1 始まる毎日
テルは借りていた家から久々に出てきた。
あたりは真っ暗ではあるが、これでも今の時間でいえば昼である。
プランクトンランプのおおいを外すと、ランプ内の灯りが外を明るく照らし出した。
「うーーー……ん!」
外の空気を吸うとテルは大きく伸びをした。そのついでとばかりに体を左右にねじり体のコリをほぐしておく。
「やっぱり中と外じゃ違うな」
テルは後ろに立っている建物を振り返る。
前回の戦いにより、逃亡兵として謹慎させられていたのだ。
しかし、そのままテルを閉じ込めるのを良しとしないもの達も多くおり、また、先の戦争による功績も考えられてこの空き家にて謹慎させられていたのだ。
狭い室内に1人で閉じ込められる独房よりは何倍も快適であった。
テルがいないところで減刑を頼み込んだ仲間達に感謝である。
だが、謹慎によってテル自身が建物から出られないことは変わらない。
そのため世間がいまどのようになっているのか、まったくわからなかった。
ここはハルカズム海域。
暗闇の海域であり常闇の海である。
そのためあたりには見慣れない魚や魚人が多く生息している。
どこか道行く人々が賑やかにしている通りを抜けてみれば、不思議な見た目の魚達も多くいた。
目が異様にギョロッとした魚人。
頭が透けている魚。
顎が外れたような魚にヌメッとした魚。
チラチラとした灯りが灯っていると思えば魚人の頬だったり。
魚にしても魚人にしてもかなり特色の強いもの達ばかりであった。
そんな人々の様子を見ながら歩いていたからだろうか。
テルはうっかり道行く人とぶつかってしまった。
ドンッ
「あっ、と。ごめんなさい」
謝って顔を上げると、目だけがないのっぺらぼうみたいな魚人がいた。あまりの驚きにテルも続く言葉が出てこない。
その魚人は手を振って朗らかに笑った、ようだった。
「いえいえ。こちらも良く見ていなかったものですから」
(お前の目はどこについてるんだ)
言葉だけではまるでヤクザ者のいちゃもんではあるが、テルは心の底からそう思っていた。その魚人はでは、とさっさと離れていく。
「……いろんな奴がいるもんだな」
関心しきりのテルであった。
昔のSF映画では良く、明らかに地球人らしくない異星人が他の異星人と、もしくは地球人と仲良く話している様子を見て地球人の主人公が驚くシーンなどがあるが、まさにそれだといった感じである。
ハルカズムの首都であるオリザの道は石畳である。
前の海域であるナラエゴニヤの首都グルコースも石畳ではあるが、オリザやグルコース以外の街は地面を叩いて硬くしただけの道である。
サイガンドはわだちを刻んであるので、車での行き来がしやすくはなっているが、それ以外の町から見れば石畳はおしゃれだなと思うのであった。
また、ハルカズムでは面白い商売もあった。
「灯りー、灯りは要らんかねー。時間は要相談ー」
灯り屋である。
ここハルカズムは都会であるマカレトロの玄関である。そのため、マカレトロまで行きたいというものは多いのであるが、その全てが夜目が利く訳ではない。
そのため、発光プランクトンを蓄える魚や、発光バクテリアを利用した灯りを作る魚。最近ではテルの発明したプランクトンランプを貸し出す商売を始める者もおり、灯りが商売となっているのだった。
他の海域ではお目にかかれない、暗闇のハルカズムならではの商売である。
「商魂たくましいな」
それを見てテルは微笑ましくなる。
商売に活気があるということは、お金が良く動いているということだ。
テルも詳しくはわからないが、お金が動くのは経済にとっては健全な証であると、どこかのコンビニ本に書いてあった覚えがある。
つまりハルカズムの経済状況は、今は活気があるということなのだろう。
商魂がたくましいというのはいいことなのだと思った。
「あまりいいことばかりでもありませんよ」
オリザの城に着くと早速一二三がげんなりとした顔で挨拶してきた。
その後ろには支配者であるタコスもおり、一二三の様子をニヤニヤと笑って見ていた。
