Flag52:お断りしましょう
「お断りします」
そう告げた私を10の瞳が信じられないものを見るかのように見つめます。そんなに予想外だったでしょうか。いえ、確かに漂流したミウさんたちを助け、エリザベート殿下の救出を事前の報酬もなしに引き受けてそれを成し遂げた。今まではすべての要求に応えてきたのですから彼女たちにとっては予想外なのかもしれませんね。
しかし何事にも線引きはあります。今回はそこから出てしまった。それだけなのですがね。
「なんでだよ。別にそこまで遠くってわけでもねえんだろ。連れて行ってやればいいじゃん」
「うーん、確かに距離などの要因は問題ないのですがね……」
アル君の率直な質問に答えに詰まります。確かにアル君からしてみれば私の行動は矛盾しているように思えるのかもしれません。助けておいて、帰る手助けが出来るのにも関わらずしないと言っているわけですからね。
「理由をお聞かせ願えますか?」
驚いて言葉を失っているエリザベート殿下の代わりにミウさんが私に声をかけてきました。その表情はとても冷たく、しかしそれでいてその眼差しは私が断ったことを喜んでいるようにも見えました。彼女は気づいているのでしょう。いえ、事前に話し合い全員が承知しているのかもしれません。
はぁ、と小さくため息を吐きます。アル君を連れてくるべきではなかったかもしれません。
「自殺をお手伝いする気はありません」
「なんだと!!」
「マイン、やめなさい。なぜそう思ったのですか?」
「否定しないのですね。はぁー。そこは嘘でも否定していただきたかったですね」
私に向かって牙をむいているマインさんを抑えながら言ったミウさんの言葉に深いため息が漏れます。こういったドロドロした部分を子供に見せるのは気が引けます。ハイ君とホアちゃんは当事者ですし既に話を聞いている可能性もあるのですがアル君はあまり関係ありません。
「アル君、ここから先の話はあまり楽しくないと思います。人間の汚い部分の話になりますしどこかで眠っていた方が良いかもしれませんよ」
「大丈夫だ。俺は人間のいろんなところが知りたい。それに今までの話も楽しくなかったしな」
アル君の言葉に思わず小さく吹き出してしまいました。確かに今までもアル君にとって楽しい会話ではなかったでしょうね。
アル君にはまず人間の綺麗な面を知ってほしいと思っていたのですが、確かにこういったドロドロとした面を知る必要もあります。そもそも人間がローレライをさらおうとしているのだから悪い面については知っているのです。アル君が知りたいというのならこれも経験でしょう。
私も覚悟を決めます。アル君から視線を外し、落ち着きを取り戻したエリザベート殿下と視線をかわします。
「嵐で船が沈没した。あれは嘘ですね」
「!?」
「より正確に言うのなら沈没の原因は嵐だけではないと言った方が正しいでしょうか」
「んっ?嵐じゃねえのか?」
その言葉に首を縦に振ります。
「沈没した船を見ましたが船体側面に穴が2か所空いていました。これは側面が何かと接触したことを意味しています。しかも穴が開くほどの強い衝撃です。船にとっては致命的になりかねないものです」
「どういうことだ?」
「うーん、言葉ではわかりにくいですかね。ちょっと待ってください」
内ポケットに入っている手帳のページを1枚破り正方形に整えたうえで折っていきます。アル君が興味津々に覗き込んでいることに少し癒されながらおおよそ30秒ほどで船が出来上がりました。まあ実際の船とは違って帆もありませんしどちらかと言えばカヌーに近いかもしれませんがね。
「おおー」
「はい。ではこれを使って説明しましょう。船と言うのはこれと同じように縦長の形状をしています。水に浮かぶことではなく航行することを目的にしているのでこういう形状をしていると考えてください。この形なのですが縦の衝撃には強いのですが横からの衝撃に非常に弱いという欠点があります。こんな感じで」
紙の舟の側面を軽く指でつつきます。バランスを崩した紙の船はコロンと横倒しになってしまいました。アル君がやってみたそうな顔をしていますのでアル君の前に紙の船を置くと、自分でつついて倒してはまた直すということを楽しそうに繰り返しています。
うーん、遊びになってしまいましたか。とは言え現状で遊ぶのはちょっとまずいので紙の船は回収です。
「あっ!」
