Flag69:契約を結びましょう
「どういうことだい?」
アリソンさんの目が細まり疑わしげに私の方を見てきます。まあ当たり前でしょう。こういった希少な品の入手経路は秘匿すべきものですし、ましてやその権利を譲ると言うことは金の卵を生むガチョウを譲るということと同義なのですから。
警戒をあらわにしているアリソンさんに向けて少しだけ微笑みます。
「そんなに警戒しないでください。何もただで教えるつもりも権利を譲るつもりもありませんから」
「まあそうだろうね。で、条件はなにさね?」
アリソンさんの雰囲気が少しだけ和らぎます。私個人としては交易をしてくださることに意義があるので別に私自身に対する報酬など必要ないのですが、それはいくらなんでも不自然すぎますしね。
しかし無償の方が警戒されてしまうとは、ただより高い物は無いと言うことでしょうか。商人というのも難儀な生き物ですね。まあ私もそうなのですが。
「条件は3つ。ローレライの涙をアリソンさんが売り上げた時に利益の3割を私へといただきたいこと。定期的に適正な価格で交易を行っていただきたいこと。そして決してこのことを外部へと漏らさないようにすること。いかがでしょうか?」
「ふむ」
アリソンさんが腕を組んで考え込みます。オットーさんが興味深げにそんなアリソンさんの様子を見ていました。
「独占すれば儲け放題なのではありませんかな?」
「オットー、黙っていな」
「おっと失礼。しかしアリソンさんもそこが1番引っかかっているのでしょう?」
「まあね。通常では手に入らないローレライの涙を定期的に入手できる伝手があるんだ。その交易だけで莫大な利益を生むことが出来るさね」
ほっほっほとお腹を揺らしながら笑うオットーさんにアリソンさんの鋭い視線が飛びます。しかしオットーさんは気にした様子も無く、アリソンさんは少し苦々しい表情をしながらこちらを見てきました。
「そうですね。単純に利益を上げるという点で考えればその通りです。しかし私自身オットーさんとの取引である程度の利益は上げていますし、豪邸を建てたいとか自分の店を持ちたいと言うこともないのです」
「じゃあ何がしたいのさね?」
アリソンさんのそんな言葉に笑みを浮かべます。
「私は世界を見て回りたいのですよ。幸運にもギフトシップを手に入れることが出来ましたしね。まだ見たことのない町、国、そして海を回りたい。そのための準備段階としてこのルムッテロで活動しているのです。だからローレライの涙の利益の為にこの付近の海を往復するだけの生活なんて真っ平ごめんです」
「……」
2人に呆れたような目で見られていますがこれは紛れもない本心ですしね。
商人として考えれば愚かな選択なのかもしれませんが、この世界では私は商人であるよりも船乗りでありたいと思っていますから。現状やっていることはほぼ商人ですけれどね。
アリソンさんの気迫に飲まれたのか先ほどから出されたお茶へと何度も口をつけているマインさんの姿に内心苦笑します。普通の戦いには慣れているのでしょうが、商人同士のやりとりもある意味で戦いです。こういったことにはまだまだ慣れていないようです。今回は優しい方なのですがね。
「嘘は言っていないようだね」
「ええ、紛れもない本心ですね」
私を貫くように刺すアリソンさんの視線にゆったりと笑って返します。しばらく見つめ合っていましたがはぁー、とアリソンさんが大きなため息を吐いてソファーへと背を委ねました。
「わかったよ。条件について飲もうじゃないか。こっちとしても破格の条件さね」
「ありがとうございます」
利益の配分について交渉されるかとも思ったのですがそのまま受け入れるようですね。まあ3つ目の条件の秘密の厳守に関してはアリソンさんからしても必ず行うだろうことですので条件とも言えない物なのですが。秘密が広がってしまえば勝手に取引を行おうとする有象無象が現れるのは日の目を見るよりも明らかですからね。
「それでは契約を結んでおきましょうか?」
「そうさね。ちょっとお待ち」
アリソンさんが立ち上がり部屋の奥の方に設置されていた棚から紙とペンを取り出して戻ってくると、さらさらっと今まで話した内容について記載していきます。一般的な取引の契約条項についても記載していますが1度も詰まることなく書きあげる様は堂にいったものでした。日常的にこういった契約をしているのでしょう。
「ほら、確認するさね」
「では」
アリソンさんが書いた書面の内容を確認していきます。ここまで来て騙すようなことは無いとは思いますが最後まで油断できないのが商人というものですからね。特に契約関係はさらっと重大な事項が隠れていたりしますから。それを見逃したために後程大変な事態に発展すると言うことも珍しくありませんしね。
お約束として書面の裏側などもしっかり確認します。私のそんな様子にオットーさんに苦笑いされてしまいましたが。
「はい、問題ありません」
「じゃあ同じ内容の物を用意するからちょっとお待ち」
