Flag8:相談してみましょう
操舵室のデスクライトの明かりが暗闇を照らす中、カリカリとノートにペンを走らせていきます。この船で航海に出てから寝込んで動けなくなるまで毎日書き続けた物です。
響きの良い言葉で表すなら航海日誌といったところです。船員法という法律で備え付けが義務付けられている重要な書類の一つですね。
ここに書かれているのは天気、現在地、波の状況などの航海の情報から、この船に関する情報、そして所感など様々です。まあ私にとっては一種の日記のようなものでしょうか。
「ふむ」
一通りの項目を書き終え、ペンを置きます。そしてペラペラと航海日誌をめくりながら考えを巡らせます。
アル君と出会って20日が過ぎました。毎日遊びに来るアル君の相手をしながら、たまにリリアンナさんに料理を教え、アル君を連れ戻しに来たガイストさんの愚痴を聞いたりと、ローレライの方々とは良い付き合いをさせていただいています。最近はリリアンナさん以外のローレライの方も料理を習いたいとおっしゃっているようですし。
この騒がしくも穏やかな日々はとても幸せなのですが、いつまでもこのままというわけにもいきません。ローレライの方々が嫌というわけではなく、現実的な問題です。
元々このメガヨットには私が死ぬまでに十分すぎるほどの食料、水、燃料が積まれていました。しかし現状として若返っている私はすぐに死ぬとは思えません。
夢だと単純に思えていた頃ならば特に気にするようなこともなかったのですが、いくらなんでも20日連続した夢を見ていると考えるのは愚かとしか言いようがありません。実際は夢なのかもしれませんが実際に物は消費されていっているのですから。
このメガヨットのカタログスペックとして燃料タンクは50,000リットル、清水は12,000リットル入ります。出港時はもちろん満タンでしたが、太平洋の公海で一ヶ月弱、こちらで20日過ごした現在、まだまだ十分な余裕はありますが先を考えないわけにはいきません。
特に今までは一人で過ごし、船を動かすことも嵐などから逃げるときくらいだったのですが、ローレライの方々と過ごすようになり、特に清水の消費が激しくなっています。料理には電気も使用しますので燃料も消費されますし、食料も減るばかりです。魚介類はお土産に持ってきてくれますので逆に増えているのですがね。
まあつまりどこかの港へ寄港し物資の補給を行う必要があるというわけです。
問題としては私がお金を持っていないということですかね。元々どこに寄るつもりもない旅立ちでしたので補給のことなど考えてはいませんでしたし。カードが使えれば良いのですが、港によっては使えない可能性もあります。そもそも私のカードは使用が止められていそうな気がしないでもありませんがね。
言語については問題はないと考えています。世界中を旅する船舶では基本的には英語が共通言語となっていますが、それについては仕事上の関係もあり話すことができますし、まあローレライの方々が日本語を話していた時点で大丈夫だと思うのですが。
ノートを閉じてデスクライトを消し、ゆっくりと操舵室から外へ出ると穏やかな風とさざ波の音が私を包みます。本当に過ごしやすい良い海です。
操舵室前のフロントデッキへと着いた私は、ソファーへと寝転がり空を見上げます。周りに全く明かりのないこの場所から見つめる星空は、幾千、幾万もの光を集めたカーテンのようです。日本では到底見ることなどできない絶景でしょう。
「別の意味でもですがね」
そう呟き自嘲します。
船乗りの端くれとして天測、つまり太陽や星の位置から自船の位置を特定する勉強はしてきました。計器が故障したから走れませんなんていうのは、海上においてはただの自殺と変わりません。
だからこそ船乗りは星に詳しいのです。そしてだからこそ私はここが地球ではないことに気づいてしまったのです。まあアル君が出てきた段階でおかしいとは思っていたのですが、人に知られていない未知の生物がいる可能性を海は十分に備えていますからありえないとは言えませんしね。
ここには北半球を航海するうえで最重要の星である北極星がありません。その代わりと言ってはなんですがそれに近しい位置に正三角形を描くように明るい星が3つ浮かんでいます。その中心点がちょうど北極星の位置でしょう。そこには何もありません。
あるべき星がなく、あるはずのない星のある空。それは私にここが地球ではないことを確信させるのに十分な光景でした。
そして星を観察することで分かったことが1つ。
この3つの星から天測した現在地と船のGPSが指し示す位置はおおよそ一致していました。それはつまり地球ではないはずなのになぜかGPSが生きている可能性があることを示しています。
そしてそれは海図と自船位置をディスプレイ上に表示する電子海図表示装置(ECDIS)に従って操船すれば陸地へと着くことが出来ることを意味しているのです。
「どうしましょうかね」
今後の事を考えればいつかは決断しなければならないことだとはわかっているのですが、アル君たちと過ごす日々があまりに楽しすぎて私に二の足を踏ませるのです。