「テル、謹慎が終わるのは今日だったか」
「はい、迷惑をかけました」
「いい。罪を犯せば罰がある。だが、罰を終えたものにはもう罪はない。そのための罰なのだからな」
タコスはテルを快く受け入れてくれた。
テルも覚悟しての謹慎であったが、やはり一週間も閉じ込められていると隔意が芽生えてしまうものだ。それが少し心配であったのだが、タコスの言葉を聞く限りどうやら杞憂のようだ。
一応の挨拶を終えた後、テルは疲れた顔の一二三に声をかける。
「どうしたんだ? やけに疲れた顔をしてるが」
「実際に疲れてますしね」
そう言って一二三は1つの書類をテルに渡す。それを何気なく眺めたテルは驚きで顔が引きつる。
「これは、ダゴンの宣戦布告じゃないか!?」
「そうだな。誰も彼も宣戦布告が好きなようだ」
ニヤリと笑うタコス。たしかにタコス軍はほとんど宣戦布告の文書を送ったことはない。奇襲をしてでも勝てばいいという実にひどい戦い方である。
それが、タコスが他の支配者達に嫌われる理由の1つでもあるのだが。
しかし、今回はいつものように簡単に流すわけにはいかない。
なぜならば差出人がダゴンであるからだ。
ダゴン。
それは海で生きているもの達にとって今なお生きている神であり、神話の生き証人でもあるのだ。
昔話では神に直接会ったことがあると言われており、神から授かった『ジンカの業』と呼ばれる特別な力を魚人達にもたらしたと言われている。
そのため、魚人達は彼の一族を支配者として崇めており、今なおその一族の者にすらも敬意を払っている。
また世界に7つある海域を唯一、制覇した人物でもあった。
それぞれの海域にダゴンの逸話が残されており、この盆地はダゴン様が1日で開けた大穴だとか、この裂け目は悪魔を封じた時にできたとか、そんな大げさな話が7つの海全てに残されている。
流石にそんなことはできないだろうと思うのに、ダゴンであればもしかしたらできてしまうかもしれないと思わせるほどに、魚人達には雲の上の存在であった。
だから彼は尊敬を込めて偉大なるダゴンと呼ばれている。
そんな生きる伝説からの宣戦布告であった。
今までの支配者とはわけが違う。言うなればタコス達支配者の大元なのだから。
だが、タコスは平然とした顔で言った。
「いずれ大叔父貴とは戦うことになったんだ。俺様の世界征服の野望には、大叔父貴の住むマカレトロ海域も含まれているんだからな」
腕を組んで偉そうに言い切るタコスにテルは感心した。
普通のものであればここまでズバリと言い切れはしない。だが、タコスは海域すら制覇していない最初の時ですら、世界征服するんだと言い張っていた。
最初は頭の弱い子かと思っていたが、目標目前とくれば十分に立派な人物ですらあった。
「なら、こちらは迎え撃つ準備をするだけだな」
割り切ったテルはしかし、なぜ一二三がこんなに疲れた顔をしているのかがわからなかった。
不思議に思って一二三を見ると、弱々しく苦笑を返してきた。
「迎え撃つ準備をするだけ、なら私も楽だったのですが」
「?」
「失礼します」
テルの頭にはてなマークが浮かぶのと、伝令が来るのが同じであった。伝令が一二三のところに来ると連絡を伝える。
「ヤーコック様達が来られました」
その伝令の言葉にため息をつく一二三。どうやら一二三の懸念はそのヤーコックとやらが原因らしい。
一二三はテルの顔をちらりと見ると伝令に伝える。
「ここにお通ししてください」
「はい」
出て行く伝令を見送ると、テルは一二三に聞いた。
「ここに連れて来るのか? 今でもだいぶ忙しそうだが」
「いいんです。兄さんも見た方が、状況がわかりやすいでしょう」
一二三がそういうとタコスの横に立つ。テルは所在なく立っているのも気まずかったので、一二三とは反対のタコスの横に立った。
ちなみにここはただの執務室である。
来客が来ても歓待するような場所ではない。
言葉こそ発してはいないが、内政官のキュリーやタンブリーも同じ部屋で仕事をしている。
やがて廊下から男たち7、8人が執務室へと入ってくる。
