルは借りている家で夕食をとった後、フーカとノエと一緒に過ごしていた。
特に理由があるわけではない。
だが、穏やかに過ごせるのが今日で最後だと思うと、なんとなく2人と一緒にいたいと思っていたのだった。
「今日はティガと互角に戦えたよ」
「おいおい、物騒だな」
机を挟んで座りながら喜んで報告してくるフーカの内容に、テルは苦笑した。
ティガはタコス軍の最強戦力の1人である。そのティガに互角に渡り合えるフーカもまた、間違いなく最強戦力の1人であった。
「私、もっと強くなるからね」
「その調子でティガさんに勝てるように頑張るッス」
「なんでノエはティガが嫌いなの?」
ノエは5cmくらいの姿で机の上に座って話に参加していた。
あわよくばティガを倒してほしいというノエの言葉にフーカが疑問に思う。
そもそもなぜノエがティガを嫌っているのかテルにもよくわからない。ジンカする前から嫌いであったようだが。
そんな風に3人で楽しく会話していると、ふと、アカネの姿を思い出してしまった。
アカネはナラエゴニヤ海域で出会ったメイドをしている魚人である。
ナラエゴニヤの首都、グルコースではこのメンバーで楽しく買い物をしたのだった。それを思い出し寂しさを感じると共に、2人に伝えるべきだとテルは思った。
少なくともノエもフーカもアカネの死を知らないのだから。
「2人とも、聞いてくれないか?」
真剣な表情で話すテルに、ノエもフーカも最後までちゃんと聞いてくれたのだった。
話をし終わった後、暗い雰囲気が部屋を包み込んだ。
フーカは驚いた顔で、ノエは考え込んだ顔で。それぞれがテルの話した言葉を理解しようとしていた。
言葉が出ない様子のフーカ。アカネと仲良くしていたフーカには驚くべきことだっただろう。
次にあった時に遊ぶ約束もしていた。
その約束が叶うことはもうないのだろう。
ノエが静かに口を開いた。
「そういうことッスか」
そして、テルを見る。その黒い瞳がテルに逃げることを許さなかった。綺麗な瞳は反射してテルの少し情けない顔を映し出していた。
「自分たちの前から姿を消したのはそういうことがあったんッスね」
そういうとノエはトコトコと歩きテルもフーカもいない机の端に行く。その机の端からひゅっと飛び降り、姿が消えたかと思ったら1mサイズのノエが出てくる。
ノエはテルの横にくるとテルの左腕を掴んだ。
「アカネはいい人だったッス。だから死んだと聞いて驚いたし、もう会えないのは悲しいッス」
そういうとノエはがっしりと両手で椅子に座っているテルの左腕を抱きしめた。体全体で、である。
テルからでは顔も見えないノエは、腕に全力でしがみついて言った。
「でも、テルさんと会えないのはもっと嫌ッス。もう2度と、黙ってどこかに行かないで欲しいッスよ……」
ノエがお願いをする。
テルよりも年上のノエが恥ずかしげもなくそうする姿に、フーカも立ち上がる。
空いているテルの右腕にがっしりと掴むと、ノエよりも身長がだいぶん高いので地面に膝立ちのようになってしまった。
「私も。アカネのことは寂しいし悲しいけど、でも、テルとお別れするのはもっと嫌。絶対に嫌だからね」
「2人とも」
テルはこんな自分についてきてくれている2人に感謝した。
テルは色々なものを背負ってきた。
殺してきた人々の罪の意識や、自分がこれからも戦って行く覚悟。
だが、テルは余計なことなど考える必要はなかったのである。
「ありがとう。もう黙って出て行ったりはしない」
テルの両手はもうふさがっているからだ。
凡人が抱えるには重すぎる。
それ以上の荷物はみんなで分け合いながら相談して持って行くしかないのである。
「重たいなぁ」
「レディーに向かって重いとはなんッスか」
「そうだそうだ」
テルとしては責任感について重いといったのだが、勘違いされてしまった。
