Flag61:観察を続けましょう
私たちが艦隊を捕捉してから既に3日が経過しました。私がしているのはただ艦隊を監視し続けているだけですがガイストさんからの報告で計画は順調に進んでいると聞いていますので問題ありません。幸いなことにけが人どころか攻撃を受けたことも全くないようですからね。
艦隊はゆっくりとした速度でルムッテロから100キロほど真っすぐ西へと進んだのち、転身して一路南へと進んでいます。このままですとあと数日でキオック海から出て行ってしまいます。それはそれで都合が良いとも言えるのですがこのまま帰してしまいキオック海は安全だったと報告されてしまうのは問題です。そんなことになってしまえばキオック海へと次々に船が入ってきてしまうようになりますからね。
監視をし続けていて思ったのですが、今回の艦隊の航路からして目的の1つにキオック海を無事に通過できるかと言うことがあるのではないかと考え始めました。艦隊は決して離れることなく、夜などは投錨して固まって周囲を警戒しているのです。その動きはローレライを探しているとは言い難いものでした。
この航路が使えると判断されればいつかランドル皇国の大艦隊がこの航路を使ってルムッテロを侵攻しに行くのでしょう。ノルディ王国も国の境の海上には見張りの船を巡回させているでしょうがキオック海までは監視していないでしょうからね。完全な不意打ちで襲われれば陥落するのも必至です。
ルムッテロにはオットーさんやミミさんのように知り合いも増えていますから張り切って妨害してしまいましょう。まあするのは私ではありませんがね。
基本的に今は昼の操船はアル君に、目視での監視はエリザさんたちに交代で行ってもらっています。アル君に負担をかけてしまって申し訳ないのですがさすがにエリザさんたちに操船を教えることは出来ませんしね。本人は楽しそうなので幾分か気が楽ですが。
私は1人で夜の監視です。とは言ってもレーダーで艦隊に動きがないことをじっと見ているだけで特にすることも無いのですがね。艦隊から見つからないように夜間の電気の使用は控えていますし、船尾灯なども見えないようにしています。これで見つかるとしたら相当に運が悪いとしか言いようがありません。
東の空がうっすらと明るくなりそれに伴って海が暗闇からその色を取り戻していきます。特に何事もなく4日目の朝を迎えたようですね。あと1時間ほどでミウさんが起きだしてくるはずです。
眠気予防のために飲んでいたコーヒーを飲み干し、硬くなった体を背伸びしてほぐします。気分転換も兼ねて展望デッキからの監視に切り替えますか。外の空気も吸いたいですしね。
操舵室を出て4階の展望デッキへと昇ります。徐々に赤く染まっていく東の空と同じ色に染まっていく海に目を奪われます。ここ数日の1人で夜の間中、艦隊を監視し続けるという楽しくない仕事の中で唯一の楽しみかもしれませんね。
深呼吸をし、昨日の夕方から設置されたままの望遠鏡を覗きます。潮流や風の関係で多少ずれてしまっていますがおおよその見当がついているため程なくして艦隊へと照準が合いました。いつも通り特に変わったことはないようですね。
しばらく望遠鏡を覗き続けているとパシャンと言う水音が聞こえてきたため視線をそちらへと向けます。そこではガイストさんがこちらに向かって大きく手を振っていました。声を出さないのはまだ寝ている皆へと配慮でしょう。
朝食がてら毎日していた朝の打ち合わせにはまだ早い時間ですが伝えたいことがあるということでしょう。その表情に焦りなどは全くなく楽しげに笑っていますので良い報告だと聞かなくてもわかりました。おそらく作戦がうまくいったということでしょう。
もう一度望遠鏡を覗き特に動きがないことを確認すると海へ1番近い後部デッキへと向かいます。
「ワタル殿、指示通りの作業は終了したぞ」
「それはお疲れさまでした。頑張っていただいたローレライの方の分の朝食も用意しておきますのでよろしければ食べに来るように伝えておいてください」
「ああ、わかった。しかし……本当にこの程度のことで良いのか?」