先頭にいる男はやけにガタイのいい男だ。先頭に立って後ろのものたちを引き連れているように見える。おそらく先ほど伝令が伝えに来たヤーコックという者だろう。
「わざわざ執務室まで呼んで頂けたということは私、ヤーコックの話を聞いてもらえるということでいいかな?」
やはりヤーコックであった。
テルが内心ガッツポーズしている間に、一二三はヤーコックの進言を一蹴した。
「借金の返済であれば我々にその意思はありません」
冷たく言い放った一二三にヤーコックは脅すように大声をあげる。
「タコス様も支配者だろう! 同じ支配者で国を支配していたベコ様の借金は払う義務があると思うが!? これはベコ様個人の借金ではなく、この海域の借金なのだから」
借金という言葉で、タコスがこの男たちに金を借りたのかと思ったが、どうやら違うようだ。このハルカズム海域の前の支配者であるベコがヤーコックたちに金を借りたらしい。
しかし、ベコは先ほどの戦争でテルが殺している。
死人が金を払えるわけもなく、仕方なく変わってこの海域を支配しているタコスに借金の返済を求めているのだろう。
だが。
「私たちを攻撃するための金を、なぜ私たちが返さなければならないのですか」
一二三のいうとおりである。
殺人鬼に襲いかかられて、捕まえたら慰謝料を請求されたようなものである。
誰がそんなものを払うというのか。
「元々、ベコはダゴンに払うようにきいてもらっていたのだろう?」
タコスはそうヤーコックたちに告げる。
ベコは借金の返済ができなかった場合、ダゴンに肩代わりしてもらう約束をしていたそうだ。
だが、ヤーコックはそれを苦そうな顔をして呟く。
「ダゴン様は敵の支配下の人間に金を払う必要はないと言ったそうだ」
それはそうである。
考えてみれば海域の支配者に金を貸した人物たちである。
となれば金を渡したところで今度はタコスに金を借りられるかもしれない。そうなれば、これから戦争をしようとしている相手に金を渡すこととほとんど同じ意味となってしまう。
少しでも考えればわかりそうなものではあるのだが。
「俺たちは海域のためを思って金を貸し出したんだ! そんな俺たちにこんな仕打ちをして許されると思っているのか!?」
ヤーコックは憤慨して怒鳴った。
一二三はため息をつくとタコスの顔を見る。その顔が「どうしましょうか」と尋ねていた。
タコスは一二三に頷くとニヤリと笑う。口から犬歯がのぞいており、非常に悪そうな笑みだ。
「ベコにもダゴンにも断られたか。それは辛いだろう」
そしてタコスは追い討ちをかけるようにいう。
「今のままでは店を持っているものは経営が難しいし、財を運用する者にとっては運用すべき財がない。このままでは一族で路頭に迷ってしまうな」
そのタコスの言葉にヤーコックたちはブルリと身震いする。
彼らは例外なく知っているのだ。お金の魔力というものを。
お金は多ければ多いほど仲間を増やしたがる。そして増えたお金はまわりの人々を従える力を持ち始めるのだ。
多くのお金は人を従える。だが、逆にお金がないと人々はよってたかって攻撃を始める。元のお金の量が多ければ多いほど、反動で攻撃は苛烈さを増す。
青くなった彼らにタコスは哀れみの目を向ける。
「俺様は奴らとは違い話がわかる。お前たちのいうように金を渡してやろう」
「タコス様!?」
「だが、ベコの勝手にした2倍という金は返さん。あくまでも貸したといっている代金をそのまま渡してやるだけだ。それだけでもいまのお前たちには十分だと思うが?」
タコスの言葉に一二三が止めるように言葉を投げかける。
だが、タコスはそれに構わず話を続けた。
ヤーコックたちは喜んでその話を受けるしかなかった。受けなければ本当に路頭に迷ってしまうのだから。
彼らが喜んで帰っていった後に、一二三はタコスに問い詰めた。
「なぜ彼らに金を渡すのですか。我々も資金という面では苦しいのですよ」
その言葉に後ろでうんうんと頷くキュリーとタンブリーがいた。それほどまでタコス軍のお金事情は火の車ということだろう。