ノエとフーカはパッと顔を上げる。2人の顔には笑顔が浮かんでいた。
そのことが何よりも大事なのだとテルは実感していた。
「罰として今日は一緒に寝まーす」
「中々いい案ッスね、フーカ」
「おいおい」
手を引いて寝室に案内するフーカに頭をかきながら、テルは椅子から立たされる。
だが、フーカ達にしてみれば起きたらテルがいなかったのだ。それを思えば一緒に寝て、テルがどこにも行かないと安心したいのだろう。
「今日だけだぞ」
「やったー」
テルは根負けして2人に引っ張られて行く。せめて今日くらいは一緒に寝るのもいいかもしれない。明日からは戦場に向かう。
安眠できるのは今日が最後なのだから。
テルは自分のステータスを見る。
テル
職業 イワシLV99
マーマンLV39
マーランスLV30
マーボーLV37
電マーLV18
マーフォークLV1
装備
今の自分でいったいどこまで通用するだろうか。
わからないけれど、全力で向かうことを決心するテルであった。
タコスは自分の寝室で装備点検していた。
今まではほとんどの戦いでタコスは直接戦闘をしてこなかった。それは偶然でもあるが、狙われた効果でもある。
タコス軍はタコスが死ねばその時点で敗北である。
だからこそ、常に軍の一番安全な位置に配置されているのだ。だが、戦場は混乱することもある。タコスが今まで直接戦闘をほとんどしてこなかったのは運が良かった。
だが、今度もそうとは限らない。
戦う準備だけは常にしておく必要があるのだった。
タコスは槍と鎧をチェックしてようやく満足する。
今日に限ってなぜか、いくらチェックしても中々満足できなかったのだ。
「…流石の俺様も、大叔父貴との戦いは緊張するか」
普段から偉そうな物言いが目立つタコスは内面もプライドは高い。
だが、そのタコスでもってさえダゴンと戦うのには緊張しているのだ。それほどにダゴンという存在は重い存在なのだった。
「お主にしては珍しいのう」
タコスの寝室の扉が開いていた。
そしてスイカがいつの間にか近くに立ってタコスを見ていたのだった。
その存在に気づいていなかったタコスは少しだけ驚く。
「こそこそ入ってくるな」
「気づかなかった方が悪い」
くすくすと笑うスイカにタコスは自分に呆れた。
たしかに武器の点検に根を詰めすぎたようだ。スイカの侵入にも気づけないくらいには。
スイカに振り向いたタコスだったが、その手に持っている武器に気づいてスイカは尋ねた。
「槍、か?」
「ああ、そうだが」
そういってみせるタコス。
その槍は大将が持つため装飾が施されていた。実用としてもそこそこ使えるが、それよりはタコスの権威を象徴するという意味合いが強い。
「戦いに飾りなど必要ないとは思うが、一二三の提案でな。トップはハリボテでもいいから派手な方が実戦で戦うよりも役に立つらしい」
実際の戦争でタコスが殺せる敵兵士の数などたかが知れている。だが、タコスが派手な装備をすることによって勇気付けられた3万の味方兵士が敵を1人ずつでも殺せば、3万人は敵に被害を与えることとなる。
そちらの方がはるかに役に立つのだった。
「ならば剣の方がいいのではないか」
「俺様は使えない武器を持って戦場に行く趣味はない」
戦場で敵と出会う確率はゼロではないのだ。その時、使えもしない武器を使い殺されれば即タコス軍の敗北となる。
象徴という意味では剣の方がいいのはタコスもわかっている。
なぜか剣というのは権力の象徴というとらわれ方をされる。剣など実戦では身を守るための護身用という意味合いが強いのにである。
水中では特に、剣は槍にはるかに劣る。水の抵抗で振る武器よりも突く武器の方が有効だからだ。
剣でも突けばいいのだが、それならばリーチもある槍の方がいいに決まっている。
それでも支配者は剣を身につけたがる。
