12 ネットワーク
テルは不思議な世界の中にいた。
混濁した意識は世界の色を変えてまだらに不思議な色でテルを困惑させた。
地面は粘土のようで世界は水飴のように。
地面と海の境目がないようなそんな世界で、テルはこのまま死んでいくのではないかとも思っていた。
ライトに付けられた鉄棍棒の傷は大きかったのかもしれない。
確認はできなかったが血はいっぱい流れ、衝撃で脳みそが吹き飛んだのかもしれない。
だが、テルにはもはや確認のしようもなかった。
ふわふわとした世界に包まれながら、ふと、テルは灯りを感じた。
それはあちこちにたくさん浮かんでおり、近くの1つをテルはぼうっと見ていた。
灯りは曖昧なこの世界で、テルに実感を与えてくれる光だった。
灯りを見ていると、どうやらそれは人型のようだった。
よく見ようとすると自分の視点が動いた。
それこそVRゲームのように自分の視点だけで、体を伴わない移動。
そんな不思議な移動の仕方で近づいていくと、その灯りは史郎の形をして、しかも動いていた。
史郎も疲れ切っているのだろう、動きが鈍くなって来ていた。
だからだろうか、後ろから敵兵が近づいて来ているのに気づいていないようであった。
敵兵が槍を構えて突きかかる。
このままでは史郎に槍が当たるだろう、そう思ったテルは急に焦りを感じた。
(史郎、後ろだ!)
言葉は出なかった。だが、思考が史郎に叫んでいた。
夢の中の出来事のように感じられていたテルであったが、夢の中であっても仲間が倒されるのは嫌なのだ。
史郎はテルの思考に反応したかのようにとっさに後ろを振り向くと、敵の槍を避けざまカウンターで敵を突き殺した。
そして、不思議そうに辺りを見回したが、すぐに別の敵に襲われて対処をしなければいけなかった。
テルはそんな史郎から離れて周りを見渡した。
そうやって見渡した世界は不思議な光景だった。
灯りだと思っていたものは全て兄弟たちであった。
そしてその兄弟たちが今、どこにいるのかということを視界だけの今の状態で全て把握していた。
いちいち目で追う必要すらない。
たとえテルから見て後ろにいようが方角と距離がなんとなくわかるのだった。
その感覚をテルは懐かしく思い出していた。
テルはハルカズム海域でライトと別れた後、仲間を守りたいと強く思った。
だが、仲間たちの居場所はわからなかった。
ハルカズムは初めての土地なので方角すら検討もつかない。
途方にくれていたテルであったが、不思議な力を感じていた。
背中を押される力というのか、惹きつけられる力というのか。
不思議な、しかし安心するような力に引っ張られるように移動したテルは、いつしか戦場にたどり着いていたのだった。
今テルが感じている感覚はその時の感覚だった。
見える灯りひとつひとつがテルを惹きつけてやまない。ひとつひとつが自分の存在を主張して燃え盛っているひとつの篝火であった。
テルは兄弟たちの目を通して戦場を見ていた。
仲間たちの灯りが戦場を照らし出してくれる。テルは兄弟たちを大事に思い、その思いは目に見えない波紋となって戦場全体に広がっていく。
波紋はテルを中心に戦場の隅々まで広がっていく。そのままいつしか消え去ると思われていた波紋はやがて帰ってくる。
それも1つや2つではない。
何重にも重なって波のように何度も何度も、世界を震わせてテルの元へ帰ってくるのであった。
何度も何度も。
波紋を返しているのは兄弟であった。テルの波紋に共鳴して波紋を広げ返しているのだ。
その仲間の波紋にテルもまた波紋を投げ返す。
共鳴しあった波紋は、もはや波紋ではなく波であった。
荒ぶる見えない波が戦場全てを覆い尽くし、兄弟たちの思念を送り届けていく。
テルは思い出す。
そして理解した。
これこそがイワシ魚人の種族能力『共感能力』である、と。
世界が元に戻っていく。
視界が普段の世界を取り戻し、白黒の世界にまた舞い戻って来た。
だが、思念の波は未だにやり取りを繰り返している。
テルは言葉を紡ぐ。
口からは出ない声のない言葉を。
その言葉はテルが発している強力な思念の波に乗り、兄弟たちに伝わり出す。
やがて兄弟が発している波を受けて、その思念をテルの思念に乗せて広がっていく。
テルを中心に兄弟たちの思念がやり取りをし始めるのであった。
戦場は激化していた。
テルが一騎打ちに負けそうになりティガが横槍を入れたことで、戦争が再開されたのだった。
ムジナも戦闘に参戦していた。
だが、もともとムジナは戦闘タイプではない。
槍を持たされてはいるものの、あくまでも自衛用の装備であった。皮肉なことに今はその槍を使う時が来ている。
「こら、あきまへんわ」
