Flag40:お願いを聞きましょう
「お嬢様を探していただけませんでしょうか?」
そう私に問いかけるミウさんの目は真剣でとても冗談を言っているようには見えません。まあ内容自体も冗談で言うようなものではないのですが。
「残念ですが探しても見つけることは困難だと思います。この広い海で人一人を見つけるという事自体が奇跡的な確率でもない限り不可能です。こんなことを言うのは申し訳ないのですが」
実際海難事故で漂流した場合、ヘリコプターなどを使用して空から捜索したとしても見つけられないことが多いのです。地上の低い視界から見つけようとするのは砂漠の中で一粒の砂金を探すことと変わりません。ミウさんの気持ちはわからないでもないのですが、感情に引きずられるままでは探し続けることになってしまいます。
「います。お嬢様はまだ船にいるはずです」
「どういうことでしょうか?」
ミウさんのその言葉には確信がありました。希望的観測でもありませんし、死体を回収してほしいという感じでもありません。沈没した船に未だそのお嬢様がおり、しかも生存していることを確信しているのです。
ミウさんがガイストさんたちに助けられておよそ半日、嵐が来た時期を考えると既に1日以上経過しているはずです。鋼材で出来た気密性の高い船ならともかく木製の帆船が沈没してこれだけの時間船内に空気が残っているなど奇跡に近い確率です。それでもお嬢様が生きていると確信しているという事は何か理由があるはずです。
私の言葉に一瞬言葉を詰まらせながらもミウさんが口を開きます。
「お嬢様が今回の船旅に出るにあたり、万が一を考えこういった事態に対応できる魔道具を用意してきました。沈没してから2、3日であればお嬢様は生きているはずなのです」
「魔道具ですか……」
普通ならありえないと思いますが、確かによくわからない理論で動いている魔道具であれば水中で空気を保つような機能があったとしても不思議ではありません。さしずめ酸素ボンベからずっと空気を送り続けている状態に保っているようなものでしょう。それならばお嬢様が生きている可能性もありますが、確率的には良くて5割といったところでしょうか。しかしそれにしてはミウさんが生きていると言い切る理由には弱いと思うのですが。
そんな風にあれこれと思考を巡らせていると、私が迷っていると思ったのかミウさんが自身のバスローブへと手をかけました。何をするか予想がついてしまった私は慌ててそれを止めます。
「何をするつもりですか?」
「今、私たちにはワタル様にお支払いできる報酬など何一つありません。ならばせめて私を自由にしていただければと……」
「お断りします。あぁ、いえ。捜索をお断りするという訳ではありませんよ。人の頼みを聞く代わりに体を要求するような下種にはなりたくありませんのでその報酬は受け取れません」
「じゃあ僕とホアがワタル様の奴隷になるから探してほしいんだ」
「うん。だからお嬢様を助けてあげて。恩人なの」
今にも泣きそうな顔で私を見上げるハイ君とホアちゃんの頭へと手を伸ばします。ビクッと体を震わせながらも2人はそのまま動こうとはしませんでした。目をつぶった2人の髪を軽く撫でます。2、3度撫でてやるとおっかなびっくり目を開けました。そんな2人に柔らかい笑みを見せます。
「2人を奴隷として受け取るなんてもってのほかです。心配しなくて大丈夫ですよ。お嬢様を探しに行きましょう」
「しかし報酬もなくそんなことをしていただくなんて、あまりにもこちらに利がありすぎます」
「あなた方の面倒を引き受けた時点で多少の面倒ごとは覚悟していましたしね。それに利がそちらだけにあるとは限りませんよ。もし本当にお嬢様が生きていらっしゃるなら助けた後に報酬をいただけば良いのですし。むしろ私がそんな報酬を要求してくると思われた方がショックです」
「すみません。シャワーで体を清めさせていただいたところだったので……」
「あっ、そういえばそうですね。私にも非はありますか。こちらこそ申し訳ありません」
ミウさんの顔がボッと音が出そうなくらい赤くなり、それにつられて私の顔まで熱くなってきました。単純に海に浸かった体のままで寝てしまったので気持ちが悪いだろうし、病気の予防にもなるとしか考えていませんでしたから抜け落ちていましたね。
ミウさんからしたら知らない人の船でシャワーを浴びろと言われればそういった要求をされるのかもしれないと考えてもおかしくはありません。
「おーい、おっちゃーん」
