Flag70:島へお連れしましょう
オットーさんに連れられてアリソン宝飾店を訪れ、翌日はもろもろの必要なものを仕入れることを1日かけて行いました。そしてその翌日の今、私たちはルムッテロの港を出港しキオック海へと向けて漁船を走らせています。いつもの私とマインさんだけではなくあと1人を連れて。
「ふむ、ギフトシップには初めて乗るが普通の船とはかなり違うもんさね」
「そうですね。動力からして違いますから。風が無くても進むのは便利ではありますが魔石の消費も激しいですし小型ですからあまり外洋には向きませんよ」
「それでも喉から手が出そうなほど欲している商人は多いさね。気をつけな」
初めて乗るはずの漁船にも船酔いになる気配すらなく、狭い船内を歩き回っていたアリソンさんが操舵席奥の休憩室から出てきました。ありがたい忠告をいただきましたので黙ってうなずいておきます。商人の動きはアリソンさんの方が確実に詳しいですからね。
アリソンさんの店で契約を交わし、一度誰かにキオック海にあるその島へと来てほしいとお願いしたところアリソンさん自らが島へと行くと言い出した時にはさすがにその場にいた全員が驚きました。オットーさんやそれを聞いたアリソンさんの息子夫婦などはかなり反対したのですがそれでもアリソンさんが自分の意思を曲げることはなく結局はオットーさんたちが折れてしまいました。
個人的には経験が豊富で鋭そうなアリソンさんに来ていただくのは少し遠慮したかったのですがね。
船は速度を保ちながら2時間ほど西へと進み、そろそろキオック海の端へと到達すると言ったところでスピードを緩めます。
「マインさん、そろそろお願いします」
「わかった」
マインさんが船首へと向かい、用意してあった黄色の旗を固定した大物用の釣り竿に引っ掛けて掲げます。黄色の旗の中にはローレライをイメージした人間の上半身に魚の下半身をした黒い模様が縫い付けられており、それが風を受けてはためいています。
マインさんが拳を上げ作業完了の合図がありましたので再び船の速度を上げそのまま西へと向かって進んでいきます。
「アレが合図なんだね」
「はい。アレがあれば攻撃されることはありません。あくまでこちらが攻撃しない限りはという条件がありますし、一度そんなことになってしまえば二度と無理でしょうがね」
「それはそうさね。しかしそうなると船員の選定がさらに厳しくなるね」
「それだけの価値はあるでしょう?」
私の言葉にうんざりとした顔をしていたアリソンさんが何も言わずにニヤリと笑います。その顔にはわかってんだろと書いてあるかのようです。まあもちろんわかっているのですがね。希少な宝石を取り扱うという事がどれだけのメリットがあるかという事など。そしてそれは金銭面だけではないこともね。
そのまま1時間ほど走り、目的の島が見えてきました。トッドさんたちが住んでいる全長10キロほどの島です。その島の海岸線にぽつりと設置されている木でできた桟橋へと船を向けます。水深は5メートルほどですので大型の船を桟橋に着けることは出来ませんが。
船を止め木の柱へと係留綱を留め、アリソンさんのために足場を作って手を貸しながら桟橋へと移ります。私の船以外には小さな木製の小舟が係留されているだけです。
私が来たことに気付いたのか島の奥の方からトッドさんを始め5人の方がこちらへと歩いて来られました。
「こんにちは、トッドさん。例の方をお連れしましたよ」
「そうですか。約束を守っていただきありがとうございます、ワタルさん」
完全に打ち合わせ通りの挨拶を交わし、そしてトッドさんがアリソンさんへと向き直りました。
「トッドと言います。この島の代表をしております」
「アリソンさね。ローレライの涙を取り扱う予定のアリソン宝飾店の店主だよ」
「以前お話ししたルムッテロの町の中で1番の宝飾店だそうです。私もお話しさせていただきましたが信頼に値する方だと思いますよ」
「ワタルさんが……それはありがたい」
私の言葉にトッドさんが安堵したように表情を緩めます。
この人もかなりの曲者なのですよね。「信頼に値する方」という事前に決めた符丁は最大限の警戒が必要と言う意味なのですから。それがわかっていてなお、それと正反対の表情を自然に作ることが出来るというのですから。さすがにユリウスさんの補佐をしていただけあると言うことでしょうかね。
「すみません。なにぶん何もない島ですのでおもてなしも出来ませんが」
「別にいいさね。だからこそ交易がしたいってことだろ」
「はい。島の生活も悪くはありませんがより楽になるのであればその方が良いと一族内で意見がまとまりましたので」
