16 痛みの意味
タコス軍はほぼ壊滅状態であった。
援軍も加えた総勢5万の軍が3万に減らされているのだ。
テルとライトとの一騎打ちが終わってから、ダゴン軍は柵をも破り突撃してきていた。柵を破られれば滅びを待つしかなかったタコス軍だったが、テルの兄弟たちによる粘りがここまでの被害で食い止めていた。
それでも長くは持たないだろうと思われていた。
テルたちの兄弟は99名。
かたや攻め込んでくる軍勢は20万の大軍。減ったとはいえタコス軍を飲み込むにはいささかの問題も生じない。
どんなに頑張っても時間稼ぎ程度の働きしかできないのだ。
そこに、テルの耳にタコスの勝利宣言が聞こえてきた。
ダゴンがついに倒れた。まさかタコスがダゴンを倒すとは思っておらず、タコスに助けられたことを情けなく思うが、無事であることを知り嬉しく思う。
そしてテルはステータスを見る。
これから戦うために。
テル
職業 イワシLV100
マーマンLV82
マーランスLV79
マーボーLV67
電マーLV18
マーフォークLV1
装備
軒並みとんでもないレベルに上がっていた。これはおそらくだが共感能力による効果であった。
兄弟たちと共感能力でつながっていることで、全てのレベルがかなり高い状態で整っていた。
さらにイワシのレベルが上限と思われているLV99から100に上がっている。
レベル表記が時折壊れたテレビのように砂嵐になり、イワシのレベルが99に戻りそうになっている。
ステータスがバグっている理由がわからないが、テルは共感能力が長続きしないことを理解した。
テル1人では決してライトに勝つことはできないだろう。
だが、仲間が一緒であればテルは戦えるのである。
テルはライトとの決着をつけるつもりでいた。
ライトもまた、テルを逃がそうとは思っていないのだから。
ライトはタコスの勝利宣言後も戦いを続けていた。
テルのところにこようとするライトを、ティガがなんとか食い止めているのが現状であった。
「しっ!!」
「ぬっが!!」
ライトの剣が通り過ぎてなんとかかわしたティガの体を蹴り飛ばすライトであった。
その予想外の格闘攻撃に吹き飛ばされたティガが、追撃を恐れすぐさま体勢を立て直す。
だが、ライトはティガに襲いかかってこなかった。
むしろ驚いたようにティガの後ろを見る。
それにつられてティガも後ろを見て驚いた。
テルがフーカの手を借りて立っていたのだった。
いや、ティガはテルが生きていることは知っている。
隙だらけとなったテルを守るために戦っていたのだから。
だがテルはこれからさらに戦うとばかりにライトの方に歩みを進めたのである。
「テル、本当に大丈夫?」
「ああ、守ってくれてありがとな、フーカ」
フーカはテルが仲間たちのために意識を集中している間に、周りから襲ってくる敵の兵士からテルの身を守っていたのである。
誰にも知られることもなく、孤独に。
だからこそテルはフーカに安心させるようにうなずいた。
「今はみんながいるからな。1人じゃない」
「???」
共感能力のないフーカにはわからないことだろう。それでもテルの自信に、2度も負けた相手に立ち向かうテルを引き止めることはなかった。
テルはライトへとしっかりとした足取りで歩いていく。
ティガの横をすれ違うときにティガから軽く拳で小突かれた。
「俺も手を貸したほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫だ。これは俺がつけるべき決着だからな」
そういったテルの瞳を見たティガは苦笑する。どうにもティガはテルに甘いみたいだ。
「もう2度と、さっきみたいなヘマをするなよ。小さいのがうるさいからな」
「ああ、悪かったな」
騒ぐノエを想像して苦笑しながらテルは、ティガの突き出している拳に自分の拳を合わせる。
何度も弱々しい戦いを見せてきたテルをいまだに信じて戦わせてくれる仲間たちに感謝すらしている。
