Flag68:新しく始めましょう
ユリウスさんたちがローレライの島に来てから早いもので4か月が過ぎようとしています。季節的には日本で言うのならば初冬に当たるのでしょうがキオック海は穏やかな温かさを保っています。気分的には春や秋と言ったところでしょうか。
家や料理小屋の建設は既に一段落しており、野菜の栽培についても始めこそ土壌の関係などにより試行錯誤を繰り返すことになったようですがさすが農家出身とでも言えばよいのか今はすくすくと大きく育っています。まあ農業は一時的なものではありませんので根気よく続けていくようです。
現在ローレライの方が住んでいる島にはユリウスさんを始め5人の方が住んで畑を耕したり森を探索しながら過ごしています。そして残りの5人はと言えば……
「それでは数日で帰る予定ですのでよろしくお願いします。うまくいけば他に数人連れてくるかもしれませんので」
「わかりました。よろしくお願いします」
キオック海の中でもかなり東に位置する全周10キロほどの島をトッドさんを始め5人の方に見送られながら漁船を出発させます。マインさんももちろん同乗しています。
最初の頃は服に着られているような印象も受けたものですがもうすでに何度もルムッテロへと行き、私の後に着いて商談を見学したりしていたため雰囲気は一人前の商人になっています。話すとボロが出てしまうのは仕方がありません。そんなに簡単に身に着くものでもありませんしね。
ルムッテロの港へと着いた私たちは商人ギルドに少しだけ顔を出しオットーさんの店へと向かいます。本当なら商人ギルドで話した方が良い話ですし、オットーさんへ直接話を持っていくという事はギルドの面子を潰すような行為だとは理解しています。理解しているのですが私個人としてはもはや商人ギルドをほとんど信用していません。
と言うのも私とオットーさんの取引内容や金額についての話が駄々漏れだったからです。元々情報の規制が甘いなと思うことはありましたし、取引の金額などからしてある程度の情報は漏れるだろうとは思っていました。思っていましたが本当に具体的な金額まで漏らすほどモラルが低いとは思いませんでした。そのせいで一時期は詐欺師まがいの商人やらの有象無象に付きまとわれてかなり苦労しました。私を襲おうとしてきた男をマインさんが撃退し、帯剣するようになってからはそういったことも減りましたがね。
ミミさんには個人的には悪い印象はありませんがそういった事情もあり、顔を見せる義理を果たして町の噂を仕入れる程度の間柄を保つようにしています。個人がいくら優秀でも組織が腐っていれば意味がありませんしね。
オットーさんの店へ入るといつもの男性店員がにこりと微笑みそして奥へと入っていきました。新作の服などを眺めながら少しだけ待ち、戻ってきた彼に先導されていつもの部屋へと入ります。そこにはオットーさんとイザベラさんが待っていました。少し前までは2人そろっていることなどほとんどありませんでしたから冬が来てやっと仕事が一段落したのでしょう。痩せていたオットーさんの姿も心なしか元へと戻っているような気がしますね。
挨拶を済ませお互いに椅子に座ります。
「お仕事は一段落されたようですね」
「おかげさまで何とかなりましたな。感謝しております」
「ワタルさんには感謝してもしきれません。もちろん生地を運んで来てくださったマインさんにも」
「いや、商売だ。気にしないでくれ」
世間話をしながら話を進め、今後の発注計画などが一段落したところでいったん話が途切れました。タイミングは今ですね。
「少しオットーさんにご面倒なお願いがあるのですが」
「ふむ。なんでしょうか? 無茶な依頼を受けてくださった恩もありますしできうる限りのことをさせていただきますよ」
「ではお言葉に甘えさせていただきます。これを見ていただけますか?」
胸ポケットからハンカチを取り出し机の上に置くとゆっくりと開いていきます。オットーさんとイザベラさんがのぞき込むようにしてみる中最後の布が開かれ包まれていた球状の物が姿を現します。海を閉じ込めたようなエメラルドグリーンに輝くそのきらめきが2人の瞳の中でも存在感を放っています。
「ま、まさか……」
「ローレライの涙……ですな」
呆気にとられながらも2人の瞳はローレライの涙から離れることはありませんでした。このままでは話が進みそうにありませんのでハンカチをかぶせて見えなくしてしまいます。途端に2人の視線が私の方へと向きました。
「ご明察の通りローレライの涙です」
「どうしてこのようなものを……。いえ、違いますな。ワタルさんは私に何を希望されるのですかな?」
やはりオットーさんは話が早くて助かりますね。なぜ私がこれを持っているかという事よりもなぜ自分に見せたのかという事へ頭が回るのですから。
「オットー服飾店は一流の店です。今回のように貴族の方からの引き合いもあります。という事はこういった宝石類を取り扱う店と取引がありますよね」
「そうですな。あぁ、そういうことですか」
私のその言葉だけでオットーさんは理由を理解してしまったようですね。イザベラさんはまだよくわかっていないようですので少し付け加えておきましょう。
「はい。口が堅く信頼のおける店を紹介していただきたいのです。物が物ですし商人ギルドは信用なりませんので」
