Flag46:ダイビングを教えましょう
使えなくなった機材を前に腕組みをしながら考えます。そんな私の様子をアル君が少し心配そうに見つめています。うーん、そうですね……
「どうしたんだ、おっちゃん?」
「いえ、これが使えなくなってしまったのでどうしようかなと思いまして」
「えっ、それないとおっちゃん戻れないんだろ。どうすんだよ?」
いきなり慌て始めるアル君を安心させるように笑います。私が考え込んでいるのはその事ではないですからね。
「ああ、いえ。船に予備があと2つありますからそれを持ってきてもらえば私だけが帰るのなら何も問題はないのですがね」
「んっ、なら何が問題なんだ?」
「いえ、どうやってお嬢様に機材の使い方を教えようかと」
フォーレッドオーシャン号に載っていたダイビング機材は3人分でした。男性用が2つ、女性用が1つです。おそらく船のスタッフ1人が案内し、乗客2人がバディを組むことを前提にしているのでしょう。
沈没した船の中から動いていないとすれば魔道具で作られるその空間を動かすことが出来ないのだろうと予想はついていたので一度潜って見つけたら事情を説明し、いったん船に戻ってお嬢様用のダイビング用の機材を運んで使い方をしっかりと教え込んだうえで脱出する。そんな予定を立てていたのです。全てが全て順調に行くなどと考えていたわけではありませんがここまで予想外だと苦笑いしか出ません。
とは言え何もしないまま時を過ごすのは愚策です。今この時に魔道具が止まってしまったら3人とも溺れてしまいます。仕方がありません方針を変更しましょう。
「アル君、1度船へと戻ってミウさんにお嬢様とマインさんを発見したと伝えてください。そして1階の機械室近くのロッカーにこれと同じ装備が2つ入っていますので持ってきてください。アル君だけでは船の上は難しいと思いますのでミウさんに助けてもらってくださいね」
「おう、わかった。ちょっと待ってろよ」
そう言い残してアル君が水の壁の奥へと消えていきます。とりあえず現状で出来ることはこのくらいでしょうか。私自身、一度船に戻るにしても装備が来ないことにはどうしようもないですからね。
それにしてもミウさんには少し負担をかけてしまうかもしれません。ダイビングの機材は意外に重いものが多く、タンクともなれば15キロ程度あったはずです。それを持って階段を昇ることになりますから。食事の準備もお願いしてしまいましたし……
「あっ!?」
「何だ?」
「いえ、アル君に食べ物と飲み物を持ってきてもらうようにお願いするべきだったと思いまして」
考えてみれば沈没してから既にほぼ1日半です。マインさんはその間この部屋から出ることが出来ていないはず。先ほど私に対して斬りかかって来た時の動きはそんなことを感じさせなかったので抜けてしまっていました。
うーん、他のローレライの方に頼みましょうかね。
そんなことを考えているとマインさんが腰のあたりをごそごそとし始めたかと思うとそこから革の袋を取り出し私へと差し出してきました。
「飲むか?」
「水でしょうか?」
「ああ。昔の癖で水と食料は常に持ち歩いている」
「そうでしたか。いえ私は大丈夫です。マインさんが食べ飲み出来ていないのではないかと思っただけですから」
私がそう答えるとマインさんは特に気分を害した様子もなく革の水筒を再び腰へとくくりつけました。その様子に少し嬉しさを感じます。少なくとも貴重な水を分け与えても良いと判断してくれたということですからね。
私の視線に気づいたのかマインさんがチラッとこちらを見ました。
「なんだ?」
「ええっとそうですね。脱出の計画についてお話ししたいのですがよろしいですか?」
何となく嬉しくて見ていたと言うのは気恥ずかしく、別の話題を出してごまかします。話そうと思っていたのは確かですしね。
マインさんは無言で首を縦に振りました。
「まずお嬢様は魔道具の効果が切れるまでは動かせません。ですのでまずはマインさんのことからです。方法としては2つ。先に脱出するか、お嬢様と一緒に脱出するかです」
「お嬢様を置いては行けん」
「そう言うと思っていました」
即答するマインさんに対して苦笑します。確かに護衛する対象を放って先に自分だけ逃げるような人物には見えませんしね。
私個人の判断で決定できるのであれば先にマインさんだけを脱出させた方がはるかに安全なのですがね。ダイビングの素人2人を1度にフォローするよりは1人1人に分かれてもらった方が面倒は見やすいですし、不慮の事故を防ぐことも出来ます。一応一緒に脱出するメリットもあるのですがね。