こめかみから血を流しながら笑うテルを見送るとティガは下がる。見守ると決めたのだから。
先ほど負けたはずのテルが自信満々に歩いてくる姿にライトは警戒を強くする。
どう考えても負けた相手の出す雰囲気ではなかったからだ。
歩み寄ってきたテルを無言で斬りかかるライト。
もはや交わす言葉などないのだから。
その攻撃を、先ほどとは違い余裕を持って避けるテル。
反撃とばかりに素早く槍を繰り出してきたテルに、ライトは避けずに剣で防ぐ。いや防がざるをえなかった。
それほどまでに素早い突きだったのだ。
テルの腕前を自分の下だと判断していたライトに、油断していた心がないとは言えない。
だが油断を加味しても、ここまでくるともはや別人であった。
(何をしたのだ、この男は)
ライトは心を引き締めて、テルと打ち合っていくのであった。
テルの頭の中には99人の兄弟が会話をしていた。
(兄さん、右からくる。防いですぐに攻撃)
史郎の声を頼りにテルは動く。というより動かされる。素早く的確に。
剣を槍で受け止め、ひねり、突き返す。とてもではないがテルには自分の体であるにもかかわらずどういう風に動いてるのか分からなかった。
それを防ぐライトも異常な動きを見せており、心底化け物だと思う。
だが、史郎だけではライトには勝てない。
そもそもの史郎とライトには腕前の差があるのだから。
テルはそれでも自分の勝利を信じて疑わない。
テルの脳内には色々な思念の波紋が届いていたのだった。
「はっ!」
テルは一旦距離を取ると何もない手のひらをライトに向けた。
訝しむライトの目が驚愕に開かれる。
そして背中の鉄棍棒を取り出して何もない宙空に向けて思い切り振り下ろした。
バチィン!!
破裂音が響く。
それはテルの放った水流魔法である。正確にはテルの体を借りた余市の水流魔法であった。
テルの攻撃はそれだけにとどまらない。
思念の波紋がまた届く。
魔法攻撃を叩き潰している間に、素早く踏み込んだテルは槍を振るって下からライトを攻撃した。
もちろん槍を水中で振るえば威力は落ちる。むしろ柄が長い分、剣を振るよりも水の抵抗がある。
それを構わず振り抜いたのだった。
とっさに棍棒で防いだライトの体ごとテルは槍を上に振り切った。
ムサシの怪力である。
ライトは予想外の怪力に驚きながらも、追撃に迫るテルめがけて棍棒を背中にしまう。剣に持ち替えてたものの両手で持つには時間が足りず、右の片手突きを繰り出す。
テルの脳内に思念の波紋が寄せては返してを繰り返していく。
ライトの片手突きを同じように何も持っていない左手だけ突き出すテル。
その動きだけでライトの右腕が固まったように動けなくなる。まるで宙に貼り付けにでもされたように。
サイコの特殊能力、サイコキネシスであった。
波紋はよせて返す。
左手を前に突き出したまま、史郎の思念を受け取り槍の片手突きを敢行するテル。
胸めがけて突き出された槍に、ライトは動こうとするが動けない。
完全に右腕が固定された状態では回避できないのだ。
ライトは躊躇せずに左手を槍の軌道に置く。
その手を貫いてテルの槍は勢いが止まってしまう。
ライトの左手はこれで使い物にはならなくなったが、致命傷には程遠い。片手で突いたため威力が落ちているのも影響していた。
思念が届く。仲間の思念が。
テルは両手を離す。サイコキネシスもやめライトの懐に潜り込むと体の中心めがけて肘打ちをする。奈美の思念だった。
体重の乗った十分な威力の肘打ちがライトのみぞおちに入る。
軽く吹き飛ぶライトだったが、そのことでサイコキネシスが切れていることに気付いたライトは迷わず片手のままで斬りかかる。
テルの頭に思念が走る。鋭く、素早く。
次の瞬間にはテルの姿は消えていた。
ライトの剣を避けただけではなく、いつのまにか引き抜いた槍ごと射程距離外まで離れていたのだ。黒い体となって。
苦内の特殊能力、影潜りであった。
そんなテルの胸元に傷が残る。
