Flag85:領主と話しましょう
貴族などと面会するときの礼儀作法についてはミウさんに教わっていますし、オットーさんにも確認しています。今回は謁見という訳ではないという事ですので基本的に最初に相手が良いと言うまで頭を下げるだけです。後は失礼のない言葉遣いをするという事ですがこれは相手が誰であろうと変わりませんからね。
「頭を上げよ。今回は贈り物の謝礼に来たのだ。そうかしこまることもあるまい。ワタルと言ったな?」
「はい。ワタル カイバラと申します。お会いできて光栄です。スチュワート様」
「オットーも息災のようでなにより」
「スチュワート様のおかげでございます」
スチュワートさんにソファーに座るように勧められ、オットーさんに続いてソファーへと座ります。今のところこちらに友好的な態度に思えますが、これが演技なのかどうかまだ判断がつきませんね。
カールさんがスチュワートさんと私たちへと紅茶と焼き菓子を用意していきます。かぐわしい匂いが部屋の中に広がります。さすが港町の領主と言ったところでしょうか。香りを楽しんでいるとドアがノックされ、私の献上した品々が台に載せられてやってきました。見たところ全て載っているので問題はなかったようですね。
「おお、来たな。オットーの話では見たことのないほど素晴らしい生地という事だったが」
「はい。今回手に入れましたのはそちらの絹の生地です」
カールさんが台の上から絹の生地を取りスチュワートさんの前に置きます。スチュワートさんがその生地の表面を早速撫で驚きをあらわにします。
「ほう、良い手触りだな」
「はい。絹の良いところとしてなによりその肌触りの滑らかさがあります。繊維そのものが熱を伝えにくくその隙間に多くの空気が含まれていますので肌に触れると温かみを感じます。薄くても保湿性に優れていますし、吸湿性もあるので余分な水分を飛ばしてさらっと着ることが出来ます」
「日光にはあまり強くありませんのでナイトドレスもしくはその着心地を生かした下着類などがお勧めですな」
「ほう、それでは娘の新しいドレスを作ってもらおう、オットー。良いな?」
「はい、お任せください」
スチュワートさんの言葉にオットーさんが喜々として返事をします。一応想定通りではありますが、もしかすると自分では使わないと言う事も考えられましたので良かったですね。この生地であれば他者との取引に十分使用できるでしょうから。
「他にもいろいろなものをもらったようだな」
台の上を眺めながらスチュワートさんが言います。そうですね。興味があるようなので一応簡単に説明しておきましょう。
「はい、こちらの小さな箱には奥様とお嬢様用にローレライの涙がいくつか入っています。比較的大粒の物を用意させていただきましたのでネックレスや指輪などに使用できるかと」
「おぉ、アリソンばあから聞いたぞ。ローレライと交流をもったそうだな」
「どちらかと言えばローレライと交流を持っている人々と運よく出会えたというところですが」
「それでもすごいことだぞ。この町にとって奴らの存在は目の上の瘤だったのだ。交渉、交流など無理だと考えていたが少しであれそこに希望の光が見えたのだ。それはローレライの涙以上の価値がある」
何度もうなずきながら言うその姿は代々この町の領主が頭を悩ませてきたのだろうと想像が出来るほどでした。確かに西にキオック海が広がっているせいでルムッテロの港の航路が狭まっているというのは確かですからね。それに手を出さなければ大丈夫とわかっていても未知の脅威が傍にいると言うのは領主としては看過できない問題でしょう。
しかしアリソンばあですか。領主にそう呼ばれるとはやはりアリソンさんは一筋縄ではいきそうにない人のようですね。
「その他には最近ランドル皇国へ商用で行くことがありましたのでそこで手に入れた生地や私の国で作られた飴などの菓子をお持ちしました。その他にもこまごまとしたものがございますので気に入ったものがございましたら商人ギルドへご連絡いただければと思います」
「ふむ、異国の菓子か。後で楽しませてもらおう」
やはりこの場で振る舞われることはありませんでしたか。菓子に関してはもしかすると毒見も含めてここで提供されるかとも考えていたのですがここに持ってくる段階で簡易的には調べているでしょうしね。
「しかしヒノモトと言うのは聞きなれん国だな。知っているか、オットー、カール?」
「いえ、寡聞にして。申し訳ありません」
「私もワタルさんに聞くまで知りませんでしたな。小さな島国で他国との交流もないと言う話でしたので知っている者はほとんどいないのではないでしょうか?」
「そうですね。ギフトシップが無ければ海流の関係で外洋に出ることも難しい国になりますので知るものはわずかでしょう」
「交易は可能か?」
「無理とは言いませんが難しいとは思います。そもそも他国の人を受け入れる土台がありませんので交渉のテーブルに着くのに一苦労ですし、交易が出来るようになったとしてもギフトシップが必ず必要になります。採算が取れるとは考えにくいでしょう」
やはり聞かれましたか。私が持ってきた生地を産出するような国と言うのであれば交易したいと言うのはわからないでもありません。交易ルートを増やすことがこの町を栄えさせることに繋がりますからそれを考えるのは当然です。とは言え実際には無い国ですので探されても困ってしまいます。コロンブスのように別の大陸を見つける可能性は十分にありますが被害が出てしまいそうですしね。