浜辺の少し奥に作られた小屋へと案内され、トッドさん1人を残し他の4人は森の奥へと戻っていってしまいました。ボロが出ないようにと考えたのでしょう。まあ実際話し合いにはトッドさん1人がいれば事足りるのですから問題はありません。
色のついたお湯と言った方が良いお茶を出されましたが、アリソンさんは気分を害することもなく平然とそれに口をつけました。私も事前に味見してみましたがとても美味しいとは言えない味なのですがアリソンさんが表情を崩すことはありませんでした。
「じゃあさっそく詳しい話し合いに入ろうさね」
「そうですね。こちらの要求としては毎月1つから2つローレライの涙をお渡しする代わりに肉や野菜などの食料や調理道具などの金属製品、そしてワタルさんから話に聞いた魔道具をその価格分いただきたいです。お金をもらってもここでは使い道がありませんし」
「まあ、そうだろうね。しかし要望したものが必ず次に来るわけじゃないってのは承知しておいておくれ。手に入らない場合もあるさね」
「わかりました」
2人の話し合いを見守ります。ここにきて私が口を出すのも不自然ですしね。
トッドさんが予断を残さない話し方をしており、アリソンさんもそれに合わせているため次々に交易の内容が決まっていきます。商人のような駆け引きがないのであっさりとしたものです。どちらにしても両者とも得になるのでそのせいかもしれませんがね。
「じゃあ最後に現在持っているローレライの涙を見せてくれるかい?」
「少しお待ちください」
そう言い残してトッドさんが小屋を出ていきました。私たちだけが小屋の中へと残され、アリソンさんが深くため息を吐きました。
「お疲れ様です」
「まともに話が通じる人で良かったさね。こんな島で暮らしてるんだ。言葉が通じるのかさえ半信半疑だっだしね。で、ワタル坊はなんであの人たちがここで暮らしているのか知っているのかい?」
「いいえ。私も聞いてみたのですが少なくとも彼らの祖父の世代にはここに住んでいたという事がわかっただけです。大昔からここへ住んでいるのか、どこかの漂流船の生き残りなのか。まあ可能性としては後者の方が高そうですがはっきりとした証拠はありません」
「そうかい。移住はしないのかい?」
「ここが彼らの故郷だそうですよ」
一瞬だけですがアリソンさんの顔が同情するかのように歪みましたが、それはすぐに消え去ってしまいました。もしかしたらアリソンさんは希望者をルムッテロへと連れていく提案をしようとしていたのかもしれません。まあ私が既に提案したという事を匂わせましたのでこれ以上のことはないでしょう。
しばらくして戻ってきたトッドさんが木の箱に入ったローレライの涙20粒ほどを持ってきました。
「確かに。では契約通りに交易するさね」
「よろしくお願いします」
およそ2時間の話し合いの末、この島とルムッテロの交易が決定しました。小さな前進かもしれませんがこれはとても大きな意味があることです。特に私とローレライの方々にとっては。
食料などが他から手に入る目途が立ったという目先の利益もありますが、それ以上にこれから先のことを考えるとローレライと交渉している者がいるという事を広める必要があったのです。まあ即座に必要にはならないでしょうがね。
交渉を終えたアリソンさんを乗せてルムッテロへと戻ります。今の時間なら日が暮れる前に到着することは出来るでしょう。あっ、そうそう。
「アリソンさん。これが島へ行くための航海図です。機密扱いでお願いします」
「わかったよ。はぁ、面倒だがこれも店のためさね。じゃあ最後に一花咲かせてみようかね」
島へ自分が行くと言ったときに反対するオットーさんたちに例え死んだとしても後継者はもういるさね、と言ったアリソンさんらしい言葉です。まぁまだまだお元気ですので半分は冗談でしょうね。海風に髪を揺らしながら笑うアリソンさんに私はただ笑みを浮かべて返すのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【見かけの風と真の風】
モーターで走る船にはあまり関係ありませんが帆走のヨットなどの場合風向きというのは非常に重要です。その風ですが二種類あります。
実際の風のことを真の風、進んでいる船が受ける風を見かけの風と言ったりします。船の真横から風が吹いていても船が前へと進んでいれば斜め前から風が吹いているように感じると言えばわかりやすいでしょうか。ヨットを走らせるためのセールの調整はこの見かけの風に合わせて行います。
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