OS3:ミウ レキノス
ワタル様と出会えたのは奇跡だった。当時もそう思っていたし、一緒に過ごすようになった今でもそう思う。
運命のあの日、殿下と同乗した船が護衛艦に攻撃を受け、ハイとホアと一緒に荒波へと投げ出された。必死に近くに浮いていた木片へと掴まりながら見たエリザベート号が沈んでいく光景を私は忘れることはないだろう。
絶望が私の心を支配しようとするのを押しとどめ、気絶しているハイとホアの体を必死につかんで過ごした数時間。気を失ったのがいつだったのか私の記憶には全くなかった。
想定外だった。殿下が狙われているという事は承知していた。だからこそ食事にも気をつけ、マインにも私と他数名以外は信用しないようにと伝えていたのに。いや、だからこそこんな強引な手段に出たのかもしれない。
沈んでいく船の中から殿下の助けを求める声が聞こえる。私がいくら手を伸ばしても届かず、動こうにも私の体は金縛りにあったかのように動かない。殿下の声が遠く、小さくなっていく。駄目。こんなところでエリザベート殿下は死んではいけない。まだ恩を返すことさえ出来ていないのに……
「殿下!」
飛び跳ねるようにして起きた私は自分の状況が理解できなかった。海を漂っているはずの自分がベッドに寝ており、その部屋はそこまで広くはないがセンス良く整った内装をしていた。殿下が旅の道中で泊まる一流の宿、いえ、部屋の広ささえ除けばそれ以上の部屋に私は寝かされていたのだ。
隣のベッドではハイとホアがくっつくようにして寝ている。そのことに安堵していると急に響いたドアをノックする音に心臓が飛び上がりそうになった。ベッドから降り、目を覚ましていないハイとホアを守るような位置に立つ。多少なりとも護身術の心得はある。いざという時は私がどうにかするしかない。
「どうぞ」
そう応えるとガチャリとドアが開きゆっくりと1人の男性が姿を見せた。
「執事……」
「申し訳ありませんが執事ではありません。ワタル カイバラと申します。この船の……そうですね、船長をしています」
それが私とワタル様の初めての出会いだった。
ワタル様の最初の印象は掴みどころのない人というものだった。船長と言うのに執事のような服を着ており、30ほどに見えるのにどこか枯れた老人のような印象だった。しかし同時に親近感も湧いていた。私と同じ黒目黒髪。ランドル皇国では私以外に見たことのない容姿をしていたから。
いい人かもしれない。そんな甘い考えが浮かんでしまう自分に呆れた。味方にさえ裏切られたのだ。信用なんて出来るはずがない。でも殿下を助けるには何としてでも協力を取り付ける必要があった。その報酬がなんであったとしても。
シャワーを浴び、食事まで頂戴したのだが驚きの連続だった。その船は普通の船とはあまりにもかけ離れた設備をようしていた。それはこの船がギフトシップであることを確信させることに十分なほどに。しかも発見して間もないはず。載っている機材が散逸せずに残っている物などランドル皇国でも数隻しかないのに。
この船ならば殿下をお助けできるかもしれない、何がなんでも協力していただかなくてはと自分の体を差し出そうした。ハイやホアも自ら奴隷になろうとした。でもそれはすべて断られ、あるかどうかさえ不確かな報酬だけで殿下を助けることを承諾してくれた。
都合がよすぎる、そう思った。実際それしか方法がないことは十分にわかっていたし、むしろ助かるのだけれどワタル様が親切にしてくださるほど私の中の疑念は増していった。
しかしワタル様はエリザベート殿下だけでなくマインまで助け出してくれた。しかも死に急ぎそうになっている殿下を諫める役まで果たしてくれた。今までの言動からそうしてくれるであろうと考え筋書きを書いたが事前に話を合わせることが出来なかったため内心はドキドキしていた。しかしワタル様は私の考えを見抜いたうえでそれに乗ってくれた。得など全くないのにも関わらず。
その時だろう。私の中で私の中でワタル様の存在が大きくなっていくきっかけになったのは。
ワタル様は私たちに生きる場所を与えてくれた。
メイドをしていた私にはわかる。この船で私たちが働くことに意味はないのだ。食事にしろ掃除にしろワタル様だけが乗っていたのであれば自分1人でこなせてしまっただろう。私たちは自分たちが生活する分を自分たちの仕事としているだけに過ぎない。
