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Flag60:外輪船を観察しましょう

 バシャバシャと水をかくパドルの音が断続的に響く船上の見晴らしの良い後部甲板に設置されたテーブル付きの椅子に3人の男たちが座っていた。穏やかな風が甲板を通り抜けていくが3人の間に流れる空気はとても穏やかとは言えないものだった。


「なぜローレライ共は出てこんのだ! ここは既にキオック海なのだろう。オスカー、艦隊を分けて探させろ!」


 全身筋肉の塊のようなスキンヘッドの偉丈夫が隣で優雅に紅茶を飲みながら座っているオスカーと呼ばれた優男へと怒鳴り散らす。オスカーが飛んできた唾に顔をしかめながら取り出したハンカチで拭きそしてそれを投げ捨てた。


「それは出来ない相談ですな」

「なんだと!」


 モノクルをくいっと上げながら馬鹿にするように言うオスカーの態度に元々赤くなっていた偉丈夫の顔がさらに赤く染まる。その太い腕がオスカーの胸倉へと向かい、そしてそれを掴む直前で2人の言い争いを黙って見ていた男が動いた。本当に見えているのかどうかわからないほどの糸目が、しかし確かに偉丈夫とオスカーを射抜く。偉丈夫の半分ほどの太さしかないように見える男の手に掴まれた偉丈夫の腕は小さく震えるだけ動かず目的を達することは出来なかった。


「静止推奨。作戦指揮、オスカー」

「くっ!」

「そうです。階級はあなたの方が上かもしれませんが、こと今回においては陛下から作戦の指揮を任されたのは私です。まあ今回の無礼についてはガウェイン中将の顔に免じて不問に付しましょう。よろしいですな、ユリウス第3方面陸軍(・・)大将閣下」

「わかっておるわ!」


 陸軍にわざとらしいほどのアクセントをつけたオスカーの言葉にユリウスの腕が再びその胸倉へと動きだそうとしたが、1ミリも前に進まない自分の腕を見て深いため息を吐いた。半ば腰を浮かせていたユリウスが椅子へとどっかりと座るのを見てガウェインがその手を離す。ガウェインが掴んでいたその場所は赤い手の跡がはっきりと残っていた。


「未知海域、艦隊分離、愚策」

「その通りです。作戦に無理やりねじ込んで乗り込んできたのですからここは専門家に任せていただきたいものですね」

「ではどうするというのだ!?」

「待っていれば向こうからやって来ますよ」

「ふんっ、話にならんな。海の者は悠長に過ぎる」


 ユリウスが立ち上がりそのいら立ちを表すかのようにドスドスと足音を立てながら後部甲板から降りていく。その後を追うように数名の兵士が着いていった。オスカーはそんな彼らの様子を馬鹿にするように肩をすくめてガウェインを見たがガウェインはただ見えているのかわからないその目で見つめ返すだけで何も反応しなかった。


「陸の者は短絡的過ぎますね」

「命令絶対」

「そうですね。何を勘違いしているんだか」


 続いてガウェインが立ち上がりその場を後にする。残されたオスカーはぬるくなった紅茶をその口に含んで飲み干し、口をぬぐうためにハンカチを取り出そうと手をさまよわせ、甲板に落ちているハンカチを見て顔をしかめた。そしてそのハンカチをぐりぐりと踏みつぶし立ち上がる。


「そう命令は絶対なのですよ。主からの命は果たさねばならないのですから」


 くっくっくっと笑うオスカーの愉悦に浸った顔を見たこの船の水兵も同じような笑みを静かに浮かべるのだった。


 **********


「ガイリンセンとは何だ?」


 艦隊の観察をいったんやめて望遠鏡のレンズから目を離すと私のつぶやきが聞こえていたのかマインさんがそんなことを尋ねてきました。ハイ君とホアちゃんも当然知らないようで興味津々と言った顔で私のことを見てきます。