再びアリソンさんが契約書を書き始めたので、私も出されたお茶へと口をつけ、ほっと一息つきます。難航するかと思ったのですが思いのほかすんなりと済んでしまいましたね。まあそう考えて事前にいろいろと準備したことの方が案外あっさりと終わってしまうのは世界が変わっても一緒なのかもしれません。
少しリラックスモードになった私へオットーさんが話しかけてきました。
「それにしても2番目の条件はどうして付けたのですかな」
「定期的な適正価格の取引ですね。それが私とローレライの涙を譲ってくれた方々との契約だからですね。付け加えるならばアリソンさんの店を儲けさせすぎないためですね」
「そう言うことは考えていても言うんじゃないさね」
契約書を書きながらもしっかりとこちらへ耳は向けていたらしいアリソンさんにお叱りを受けてしまいました。ふふっ、失敗してしまいましたね。とは言えそのことはアリソンさんも納得しているのでしょう。軽く怒るだけで契約書づくりへと戻ってしまいましたし。
「どういうことなのだ、ワタル殿?」
私の言葉で商人の2人は納得したようですがマインさんは理解できなかったようですね。確かにこの辺りの事は特に話していませんでしたか。マインさんが質問してからしまった!という顔をしていますが特に困ることでもありませんし大丈夫です。大丈夫なのですが今すべき質問ではありませんね。まあ、それが気づいただけマインさんも商人らしい考えが出来るようになったと言えるかもしれませんね。
ここで答えないのも不自然ですし、2人には蛇足でしょうが答えておきましょう。
「ローレライの涙を売り出すと言うことはかなりの話題になります。しかも一度では無く定期的ともなればその入手先を知りたいという者は星の数ほどいることでしょう。そしてアリソンさんの店が莫大な利益を上げていればその数は飛躍的に増えます。それを防ぐという面でも適正な価格での買い取りが必要なのです」
「それをどうやって広めるかというのも考えないといけないがね。面倒な事さね」
アリソンさんの小言に曖昧に笑っておきます。確かにどうやって情報を流していくかはアリソンさんの手管にかかっています。とは言えアリソンさんならうまくやるでしょう。
出来上がった契約書を再び確認し、問題が無かったため契約を交わしました。私とアリソンさんだけでなく立会人の第3者としてオットーさんの記名もあります。少なくともこの3人が生きている間はこの契約が破られることは無いでしょう。
「契約は成立した。では本題さね。どこでローレライの涙を手に入れたんだい?」
「キオック海にある小さな島ですよ」
「本当にキオック海に入ったのですか!?」
「ええ、とは言っても海で漂流している方をたまたま見つけましてその方に案内していただいたのですがね」
信じられないと驚きに目を見開いている2人に笑みを崩さないまま伝えます。まあキオック海は悪魔の海とも呼ばれるほどの危険海域ですからそんな反応も当たり前ですね。
「その島には何人かの人が住んでいました。そして驚くべきことにローレライと交流があるようなのです。だから私もローレライの涙を手に入れることが出来たのですがね」
「……」
最初は驚いていた2人でしたが次第に落ち着いてくると少し疑わしげに私の方を見てきました。確かに話を聞いた限り胡散臭いことこの上ないですしね。オットーさんと定期的に取引をし、現物のローレライの涙を持ってきましたからこの程度で済んでいますが両方とも無いのであれば詐欺と言われ話にもならなかったでしょう。
「信じられないのはわかります。だからこそ誰か私と一緒に1度その島へ来ていただきたいのです」
「キオック海にかい?」
「ええ。安全は保障しますよ。何せ私自身が帰ってきましたから」
アリソンさんが腕を組んで考え込んでいます。島へと行く人材を考えているのでしょう。
本当ならばかなりの利益のある話ですし、秘密の厳守を考えればそれなりの人材を選ぶ必要がある。しかしそんな危険な海へとそんな人材を派遣することへの忌避。とは言え来てもらわないことには話は進まないですし私としても困ってしまいますが。
しばらく沈黙が続き、そして口を開いたアリソンさんから出た言葉に私は驚きを隠せませんでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【進水式】
造船において最も重要なイベントです。大々的なセレモニーが行われ、進水式と同時に船を命名するのが一般的です。
一般的な式の流れとしては命名書が読み上げられた後に船主の代表者がくす玉とシャンパンを吊るした綱を斧で切断し、瓶が割れて船首にかかり船が滑り出します。
中々見る機会はありませんが一見の価値ありです。
因みに綱を切断した斧は記念品として船主に渡されます。
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