Flag44:沈没船へ向かいましょう
準備を終え、再び後部デッキへと戻ります。少々荷物が多いので動きにくいですが。後部デッキへと続く階段を下りていると私を見つけたアル君が驚きに目を見開き、そして笑い始めました。うーん、変ですかね?
「なんだよ、おっちゃん。変な恰好!」
指をさして笑い転げているアル君は置いておいて、ミウさんも不思議そうに私を見つめています。確かに見たことがなければ不可思議な恰好かもしれません。
全身にぴったりとフィットしたダイビングスーツにタンクを片手に持ち、マスクやフィンをもう片方の手で持った姿は確かに異様です。そういうものだと知っていれば違和感はないのでしょうがね。
「そこまでですかね? 一応人間が海に潜るための格好なのですよ」
手を広げて見せてみると、笑いを一旦止めたアル君が再び笑い始めました。ツボに入ってしまったようです。とりあえずアル君は放っておきましょう。
「それを着れば私でも行けるんでしょうか?」
真剣な目で私を見つめるミウさんからは強い行きたいという意思が感じられました。しかし私はそれがわかっていながらも首を横に振ります。
「この機材を使ったとしても海に潜るには訓練が必要です。しかも40メートルの沈没した船の中を泳ぐのです。残念ですがミウさんには許可できません」
「そう……ですか」
私のその言葉にミウさんが肩を落としあからさまに落ち込んでしまいますがこればっかりは無理です。
ダイビングするのに日本では特に資格がないと出来ないという訳ではありません。とはいえ何の知識もない素人がダイビングをすれば事故が起こるのは明らかです。観光などではなく本格的にダイビングをしようと思えばダイビングの指導団体などが開催する技能講習を受けた証であるCカードと呼ばれるものが必要になります。船を出してもらう段階でほとんどの場合、提示が求められますから実質無いとダイビングスポットまで連れて行ってもらえませんから出来ないのと同じなのですよね。
ただこのCカードなのですがランクがありましてそのランクに応じて潜ることのできる深さなどが変わってしまいます。今回のように水深40メートル、しかも沈没した船の中を泳ぐともなればテクニカルダイバー相当になります。残念ながら私はその一歩手前で仕事が忙しくなってきたため断念してしまいましたがね。とは言え出来ないと言う訳ではありません。おそらくですが。
「大丈夫です。必ずお嬢様を見つけてきますから迎え入れる準備をしておいてください。申し訳ありませんが食事の準備もお願いします」
「わかりました。お嬢様をどうぞよろしくお願いします」
頭を下げるミウさんに真面目な顔でうなずき返し機材の準備に入ります。まずはタンクの空気穴のシールをはがし異物がないか確認、次にバルブを緩めて異臭がしていないかを確認します。特に問題はなさそうです。
次にBC、まあタンクとつないで浮力を調整する装備のことなのですがそのバックルをタンクに留めます。タンクの高さに注意しないと背負った時に後頭部を痛打しますから。ベルトもしっかりと通しずれない様にきっちりと締めていきます。バチンとバックルの音が鳴るまで締め、そしてマジックテープもちゃんと貼り付けます。小さな油断から事故は起こりますからね。
次はいよいよレギュレーターです。タンク内の圧縮された空気を人が吸っても大丈夫なようにする非常に大切な装備です。ここで大事なのはセカンドステージ、口にくわえる部分は右からと覚えておくことです。つまりゲージ類は左側になります。タンクと接続するファーストステージ、空気圧を1次減圧する部分についているキャップを外しタンクにセットしたらゆっくりと優しくそれを締めていきます。力を入れ過ぎずにそれでもキュッと締めるのがポイントです。
中圧ホースをBCのインフレーターホースにつなげるためカチッと言うまで差し込み、引っ張ってしっかりとはまっているかを確認します。つないだホース類はそのままにしておくと邪魔になりますのでBCの肩ベルトにまとめてしまいます。
最後にタンクの圧力チェックです。新品ですので問題はないはずですが何事も確認が第一です。ゲージを下向きにしてタンクのバルブを全開まで開けてから少しだけバルブを元へ戻します。全開のままだと固くて動かないのかそれとも全開なのかとっさの時に判断が遅れますからね。その少しの時間が命取りになる可能性だってあるのですから。ゲージを確認すると残圧は全く問題ありません。
レギュレーターを口にくわえしばらく呼吸し、特に問題がないことを確認して、同じくインフレーターについてもボタンを押してBCにちゃんと空気が入っていくことを確認します。問題は無しです。
ウエイトも着けましたしその他の装備も問題ありません。では行きましょうかね。
後部デッキからジャイアントストライドで海へと飛び込みます。ジャイアントストライドと言うと大げさに聞こえますが簡単に言えば立った状態で足を前に踏み出して海に飛び込む方法です。コツは大きく足を踏み出すことと顔の前後を手で抑えることですね。
