Flag76:獣人の奴隷を見に行きましょう
獣人の奴隷商会へと行くことは決まっているのですが既に時間は夕方に近づいていますしあまり大きなところは時間がかかってしまいそうです。
とりあえずは中規模の商会へと向かって基準を引いてみましょうか?しかし店舗の大きさがその商会の規模とも思えませんし、うーん。よし、ここは思い切って一番小さな店に決めてみましょう。どちらにせよ明日も来るわけですし、もともと全ての店を回る予定なのですから今日は早めに切り上げてしまっても良いでしょう。
「1番小さな店にしましょうかね」
「よろしいのですか?」
「はい。せっかくの記念日ですし、早めに切り上げてゆっくりしましょう」
「……はい」
少し顔を赤らめながらギュッと私の腕を握るミウさんの姿に抱きしめたい衝動にかられながら早めに仕事を終わらせることを改めて決意します。会社の同僚が恋人と付き合い始めた当初残業を嫌がりすぐに帰りたがっていた心境はこういうものだったのかと今更ながらに実感します。
最後に恋人がいたのは大学の時ですからね。入社してからは自由に使えるお金が出来たこともあって仕事と海にかまけてそういったことは縁遠くなっていましたし。
そんなことを考えながら最も小さい店へと入ります。先ほどのキゴーリ奴隷商会と比べれば店舗の大きさは3分の1程であり、ドアマンもいません。一応他の店は見た限りドアマンがついていますので店だけでなく事業規模も小さいのでしょう。もしくは形態が違うのか。どちらでしょうね。
片方が開いたままになっている扉から店内へと入ると、カウンターに座っていた狸のような耳をした獣人の女性が驚いた顔をして慌てて店の奥へと走っていきました。他に人はおらず私とミウさんだけが取り残されます。
訳の分からない状況にミウさんと顔を見合わせていると獣人の女性が走っていった奥の方から「な、なんだってー!」と言う声とどたどたと言う物音が聞こえてきました。なかなか愉快な場所の様ですね。
しばらくすると奥から先ほどの獣人の女性に引っ張られるようにして20代前半と思われる痩身の男性がやって来ました。気弱そうな表情に明らかにサイズの合っていないと思われる服。流れからして彼がこの店の店主なのでしょうが奴隷商会の主とは思えない外見です。外見だけで判断できるわけではないとは身をもって知っているわけですが私の長年の経験からくる勘は外見通りの人物だと言っているのですよね。
「よ、よ、ようこしょ、ツクニ奴隷商会ふぇ」
「ツクニ、オチツク。……ワカル?」
「う、うん。いらっしゃいませ。当商会の主のツクニでしゅ」
「ツクニ、オシイ」
盛大に噛み、こちらに向かってぺこぺこと頭を下げるツクニさんと片言で話す獣人の女性のやり取りを温かく見守ります。獣人の女性の首には奴隷の証明である首輪がついていますが、ツクニさんとのやり取りを見る限り奴隷と言うよりは仲間、もしくはそれ以上の存在のように思えますね。
「ワタルと申します。この町に料理店を開こうかと考えておりまして料理の出来る方もしくは小間使いのような方を探しているのですがいらっしゃいませんか?」
助け船のつもりで自己紹介ついでにどんな奴隷を探しているかを伝えると、ツクニさんの顔があからさまに落ち込んでしまいました。
「すみません。料理店で働けるような奴隷はいないんです」
「どういう事でしょうか?」
「ええっと、何と言ったらよいのか……」
言い淀むツクニさんの袖を獣人の女性がくいくいっと引きます。
「ツクニ、ミタホウ、ハヤイヨ」
「そうだね。あの、ついてきていただけますか?」
「ええ、もちろん」
2人の案内に従って店の奥へと進みます。そして1番奥にあった頑丈そうな扉を開け、その中へと入ります。大きな広間になっているそこでは首輪をつけていない獣人の子供たちが楽しそうに遊んでおり、その様子を壁際にいる獣人奴隷の方々が見守っていました。
子供たちが入ってきたツクニさんを見て嬉しそうに寄ってきましたが、その後に続いて入ってきた私たちを見てぴたりと動きを止めます。壁際で見ていた獣人奴隷の方々も警戒を露わにしています。ツクニさんは別の様ですがあまり人間に良い思いを持っていないようですね。まあさらわれてきたのですから当たり前でしょうが。
「うちにいるのはまだ契約さえ出来ない子供と出戻り奴隷だけです。出戻り奴隷でよろしければ該当する者もいますがあまり皆さん好まれませんから」
完全に諦めた表情でそう告げたツクニさんは10歳ほど老け込んでしまったかのように見えます。
しかし出戻り奴隷とは聞き覚えがありません。おそらく言葉通りの意味なのでしょうがミウさんにこっそりと確認してみると予想通り何か失敗をした、加齢により働きが悪くなったなどの理由で奴隷商会に売りはらわれた奴隷だそうです。その売ったお金を元手に新しい奴隷を買ったりするのでしょう。
例えは悪いですが自動車と同じようなものですね。使用していた車を中古車として売却して新車を買うという。人を完全に道具と扱うようで私の考えとは相いれませんがこの国の人々にとって奴隷とはそう言った扱いと言うことです。ツクニさんは少々違うようですがね。理由はなんとなくわかってしまうのですが一応聞いておきましょうか。