それは海中でも剣は権力の象徴という意識が強いからであった。
だが、タコスは最初から一貫して戦場では槍をそばに置いていた。
権力の象徴という憧れなんぞよりも、実際に使えるものを重視したのである。
「使わなくても護身用という意味で持っておいた方がいいのではないか?」
「使わないならデッドウエイトだろう。ただでさえ軽めとはいえ鎧を着込んでいるんだ。そんな重しなんか付ける意味が、あー…」
デッドウエイトとは無駄に重いもののことである。
現代の戦場で銃の弾丸は必要だが、必要だからと1億発の弾丸を持ち込んでも使いきれないだろう。重さで動き回ることもできずむしろ戦闘の邪魔になる。
使わないのに重たいだけのものなど要らないのだ。
言うだけ言ってからふとタコスはスイカを見ていた。スイカは後ろに手を隠しているのだが、その足元には意識がいっていないのであろう。
足元から剣の鞘が見えている。
つまりはそういうことだ。
なんともバツが悪くなるタコスであった。
少し言葉を探してからなんとか言葉をひねり出す。
「あーっと、だが、そうだな。いざという時があるかもしれん。護身用は必要か」
「……無理などせずとも結構じゃ」
フォローが遅かったようだ。
おそらくスイカはタコスの身を案じて武器を持ってきたのだろう。
支配者は権威を示すために剣を利用するし、権力の誇示が好きそうなタコスであれば当然剣を持っていると思っていたのだろう。
スイカはタコスと戦場に出たことがない。
そのためにタコスがどういった武器を戦場に持っていっていたのかわからなかったのだ。
フォローの仕方もわからないのでタコスは強引に行くことにした。
「あっ…」
「まあまあ、いい出来じゃないか」
後ろにさっと回り込むと剣を奪い取る。
そして、少しだけ剣を抜くと刃の調子を確認したのだった。
剣はよく研がれており、触れて横に滑らせただけでよくきれそうな輝きを放っていた
「お主のことじゃ。護身用の武器などうっかり忘れていそうでな。妾が気を利かせたのじゃ」
「悪いな」
そう言ってタコスはにっと笑ってみせた。
それはいつもの悪そうな笑いではなく、スイカの鼓動が少しだけ早まる。
それと同時に悔しい思いも湧き出ていた。
今回、タコスに気を使わせてしまったことがスイカにもわかったからだった。
戦場で慣れていない武器を使うということは、死につながりかねない行為である。だが、タコスは気を使って普段使わない剣を手にとってくれたのだ。
戦場に立ったことがないスイカでもその危険は十分にわかっていた。
だが、スイカはタコスが使っている武器が槍だと気づけなかったのだから仕方がない。
スイカは戦場のタコスを全く知らないのだから。
「今回の戦争。妾もついて行くぞ」
知らないうちに言葉が口から出ていた。
後悔はない。戦争は初めての経験だがそれでもタコス1人を戦場に送り出して、自分1人が安全な場所にいるのも我慢ができなかった。
スイカはタコスにだけは負けたくないのだから。
タコスは苦笑する。
スイカのそんな気持ちも知っているぞ、と言わんばかりに。
そして、気持ちを切り替えて悪そうなニヤニヤ笑いを始めた。
「おう、ついてこい。お前ぐらいは俺様がどうとでもしてやる」
安定の上から目線。
だがそれはタコスの優しさでもあった。
どんなに迷惑をかけてもなんとかしてやれるという自信がタコスにそう言わせていた。
「覚えておけよ、タコス。明日になってからやっぱりなしはダメじゃからな」
「ああ、早めに寝ろよ」
スイカは部屋を出るときに念を押して出て行った。タコスは笑ってそれを見送ると体から緊張が取れていることに気づいた。
タコスはくっくと笑う。
「本当に。最高の恋人だな」
それぞれがそれぞれの1日を終える。
そしてそれぞれの元に平等に朝が来る。
平穏に別れを告げる朝が。