Flag64:救助しましょう
船が大破したであろう地点へ近づくにつれ、その残骸と思われる木片が海面へとぷかぷかと浮かんでいるのが見えてきました。スピードを落としゆっくりと進んでいきますがその残骸が船へと当たり鈍い音を立てていきます。
操舵室前のデッキにはエリザさんが立っており、私からは見えませんがそこから階段を下りた先の本当の船の先頭にあるもう1つのデッキの左右にマインさんとミウさんが立っているはずです。マインさんまたはミウさんが要救助者を見つけ、それをエリザさんが私へと伝えるという形です。この体制ならばエリザさんが暴走したとしても止めることが出来ますからね。
フォーレッドオーシャン号がゆっくりとした速度で進んでいきます。しかし止まることはありません。まだ残骸が浮かんでいる範囲の5分の1程度しか走っていないとはいえこれは異常な事態です。
海を真っすぐに見つめているエリザさんの表情はこちらからでは伺うことは出来ませんが握りしめられ細かく震えるその拳からどんな思いなのかは想像に易く、その背中に暗く思い影のようなものが覆いかぶさっている姿を幻視してしまいます。
その時エリザさんがこちらに向かって船を止めるように合図をしてきました。私が減速したのを確認するとエリザさんは階段を駆け下りて行ってしまいます。もともとそこまでスピードは出していないため程なく船は止まり、私も操舵室から出ると先頭のデッキへと向かいます。
そして私が操舵室前のデッキへと着き、マインさんたちのいる先頭デッキへと向かおうとしたところで戻ってきたエリザさんと出くわしました。
「……船を進めますね」
「はい……」
意気消沈したその姿からは何も聞く必要はありませんでした。操舵室へ戻り再び船を走らせます。船に何かがぶつかる振動がどことなく悲しげに聞こえたのは私の感傷のせいでしょう。一瞬だけ目を閉じ、その誰かの冥福を祈ります。
半分以上走らせましたが、今のところ誰1人救助することは出来ていません。はっきり言って異常な事態です。
去っていった艦隊は遠方から砲撃や攻撃魔法で船を攻撃していましたが、船が沈んでいった後にこの付近を回遊して海に浮かんでいる人を個別に攻撃すると言ったようなことはしていませんでした。攻撃によって死なずに木片などを掴んで海を漂っている人がいないというのはかなり不自然です。大破した船から反撃のための大砲や魔法が飛んでいましたから船に人が残っていたのは確実ですしね。キオック海の海水温は低くありませんし、1時間や2時間木片に掴まっているぐらいならば軍人の体力ならば造作もないことでしょう。
そんなことを考えつつ進み、そして残り3分の1に差し掛かろうかという時、エリザさんがはじけるようにして階段を下りていく姿に船の速度を緩めます。今までと違い、船が完全に止まる前にマインさんが階段を駆け上がってきました。これは本当に要救助者のようですね。
「ワタル殿、頼む」
「わかりました」
マインさんと一緒に船体の後方側部に設置された人間くらいの大きさの円柱状の箱へと急いで向かい、そのロックを外すと中央部分から出ているひもをぐいぐいと引いていきます。しばらくしてそのひもが何かに引っかかったような手ごたえがし動かなくなったところでマインさんに少し離れてもらいグイッと一気にそれを引きます。プシューと言うガスが発生する音と共に箱が自動的に開き中に入っていたオレンジ色の物体が膨らんでいき、そして海面へと落ちていきました。
「すごいものだな」
「ええ。再利用は出来ませんがね」
海面へと浮かんだそれは船が沈没した時などに使用する非常用の救命ボートです。ボートとは言ってもエンジンはついておらず、八角形の土台の上に山形の屋根がついているようなものです。私もデモンストレーションや商品紹介などで見たことはありますが、実際に使用するのは初めての経験です。
マインさんがロープを持って海へと飛び込み、救命ボートに結び付けるのを確認してこちらもフォーレッドオーシャン号へロープを結び付けます。マインさんはそのまま前方へと泳いで行ってしまいましたので私もいったん先頭デッキへと行き位置を確認してから操舵室に戻り船を動かします。
船を再び止め先頭デッキへと戻ると眼下でちょうどマインさんが木片に掴まっていた要救助者を救命ボートへと乗せているところでした。救命ボートになんとか乗せ終えたマインさんがこちらに向かって静かに拳を振り上げます。その姿を見てエリザさんの目からポロポロと涙が零れ落ちていきました。
「殿下、まだ終わりではありませんよ」
「わかっているわ、ミウ」
差し出されたハンカチを受け取りエリザさんがそれで目を覆い隠します。しばらくしてハンカチを目から話したエリザさんの瞳には涙は残っていませんでした。
「探しますよ」
「はい、もちろんです」