「なぜそう言った奴隷ばかりなのでしょうか? 奴隷のことは詳しくありませんが商品にならないものを仕入れるというのは商人としてどうかと思いますが」
「ふふっ、そうですね。父の後を継いでこの店を営業していましたが、私には向いていないのでしょう。どうしても彼らを商品として見ることが出来なかったんです」
自嘲するように笑ったツクニさんが子供たちを、壁際で警戒する出戻り奴隷の方々を、そしてそばに立つ獣人女性を愛おしそうに見つめます。その視線を受けて狸の耳をした獣人の女性が嬉しそうに微笑み返しました。
確かに奴隷商人として彼は向いていません。しかし私としては非常に好ましい性格をしています。それに出戻り奴隷と言うのはある意味で金山の可能性がありますし、どうにかして恩を売りたいところです。
店の状況を見る限り経営状態は良くなさそうではありますが、さすがにツクニさんにお金に困っていませんかと聞くというのも失礼な話ですし。そうですね、知っていそうな人に聞いてみましょうか。
「あの、そちらの女性の方と話してみてもよろしいですか?」
「あっ、彼女は売り物ではないのですが」
「わかっていますよ。獣人の奴隷の方と接する機会がありませんでしたので多少の会話が出来そうな彼女と話してみたいだけです。もちろん料金はお支払いしますよ」
財布から1000スオンを取り出して見せます。その大銀貨の輝きにツクニさんの目が釘付けになりました。これは思った以上に経営状況は切迫しているのかもしれません。ツクニさんが迷うように彼女と大銀貨の間で視線をさまよわせます。
「ツクニ、ダイジョブ。ハナスダケ」
「……わかりました。でも見えるところでお願いします」
「ありがとうございます」
心配そうに見つめるツクニさんの視線を受けながら女性を連れて少し離れます。さすがにじっとそばで見つめられては話しにくいですしね。会話の内容自体は聞き取れないとは思いますが今聞き取れなくても後で彼女から伝えられるでしょうし、そのことを伝えられたからと言ってツクニさんが何かするとは思えません。まあ大丈夫でしょう。
「まずはお名前を伺ってもよろしいですか?」
「っ! あなた様は私たちの言葉が話せるのですか!?」
「はい。知り合いに獣人の方がいましてね。先ほども名乗りましたがワタルと言います」
「リエンです。すごいですね。普通人族で私たちの言葉を話せる方は初めて見ました」
驚きを隠そうともしないリエンさんには悪いですが、まあ実際には獣人の言葉を話せているわけではなく良くわからない理由で話すことが出来ているのですがね。まあ嘘は言っていませんので問題ないでしょう。
ミウさんをちらりと見ると首を横に振っています。やはり他の方には聞こえないようですね。あくまで私が誰に対して話しかけようとしているのかが優先されるようですね。
「もしかして他の獣人の言葉も話せるのですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「ええっと私たちは部族により少しずつ言葉が違うんです。大体のニュアンスは伝わるのですが細かい部分まで伝えようとすると難しくて。ここにいる皆も大まかな話しか出来ていないんです」
ふむ、ポルトガル語とスペイン語のようなものでしょうか。それとも日本の方言のようなものなのか。中々に興味深い話です。
「そうなのですね。おそらく話せるとは思いますがどうでしょうかね。それはそれとして少しお聞きしたいのですがツクニさんとこの店についてどう思われますか? 奴隷としての意見を聞いてみたいのですが」
「そうですね。ツクニ様は私たちをとても大切にしてくださいます。奴隷で獣人の私に何度も愛していると言ってくれましたし」
リエンさんの顔がポッと赤く染まります。ええっと、ごちそうさまですとでも言えば良いのでしょうか。しかしそれは少しの間のことですぐにリエンさんの表情は暗く陰ってしまいます。
「でも商売は下手です。私たちのために貯金を食いつぶして今は借金までしています。このままでは店が潰れるのも時間の問題です。ツクニに伝えてください。あなたのことは心の底から愛している。でも私たちのためにあなたが奴隷になることなど誰も望んでいないと」
ツクニさんに見えないようにして目に涙をたたえながら私に訴えるリエンさんの表情に胸が締め付けられます。ミウさんもその表情だけで察したのか悲しそうに眉を下げています。
奴隷商人としてはツクニさんは失格かもしれません。でも奴隷たちにこれだけ慕われているというのは彼の人徳によるものでしょう。奴隷にしてしまうのはいささか勿体なさすぎますね。
「わかりました。私に出来る……」
「おい、誰かいないのか!?」
私の言葉を遮るように店の入り口の方から高圧的な声が聞こえてきました。お客さんでしょうか、それとも……
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