「ベコが我々と戦争の準備をするために兵士、食料、金銭の全てをもちだしてしまいました。現在のオリザには我々が持ってきた物資しかありません。その物資すら今は街のみんなに解放している状態だというのに」
キュリーが報告してくる。
テルが街を歩いているときに、街が賑わっていると思ったのはこんな理由があったのだ。
物資の足りないオリザに、タコス軍の食料や資源を提供したのだ。
我先にと集まってきた人々が街の賑わいを作っていたと考えれば納得のいく景色であった。
そんな中で名士たちの借金を肩代わりしてやるというのは酔狂とも取れる。
「あいつらに金を渡してやることは決して損じゃない」
タコスは椅子に座ったまま言ってのけた。
「少なくともあいつらはハルカズム海域で勢力を持つ名士達だ。そんな名士たちがわざわざダゴンに恨みを持ち我々に恩を借りにきたんだぞ。これはむしろチャンスだ」
そう言ってタコスは骨ペンの裏で頭をかく。タコスの目の前の粘土板には目を通す書類とサインが求められる書類が多く並びつつあった。
タンブリーが無言で書類の追加をしているのだ。
「いま我々に必要なのは忠誠だ。相手は支配者の王ともいえるダゴン。いつ魚人たちの中から裏切り者が出てもおかしくはない。だからこそ海域や軍として統一した忠誠が俺様は欲しいんだ」
目を通しながら書類にサインをしていく。
その書類のほとんどは色々なものが足りていないという催促の書類でもあった。
「金で忠誠が買えるなら安いものだろう?」
「そのお金が足りないんですがね」
「ついでに人も足りません」
タコスの言葉にタンブリーが付け加え、それにさらにキュリーが乗っかった。
山のように積み上げられた書類全てが、手が回っていない現状を正確に表していた。
だがタコスはニヤリと笑う。
「食料や金銭に関しては既に苦内が伝令として走っている。アーラウトのムジナとサイガンドのオーム、それにカララトのスイカには前もって支援物資を頼んでいるしな。それに人手なら心当たりがある」
そういってタコスはテルに書類を渡す。受け取ったテルは頬を引きつらせながら尋ねた。
「人手っていうのは?」
「いいときに謹慎が明けたな、テル」
出会った時からのタコスの笑顔の理由が、ようやくわかったテルであった。
書類の手伝いをしながらテルはキュリーとタンブリーの能力のすごさを改めて実感していた。
なるほど、とてもではないがテルや一二三でもここまでの処理能力は出せない。
次々とくる書類を読んで、仕分けして、判断できる内容は自分たちで処理して、上の判断が必要なものは上に回す。
たったそれだけでも十分にタコスの目の前には書類の壁ができていた。
ついでにテルや一二三の前にも。
テルは仕方なく書類に目を通す。
やはり貧困が大きな問題となっているようだ。しかもそのほとんどがハルカズム海域のオリザからナラエゴニヤにかけてときている。
ベコがナラエゴニヤに向けて軍を進めた村のほとんどで食糧が不足していた。
それは村の食料をベコが高値で買い取ってくれると知らせ回ったおかげである。
村人たちは急いで村の食料を集めて売り払った。自分たちが食べる食料すらも。
結果として地域一帯が食料不足となり、食料の値段が高騰してせっかくの持っていた資金も、食料代金として持っていかれることとなったのだ。
お金の魔力の怖さでもある。
村人が苦しんでいるのを黙って見ているわけにもいかないタコス軍は、それらの処理も任されているのだった。
一二三などは疲れた顔で笑っていた。
「ベコは優秀な将ですね。死んだ後私たちをここまで苦しめるのですから」
それは嫌味であった。
本当にキュリーとタンブリーがいなければお手上げであっただろう。
キュリーとタンブリーを連れてきたスイカの目は確かだったということだ。
確かにダゴンの宣戦布告だけであればどんなにか楽だったに違いない。
もはやタコス軍は戦争どころの話ではなかったのだ。
テルは頭を抱えながら目の前の書類と格闘していくしかなかった。