地球でないならばカードはおろか、お金も使えませんしなどとその問題から逃げるような考えばかりが浮かんできてしまいます。
しかし現実問題として避けることは出来ない、ここ数日そんな堂々巡りを続けていたのです。
しかしこれでは……
「ダメですね。アル君たちに相談してみますか。私自身、この場所の知識が不足しているのは確かですからね。現状では判断のしようがありません」
決断を下すにしても事前の情報が無ければより良い選択などできるはずがありませんし、ここはローレライの方々のお知恵を拝借しましょう。
そう決断したことで少し胸のつかえのとれた私は、目を閉じると波が船を揺らす音を子守唄にいつの間にか寝てしまったのでした。
翌日、遊びに来たアル君にお願いをしてガイストさんとリリアンナさんを連れてきてもらいました。そして最近私が考えていた、船を寄港させることについて尋ねてみたのです。
「おっちゃん、どっか行っちまうのか?」
アル君が眉を下げ、心配そうに私を見つめてきます。私は即座に首を横へと振って笑い返しました。
「そんなつもりはありません。ここは良い場所ですから補給さえ出来ればまたここに戻ってこようと思っていますよ」
その言葉にアル君とリリアンナさんの表情が緩みます。その表情の変化に喜びがわいてきます。別れるのが寂しいと思ってもらえる繋がりというのはなかなか出来ないものですからね。
そんな2人とは対照的にガイストさんは難しい顔をしたまま腕組みをして考えています。
「ここから東へ80キロほど行けば陸地がある。そこにはワタル殿と同じような人間が住んでいるはずだ。しかし……」
「なにか問題でも?」
言いよどむガイストさんの様子に不安が首をもたげてきますが聞かないわけにはいきません。
「このギフトシップで行くのは問題が起こるかも知れん」
「ギフトシップ……ですか?」
聞きなれない言葉にオウム返しに質問を返します。ガイストさんが首を縦に振りながら話し始めました。
「ワタル殿はあまり世間のことを知らないようだが、この船のような金属でできた船は一般的にギフトシップと呼ばれている。人間では作り得ない神から与えられし船だからそう呼ぶのだそうだ」
「金属でできた……という事はここでの一般的な船とは?」
「木造船だな。一部金属を使用している場所はあるが外装がすべて金属で覆われた船などギフトシップ以外にありえない」
その言葉に私は頭を殴られたような衝撃を受けました。この船の外装は金属ではなくGRP(ガラス繊維強化プラスチック)を用いていると意味もなく訂正してしまいそうなほどに。
ただ単純に普通の船が木造だからという訳ではありません。その言葉の意味することは、船を基準に考えると19世紀ほどの技術しか持っていないということを示しているのです。
地球でロバート・フルトンが実験に成功し、クラーモント号という蒸気船を開発したのが1807年。鉄道の父と言われるイギリスのジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車の実用化に成功するよりも前に蒸気船は出来ていたのですが、これはまだ木造だったそうです。金属製の船が作成されたのはその十数年後、本格的に広まったのは19世紀後半です。
ガイストさんの言葉が正しく、一部の技術のみが突出するようなおかしな状況でなければ、蒸気機関が発明されているとは考えづらい。発明されているならば鉄の安定供給が行われるようになり、木造に比べてメリットの多い金属製の船が開発されないとは思えないですからね。
船は飛行機や車と違い、水の浮力で浮かんでいますのでいくらでも巨大化できるというのがメリットの一つですし。あくまでも理論上の話ですがね。
おっと思考が脇へとずれてしまいました。
ここで問題になるのがこの船の燃料のことです。このメガヨットは軽油で走ったり発電を行っています。そして蒸気機関の燃料といえば石炭が一般的です。しかしそれさえも開発されていない可能性が高い。
つまり港へ寄ったとしても燃料の補給など出来るはずがないのです。これは困りました。燃料がなければ船を動かすことも電気を使うことも出来ません。
「……というわけだ。聞いているのか、ワタル殿」
「えっ、あっ。申し訳ありません。考え事をしていて聞いていませんでした」
私が衝撃を受けている間にガイストさんが何やら説明をしてくださっていたようです。全く耳に入っていませんでした。
素直に謝罪の意を込めて頭を下げれば、ガイストさんは仕方ないとばかりにため息を一つつくと再度話し始めました。
「ギフトシップを動かすためには特殊な訓練と魔石が必要だとは聞いたことがある。実際我々も1隻持っているが動かし方がわからずただ放置してあるしな」
「ああ、あれな。今はチビ達の遊び場になってるけど」
「私の船と同じような船があるのですか!? それに動かすのに必要な魔石とは一体何なのでしょうか?」
思わぬ情報に身を乗り出してしまいました。普段からは考えられない私の様子に3人が少し驚いていましたが、今はそんな事を気にしている場合ではありません。現状を打破する手がかりがそこにあるのですから。
「魔石というのは魔物の中にある魔力の含まれた石だ」