「いやはやこの町のギルドに所属するものとしては耳が痛い言葉ですが確かにそうですな」
オットーさんが気分を害した様子もなく笑っています。オットーさん自身もこの町で一番の店にのし上がるまでに私のような経験をしてきたのかもしれません。もしかすると高ランクのギルド会員ほどギルドを信用していないという皮肉な状況になっているのかもしれませんね。
「お願いできますか?」
「もちろんですとも。今からでもよろしければ案内しますが」
「オットーさんも来ていただけるのですか?」
「はい。私から説明した方が話は通じやすいでしょうし、イザベラからもそろそろ運動をしろと言われていますしな」
自らのお腹をゆすりながら笑うオットーさんに連れられて店を出ます。そしてしばらく高級店の並ぶ通りを進み1軒の店の前で立ち止まりました。看板にはアリソン宝飾店と書かれており、その出入り口には屈強なドアマンが燕尾服を着て立っていました。にこやかな笑みを浮かべる彼が開いたドアを通り中へと入っていきます。
「いらっしゃいませ、オットー様」
「やあ、アリソンさんにオットーが来たと伝えてくれるかな。面白いものを手に入れたともね」
「かしこまりました」
店内にいた女性店員とオットーさんが会話を交わしているのを聞きながら陳列された商品を眺めていきます。並んでいるのは比較的安価な宝石が多いようですね。恋人や家族へと贈り物でしょうか、2人の男性が店員に付き添われながら難しい顔をして宝石を眺めています。まあ安価とは言っても20万スオンは下らないものですから悩むのは当然です。
オットーさんの付き添いだとわかっているからか私に対しては薄く視線を向けるだけで特に近づいてくる様子はありません。商品のラインナップもわかりましたしあまり変な動きをして警戒させるのもなんですのでおとなしくオットーさんの元へと戻ります。
しばらくしてオットーさんが呼ばれ、女性店員の後を着いて店の奥へと向かって歩きます。先ほどの店内にはなかった絨毯の敷かれた廊下を進み奥の一室へと入ります。高そうなひじ掛け付きのソファーへと体重を預けている白髪の高齢なご婦人がそこにはいました。
「オットー坊だね。あんたが直に来るのは久しぶりさね。面白いってのはそこの坊やのことかい?」
「坊はやめてください。私ももう50を超えましたよ」
「ふぇ、ふぇ、ふぇ。あたしからしたらいつまで経ってもあんたは坊だよ」
楽しそうに笑うご婦人、アリソンさんでしたかね、がこちらへと視線を向けてきます。確かにオットーさんが坊扱いであれば30代に見える私が坊やなのもうなずけます。本当は60を過ぎていますがそれでもアリソンさんには坊や扱いされてしまいそうですね。
「お初にお目にかかります。ワタル カイバラと申します。珍しいものを手に入れましたのでオットーさんにお願いして連れてきていただきました」
「あぁ、オットー坊の店に珍しい布を卸したっていう商人だね。噂は聞いているよ」
「お恥ずかしい次第です」
「まあ商人として大成する奴は誰しも通る道さね。それがあんたは早かっただけさ。それで珍しい物ってのはなんだい?」
先ほどと同じように胸ポケットからハンカチを取り出して開いていきます。オットーさんがにやにやと笑っているのはアリソンさんを驚かせられるからなんでしょうね。頭が上がらないような感じですし、2人の間に昔何かがあったのかもしれません。
最後の布を開きローレライの涙が姿を現した瞬間、アリソンさんの目がすっと細くなり表情から笑みが消えました。
「ローレライの涙だね。あたしもみるのは久しぶりさね」
「はい。ある方々からいただいたものです。そしてその方々が持っているローレライの涙はこれ1つではありません」
私の言葉にアリソンさんの背中がソファーから離れました。そしてその顔には不敵な笑みが浮かんでいます。先ほどよりも10歳ほど若返ったような気がするほどの気迫を感じられます。ふふっ、やはり商人ですね。
「直で売りたいと言うなら全て買い取るよ。需要はあるんだ。どうとでもさばけるさね」
保有している量を伝えてもいないのにかなりの自信です。いえ、その確信が持てるほどに需要が高いという事ですか。私が持っている分を全て売ったとしたらとんでもない金額になりそうですね。まあそのつもりはさらさらありませんが。
これだけ乗り気ならばうまく話を進めることが出来ればなんとかなりそうですね。そんな確信を抱きながら口を開きます。
「アリソンさん、彼らと直接取引してみませんか?」
役に立つかわからない海の知識コーナー
【真珠】
貝から採ることの出来る宝石です。貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで天然真珠が生成されます。つまり貝殻と成分は同じです。
アコヤ貝を使い日本で養殖の産業化にに成功しましたので匁が使われていたりします。
こういった成分で出来ていますので酸化しやすく素手で触るのはあまり良くありません。輝きが鈍ってしまいますのでメンテナンスが必死なのです。
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三章開始です。宜しくお付き合いください。
評価、ブクマいただきました。ありがとうございます。




