Flag73:新しい町へ行きましょう
奴隷に関するあまり気持ちの良いとは言えない表現があります。嫌いな方は後書きにダイジェストを載せておきますので飛ばしてください。
飲食店をランドル皇国へと出店することを話してからちょうど1週間後、私たちはキオック海を南進しランドル皇国の中で最もノルディ王国に近い大きな港町であるハブルクへと向かっています。
私たちなのですよね。
現在私が操船する漁船にはミウさんが同乗しています。いつものメイド服ではなくオットーさんの店で買ったひざ下まであるオフホワイトのワンピースにネイビーのボレロを合わせています。もちろん私が持ち込んだ生地を使った新作です。セミフォーマルもしくはインフォーマルといったところでしょうか。髪を後ろでセットしていることもありかなり印象が変わっています。この姿を見て彼女がメイドだと思う人はいないでしょう。
「あと2時間ほどでハブルクへと着くと思います。準備はよろしいですか?」
「はい、旦那様」
楚々とした様子で言うミウさんへ苦笑を返します。うーん、どうしても慣れませんね。
飲食店について話した翌日、何をどう話したのかわかりませんが私と一緒に行くことをエリザさんから許可してもらっていたのですよね。ミウさんが行くことによる危険性などは十分伝えて拒否したのですが。
「私は奥向きのメイドでしたので私の顔を見知っている者は少ないです。身分はマインと同じようにルムッテロで取得できますし、何よりランドル皇国について詳しく知っている者が必要ではありませんか? それに単独で行けばあらぬ疑いをかけられる可能性もあります。夫婦と偽装すればその可能性も減るのでは? それに私は治癒魔法を少々使うことが出来ます。護身術も習いましたし足手まといにはなりません」
そう言って頑なに同行を求められてしまいました。その言には一理ありましたし、その心情も理解できてしまっている私としては拒否し続けることも難しく、結局は私が折れてしまいました。元々危険なことをするつもりはさらさらありませんし、聞いた限りランドル皇国はノルディ王国と違いがかなりあるようですのでミウさんがいた方が心強いのは確かですからね。
とは言え夫婦のふりをするというのは中々難しいものですね。演技だとわかっているのですがどうしても照れが入ってしまいます。なぜミウさんがあれほどまでに自然に振る舞えるのかが不思議でなりません。ミウさんも未婚ですし男女の違いなのでしょうかね。
そんなことを考えながら漁船を進ませ、予想した時間通りにハブルクの町が見えてきました。ルムッテロは白を基調とした港町でしたが、このハブルクは赤褐色のレンガを使用しているようです。建物の見た目はよく似ているのですがレンガの色が違うだけで印象がかなり違いますね。横浜などの赤レンガ倉庫を彷彿とさせます。
しかし……
「匂いますね」
「はい」
港に近づくにつれ独特の臭気が辺りに漂い始めました。これは糞尿などの匂いですね。吐くとまではいきませんが気持ちの良いものではないことは確かです。
しばらくゆっくりと船を走らせていると小型のボートがこちらへと近づいてきました。停船させそれを待ちます。
「寄港をご希望でよろしいですか?」
「はい。よろしくお願いします」
乗り込んできた案内人の男性と握手を交わします。そしてミウさんと共に船を案内し、ルムッテロと同様に荷物の簡易検査を受けて商人ギルドのギルドカードを提示します。特に警戒されている様子も特別な検査もありませんでした。一安心です。
「はい。特に問題はありません。右手の奥に停泊する場所がありますので進んでください。あちらが風上ですので匂いも少しましかと思います」
「ありがとうございます」
案内人の船が離れたことを確認し船を指定の場所へと走らせます。その途中、横目でスクーナーから次々と下ろされていく人々の姿をうかがいます。その鎖で繋がれた足取りは力なく、そして進んだ先では水を頭からかけられているようです。この匂いの元は彼らだったのでしょう。
ふぅ、と息を吐きます。
「大丈夫ですか?」
「はい。こういったことがあるという事は知っていましたので覚悟はしていましたから。実際に目の当たりにするとショックはありますがね」
心配そうに私を見つめるミウさんを安心させるように笑います。
ランドル皇国とノルディ王国の最も大きな違い。それは奴隷です。ノルディ王国にも奴隷がいない訳ではありませんがその数は決して多くはありません。罪を犯し犯罪奴隷となった者もしくは他国の商人が連れてきた者がいるだけであり見ること自体がまれでした。
しかしランドル皇国は違います。積極的に奴隷を使用し、その広大な農地を耕作させています。そしてその奴隷はここからさらに南へと進んだ獣人の住む大陸からさらってきているそうです。先ほどの糞尿の匂いはさらわれた獣人奴隷の方々のものでしょう。かつてのヨーロッパで行われていた奴隷貿易と同じように。
