Flag50:少し休憩しましょう
感動の再会も落ち着きを見せ始めたところでアル君用にと後部デッキに大量に置いてあるタオルをお嬢様とマインさん、そして服が濡れてしまっているミウさんへと手渡していきます。目を赤くしたミウさんが謝ってこられましたが、それに笑って気にしないでくださいと返します。それだけお嬢様を大事に想っていたという事ですし謝るようなことでもありません。タオルが1、2枚増えたところで洗濯にかかる手間は大して変わるものでもありませんしね。
「とりあえず部屋へと案内しますね。さすがに着替えないと風邪をひいてしまいかねませんし」
「えっ、あっありがとうございます」
ミウさんに手伝ってもらいながら体や服を拭いていたお嬢様が濡れて張り付いてしまったドレスを私の目から隠すように身じろぎしながら答えます。その顔がポッと赤く染まる様はなんというか微笑ましいのですが、その背後のマインさんの目が尋常ではないほど鋭く私を見つめています。
苦笑しそうになるのを我慢しつつ3人を連れて客室へと案内していきます。階段を下りるとその先のミウさんたちの部屋から顔を覗かせているハイ君とホアちゃんと目が合いました。私を見ても前のように逃げなかったことに少し安堵していると、私に続いて降りてきたお嬢様とマインさんを見た瞬間、バンっとドアを開けて飛び出してきました。
「「父様、姫様!!」」
「ハイ、ホア!」
マインさんも駆け出し、衝突するような勢いで2人を抱きしめます。膝をついたマインさんの両肩へハイ君とホアちゃんが顔をうずめるようにしたまま涙を流し、その小さな手はしっかりとマインさんを抱きしめていました。もう2度と離さないと言わんばかりに。
マインさんはこちらを向いていませんのでその表情を伺うことは出来ませんが、その細かく震える体を見ればどんな表情をしているかは想像に難くありません。
「父様、父様、死んじゃったかと思った」
「生きてて良がったー」
「大丈夫だ。お前たちこそ生きていて良かった。本当に……」
マインさんが力強く2人を抱きしめます。ハイ君とホアちゃんは少し苦しそうにしながらもその泣き顔の中に笑顔を覗かせていました。そんな感動の親子の再会を私たち3人は温かい目で見守り続けるのでした。
子供たちが落ち着きを取り戻し3人が私とお嬢様に待たせたことを謝ってくれましたが、私はもちろん主人であるはずのお嬢様も3人の再会を喜びこそすれ、待たされたことを怒るような様子はありませんでした。
「とりあえずこの区画には4部屋あります。ミウさんたちに使ってもらっている部屋があちらで、残り3部屋は空いていますので自由に使ってください。あちらの部屋はダブルベッドですのでお嬢様はあちらですかね。部屋割はご自由に」
「何から何まですみません」
「すまない、ワタル殿」
「いえ、シャワーなどの使い方はミウさんと子供たちで教えてあげてください。今回はくれぐれもお湯を使わないように。最高でもぬるま湯程度にしてください。それでも長時間はやめておいてくださいね。絶対ですよ。それでは私も身支度をしてきます。余裕があれば1時間後くらいに2階のダイニングエリアまで来てください。簡単な軽食を用意しておきます。余裕がなければまた明日ということで」
そう言い残して別れ、自分の部屋へと戻ります。予想外のことが多すぎてさすがに疲れました。とは言えあまりのんびりしている暇はありませんので手早くシャワーを浴びて着替えてしまいましょう。
水のままシャワーを浴び、体のべとべとを落としていきます。疲れをとるためにも熱い浴槽に入りたいところですがダイビング後に熱いお湯に浸かるのは厳禁です。血管が膨張し、体内組織からの窒素の放出速度が速くなってしまうため減圧症にかかってしまう可能性が高くなるからです。浸からずにシャワーだけでも同様のことが言えます。
後は飛行機に乗ってはいけないとか山などの高所へ行ってはいけないなどの注意点もありますがそれらは現状ありえませんしね。
濡れた体をタオルで拭き、いつものスーツへと着替えるとギャレーへと向かいます。ベッドへと一瞬視線が行ってしまいましたがそこへ倒れこんだら起き上がる自信がありません。
ギャレーへと向かうと、そこにはパンの焼けた良い匂いが漂っていました。私が沈没船に取り残された後もミウさんがどうも焼き続けていてくれたようですね。アル君に呼ばれた時に丁度焼きあがったのでしょう。オーブンシートの上に私が作ったのと同じディナーロールが並んでいます。丁度粗熱が取れた様子ですので近くに置いてあったビニール袋へと入れていきます。
1時間後に集合と言いましたので残りは40分程度。ミウさんはお嬢様の身支度の手伝いがあるでしょうから応援は無しですね。
うーん、何を作るか迷いますね。見たところお嬢様もマインさんも体調が悪いような感じはしませんでしたので普通に食事を出しても問題はないような気がしますが、大事を取って胃に優しいものにした方が良いでしょうし。