ダイビングのエントリーと言うと船べりに腰かけた状態から海へ入っていくバックロールの方が一般的には有名なのですが、フォーレッドオーシャン号のようなメガシップでは後部がフラットなエリアになっていますのでジャイアントストライドの方が簡単なのです。
一度海面に浮き、心配そうに見つめるミウさんに手を振ってから潜っていきます。視界はやはりそこまで良くはありませんね。嵐の影響で少々濁ってしまっています。とは言え元々が澄んだ海ですのでアル君たちの姿を見失う心配は全くありませんが。と言うよりアル君は私が吐く泡が面白いのかそれにじゃれついて遊んでいます。一応バディという事になっているのですがまあいいでしょう。しかし若干案内してくれている方がアル君のことをうらやましそうに見ている気がするのですが……気が付かなかったふりをしておきましょう。
うっすらと見えていた沈没した船ですがゆっくりと深度を下げていくうちに私の目にもはっきりと見えるようになりました。80メートル級の船体に4本のマスト。嵐を避けるためか帆はたたまれた状態ですが前部のフォアマストとメインマストには横帆が、後部のミズンマストとジガーマストには縦帆を張るように作られているところを見るとジャッカスバークですね。砲門は片側に5つ。中央の1つだけが開いて砲が顔を覗かせています。
そして貴人が乗るにふさわしい船の証明とでも言えば良いのか芸術品と言っても過言でない薄布をまとった女性の彫刻がその船体後部に彫られていました。海の底で見るその表情は少し寂しげにも感じます。この船が航行している時に見てみたかったですね。
海底に横たわったその船体には2か所大きな穴が開いてしまっています。まずこれが沈没した原因の1つでしょう。逆にこの穴が開いたおかげでミウさんたちが掴まって漂流することが出来たとも言えるのですがね。うーん……
とりあえず先に進みましょう。船内への入り口である扉へ向かって泳いでいきます。一瞬視線を横へやると何かにサメなどが群がっているのが見えました。先ほど私の船に来たローレライの方が邪魔になりそうなものは船外へと出しておいたと言っていましたのでそういうことでしょう。心の中で冥福を祈りつつ泳ぎます。
横倒しになった通路は十分に広いとは言えず、さらに暗いためライトを頼りに進んでいきます。まあ限りあるスペースを有効に使うため船の通路が狭いのは仕方がありません。むしろこの船は先のウェストス海運商会の4隻と比べれば広く、そして内装も凝っています。あちらは実用一辺倒で飾りさえほとんどありませんでしたからね。
そしてたどり着いた先は後部甲板下、通常であれば船長室などがある位置でした。職人が1から彫ったのであろう精緻な模様の描かれた一枚板の扉を指さすと案内してくれたローレライの方がこくこくと頭を縦に振りました。
振り返りアル君にここで待っているようにとジェスチャーで伝えそのドアノブへと手を伸ばして違和感に気づきます。水の抵抗がないのです。ドアの手前10センチ程度でしょうかそこまでは確かに海水があるのですがそれより奥にはまるでそこに見えない壁があるように海水が止まっていました。
不可思議な状況ですが、確かに音が聞こえなくなる魔道具も見えない壁のようなもので遮断していましたし魔道具にとっては一般的な造りなのかもしれません。
金色に輝くドアノブをゆっくりと動かしてドアを押すと下方向へと開いていきました。水が流れ込むようなこともありません。とても不思議な光景ですが見とれているわけにもいきません。通路から身を乗り出しライトで室内を照らしていきます。
縦になってしまっている床に元の状態で貼りついている大きなベッドが真っ先に目に入ります。まるで遊園地のアトラクションに入ってしまったかのように錯覚してしまいそうですがその隣に床にロープでつながれた机がぶらぶらしているためそんなことにはなりませんでした。ベッドだけは船を造る段階で備え付けたのでしょうね。
ライトを下へと向け照らしていきます。本来は壁であったそこには部屋の中にあった様々な荷物が散乱しておりひどい状態です。この状態で果たして無事なのかと不安になるほどの惨状なのですが……
(たぶんあの方なのですよね)
私の目にはベッドに敷かれていたのであろうマットレスの上に綺麗な姿勢で目をつぶって横になっている若い女性の姿が映っていました。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【ジャッカスバーク】
3本以上のマストを持つ帆船で、一般に縦帆と横帆が半分ずつ張られている帆船です。
バークに比べて縦帆が増えているため向かい風などの操船に強い一方で、横帆が減るため追い風時の速度がバークほど出ないと言う性質を持っています。良く言えばすべての状況に対応出来るとも言えます。
ちなみに3本以上のマストと言っていますがスクーナーなどと違い5本以上のマストを持つジャッカスバークは製造されていないそうです。
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ブクマ、評価いただきました。ありがとうございます。