少々気まずい沈黙を破るように元気な声が聞こえてきました。これはアル君ですね。そういえばそろそろいつもアル君と朝食を食べていた時間です。しまった。アル君用の朝食を用意するのを忘れていました。
しかし良いタイミングです。
「何ですか、この声は?」
「あぁ、あなたたちを助けてくれた知り合いですよ。お嬢様の船を探すなら手伝ってもらった方が助かりますのでちょっと連れてきます。しばらくお待ちください」
そう言い残して声のした後部デッキへと向かいます。そこには予想通り用意されたタオルで体を拭いているアル君がいました。
「おはようございます、アル君。朝食は食べてきましたか?」
「おう、母さんの料理もうまくなってきたな。まだまだおっちゃんには負けるけど」
ししし、と歯を見せて笑うアル君の言葉にほっと胸を撫で下ろします。朝食を食べに来たと言われたらどうしようかと思いました。さすがに3人とアル君を残して朝食を作りに行くことは出来ませんしね。
「朝食の時に親父に言われたんだ。助けた3人の様子を見て来いってさ」
「そうでしたか。それは丁度良かったです。今少し相談に乗ってもらおうかと思っていたのですよ」
「ふーん、何のだ?おっちゃんの頼みなら大概大丈夫だと思うぞ」
「ではちょっと一緒に話を聞いてください。アル君たちにとってはそこまで難しいことではないと思うのですがね」
体を拭き終わり両手を上げているアル君を抱きかかえて3人の元へと向かいます。初対面にしてはなかなか珍しい格好での出会いとなってしまいますがアル君に這いずりながら登場してもらうのもそう大した違いではありません。誤差の範囲内でしょう。
「お待たせしました。私の知り合いでローレライのアル君と言います」
「ロ、ローレライ!?」
私の胸に抱かれたまま片手を上げるアル君の姿を見たミウさんが瞬時に立ち上がり態勢を半身にし、まるで今にもこちらを攻撃するかのように瞳が鋭くなります。ハイ君とホアちゃんと言えばその背後に隠れつつ頭上の耳を両手で抑え、しっぽをくるんと丸めそれが股の間からこんにちは、と見えてしまっています。
「なぜワタル様がローレライを……いえ、助けられた。私たちはローレライに助けられたのですか? なぜローレライがわざわざ私たちを。海の悪魔と呼ばれているのに」
「少し落ち着きましょうか、ミウさん。ハイ君もホアちゃんもアル君は怖くありませんよ」
気丈に振る舞いながらもミウさんの体を見ると細かく震えているのがわかります。ハイ君とホアちゃんは言わずもがなです。まあローレライの話を聞いたことがあるならば当たり前でしょう。ルムッテロでは死の象徴のように扱われているくらいですしね。
そんなことを考えながらアル君の方を見てみればぽかんとした顔で私を見つめています。変なことは言っていないはずですが?
「どうしましたか、アル君?」
「いや、わかっていたけどおっちゃんも人間の言葉を話すんだなって思って。半分くらいしかわかんなかったぞ。すげえな、おっちゃん」
「んっ、どういう意味ですか?」
「だっておっちゃん俺たちの言葉も人間の言葉も話せるんだろ。俺も親父から人間の言葉を教わってるけどなかなか覚えられないんだよな」
純粋に尊敬の目で私を見つめているアル君のその言葉に背筋がぞくっとしました。目線をミウさんたちへと向けると信じられないものを見るかのようにその目が見開かれています。
「ミウさん、確認です。私とアル君、このローレライの子のことなのですが、私たちの会話は聞き取れましたか?」
「いえ、ローレライに言語があるということ自体初めて知りました」
「そうですか。それともう1つ。すみませんがこんにちはと言ってもらっても良いですか?」
「えっ?こんにちはですか?」
よくわからないといった顔でこんにちはと言ったミウさんにはひとまず待ってもらいアル君へと視線を移します。
「アル君、こんにちはと言ってもらってもいいですか?」
「おう、こんにちは」
私にはまったく同じように、いえ正確にいうのであれば両者とも日本語でこんにちはと言っているように聞こえます。しかしミウさんとアル君の口の動きは全く違う動きをしていました。そしてその動きは日本語のものでもありません。確かにここにきてから人と話す時に微妙な違和感があって気にはなっていたのですが、口の動きと聞こえる言葉が違ったからだったようですね。
そしてミウさんとアル君の言葉から考えて私自身も相手に合わせた言葉を話しているようです。私自身の意識としては日本語を話しているつもりなのですが。うーん……