よし、カボチャのミルクがゆを作りましょうかね。胃に優しいですし、時間もかかりませんから。
カボチャを適当な大きさへと切り、レンジの温野菜モードで温めているうちにディナーロールの表面を切って中の柔らかい部分を取り出していきます。外側は後で私が食べれば良いでしょう。
カボチャが温め終わったら、スプーンで中身の部分だけを取り出してペースト状にしていきます。それが終わったら弱火にかけた鍋にミルクを入れてカボチャペースト、そしてちぎったディナーロールの柔らかいパンの部分を投入してパンを潰しながら混ぜていけば大丈夫です。
味見をしてみましたがカボチャとミルクの甘みがあって食べやすく、どこかほっとする味です。これなら問題はないでしょう。
煮ている間に中身をくりぬかれたディナーロールの中にカボチャの皮を詰めてその上にチーズをまぶしてオーブンで軽く焼きます。余りもので作った適当料理ですがそこそこ美味しいですね。見た目はちょっとあれですのでお客様にお出しできるようなものではありませんが。まあ私の夕食はこれで大丈夫でしょう。
ミルクがゆの鍋の中のパンが形をとどめない程度になりましたので鍋の火を止め器に移していきます。飲み物は……オレンジジュースで良いでしょうか?レモン水に塩と砂糖を溶かして持って行こうかとも思いましたがそこまで衰弱しているように見えないのですよね。沈没してから2日ですし。そう考えるとミルクがゆもおおげさだったかもしれません。まあ栄養はあるので良しとしましょう。
料理についてはほぼ完成したので鍋の火を止め、2階のダイニングエリアを見に行きます。約束の時間の15分前ですがまだ誰もいませんね。女性は支度に時間がかかるものですし積もる話もあるのでしょう。いろいろとね。
外へ出て階段を下り、後部デッキへと向かいます。そこではアル君が寝ころんだ姿勢のまま水面を尾びれでパシャパシャさせて夜空に輝く星月を見ていました。その表情は少し物憂げな様子です。その横へとそっと腰を下ろします。
「どうかしましたか?」
「んっ、おっちゃんか」
私の方へと視線を向けたアル君でしたが、やはりどこかいつもと違います。答えの出ない問題に頭を悩ませているような、どうしたらいいのか迷っているようなアル君にしては珍しい表情です。
アル君が視線を私から夜空へと再び向けました。そしてゆっくりとした口調で話し始めました。
「俺、今までおっちゃん以外の人間と話すことってなかったんだ」
「はい」
「キオック氏族の中では人間は俺たちを捕まえに来る悪者って教わっててな。俺、それを信じていたんだ」
パチャンとアル君のしっぽが海面を叩きます。そして波の音さえ止まってしまったかのような静寂の中、私もアル君にならって夜空を見上げます。この船以外に周囲には明かりとなるようなもののないこの海域からは月が明るいにもかかわらず落ちてきそうなほどの星々を見ることが出来ました。
「でもおっちゃんに会って、そんで今回ミウが仲間のために泣いているのを見たりして俺が教わったことって正しいのかなって。人間と俺たちってあんま変わんねえんじゃないかなって思って。そう考え始めたら何が正しいのかわかんなくなっちまったんだ」
「そうでしたか。それはとても難しい問題ですね」
「おっちゃんでもか?」
「はい、もちろんです」
アル君が意外そうな顔で私を見ます。確かに私はアル君の何倍も生きていますがその問いに関する明確な答えをもっているわけではありません。と言うより万人が納得する答えなど無いのですから。
「私の考えを聞きたいですか?」
「うん」
素直にうなずいたアル君と目を合わせます。そして自分自身を納得させるかのように一つ一つの言葉を噛みしめながら話します。
「ローレライと人間はあまり変わりません。お互いを助け、お互いのために泣き、そして楽しむ。その点では間違いなく一緒と言えます」
「じゃあ俺たちが人間を殺すのは間違ってるのか?」
「そうとも言えません。大事な人の命を脅かすのならばそれは敵対者です。ただ黙って大事な人がやられるのを見ているなんて言うのは愚かとしか言いようがありませんしね。だから優先順位をつけるのです。自分たちと同じような感情を持った生き物であることを認識しつつ、それでも仲間のために倒すという選択が必要になるでしょう」
私の言葉にアル君が視線をそらして下を向きます。アル君が再び顔を上げるまでに数秒かかりました。顔を上げたアル君は目に涙を溜め、今にも泣いてしまいそうでした。
「それって辛くねえか?」
「はい、とても辛いですよ。相手の気持ちを考えれば考えるほど動けなくなってしまいますから。だからキオック氏族では人間は悪者と教えているのでしょう。その方が絶対に楽ですからね。しかし、アル君はそうでないことに気付いてしまいました」
「……おっちゃんならどうするんだ?」
アル君に改めて聞かれ自分自身の心へ問いかけます。綺麗ごとを並べてお茶を濁すことも出来なくはありません。しかしこんなに真剣に考えているアル君に対してそれは失礼と言うもの。