ガイストさんが首を傾げ少し悩むような仕草をしています。うーん、確かに海の中を自由に泳ぎ動くことのできるローレライの方々からしたら私の依頼した仕事などこの程度と思われてしまうかもしれませんね。しかしそれは大きな間違いです。
「はい。もちろんです。もうしばらくして艦隊が動き出せばこの程度のことがどれだけ重要な意味を持つのかわかると思いますよ」
「そうか。楽しみにしていよう」
にやりとした笑みを残してガイストさんが海の中へと消えていきました。朝食を用意する人数が増えましたから今のうちに下ごしらえだけはしておいた方が良いでしょうね。さすがにいきなり口頭でミウさんに伝えるだけと言うのも無責任ですから。
さあ気合を入れましょう。今日は自分が立てた作戦がどれだけ効果があるのか確かめなくてはいけませんから眠っている暇はありません。船乗りがされたらいやなことは船乗りが1番知っているということを証明出来るといいのですがね。
そんなことを考えながらギャレーへと足を向けるのでした。
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ランドル皇国の艦隊の旗艦である外輪船の甲板にオスカーが現れる。朝日を浴び、その眩しさに少し顔をしかめながら見晴らしの良い後部甲板のいつもの椅子へと歩んでいきゆったりと腰を下ろした。そして夜間の当直だった水兵からいつも通りの異常なしの報告を受ける。
「ふむ、本当にローレライなどいるのでしょうかね」
「ウェストス海運商会の件もあります。いないわけではないと思いますがこれだけの艦隊に警戒して仕掛けてこなかったのではないでしょうか?」
隣に立ってその報告を聞いていた副官の言葉にオスカーは視線をチラッと向けると顎に添えていた手をモノクルへと持っていきクイッと上げた。
「かもしれませんね。まあいいでしょう。仕掛けてくれば手間が省けたのですが何もしてこない以上こちらから動きましょう。予定通り明朝決行です」
「了解しました。伝達しておきます。それでは出発します」
「どうぞ」
副官の指示のもと艦隊全体へと出発が伝えられ海兵たちの指示が響く中、錨が巻き上げられ帆が張られた。外輪船のパドルがゆっくりと動き始めそしてファンネルから白煙を上げながらその回転数を高めていく。
「この船はすばらしいのですが、この音はどうにかならないものですかね」
オスカーのそんなボヤキを聞いている者はおらず、船は南へと向かって走り始めた。今日一日は順調な航海になる。そのはずだった。しかし異変は走り始めてすぐに現れ始めたのだった。
ある一定の間隔を保ったまま今まで航海を続けていた艦隊の足並みが乱れていく。
「4番艦より報告! 操船不能とのこと!」
「5番、7番艦からも同様の報告が!」
「何です!?」
「9番、11番、12番艦も同様です。停船要請が来ています!」
「要請を受諾します。全艦に一時停船を伝達しなさい。停船後異常があった艦は原因の追究を、そうでない艦は周辺の警戒をするように続いて伝達。急ぎなさい!」
「アイアイサー!!」
オスカーは苛立たしげに立ち上がり指示を出しに走っていった副官の後を追う。パドルがゆっくりとその回転数を落としていきそして回転を止めた。独特の音が消えた船上には他船とのやり取りや停船の指示などによる喧騒に溢れていた。
「落ち着きなさい!」
オスカーの大声に喧騒がピタリと止む。そのことに満足したオスカーが注目を集めるように右手を挙げた。
「敵襲を警戒しなさい。異常の原因はまだわかりませんがおそらくローレライによるものでしょう。混乱に乗じて襲ってくる可能性が高いのですから。警戒はこの船と2番艦を中心に行います。さぁ、始めなさい!」
「「「アイアイサー!」」」
腕を振り下げながら言ったオスカーの命令に水兵たちが一斉に返事をする。そして先ほどまでの混乱が嘘のように冷静に自分の仕事をこなすようになっていた。その様子を見ていたオスカーは1つうなずくとモノクルをクイッと上げる。
「ふぅ、やはり悪魔の海は悪魔の海と言ったところですかね。しかしある意味で手間が省けたかもしれませんね」