「魔力ですか」
「そうだぞ。俺たちはあんま使わないけど人間は魔石を使っていろいろやっているらしいな」
いきなり出てきたファンタジーな単語に思わず戸惑います。しかし考えてみればアル君たちローレライ自体が既にファンタジーでしたね。この程度は許容範囲でしょう。
「そうですか。ちなみにどういったものなのでしょう?」
「あれ? おっちゃん持ってるだろ?」
「いえ、そんなものは無いと思いますが」
アル君が不思議そうな顔で私を見つめ、そしてリリアンナさんの方へと向き直りました。その視線を受けたリリアンナさんはしばらく小首をかしげて考えていましたが、しばらくしてぽんっと手を打ちました。
「ああ、気づいてないのかもしれません。お土産にお渡ししたソードフィッシュの中に石がありませんでしたか?」
「アレですか」
そう言われて思い出したのは、数日前に渡された3メートル弱の巨大なカジキでした。ソードフィッシュといえば普通はメカジキのことなのですが、いただいたソードフィッシュはメカジキの特徴である上あごが伸びたモリのような部分が本当の剣のようになっており、下手をすれば手がスパッと切れてしまいそうな恐怖を感じました。
もちろんそんな危険な魚を生きた状態で渡されるはずもなく絞められていたのですが、さすがにこんなに巨大な魚をおろした経験はありませんし、それができるような道具もありません。なのでリリアンナさんにお願いして内臓の処理とその身をぶつ切りにしてもらい、いくらかは料理で既に使いましたが、大半は冷凍庫で凍っています。
「ソードフィッシュのどのあたりにありましたか?」
「頭部ですね。捨ててしまいましたか?」
「いえ、そんなもったいないことはしませんよ」
アラ汁にするもよし、かぶと煮にするもよしですしね。まあそれが入るような鍋が無いので現状はどうしようもなくて冷凍庫行きとなったわけですが。
リリアンナさんに促され、ソードフィッシュの頭部を冷凍庫から持ってきます。さすがに凍っているので普通に包丁を入れようとしても無理でした。
そんな私の様子を見かねたガイストさんが、腰からナイフを取り出し頭へと突き刺すとすんなりとナイフが沈んでいきます。格の違いを見せつけられたようで少しショックです。
そんな私の心境など知るはずもないガイストさんはゆっくりとナイフを動かしその頭部に一筋切れ目を入れると、両手でその切れ目を広げて行きます。そしてしばらくしてその切れ目から5センチほどの黒くて凸レンズのような形をした石が出てきました。そしてその石を私へと差し出します。
「これが魔石だ」
「はぁ、そうなのですね」
渡された魔石をしげしげと見ますが私にはただの黒い石にしか見えません。つやつやしており光沢があるので大きささえ揃えられるのなら少し大きすぎますが碁石に使えるかもという感じです。
魔力がこもっているという話でしたが全くそんなものは感じられません。
「それでこの魔石をどうやって使うのですか?」
「それは知らん」
「えっ?」
「魔石を使うという話もたまたま聞いて知っていただけだ。実際に使ったことなどないからな」
なぜか胸を張って断言されてしまいました。そこがわからないのでは意味がないのでは? という言葉は飲み込みます。
水中で活動のできるローレライにとって船は必要のないものでしょうからね。魔石を使うという情報が得られただけでも良しとするべきなのでしょう。
「うーん、それではどこで使えるか少し探してみます。貴重な情報ありがとうございました」
「いや、ワタル殿には2人とも良くしてもらっているからな」
「はい、料理も少しずつですが作れるようになりましたし」
「おっちゃんの料理うまいからな」
頭を下げて礼を言えば、ガイストさんは気にするなと、リリアンナさんは軽く会釈し手を振って海へと戻って行きました。なにか用事があったかもしれないのに来ていただいて本当にありがたいですね。
まあアル君はいつも通りこのまま船に滞在するつもりのようです。
「あっ、そうだ。おっちゃん。船を探すなら俺も連れてってくれよ。探検みたいなもんだろ」
「あぁ、そういえばアル君に船の中をしっかりと案内したことはありませんでしたね。もちろん大丈夫ですよ」
興味津々といった顔で私を見て、両手を伸ばしてくるアル君を抱き上げます。最初は恥ずかしがっていましたがさすがにもう慣れたのか最近では移動するときには自分から両手を挙げて抱き上げやすいようにしてくれるようになりました。
相変わらず軽いアル君を抱きあげ、説明しながら船内を歩き始めました。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【ソードフィッシュ】
メカジキのことです。まるで槍が付いているようなその姿から死傷者がたくさん出ているようなイメージがあるかもしれませんが報告例は少ないようです。外洋の深海にいることが多いからと考えられています。しかし攻撃的な一面がありますので見かけたら逃げることをおすすめします。
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お読みいただきありがとうございます。