マインさんやハイ君、ホアちゃんだけでなく、ルムッテロで働くフューザーさんやミミさんのことを知っている私としては、獣人と呼ばれる方々が何ら私たちと変わりないことを十分に承知しています。感情論で言えば許しがたいことなのですが、こればかりは私にはどうしようもありません。国のトップが禁止するかこの国で信仰されている宗教が禁忌とするようなことでもない限り変わりはしないでしょう。
桟橋に船を止め、待っていた男性職員に案内されて建物へと向かいます。そんな私たちの前を生気のない目をした獣人の方々が列になって街へと向かって歩いていきます。つながった足枷の中で時折足枷だけがあり人がいないもののあることに寒気がしてきます。
その大元へと視線をやれば、港の奥の方に穴のようなものがあるらしくそこにちょうど人が放り込まれていました。思わず表情に出そうになる気持ちを理性で押さえ、なんとか足の指に思い切り力を込めてそれをやり過ごします。
そんな私の手をそっとミウさんが握りしめ、顔を近づけます。
「彼らにとって、いいえ、この国のほとんどの人にとって奴隷は道具なのです。申し訳ありません」
耳元でささやかれたその言葉に、その手のひらから伝わる痛いほどの思いに自分の心が落ち着いていくのを感じます。
少なくともエリザさんやミウさんに関してはマインさんやハイ君、ホアちゃんを道具として扱っていることはありませんでした。仲間として、そして保護すべき対象として大切にしていました。
この光景を当たり前では無く、心苦しく思っているのは自分だけではないのです。この感情を忘れることは出来ません。出来ませんが心のうちに留めましょう。私に出来ることなど何もないのですから。
視線を外し男性職員の後について審査をする建物へと入って行きます。特に審査で問題はなく町へと入る許可をいただくことが出来ました。
ミウさんと一緒に門を抜け、ハブルクの町へと入ります。門番から賄賂を要求されることも無く、逆に私が初めての寄港だと知ると関税のかかるものの一覧の示された紙をいただいてしまいました。ルムッテロの初めての寄港時を思えば雲泥の差です。
町に入ってすぐはルムッテロと同様に倉庫街があり、進むにつれて一般の住宅が増えていきます。家の造りに目新しさはありません。赤レンガですので印象はかなり違いますけれどね。
人々の表情も特に暗いと言ったことは無く、主婦の方々の笑い声が聞こえてきたりします。違うのはそこかしこに首輪をつけた獣人の方が居ることでしょうか。荷物を持ったり、掃除をしていたりと働いていますが極端に痩せ衰えているという感じの方はいらっしゃいません先ほど見た、連れてこられたばかりの奴隷の方々に比べれば幾分かましです。そのことに少しだけ安堵します。
「多いですね」
「はい、ハブルクは綿花の生産地に最も近い港ですから畑で働かせる奴隷を連れた奴隷船が定期的にやってくると聞いています。売れなかった奴隷を住民が安く買っているのでしょう」
にこやかにほほ笑みながら表情に合わない会話を続けます。声量は落としていますので私たち以外には聞こえていないはずです。まあ聞かれていたとしても他国の商人が初めて見れば同様の事を思うでしょうから問題にはならないでしょう。
「奴隷を便利な道具として利用する。これがこの国の日常なのですね」
自分自身へ理解させるため小さく口の中で呟きます。自分の価値観と違う国と言うのは世界中にあるのです。そこで自らの価値観を持ち出しても意味がありません。むしろ邪魔になるだけです。だからそれを心へとしまい、合わせるしかありません。
ただ染まってしまわぬように、それだけに注意しながら。
「さて、とりあえず商人ギルドへむかいましょうか」
「はい。旦那様」
握られた手の暖かさに安堵しつつ、商人ギルドへの道を2人で歩いていくのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【奴隷船】
三角貿易などで商品として奴隷を運んでいた船です。詳細は気分が悪くなること請け合いですので割愛しますが450人の奴隷を運ぶように設計されていた船に600人を乗せたこともあったそうです。
ある奴隷商人の言葉で以下のようなものが残っています。
「船内では雇い主の利益にかなうよう彼らを生き延びさせるために可能なあらゆる手が打たれている」
***
【この話のダイジェスト】
ランドル皇国のハブルクという港町に着く。ミウも同行。
港には奴隷船があり、獣人が連れられていた。
町の様子は奴隷がいること以外はあまり変わりなし。
次は商人ギルドへ行こう。
以上です。
***
ブクマ、感想いただきました。ありがとうございます。
この話で読むのをやめられたり気分を害する方が多いようです。修正も考えましたが船とこういった奴隷貿易は切っても切り離せない関係ですのであえてこのままにしています。嫌な結末にはならない予定ですが気分を害された方は申し訳ありません。