「Hello.Ms.Miu.」
「はい、こんにちは。……ええっと、先ほどからワタル様は何をしているのでしょうか?」
「I just wanted to make sure. I’ll be with you in a moment.」
ミウさんが不思議そうな顔をしながらそれ以上の言葉を止めます。完全に通じていますね。つまり私が日本語を話そうが英語を話そうがそれがミウさんの言語へと変換されて聞こえているということです。意味がわかりません。
便利と言えばそうなのですがなぜそうなったのか理由が明確でないことが気持ち悪いです。今は良いですがこの不可思議な現象が元通りになってしまったらアル君ともミウさんたちとも会話できなくなってしまいます。はぁ、思わぬところで課題が増えてしまいました。しかしすぐに解決できるものでもありませんし今は少し置いておきましょう。
「うーん、お嬢様の救出について皆で話そうかと思っていたのですが言語が違うとは盲点でしたね」
「ローレライが助けてくれるのですか? ワタル様、あなたはいったい何者なんですか?」
「偶然が重なり知己になっただけですよ。知り合ってみれば気の良い方々ですしね。だから私に何者かと聞かれても困ります。あえて答えるならばこの船の船長でしょうか?」
とりあえずアル君を椅子に座らせながら答えます。そして3人にも席に座るように促します。少し警戒心を残しつつもミウさんが座り、そして子供たちが恐々とそれに続きます。3人は視線をアル君に合わせようとはせず黙ったままです。話し合いを進めるつもりが悪化してしまいました。アル君はまだ子供ですし、私と一緒にいるところを見せればそこまで警戒されないのではと思っていたのですがそんなに甘くはありませんか。
「なあ、何であいつら黙ってるんだ? なんか相談があるんじゃねえのか?」
「うーん、何と言いますか事前の情報が邪魔をして目で見たものを正しく判断できないといったところでしょうか? アル君とは言葉が違うので話せないというのが致命的ですね」
「ふーん、何か共通する言葉とかあればいいんだけどな」
アル君がハイ君とホアちゃんを見つめています。同じローレライならば同年代の子供はいますが他の種族で同じくらいの歳の子供を見るのは初めてでしょうからね。アル君としても話してみたいのでしょう。
それにしてもどうしましょうかね。アル君が聞き取りだけなら多少は出来るようですので強引に進めて後から私が説明しても良いのですが、そうすると相互理解は出来ないままになってしまいます。せっかくの機会ですしそういった経験をさせてあげたかったのですが。確かにアル君の言う通り共通する言葉などがあれば多少打ち解けることが出来たかもしれません。共通するというのは相手への信頼度を上げるのに重要なファクターですからね。齟齬も起きませんし。
それにしても共通することですか。共通……もしかして!
「すみません、少し席を外します。アル君も一緒に来てください」
「んっ、何だ?」
疑問の声を上げるアル君を抱き上げ、緊張しながら座っているミウさんたちから離れます。少し時間を置けば気持ちを整理することも出来るでしょうし好都合です。
「どこに行くんだよ、おっちゃん?」
私の腕の中で揺られているアル君が私を見上げています。そんなアル君ににっこりと笑いながら目線をその目的地へと続く階段へと向けます。
「操舵室ですよ。もしかしたらアル君たちも話せるようになるかもしれません」
驚いた顔をした後、喜びを隠すように普通の顔を保とうとしているアル君の姿が可愛らしく小さく笑ってしまい、そのことを怒られながら目的の操舵室へとたどり着きました。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【リバーレーダー】
日本では川を船が航行すると言うイメージがあまりないかもしれませんがヨーロッパやアメリカでは一般的です。海とは違い川幅という制限があり、しかも大きくく練っている川では他船を素早く見つける発見する必要がありその目的で開発されたのがリバーレーダーです。
アンテナの回転数が従来の2倍であり情報収集が早いのが特徴です。海でも高速で走行するプレジャーボートに装備されていることがあります。
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ブクマ、評価いただきました。ありがとうございます。