救命ボートのロープの位置を調整しながら待っていた私はエリザさんが元の位置へと戻ったのを確認し操舵室へと戻ります。マインさんは救命ボートに乗ったままですのでよりゆっくりと走らなければいけません。
安全を第一に考えるのであればマインさんにも救助者の方にもフォーレッドオーシャン号へと乗っていただくという事が正しいのでしょうが要救助者が見つかるたびに後部デッキから飛び込み泳いで助けると言うのはいくらマインさんでも体力的に厳しいものがあります。ここまで要救助者が少なければ足りたのかもしれませんがね。そこで船の側部に救命ボートをつけて引っ張ることでその問題を解決しようとしたのです。
その後も何度か停止と移動を繰り返し結局私たちが助けることが出来たのは10名。救命ボートは本来であれば12名乗りなのですが1隻だけで特に問題なく済んでしまいました。
要救助者が多ければ「補給」しなければと思っていたのですがね。
命を救うことが出来たということは素晴らしいことです。素晴らしいことなのですがあまりにも少なすぎます。残された方々が少なかったと言うのであれば良いのですが。
残骸の散らばる海から少し離れ、救命ボートを結んでいたひもを取り外してから船体を少し前へと進めます。これで後部から乗りやすくなったでしょう。
操舵室を出たところでこちらに向かってくるエリザさんとミウさんを見かけましたのでその後に着いて一緒に後部デッキへと向かいます。マインさんから救助された方々にはある程度の事情は話してあるはずですので問題は起きないと思いたいのですが少々不安ではありますね。
船の側面の通路を抜け、後部デッキへと降りる階段へと着きました。そこからは後部デッキの様子が良く見え、マインさんに手伝ってもらいながら救助された方々が後部デッキへと上がってきていました。彼らは疲れ果て、そのうちの数人は泣いているようです。現状後部デッキにいるのは9人。次が最後の人のようですね。
マインさんが救命ボートから姿を現し、それに続いて大柄の坊主頭の男性が顔を出しこちらと視線が合いました。その男性はわなわなと体を震わせると飛ぶようにしてデッキへと乗り、そしてすぐに片膝をついて頭を下げました。
「エリザベート殿下、ご存命であられること大変喜ばしく!」
その男性の大声でエリザさんが来ていることに気付いたのか先ほどまで疲れ切っていたはずの助けられた人たちが同じ姿勢へと変わりました。そして身動き1つしません。そこにはエリザさんに対する敬愛が溢れているようでした。
エリザさんが一歩前へと進み、姿勢を正して凛とした表情をします。そしてすっと息を吸う音が聞こえました。
「ユリウス、久しぶりですね。しかしどうして陸軍のあなたがあの船に?」
「殿下の仇討ちのため陸軍への協力要請がありましたので志願いたしました」
ユリウスさんが顔を上げないまま答えます。その言葉を聞いてミウさんが小さくため息をついて顔をしかめます。うーん、これは本来ならば来てはいけない人のようですね。エリザさんが名前を知っているという事はそれなりの地位にいる方なのでしょう。
「船で何が……」
「殿下、皆さまお疲れです。場所を改めてユリウス大将からお話を聞いてはいかがでしょうか?」
ミウさんの言葉を受けエリザさんが思案するように眉根を寄せました。
「……そうね。ではユリウス着いてきてください。ワタルさん。2階のいつものテーブルをお借りしてもよろしいですか?」
「はい、問題ありません。それでは私は他の方々を案内させていただきます」
「すみません。よろしくお願いします」
エリザさんに続いてユリウスさんとマインさんがいつものテーブルへと向かっていきます。ミウさんは飲み物の用意に向かったようですね。
エリザさんたちが去り、残された人たちの視線が私へと刺さります。まあ敵意はないようですので問題はないでしょう。問題があるとすれば客室は既に使っていますので寝ることの出来るような個室がないことでしょうかね。とりあえずは3階のリビングスペースで休んでもらう事にしましょうかね。
「ではご案内させていただきます」
そう言って少し警戒している彼らへと笑顔を向けるのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【操舵輪】
17世紀に発明された船に関する大発明です。それ以前はホイップスタッフと呼ばれる舵柄に付けた棒を操り舵をとっていました。。
仕組みは本編で出てきましたので省きますが、よく勘違いされている点として帆船の操舵輪は1つの輪ではなく本当は2つの輪が並んで設置されその間に舵を動かすためのロープがついていることが多いです。ヨーヨーのような構造です。
この構造を取ることにより荒天時などに複数人で舵を動かすことが出来るようにしているのです。
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