「外輪船は両サイドについている水車のようなものを回すことで進む力を得ることの出来る船です。風がなくても進むことが出来ると言うことが最大の利点でしょうかね」


 私の説明に3人がふんふんと同じタイミングでうなずいています。こういうところを見ると親子なのだなと改めて実感しますね。


「風がなくても進むというのであればガレー船もそうだったはずだが、それとは違うのか?」

「あぁ、やっぱりガレー船もあるのですね。あれは漕ぎ手が櫂を使って人力で動かすのですがあの船はおそらく蒸気によって動かしていますから全く違うものですね」

「蒸気で船が動くのか?」

「そうですね。簡単に言うとボイラーで発生した蒸気がシリンダーに入り圧力をかけることでピストンを動かしてパドルを回転させるのですが……詳しく聞きますか?」

「遠慮しておこう」


 両手を挙げて降参のポーズをとり即答したマインさんの潔さに苦笑します。蒸気機関と言う概念がない人に口頭で説明してわかれと言う方が無理でしょうしね。

 私の説明を聞いて興味を引かれたのかハイ君とホアちゃんが望遠鏡のレンズへと先を争うかのように向かっていきました。ケンカしそうになっている2人の頭にマインさんの拳骨が落ちます。2人が頭を手で抑えたままゴロゴロと転がっています。これは痛そうです。


 マインさんの言葉を聞いて一瞬人力で動かしているのかとも思ったのですが、それならば船の中央に立っている巨大なファンネル(煙突)から煙が上がっているはずがありませんしね。

 しかし石炭で燃やしているのであれば黒い煙が出るのが普通なのですが、出ているのは少量の白い煙だけです。人力ではないようですがその動力部分に関しては私の常識外のつくりをしているのかもしれません。


 未知の動力機関ですか。興味はありますが少々厄介ですね。外輪船ですから大した船足は出ないと思いますが最大出力の予想がつかないのでは慎重に動かざるをえません。


「マインさん。エリザさんとミウさんを呼んできてください。あの2人なら見たことがあるかもしれません」

「わかった」


 マインさんが階段を下りていくのを見送り、肉眼では米粒ほどにも見えない艦隊の方向を眺めます。


 この外輪船が活躍したのは地球でいえば19世紀初めごろです。現在ではスクリュー推進が一般的な船ですが、初期のころのスクリューは非常に非効率な形をしていたためパドルを回転させて進む外輪船の方が優れた推進手段だったのです。とは言え波などにより左右の推進力のバランスが崩れやすかったり、大型で重量がかさみそしてメンテナンス費用がかかりやすいなどの欠点もありますがね。何より重大な弱点もありますし。もちろん利点もあるのですがね。


 ちなみに外輪船からスクリュー船へと転換していくきっかけとして1845年にイギリス海軍で行われた外輪船のアレクト号とスクリュー船のラトラー号の綱引き実験があり、それにスクリュー船のラトラー号が勝ったことで外輪船は徐々に姿を消していくことになります。

 実際は機関馬力がラトラー号の方が大きかったらしいので公平な勝負ではなかったとも言えるのですがね。

 まあそれはとりあえず置いておきましょう。


 しかしどうやら町で聞いた話と船の数が違ったのはこの2隻のせいでしょうね。マインさんの反応を見る限りこの外輪船は新型の船のはず。ルムッテロの港へは寄らずに海上で艦隊と合流したのでしょう。

 皇女殿下の護衛であるマインさんが知らないところを見ると極秘に開発されたようですしね。そんな新造船をただで敵国に見せる義理はないでしょうから。


 しかしなぜわざわざそんな虎の子ともいえる新造船を送り込んできたのかが理解できません。キオック海は悪魔の海と呼ばれる場所です。通常の船を造るのでもかなりのコストがかかりますが、外輪船ともなればそのコストはさらに跳ね上がるはずです。

 事前の情報などからエリザさんの報復と言う理由は建前だと判断していたのですがそんなことはなく、本気でローレライに攻撃を仕掛けるつもりなのでしょうか?それとも別の目的があるのか?うーん、情報が少なすぎますね。


 しばらくしてやって来たエリザさんとミウさんにも確認してもらいましたが2人も外輪船については全く知りませんでした。

 これは少し作戦を見直した方が良いかもしれません。ガイストさんとリリアンナさんを呼んで少し打ち合わせをしましょうかね。

役に立つかわからない海の知識コーナー


【燃料補給は大変】


今では軽油などで船は走りますのでそういったこととは無縁ですが昔の蒸気船では石炭を燃やして走っていましたのでそれは過酷な労働でした。

体中真っ黒になりながら24時間ずっと火夫たちがかまに石炭を入れ続けるのです。室内であるためその熱気も相当なものでした。その過酷さゆえ奴隷が使われることもあったようです。

因みに20世紀初めのアメリカの戦艦ミシシッピは全速航行時には1時間で16トンの石炭が消費されたようです。


***


感想、ブクマいただきました。ありがとうございます。

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少しでも気になった方は読んでみてください。

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