その事実が申し訳なく、しかしそれを理解しているのにも関わらずそんな様子を一切見せないワタル様へ好意を抱いた。それに気づいていながら私は自分の気持ちに蓋をした。私はあくまで殿下のメイドなのだ。この非常時にそんなことを考えている余裕はないと。
私とワタル様は料理などを一緒にする機会も多かった。とりとめのないことを話しながら料理を作る2人きりの時間が好きだった。その時だけは少しだけ自分のメイドとしての立場を忘れられた。
その低い声が、柔らかな仕草が、私を見て笑うその顔がこの瞬間だけは私のためだけに向けられている。それが幸せで、そしてどうしようもなく寂しかった。
殿下に恩を返すためだけに私は生きてきた。いつどこで何をされるのかわからず気を抜けない日々。実際毒を盛られ、私の治癒魔法で何とか時間稼ぎをして一命をとりとめたこともあった。近づく人間は敵かもしれない。そんな環境で好きな人など出来るはずもなかった。
でもそれで良かったのかもしれない。好きな人と一緒にいるのに気持ちを伝えることが出来ない。それがどれほど苦しいものなのか知らずに済んだのだから。
育っていく心とは裏腹に表面上はメイドとしての立場を貫き通した。私の優先事項はあくまで殿下が1番だ。それはどんなことがあったとしても変わりはしない。それに私と付き合うという事はやっかいな面倒ごとに巻き込み続けることだ。そんなことは絶対に嫌だった。
ユリウス将軍たちの救助など色々な事が起こり、そしてそれが落ち着いたある日、ワタル様がランドル皇国へ飲食店を出すと言い出した。地元の情報の入手が目的だと皆には説明していたし、皆もそれで納得していたがなぜランドル皇国なのかと言う点についてやんわりとはぐらかしていたことに私は気づいた。だから2人きりになった時に本当の理由を問いただしたのだ。
そして私はワタル様についてランドル皇国へと戻ることに決めた。殿下を説得し、ワタル様の拒否をはねのけ無理やりついていった。その行為が殿下のためになるからだったのか、ワタル様を危険な目に遭わせたくないからだったのか私にはわからなかった。でも1人で行かせてはならない。そんな予感がした。
船旅は特に問題なく進み、目的のハブルクの町へとたどり着いた。エリザベート号が最後に寄港した港でもある。そこにはちょうど奴隷船が停泊したところだった。
奴隷船から降りてくる獣人たちの姿にワタル様は動揺を隠しきれていなかった。この国にとっては当たり前の光景だ。私もエリザベート殿下と出会わなかったら何とも思わなかったかもしれない。それが少し恐ろしかった。
ハブルクの町では夫婦として振る舞っていた。その方が警戒されにくいと事前に伝えていたからだ。ワタル様にエスコートされ街を歩いていく。まるで本当の夫婦のように思えた。旦那様と言う言葉を話すたびに心が躍った。殿下と離れたことで心が緩んでしまっていたのかもしれない。
だからこそギルドの受付嬢に向けられるワタル様の温かいまなざしに心が痛んだ。ワタル様の好みはああいった女性なのかと言う疑問が頭の中でぐるぐると回り、ワタル様が話しかけてきてもうまく話せなくなってしまった。
そして聞いてしまった。
「やはり男性はああいった方が好ましいのでしょうか?」
驚いた顔をするワタル様に慌てて言いつくろったが顔が赤くなることを止めることは出来なかった。完全に失言だった。
その後ワタル様の好みではないという事を聞きほっとした直後の言葉に私の思考は停止した。
「もしお付き合いをするならミウさんのような方が良いですね」
そう言ったワタル様が一瞬しまったと言わんばかりの顔になり、続いて赤く染まっていく様子を私はぼーっと見ていた。そしてすぐに喜びの感情が自分の中であふれ出てくるのを感じた。
理性ではこんなことは駄目だとわかっているのに、その気持ちを止めることなどできなかった。好きな人に好きと言ってもらえることの幸せを私は知ってしまった。それはどうしようもなく、あらがうことなど不可能だった。
「結婚を前提にお付き合いしていただけませんか、ミウさん」
普段からは考えられないほどの余裕のないそのプロポーズは私にとってどんな金言にも勝る最高の言葉だった。零れ落ちそうになる涙をこらえ笑みを浮かべる。
「はい。末永くよろしくお願いいたします、ワタルさん」
私の人生でそれは最高の瞬間だった。
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