一度目を閉じ、大きく息を吐いてからアル君を見つめなおします。アル君の綺麗な瞳がじっと私を見ていました。
「もし相手が私や私の大切な人を殺すつもりであれば、殺すでしょう。少なくとも殺す覚悟は持って対応するつもりです。本当はそんなことはしたくありませんけれどね」
「そっか」
「でもこの選択が正しいのか正しくないのかは私にもわかりません。立場によって正しさと言うのは変わってしまいますから。だからそんなあやふやな正しさにこだわらずアル君は自分の大事なものを、守りたいものを第一に考えると良いと思います。きっとアル君ならそれで大丈夫です」
「大事なもの、大事なものか……」
アル君が私の言葉を飲み込むように小さな声で反芻しています。
今の私の言葉は下手をすれば自分とその周囲の人だけ幸せなら他はどうでも良いという独裁者とも言われかねない理論です。でもきっと大丈夫。私やミウさんたちの様子から自分の常識がおかしいのではないかと考えることができ、そしてそのことに悩むことのできるアル君なら道を間違うことなどないでしょう。もし仮に間違ってしまった時は私が正せばいいだけです。それが大人としてアル君に1つの道を示した私の責任でしょう。
「なあ、おっちゃん。おっちゃんの大事なものってなんだ?」
考えが一区切りついたのかアル君が顔を上げ、私の方を向きました。その顔からは先ほどまでの深刻な様子はうかがえません。どちらかと言えば私の大切なものは何か知りたいという興味の方が上回っているようです。
「そうですね。私自身は言うまでもないとして、ガイストさんやリリアンナさん、そしてローレライの方々。ルムッテロの町にも何人か大切な人がいますね」
私の言葉が続く中、アル君の表情が少しずつ曇っていきます。そんな表情をしてくれるとますますイタズラ心が刺激されてしまいますね。
「あっ、そうそう。大事なものを忘れていました」
「んっ、なんだ!?」
アル君が期待に満ちた顔で私を見ます。欲しい答えはわかっているのですけれどね。
「このフォーレッドオーシャン号もとても大事です」
「……」
「冗談ですよ。アル君、君も私の大切な人です。しかも5本の指に入るくらいに」
私の答えに悲しそうな顔で落ち込んでいたアル君の頭を優しく撫でながら告げます。ちょっとイタズラが過ぎてしまったようです。だめですね。可愛いからといって悲しませては意味がありません。反省せねば。
アル君がぱあっと音が聞こえてきそうなほどの笑みを浮かべ、そしてすぐに頬を膨らませて私を睨みつけてきました。おっとこれは怖い。
「おっちゃん、わざとだな」
「ええ、ちょっとアル君が可愛かったので調子に乗ってしまいました。すみません」
「何だよそれ! おれは可愛くないぞ、かっこいい男になるんだからな」
「おっとそれは失礼しました。そうですね、アル君ならきっとローレライの中で一番格好の良い男になれますよ」
「だろ!」
にかっとした笑みを浮かべるアル君に笑い返し、その体を抱き上げます。そろそろ集まる時間です。言い出しっぺの私が遅れるわけにもいきませんからね。
アル君の濡れた尻尾をタオルで軽く拭い、そのまま階段を上ろうとしてふと思いついたことを聞いてみることにしました。
「そういえばアル君の大切なものはなんでしょうか?」
「俺のか? 母さんに友達だろ。あとはおまけで親父もいれてやるとして……」
楽し気に指折り数えていくアル君の様子を伺います。私の方をちらっ、ちらっと見る姿に思わず笑みがこぼれてしまいそうになりますが、表情筋を引き締めて何とか我慢します。
「後は……この船だな!」
「そうですか。私が入れなかったのが少し残念ですがこの船を気に入ってもらえて良かったです」
ちょっと寂し気にそう呟けば、アル君がニヤニヤと笑いながら私を見上げてきました。
「仕方ねえな。おっちゃんも入れてやるよ」
「それは光栄ですね。感謝の意味も込めて今度アル君の好きなサンリマのパスタでも作りましょう」
「えっ、マジで。おっちゃん最高だぜ!」
私を抱きしめて喜びを表すアル君の姿に心癒されながら階段を上り、集合地点である2階のダイニングエリアへと足を進めるのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【レンタルか購入か?】
ダイビングの器材についてです。
一式揃えようとすると15から30万程度かかるダイビングの装備ですが、もちろんダイビングショップでレンタルすることが可能です。レンタル料は5千から1万円程度です。
こう書くと最初から購入したほうがお得に見えますが実際に体験してみたら思ったのと違ったと言うことは往々にしてあります。
2、3度レンタルで体験されてから嵌りそうなら購入と言う感じが良いのではと思います。偶に初回から半ば強制的に器材を買わせようとするショップもありますので注意して下さい。
***
評価、ブクマいただきました。ありがとうございます。