ライトの剣は届いていたのだ。影潜りの一瞬にテルの胸に剣が届いてわずかとはいえ切り裂いたのだった。
テルは共感能力の司令塔として全ての兄弟から力を借りていられるのだった。その能力は十分に化け物の領域であった。
だが、それについていけるライトもまた、真実化け物であった。
徐々に海底から上にあがっていく2人の戦いを、戦いをやめた両軍が見守っていた。
凄まじい戦いを目撃しているその目には、恐れとかすかな敬いを伴っていた。
ダゴンは倒れた。
戦争は終わった。
新しい時代が来た。
だが、そのどれもが2人の戦いを止める理由にはならなかった。
戦いの全ての決着がまるで2人のために設えられた舞台であるかのように、戦場全体が2人の戦いに見入っていたのである。
「テルさん。負けるなッス」
ノエは味方の陣の奥深くに隠れていた。だが、戦争は終わっているのだ。
ノエが脅威と感じるものはもう、この戦場にはない。
それでも戦い続けるテルを見て、静かに応援した。
「テル…」
戦い続ける2人の男たちを見ながら、フーカは体の前で両手をぎゅっと握りしめた。
いつライトの攻撃がテルを切り裂くかわからない。それでも、フーカは信じることにした。
いつかテルがフーカを信じてくれていたように。
ノエとフーカは戦場の違う場所で、同じ想いで祈った。
自分の大好きな人が死なないでほしいと。
永遠に続けられると思われていた2人の決着は、予想外に早くついた。
兄弟の思念が聞こえづらくなって来たテルは焦っていた。
ステータスを見るとイワシレベルが変わらずノイズが走った100なのだが、徐々に99に戻りつつあるのだ。
自分の状態を異常だと認識していたテルは、やはりと思った。
頭を打った副作用か何かなのだろう。
レベルが上限を超えた表記をされているのが何よりの証明であった。
そもそも共感能力の受信部分が壊れているテルが、仲間の声を急に聞こえるようになるわけがないのだ。
ライトの攻撃が鋭さを増す中で、テルは攻撃を防ぎ切れない回数が多くなって来た。
今のところかすり傷で済んでいるが、いずれ大怪我を負うことだろう。
共感能力が続いている今のうちに決着をつけるしかなかった。
ライトが素早く泳ぎ、その勢いを乗せたまま片手で剣を振り上げる。
ライトも致命傷ではないが出血が続いている。あたりに血の匂いが充満しているように感じているのは幻覚ではないだろう。
深手を負った左手ではもう剣を握れない。重量物である鉄棍棒は素早く振るうこともできない。
それでもお互いに戦いをやめないのは、もはや意地であった。
「「おおおおおお!!!!!」」
2人の叫びが重なる。
ライトが剣を振り下ろすよりも早く、テルがライトの懐に飛び込む。
魚人の基本である槍を持った突撃である。
テルの槍がライトの黒い服へと吸い込まれていく。
素早く体を後ろに引こうとしたライトだったが、斬りかかる時に勢いをつけこともあり、前に進んだ体はそう簡単に止まらない。
だが、振るった剣は体を止めたことにより慣性が乗せられており、十分な威力でテルの左肩口に食い込んだ。
「「あああああああああ!!!!!」」
2人の声が再び重なる。
赤い血が吹き出し痛みが全身を駆け巡るが、テルも引きはしない。
テルの体も勢いがついているのだ。また、テルの体に食い込んだ剣も振り始めの早い段階で食らったため、胸が潰れるほどまで食い込みはしなかった。
鎖骨は折れているがそれでも致命傷ではない。
テルは体ごとライトの胸に槍を突き立てる。
それは硬い何かにあたる。確かな手応えではあった。
そして。
パキッ
「「!?」」
なにかの欠ける音とともに、赤い色が2人を一瞬だけ照らした。
その光に驚いて剣から手を離すライト。胸に受けた槍の勢いのままそのまま海中を漂う。
離れていくライトを見ながら肩に食い込んだ剣を抑えるテル。肩から引き抜いてしまえば出血がひどくなるからだ。
だが2人はそんなことは頭の片隅に追いやってしまう。