クックックッと小さく笑うオスカーの声は再び動き始めたパドルの音にかき消され他の誰に聞かれることもなかった。
停船から2時間ほどが経過し、各艦の船長が小舟に乗り旗艦へ集まっていた。結局操船不能に陥っているのは艦隊の半数の6隻であり、応急的な修理は可能だが本格的な修理は不可能という事で意見は一致していた。顔を突き合わせる各艦の艦長の顔色は暗く、建設的な意見は期待できそうになかった。そのことにオスカーは深いため息を吐く。
「やられましたね。舵を狙われるとは思いませんでしたよ」
「皆、油断。撤退推奨」
「そうですね。もともと戻る予定でしたしね。無事な6隻で曳航ロープを使って誘導しましょう。幸い舵が効かない以外は問題ないですからね」
ガウェインの言葉にオスカーが同意する。他の艦長は黙したままで反対も賛成の意見も出なかった。そのことにオスカーは再びため息を吐いた。
原因追及のために小舟を降ろした1隻の船が船体後部にある舵を確認しに行き、海中にあるはずの部分がすっぱりとなくなっていることがわかってから他の5隻についても確認したのだがすべて同様のことが起こっていた。
操船は基本的に舵輪を回転させて行われるが、これは舵輪に繋がれたロープがその回転方向に引っ張られることにより船内部でそのロープに繋がれた舵柄が左右に動き、船外部の舵がそれに連動して動くことにより船を思った方向へと進めることが出来るのだ。
だからこそ今回のように水面下の舵の部分がなくなってしまえば操船できなくなってしまうのは当たり前だった。
「やられておいておめおめ逃げ帰ると言うのか!」
12人の艦長の話し合いを少し離れたところで見ていたユリウスから雷のような怒声が飛び皆がびくりと体を震わせた。そうでなかったのは話し合いが始まってから全く身動きしていないガウェインと余裕の表情をしているオスカーだけだった。
「対抗する手段がないですからね。それとも何かお考えがおありですか? 敵は姿さえ見せていないのですよ」
「ぐっ、うぬぅ!!」
赤い顔をしたまま言葉を詰まらせるユリウスの様子をオスカーが鼻で笑った。
「無いようでしたら黙っていてください。それでは方針は曳航して帰還ということで。曳航する艦の人手がいりますから航行不能の艦からある程度の水兵を移動させます。その代わりに陸軍の兵士を航行不能の船へと乗せます。良いですね」
その言葉に各艦の艦長が同意する。ユリウスが椅子から立ち上がり去っていくのを皮切りに各艦の艦長たちも自分の船へと戻っていった。そして最後に残されたのはオスカーとガウェインだった。
腕を組んで机の上を眺めていたガウェインが視線をオスカーに向ける。
「予定決行?」
「ええ、予定通りに。ローレライがこのようなことをしてくるとは予想外ですがある意味で好都合です。最大限利用させてもらいますよ。ガウェインさんもよろしくお願いします」
「承知」
そんな短い会話を交わし、ガウェインも自分の船へと戻っていった。
その後、曳航の準備のために曳航ロープを結び付けたりする作業や人の移動をするだけで日は沈み穏やかな波音だけが暗闇に浮かぶ船を包んでいた。それはまさしく嵐の前の静けさだったのであるが。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【海水はなぜ塩っ辛いのか?】
46億年ほど前の地球は、表面はマグマで、空は水蒸気や塩素ガスで被われていました。地球の温度が下がるに従って、空にあった水蒸気は雨となって塩素を溶かしながら地球に降り注ぎ、それらが窪地に溜まるようになりました。これが海の始まりで、43億年ほど前の話です。
最初の海は、塩酸が含まれた酸性の海水だったのですが、徐々に岩石に含まれるナトリウムと反応して中和され、現在のような海ができたそうです。つまり塩素を含んだ水にナトリウムが溶け、塩化ナトリウム(つまり塩)の水になったわけです。
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