Flag90:落札しましょう
100以下の刻みで争っていた状態からいきなりの1000万スオンというツクニさんの声に会場が静まり返り視線が集まります。顔を伏せそうになるツクニさんの靴に他から見えないようにこんこんと自分の靴を軽く当ててそれを止めます。少し普段より顔色は悪いような気がしますが普段から付き合いのない人にはわからない程度ですので大丈夫でしょう。
「さあ1000万の声が出ました。これは驚きです。しかしオークションはまだまだこれから。希少なダークエルフですよ。ここを逃せば一生手に入らないかもしれません!」
「1050万」
「1080だ!」
一瞬冷や水を掛けられたかのように静かになっていた会場が再び盛り上がりを見せ始めました。うーん、やはりこの程度では無理ですか。とは言え参加している人数は比べ物にならないほど減りましたので意味がない訳ではなかったのですがね。
オークションの厄介な所はその場の雰囲気です。少しずつ吊り上がっていくその金額にあと少し、あと少しで手が届くのではないかと錯覚してしまうのです。それはまるで熱病に浮かされたように判断力を失わせ、いつの間にか当初の予定金額を超え自分が出せるぎりぎりまで金額を提示してしまう。下手をすれば自分が支払うことの出来ない金額まで示して。
そういった意味ではこのオークションはまだ健全ですね。事前に支払うことのできる上限金額の証明を提出させているのですから。これはオークション側の事情もあるでしょうがその本人に上限金額を事前に意識づけさせるという意味合いもあるのかもしれません。
現在オークションに参加しているのは3名。私たちと同じ1階に座っている奴隷商人と思わしき2人と2階の貴賓席にいるおそらく貴族だけです。3人ともまだまだ余裕はありそうですね。ヒューゴさんが集めてくれた情報の中にあったダークエルフの前回のオークションの落札金額はおよそ1800万スオンでした。長年奴隷商人をしていればこの程度の情報は知っているでしょうからそれなりの金額は事前に用意しているでしょう。
とは言え奴隷商人はまだどうとでもなります。問題は貴族ですよね。普通に金額で張り合ってくれる常識のある方であれば問題はないのですが。まあそれは今は参加していない貴族も同じですが。
1500万を超えたあたりで貴族が入札をやめ、現状2人の奴隷商人が争っています。
「1610万」
「1620だ!」
片方の奴隷商人の方が少々苦しそうですね。そろそろ潮時でしょうか。勝利を確信した後に横やりを入れて熱くなられても困りものですし。少しぼーっと気を抜いていたツクニさんへ合図を送ります。びくっと体を小さく震わせツクニさんが札を持つ手に力が入りました。そのツクニさんの手にふんわりとリエンさんが手を乗せ微笑みます。ツクニさんの手から力が抜け、震えが止まりました。そしてリエンさんに微笑み返すとキッと前を向きました。男の顔ですねえ。やはり良いものですね、愛の力とは。
1000万以上の資金を持つことを示す金色のツクニさんの札がゆっくりと掲げられます。
「2000万!」
「「「おおー」」」
会場から歓声が上がります。入札していた奴隷商人の1人は驚きの表情をしながらパクパクと口を開け閉めしながらこちらを見ており、もう1人はツクニさんの自信にあふれた表情を見て肩をすくませました。おそらくもう少々資金に余裕はあるのでしょうがツクニさんの態度からこれ以上勝負をしても絶対に勝てないと悟ったのでしょう。
もしかするとツクニさんの顔を知っていたのかもしれません。最近は良質な砂糖と胡椒を販売する新興の商人として名が売れているようですからね。陰では成り上がり者とも言われているようですがまあそれはやっかみですから気にしても仕方ありません。ある意味で好都合です。成り上がり者が見栄のために金にあかしてダークエルフを購入した。ある意味で自然な流れです。
「他にはありませんか。……ないようですね。それでは本日の目玉ダークエルフは74番の方が落札されました。おめでとうございます」
カンカンと鳴る木づちがツクニさんが落札したことを告げます。周りの商人がツクニさんへと色々な種類の視線を向けています。中には手を握っておめでとうと直接言いに来るような方もいらっしゃいました。軽い顔繋ぎのつもりかもしれませんね。今話題の商店ですし、資金力があることも今回のことでわかったはずです。何か商売のタネになるかもしれないと考えるのは商人としては当たり前でしょう。最後まで争っていた余裕のある方の奴隷商人の方も来てお互いの健闘をたたえ合っていたようですし。ツクニさんは恐縮しっぱなしでしたが。
少し離れたところからその様子を見ていた私は、その人混みが落ち着いたところでツクニさんの元へと向かいます。
「落札おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「良い物を見せていただきました。それでは私は先にお暇します。ハブルクへお帰りの際はぜひご用命ください」
ツクニさんへと手を差し出し握手を交わします。手の中の異物感にツクニさんの口が開きそうになるのを笑顔で黙殺します。ツクニさんも察してくれたようで少しぎこちない笑顔を返してくれました。