「わかりました。では3人で一緒に脱出することにしましょう」
「脱出出来るのか?」
「ええ。アル君に今これと同じものを持ってきてもらっていますが、この道具を使えば水中でも呼吸することが出来るようになります。これはもう使えませんがね」
「すまない」
「ああ、いえ。責めているわけではありません。マインさんの立場からすれば仕方のないことだったと理解していますから」
申し訳なさそうに頭を下げるマインさんに笑い返して気にしていないと伝えます。殺されそうになったのは本当ですがマインさんの立場を考えれば仕方のないことだったと思いますしね。
全身ぴったりとしたウエットスーツにレギュレーターを口にくわえて大きなタンクを背負った人物が護衛対象に近づこうとしたら誰だって攻撃するでしょう。ダイビングの装備を知らない人からすればまぎれもない不審者でしょうしね。
マインさんの顔はやはりまだ申し訳なさそうにしていますが、これ以上言葉を重ねてもそれは変わらないでしょう。壊したという事実は変わらず、それを申し訳ないとマインさん自身が思っているのですから。だから別のことへ意識を向けさせるしかありません。
「という事でマインさんにはこの道具の使い方を覚えてもらいます。事前の準備は私が全てしますので簡単なものですよ。水中を散歩するようなものです」
「そうか。それではご教授願う」
「はい、それではまず注意点ですが……」
壊れているとは言ってもレギュレーターのホースが切れているだけですので使い方を教えるのには何も問題はありません。そもそもダイビングは最初の機材のチェックや準備などを覚えるのがまず大変で、そこさえクリアしてしまえば普通に潜るのであればそこまで技量を必要としません。もちろん注意すべき点はいくつもありますし、水中でパニックを起こせば命に関わってしまいますが。
気軽に海の中を散歩できる素晴らしい趣味だと私は思うのですけれどね。
マインさんは私の言葉をしっかりと聞き、わからないことはすぐに聞いてきました。不明点を無くす重要性を良く知っているようです。仕事柄かもしれませんね。
私がこうしてマインさんに講習を行っている間にも次々とローレライの方がダイビングの機材を運んできています。場所はわかったようですね。
運ばれてくる機材をセッティングしつつ講習を続けます。特に必要はないのですが機材のセッティング方法まで教えてしまいました。まあ無駄ではないでしょう。ダイビングの機材がこの世界にあるかは知りませんが。
「大体理解した」
「それは良かった。とりあえず2人分の機材のセッティングは終わりましたので後でいったん私は船に戻ります。もう1人分の機材の用意が必要ですからね。ついでに水と食料も持ってきますよ」
「悪いな、ワタル殿」
マインさんが頭を下げます。ダイビングの方法や注意点などを教えている間にマインさんの態度からは棘が取れていました。私が本気でお嬢様とマインさんを助けようとしていると信じてくれたのかもしれません。
「いえ、乗り掛かった舟ですからね。私が戻ったら実際に潜って練習をしましょう。船を抜けさえすれば後は簡単ですよ」
「ああ、後は息を吐きながらゆっくりと浮上して海面に出る前にしばらく待つ、だったな」
「そうです。海面が見えると気持ちが急いてしまうかもしれませんが少し我慢してください。時間は私がお教えしますので」
「了解した」
教えたことを自分から確認してくださるのでマインさんの理解度を測るのは非常に楽です。注意点もしっかりと覚えているようですしね。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【ダイバーズナイフ】
水中で襲ってくる危険な生物と戦うためのナイフ、ではなく水中で網やロープなどに絡まり身動きが取れなくなった時用の作業ナイフです。ステンレスやチタンなどの錆びにくい材質で作られます。
ダイビングすると釣り糸に引っかかることがしばしばあるため、それを切るラインカッターがついているものが多いです。
ちなみに2012年の銃刀法の改正により、昔のダイバーズナイフが現在では違反になっていることがあるので注意が必要です。
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