タコス軍の兵士が敵兵を防いでくれているが、そのうちの1人が防御をかいくぐってムジナの方まで攻め込んで来たのだ。
(ムサシに乗せられるんじゃなかったですわ)
ムジナはテルの共感能力を受けたムサシが羨ましくて今回の戦闘に参加したのだった。
だが、元々戦闘自体の経験が1回しかないムジナでは足手まといにしかならない。
また、テルが今回共感能力を発揮するとも限らないのだ。
(完全に無駄足ですわ)
槍を敵兵に突き出すムジナ。
だが、へっぴり腰なので敵兵は槍を避けた後ムジナに襲いかかる。
それを遠くにいた一三がまるで目の前で起こっている出来事のように理解した。
見えている視界とは別に脳内のスクリーンに映し出される映像のようであった。
その感覚はいつもの共感能力ではない不思議なものではあったが、兄弟の危機であることはわかったのだ。
だが、さすがの一三でもムジナの元まで魔法を届かせることはできない。間には味方の兵士や岩などの障害物が多すぎるのだから。
(せめてムジナが魔法が使えたら…)
そう思うと一三の視界のムジナが手を前に突き出す。
何が起こっているのかわかっていないムジナだったが、一三はその手のひらに魔法が構築できそうだったので、魔法のやり方を頭で描いてみる。
一三の思った通りに魔法が出来上がり、ムジナの手のひらから魔法が飛び出すと敵兵を打ち砕いた。
「は? え?」
自分の手のひらと死んだ敵兵を見て、一体何が起こったのかわからないままのムジナであった。
それはそうであろう。
ムジナは魔法など使えなかったのだから。
史郎は頭の片隅に千が襲われている景色が見えた。
千は戦いに向いていない弟である。心配のあまり幻覚が見えたにしてはあまりにもリアルな光景に史郎はその景色に集中する。
敵兵が千に槍を繰り出してくる。その槍を千がなんとか防ごうとするが、タイミングが合っていない。
(この場合は、こうだ)
敵兵士の穂先を自分の槍の穂先で合わせる。
そのまま円を描くようにして振り回すと、相手の槍が見事に振り回されて飛んで行った。
その様子を呆然とした顔で見つめている千と敵兵士。
(何をしている、今だ!)
史郎は千の腕を動かして無防備な敵兵士を突き殺した。
(えっ! 史郎兄さん!?)
(ああ、そうだ)
(どうやって僕の体を…)
そこまできて史郎も異常さに気づいた。
本来はイワシ魚人の持つ『共感能力』というのはお互いの意思を伝えるものである。だが、先ほどの史郎は明らかに千の体を動かしていた。
(一体何が起こっているんだ)
その思考が史郎の体から集中を途切れさせてしまった。
史郎は戦場の真っ只中にいるというのに。
敵兵に襲いかかられた史郎は槍が目の前に迫って来たときに、そのことをようやく思い出したのだった。
しかし、今からではもう避けるのは間に合わない。
死を覚悟する史郎に、体が反発した。
目の前に迫る槍を半歩だけ体をずらすことによって回避すると、そのずらした足を強く地面に叩きつけた。
そして槍が外れたことにより体ごと接近して来た敵兵士に向かって、踏み抜いた足の力を乗せた掌底を顎に叩きつける。
完全に顎を砕き、意識が飛んだ敵兵士にそのまま容赦なく開いた方の腕で肘打ちを食らわせる史郎。
ごきり
鈍い音がして敵兵士の首の骨が折れる。絶命したのを確認して呆然としている史郎の頭の中に親しい声が聞こえる。
(あんた何やってんのよ、死ぬ気なの?)
それは愛しい妻、奈美の思念だった。
そのことに嬉しくなると同時に、尋ねてみた。
(今のは奈美がやったのか? とてもじゃないが今の動きは俺にはできない)
(えっ? あっ)
ようやく奈美も異常に気づいたようだった。
兄弟だけだが、その共感能力の世界に異常な事態が起きていることに。
「これは……」
「兄さん…」
そこにはフーカに守られながら、宙を眺めて口を動かしているテルがいた。
目はうつろであり、生きているかどうかすら怪しい。
だが、それはうわべだけであると兄弟ならばわかるだろう。
(なんて強い思念波)
一二三はテルを中心にして思念が戦場一帯に広がっているのを感じていた。
そして一二三たち兄弟の思念がテルを中継器にして増幅されているのも。
声を届ける、位置がわかる程度の『共感能力』が、共感のしすぎで体が勝手に動いてしまうほどに。
それはテルを中心に共感能力で繋がれた巨大なネットワークであった。
そして、それを理解したイワシ魚人の兄弟99名が暴れ始めた。
一人一人が史郎であり、奈美であり、一二三であり、余市であった。
最高の能力を持ち合わせた連携のとれた99名の兵士である。
ダゴン軍に有利と思われた戦場が、変化を始めていた。