そしてオークションの従業員に連れられツクニさんとリエンさんが舞台脇の扉の奥へと消えていきました。それを見送り、ほとんど人のいなくなったオークション会場から外へと出ます。まぶしい日差しに少し目を細め、そして待っていた5人の護衛の獣人の方々の元へと向かいます。そしてその近くに立っている普通の人に話しかけるつもりで話し始めます。
「ツクニさんはダークエルフを買われましたのでしばらくかかりそうです。それでは私は失礼します。ツクニさんによろしくお伝えください。行きましょう、ファン」
「はい」
若干私に話しかけられた男性が驚いていましたがどうやら自分ではないと納得したようですぐに離れていきました。そして私も4人の獣人奴隷の方をそこに残してファンさんだけを連れて奴隷通りから去っていきます。いくつかの視線が私に突き刺さっているのを感じます。まあ私が感じる程度の方でしたら問題はないのでしょうがね。
街の中心へと向かい、いくつかの商店を巡りながらお土産になりそうなものを適当にみつくろっていきます。もちろん荷物はファンさんが持ちますのでかさばらない小物ばかりですがね。あまり荷物を持たせすぎて護衛の意味がなくなっては仕方ないですし。
しばらく買い物を続け、そしてこの時間では人通りの少ない通りへと進んでいきます。通りを歩いているのはほぼ男性であり皆一様に同じような表情をしています。そして行き着いた先はまあいわゆる歓楽街というものです。まだ日が明るいので閉まっている店ももちろんあるのですが、私の目的の店はヒューゴさんの情報通り開いているようですね。歓楽街の中でも高級な、館と言っても過言ではないその店へとドアマンに開けられた扉をくぐり足を踏み入れます。
「ようこそ、うたかたの夢の館へ。最高のおもてなしをあなたへ」
そこで待っていたのは30代後半と思われる妙齢の女性でした。少し着崩されたその服は胸の谷間が強調されるようなもので轟惑的な魅力を振りまいています。朱で塗られた唇と口元にある少し大きなほくろがなんとも色っぽい方ですね。
「ありがとうございます。楽しませていただきますね」
「はい。さっそくお相手を……」
「ああ、すみません。実は知り合いから既にお勧めされている方がいらっしゃいまして。都合がよろしければお願いしたいのです。スレイさんと言う女性なのですが」
「スレイですか?」
女性の目が私たちを見定めるようにゆっくりと動きます。私はにこやかに笑い返しながら言葉を続けます。
「はい、バラの間で3時間ほど遊ばせていただければと思います」
「わかりました。それではご案内させていただきます」
私達を見ながら意味深な笑みを浮かべる女性へお金を渡し、しゃなりしゃなりと独特な歩き方をする彼女の後について店の奥へと向かいます。そして案内された部屋へと入り女性がいなくなったところで大きく息を吐きます。
「ふう、やはりつけられていますかね」
「ああ、おそらくそれらしいのが数人いたな。しかし多くはないはずだ」
「でしょうね。あくまで本命はツクニさんの方ですから」
そんなことを話しながら30分程度休憩します。この部屋に女性が来ることはありません。ヒューゴさんに教えてもらった愛し合う男性同士が密会に使うための部屋ですので。一緒に娼館に来ただけとカモフラージュするわけですね。なぜそんな部屋のことをヒューゴさんが知っているのか想像すると少々恐ろしくもあるのですが今の私たちと同じような使い方をする人もいるということだと信じておきましょう。
部屋に用意してあった水で水分を補給し、そしてヒューゴさんから事前に聞いていた通り店の裏口から外へと出ると急いで港へと向かいます。治安があまり良いとは言えない地域でしたがファンさんのおかげでなんとかトラブルなく港へと着くことができ、事務所で出港手続きを終えて船の暖気を始めます。
じりじりとしながら時が過ぎるのを待ちます。よほどのことがない限り危害を加えられるようなことはないはずですが万が一と言うこともあります。ファンさんも自分が動けない状況がもどかしいようでうろうろと船上を動き回っていました。
「来たぞ!」
ファンさんの声に視線を向けます。そこには3人の獣人奴隷の方々に守られるようにして歩いてくるツクニさんたちがいました。問題はなさそうですね。ツクニさんたちを船に乗せ急いで船を沖へと進ませます。
はぁ、とりあえずこれで一安心です。まあこれははじめの一歩でしかないのですがね。薄いローブから覗く浅黒い肌を見ながらそんなことを思うのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【先住民への影響(病気)】
18世紀にヨーロッパ人に発見された多くの社会はそれまで世界の他の地域に知られることなくそれぞれの生活を営んでいました。船は交易の品を運び、富を生み、最先端であったヨーロッパの文化を伝えましたが、一方で様々な弊害を原住民にもたらしました。その中の1つに疫病があります。
疫病として広まったものとして梅毒、インフルエンザ、結核といった致死率の高い病気が急速に広まり、原住民が全滅した例もしばしばあったようです。特にタヒチではヨーロッパ人がやって来てから急速に性病が広がったようです。
***
ブクマいただきました。ありがとうございます。