テルの槍が突き立っていた場所には夕焼けのような明るい小さな光がちらちらと光っていたのだから。
テルの攻撃は確かにライトの胸に突き立った、はずであった。
だが、ライトは死んでいない。
「これは…」
「宝石の、原石」
ライトが死んでいない原因は、ライトが胸からぶら下げていた石のようなものであった。
呆然と呟くライトに、テルはその石の商品名を思い出した。
ナラエゴニヤでライトの愛した女性の形見であった。
ナラエゴニヤでテルと友達になった女性が愛する人へと送った夢という名のプレゼントであった。
原石だと言われていた石から宝石が顔をのぞかせている。
それは穏やかに赤く太陽の光を反射していた。
その色は夕焼けの赤い色。
「カーネリアン…」
それは宝石の一種。
夕焼けの色はアカネの髪の色を思い出させた。
目を閉じるライト。まぶたの裏には先ほど見た宝石の夕焼け色が焼き付いていた。
(絶対無敵の騎士様ですから)
そんな声が聞こえてくる気がした。その懐かしい声がライトの心をしばる。
決してもう、2度と聞けないその声がライトの心を狂おしいほどに縛り付けるのだ。
(笑ってください)
それはアカネからライトへの最後のお願いであった。
胸を見ると原石の形に胸に痣ができていた。槍で突かれた衝撃で原石が胸に食い込んだのだろう。だが、原石がなければライトは体を貫かれて死んでいたのも確かだった。
(お守り代わりにはなるだろう)
ダゴンの言葉を思い出してライトは苦笑してしまう。ダゴンはどこまで見抜いていたというのだろうか。
ライトは自嘲気味に呟く。
「まだ死ぬ時ではないということか」
ライトは胸に吊り下げられたカーネリアンの原石を握りしめるとテルに叫んだ。
「この決着は、いずれ!!!」
朗らかにそう言い捨ててライトは去っていく。だが、もうライトにはいくべき場所はない。
それでもライトはいつかまたテルの前に立ちはだかるつもりであった。
なぜならライトは絶対無敵の騎士なのだから。
キラキラと夕焼けのような光の残滓を見ながら、テルも呆然としていた。
あの原石はアカネが好きな人へと託した想いである。
その思いが止めたのであれば、テルはライトを見逃そうと思った。
きっとライトは今後テルが守ろうと思っているものに仇をなすかもしれない。
その時には共感能力の奇跡は起きないだろう。
それでも、友達の最後の願いを一度聞くくらいはいいんじゃないかと、テルは思ったのだった。
下から泳いできたティガが、テルの元へ来る。
「大丈夫か、テル」
「ああ、致命傷は避けた」
テルの傷を確認するとティガはすぐにライトの後を追おうとする。
テルと戦い武器をなくし疲弊したライトであれば、ティガで十分とどめをさせるのだから。
だからテルはティガを止めた。
「行かなくていい」
「………いいのか?」
テルは静かに頷く。
そしてステータスを見た。
テル
職業 イワシLV99
マーマンLV41
マーランスLV33
マーボーLV38
電マーLV18
マーフォークLV1
装備
レベルは戦争前から少し上がっているものの、完全に元に戻っていた。
イワシのレベルも99になっており、ノイズも走らない。
なにより仲間の思念が聞こえなくなっていた。
全てが元に戻ったのだろう。
テルとしても、戦場としても全てが終わったのだ。
「帰ろう」
テルはティガに肩を貸してもらいながら泳いでいく。
テルは仲間たちの陣地へと戻っていくのだった。
陣地ではノエとフーカがテルの方へと泳いで来るのが見えた。
フーカは笑顔で一杯にして、ノエは泣き顔でくしゃくしゃにして。
それに一歩遅れるように兄弟たちが。兵士たちが。
テルは苦笑してしまい、ひきつるような傷口の痛みに顔を歪めた。
テルは間違いなく幸せである。
痛みは生きるために必要な危険信号なのである。
痛みを持って帰れるということは生きていることなのだから。
生きて帰るべき場所に帰ることを、きっと幸せと呼ぶのだから。