「しかしギフトシップか。領主などをしているとおちおち休みどころか目的が無くては外に出ることも出来んのだ。たまには海へ出てみたいと思うのだがな」
ちらっとカールさんを見ながらスチュワートさんが言いますがカールさんは表情を全く変えずに聞こえなかったふりをしています。主の言葉を無視して大丈夫なのかと他人事ながら心配になってしまいますが、特にスチュワートさんが怒るような様子も見えません。これが2人の間の通常なのかもしれませんね。
「そうですね。海は良いですよ。暖かな日差しとゆったりとした波の揺れ。潮の匂いを感じながらその雄大な景色に圧倒される。私もほぼ毎日船で過ごしていますが飽きることはありませんね」
「そうか」
スチュワートさんがうらやましそうに呟きます。確かに領主なんて言う責任のある立場では自由な行動と言うのはとることが出来ないのでしょう。執務などで多忙を極めていそうです。だからこそ息抜き代わりに私のような一介の商人の話を聞こうと思ったのかもしれませんね。
しかし話の流れ的には丁度良い感じです。そろそろ切り出しますかね。
「ええ。それにローレライの涙を手に入れるきっかけになったように海では思わぬ拾い物と言うよりは出会いがありますので。例えばこのような」
私が胸ポケットから取り出したブレスレットに全員の目が集まります。精緻な装飾の施されたプラチナのブレスレットにはランドル皇国の紋章が刻まれています。エリザベート号から引き揚げたエリザさんの持ち物の1つです。さすがにエリザさんが身に着けていたネックレスを借りるわけにもいきませんでしたし、紋章付きの懐剣などもありましたが領主の前で武器になるようなものを持っていくわけにもいきませんでしたのでこちらをお借りしました。
オットーさんは純粋に驚いているようですが、スチュワートさんとカールさんの目が先ほどまでの穏やかなものから為政者としての厳しいものに変わっています。確かにこれは爆弾ですからね。しかも特大の。
「オットー」
「はい、承知しています」
カールさんに連れられてオットーさんが部屋から出ていきました。そしてカールさんがすぐに戻ってきます。部屋の中は重苦しい空気が漂っていますね。当たり前ですが。
「これをいつ、どこで手に入れた?」
「はい。数か月前に嵐が来た翌日にこの国とランドル皇国の国境沖の海で遭難者を発見、保護しましてね。その方にお借りしたものです」
「生きているのか?」
「はい。ある島に保護していただいています。国に帰るのも無理そうでしたし、ルムッテロへ連れてくるにしても問題が多いでしょうから」
はぁー、とスチュワートさんが頭をおさえながら深いため息を吐きます。確かに頭の痛い問題でしょう。解決したと思った問題が根底から覆されたのですから。
「なぜ今になって私たちに伝えたのでしょうか?」
「そうですね。先方が落ち着かれたということとランドル皇国の動きが怪しくなってきたからですね。このままではこの国が飲まれてしまう可能性が高い。それほどの動きをランドル皇国がしています」
「かの国の動きが激しくなっているのは承知している。仔細はわからぬが大きな変革が訪れるだろうとは考えていたが、それほどか?」
「はい」
私の答えにスチュワートさんが腕を組みながら難しい顔で思案しています。私の話の真偽とその情報を信じた場合のメリット、デメリットを考えているのでしょう。下手をすれば私がスパイと考えられてしまっているでしょうね。それは仕方がありません。今のところ見せているのはランドル皇国の紋章が入ったプラチナの腕輪だけなのですから。
「そこで1つ提案があります」
「言ってみよ」
「はい。スチュワート様が信頼される部下の方を1人預けていただきたいのです。その方に直接お会いして話を聞いていただければと思うのですが」
「どうだ、カール?」
「提案に乗った方がよろしいかと。これほどの献上品を使ってまでこちらに接触を図ってきたのです。もし本当であれば重要度の高い情報であると考えます」
「そうか……わかった。明日の朝、このカールを港へ向かわせる」
「ありがとうございます」
2人に対して頭を下げます。最大の難関はなんとか乗り越えることが出来ましたね。信頼はされてはいないでしょうが、無視してもいられない状況ですから何とかなるだろうとは考えていましたが。2人のやり取りを見る限りカールさんは信を置かれているようですから良い結果だと言えるでしょう。さあ、後はエリザさん次第ですね。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【プリムソル標】
商船の安全を高めるため1876年にイギリスの国会議員サミュエル・プリムソルが長年訴え続けた法案である商戦の安全規制を強化する商船条例が可決されました。
この条例によりイギリスの商戦は船体の側面にプリムソル標と言うマークをつけることが義務づけられました。このマークは商船が積んでよい貨物の量を喫水で表示したものであり淡水や海水などの水の比重に応じて水域と季節ごとのメモリになったものです。
形としては一本の縦の線に何本かの基準となる横の線が入っています。
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