「とまあ、こんな感じで危険なわけです。もちろんここまで簡単に転覆はしませんがね。しかしこの海域に接触の原因となるような岩礁などはありませんし、内部から破壊されたというのもその位置からして考えにくい。となると考えられるのは他の船とぶつかったというのが妥当なのですよね」
残念そうに私の手の中の紙の船を見つめるアル君の頭を撫で、推論の結果をエリザベート殿下たちへと伝えます。うーん、誰も特に何も言いませんか。まあ確かに今のは船の構造上の欠陥と沈没の原因の可能性について言及しただけです。結論と結びつけるのには弱いかもしれませんね。
「ここで問題となるのは他の船とは何なのかと言う点です。一番に候補に挙がるのは海賊船でしょうがこの可能性はありません」
「どうしてそう思われるのでしょうか?」
断言した私の真意を問うようにエリザベート殿下が聞いてきます。その態度こそがそのことを証明しているのですがね。
「誰も海賊船に襲われたと言わなかったからですよ。本当にそうなら隠す意味もありませんしね。だから襲われたのは他の船。しかも襲われたことを私に隠さなくてはいけない船と考えれば答えは導き出せます。エリザベート号を襲ったのはランドル皇国の船、おそらくエリザベート殿下を守るために一緒に航行していた護衛艦でしょう」
「はあ!なんでそんなことすんだよ。仲間なんだろ!」
アル君が憤りをあらわにし、机をドンと叩きます。全員の視線がアル君に集まり自分のしたことに気づいたのか「あっ、悪い」と謝っていましたがその顔にははっきりと信じられないと書いてありました。そんなアル君の姿をエリザベート殿下を始め5人が優しい目をして見ています。
確かに仲間を大事にするローレライからしたら考えられないことなのでしょうね。私もそれに同意ですが、理解は出来てしまいます。
「地位、権力、利害。何が決定的な原因かはわかりません。でも同じ国の人間同士であっても害し合うこともある。それが人間です」
「意味わかんねえ」
「ふふっ、そうですね。まあこれが人間の悪い一面です。あくまで一面であることを忘れてはいけませんよ。」
納得のいかない様子のアル君へ釘を刺しておきます。子供のころはある一面だけを見てそれが全てだと思ってしまいがちですからね。そして極端な行動に走りやすい。それをうまく制御してあげるというのも大人の責任でしょう。
とりあえずアル君の勉強はここまでです。うんうんとうなっていますのでこれを消化するには時間がかかるでしょうしね。あまり悩むようでしたら後で個人的に話しに行きますかね。アル君の頭を軽くぽんぽんと叩き、視線をエリザベート殿下へと戻します。エリザベート殿下は表情のない顔をしていました。何を考えているのかわからないような。
「全て推測ですよね」
「はい。状況証拠からの推測に過ぎません。他にもいくつか状況証拠はありますけれど決定打とはなりません」
まるで急に戦闘が始まり慌てたように一か所だけ開けられた砲門や、護衛すべき船が沈んでしまったのにも関わらず姿どころか救おうとした痕跡さえもない護衛艦、そして近い港に寄り生存の報告だけでも先にすべきなのに時間がかかってもわざわざ皇都に近い港へ向かうことを依頼したエリザべ-ト殿下などまだまだ理由は挙げられます。しかしそれは決定的な証拠にはなりえません。
「ならば……」
「お断りします」
「しっ!」
エリザベート殿下の言葉を遮りそう言った瞬間、マインさんが一瞬消えたかと思うほどの速度で動きだし、そのまま私の目の前に剣が突きつけられました。私だけでなく他の誰も反応できていません。瞬きする暇もありませんでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【ナイトダイビング】
基本的にアドバンスレベルの資格が必要です。なくてもやってくださる所はありますが個人的にはおすすめ出来ません。
昼間では中々見ることのできない夜行性の甲殻類等が動き回ったり、魚が眠っていたりと一味違うダイビングの魅力に溢れていますが、その分バディを見失いやすかったり、ハンドシグナルが使えないのでライトで合図をする必要があったりします。
慣れてきて新しい刺激が欲しいと思う方は一度試されてはどうでしょうか?
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